2004年国家大ホラル(国会)議員選挙立候補者決定(2004年05月17日)

2004年国家大ホラル(国会)議員選挙立候補者届出が5月17日で締め切られた(注:全76選挙区の立候補者名はウヌードゥル新聞2004年05月17日付などを参照。ちなみに、この日の新聞売りスタンドは各紙が早々に売り切れになった)。

2000年の国政選挙が13党、3同盟だったのに対し、2004年のそれは7党、1同盟となった。これは、2000年選挙が民主同盟連合政権の失政を受けて、各党が政権獲得のチャンスと判断したからに他ならない。一方、2004年選挙で政党乱立が回避されたのは、現与党である人民革命党政権の究極的絶対多数への対抗のためである。

今回の国政選挙の特徴は、人民革命党と「祖国・民主」同盟のどちらを有権者が選択するか、ということであろう。その意味では、争点が明確であるといえる。

従って、各党の立候補者選出過程がその特徴を明確に示している。

現与党の人民革命党は、当然のことながら、76選挙区すべてに候補者を立てた。その内、国家大ホラル(国会)現職議員が44人というところに、エンフバヤル政権の現状維持姿勢があらわれている。

その一方で、ゴンガードルジ、ジャスライといった元首相が出馬していない。これは、1)本人たちが、来年実施される大統領選挙出馬を視野に入れていること、2)エンフバヤル政権の新旧交代、などのためであろう。

さらに、アイマグ知事やウランバートル市区長が9人含まれている。これは、1)地方重視の姿勢、と考えられるが、その一方で、ウヌードゥル新聞(2004年05月15日付)が批判しているように、2)法律知識の少ない(らしい)、アイマグ知事の政治的野心のためでもあろう。

ジグジド・インフラ相、ニャムオソル議員、デンベレルツェレン(裁判官)、Б.バータルゾリグ(教育法を起草者)たちが立候補者していないことが少し奇異に見えるが、ともかく、現与党はそれほど混乱なく、立候補者届出を完了させた。

これに対し、「祖国・民主」同盟(=民主党、民主新社会党、市民の意志・共和党)の方は、その選出過程でかなりのぶれ、混乱を見せた。その混乱・対立が選挙後の分裂を示唆している。

これを時系列的に整理しておこう。

5月5日、民主党が、「祖国・民主」同盟立候補者の選挙区を「確定」した。これに対し、市民の意志・共和党党首オヨンがこの作業に参加していない、として同党は不満を表明した(ウヌードゥル新聞2004年05月06日付)。

5月6日、市民の意志・共和党党首オヨンは、「祖国・民主」同盟から立候補しないことを記者会見で表明した。その記者会見の内容は、1)「祖国・民主」同盟参加の際の、立候補割当5選挙区、という協定が守られていない、このため責任をとる。2)ドルノド・アイマグの第17選挙区を他の党員に譲る。3)民主党、民主新社会党への信頼を失った。4)政治活動は継続する。5)同盟結成の努力は正当であった。6)市民の意志・共和党は「祖国・民主」同盟にとどまる。さらに、自分の代わりに「ボディ・インターナショナル」社長М.ゾリグトを立候補させることも示唆した(ゾーニー・メデー新聞2004年05月07日付)。

5月7日、民主党は51選挙区の国家大ホラル(国会)議員選挙の立候補者を決定した(モンツァメ通信2004.05.11)。

5月9日、オヨンは、記者会見で、無所属で立候補しないことを表明した(ゾーニー・メデー新聞2004年05月10付)。これに対し、人民革命党機関紙ウネン(2004年05月11日付)は、1)オヨンは選挙後、エンフサイハンやエルデネバトに協力しないだろう、2)エンフサイハンは、社会民主党系(アルタン・ガダス・グループ)に振り分けられていた選挙区を民主新社会党に売り渡すと同時に、自派の権力基盤強化を図った、と書いている。これは否定できない事実だろうと筆者は思う。

5月11日、エンフサイハンは、民主党、民主新社会党から各1選挙区を市民の意志・共和党に譲る。その1つをオヨンに与える、と記者会見で述べた(ウドゥリーン・ソニン新聞2004年05月12日付)。

5月12日、市民の意志・共和党政治評議会が開催され、「祖国・民主」同盟に対し、最初の協定を遵守し、ボルガン(第10選挙区)、ドルノド(第16選挙区)を要求し、Ц.ガンホヤグ、М.ゾリグト、М.フレルスフを推薦、残る2選挙区にХ.バトトルガ、Л.ダシニャム、Ч.バザル、С.オヨンのいずれかを推薦することを決めた(ウヌードゥル新聞2004年05月13日付)。

5月13日、市民の意志・共和党は、記者会見を行って、「祖国・民主」同盟が当初の協定通り、同党に5選挙区を割り当てることを承認したので、オヨンを国家大ホラル(国会)議員選挙に出馬させることにしたこを明らかにした(ウヌードゥル新聞、ゾーニー・メデー新聞2004年05月14日付)。

こうした混乱・対立の中で、結局は、エルベクドルジ、アマルジャルガルを除いて(注:エンフサイハンが忌避したようだ)、1990年の民主化運動の中から出てきた「トム・フン(大物)」たち、すなわち、ゴンチクドルジ、バトウール、エンフサイハン、ドルリグジャブ、バーバルその他は、それぞれの選挙区を割り当てられ(てしまっ)た。

これは、民主党立候補者の献金額が3000万トグルグであることからわかるとおり、各立候補者がその立候補権を3000万トグルグで買収したことを意味する(ウヌードゥル新聞2004年05月13日付)。

これに対し、他の政党(伝統統一党、共和党、国民融和党、青年党、緑の党、自由党)は、5月12日、「同盟」結成を協議し、ジャルガルサイハンの立候補選挙区に他党が候補者を立てないという暗黙の了解をした(ウヌードゥル新聞2004年05月13日付)。

さらに、これら6党は、「第三政治勢力ー新しい選択」という新キャッチフレーズの下で、二大陣営に対抗していくことを決定した。その際、共和党党首ジャルガルサイハンは、「『祖国・民主』同盟は単に議席を得たいがための野合である」、と述べた(ウヌードゥル新聞2004年05月14日付)。

これはその通りなのであって、繰り返しになるが、選挙後の政治勢力の再分裂を示唆している。

こうして、5月17日から選挙運動は開始された。国営放送その他は、与党人民革命党による立候補者紹介集会、バヤンゴル区(エンフバヤル首相、ビャンバドルジ副議長の立候補選挙区)でのショーを長々と中継している。深夜1時頃(18日01時)には、筆者のアパートから花火が上がっているのが観察された。それがあだ花になるかどうかは、6月27日(投票日)になるまでわからない。

民主党機関紙である、と自他共に認めるウドゥリーン・ソニン新聞は、当然これを非難している。(2004.05.21)

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