
モンゴル銀行に監査会議が設置された(2003年10月09日)
筆者は、この直前の「モンゴル時評」で、IMF(国際通貨基金)の「企て」について論評した。IMFは、「モンゴル国立銀行の監視強化」、という「内政干渉」をしないだろうと思われるかもしれないが、事実である。
モンゴルには、現在、IMF駐在代表としてドン・リム、財務省顧問としてヤニス・プラタイスが常駐しているのである(モンツァメ通信031006)。
さて、「モンゴル銀行監査会議」が、2003年10月9日、モンゴル銀行に設置された(ウヌードゥル新聞2003年10月10日付)。モンゴルは、このIMFのプランを受け入れたのであろう。
この「監査会議」は、「中央銀行(モンゴル銀行)法追補改正」(2003年6月20日)によって法制化され。2003年10月1日に開かれた、2003年度秋期国家大ホラル(国会)で承認されたものである。
監査会議設置の目的は、法案作成グループ責任者Ё.バヤルサイハン議員の説明によれば、(1)モンゴル銀行の活動を監査する、(2)国民に開かれた組織にして、その経営を完全なものにする、(3)モンゴル銀行を世界標準化する(これは世界の多くの国々には存在する制度だが、モンゴルには未だかって存在せず、ウネンバト前総裁の任期中に構想されたもの)、ということである。
構成メンバーは議長、委員、あわせて7人、任期は6年、任命は国会が行う、とされる。
もちろん、IMFの新プランは、2003年09月12日に作成された。だから、1ヶ月という短期間でこの「監査会議」が法制化された、というのは、IMFとの関連性に無理がある。また、この法案は、それ以前の、6月20日に成立した「中央銀行(モンゴル銀行)法追補改正」を受けたものではないか、という反論が生じるかもしれない。
だが、逆に言えば、新IMFプランそのものが9月以前から構想されていたものである。「中央銀行(モンゴル銀行)法追補改正」はそれを受け入れたものに過ぎない。
それよりも、バヤルサイハンという、若い気鋭の議員が、この法案はIMFの「提案」を受けたものである、とあっけらかんとして認めている(ウヌードゥル新聞2003年10月10日付)。
モンゴルの政治指導者たちは、IMFなどの束縛から脱却できないでいる(ほとんどのものは当然のものとしている)。そのため、貧富の差の拡大(貧困化)に何ら効果的な政策を打ち出せないでいる。
独立国家としてのマレーシアは、指導者が強力な指導力を発揮して、IMFの企てに反対してきた。モンゴルの指導者たちにもそれができないはずがない。彼らは、市場経済化やグローバリズムが、避けられない歴史過程だと考えているようだ。
そのためであろうか、「モンゴル支援国会合」(40カ国および20国際機関が参加予定)が、2003年11月19ー21日、東京で開催される(注:日本政府が「草の根援助」と称して、「ばらまき」に近い、モンゴル「援助」を行っているが、これは、この会議のためなのか、という邪推が生じる)。モンゴル政府はその準備で忙しい。ウランバートル市への一極集中に伴う、自然および住環境の悪化など、もっとやるべきことがあるだろうに。(2003.10.13)
