フブスグル湖でモンゴル・ロシア合同セミナー開催(2003年08月14−19日)

「フブスグルーバイカルー2003年」というテーマで、モンゴル・ロシア観光推進のため、エンフバヤル首相一行が、飛行機でフブスグル・アイマグまで飛び、そこからフブスグル湖南岸ハトガルを経由し、さらに「ウランバートル丸」という観光船に乗り、ロシア国境に近いフブスグル湖北岸ハンフに到着し、当地で14〜19日まで、「観光と生産」というタイトルのセミナーが開催される(モンツァメ通信030813、030814)。

このセミナーには、モンゴル側からは、フブスグル・アイマグ行政長官ダムディンスレン、国会議員エンフトゥブシン、同ゴンボジャブ、同ドラム、同ツェレンジャブ、インフラ相ジグジド、自然環境相バルスボルド、駐ロシア・モンゴル大使バヤルが加わり、ロシア側からは、駐モンゴル・ロシア大使デルコフスキー、イルクーツク知事ゴボリンが加わった。

上に述べた観光船「スフバータル丸」は、実は筆者の勤務する大学(後注:その後勤務校が代わった)が所有するもので(注:正確に言えば、51%の株を政府が所有し、その管理を大学が行っている。この船を利用して、学生の観光管理研修が行われている)、その関係上からか、学長ニャムザグト(後注:2006年退任)も駆けつけた(もっともこちらは2日がかりでフブスグルまで大学の車で)。

フブスグル湖北岸のいわば「辺鄙な」場所でのセミナーにしては、大規模なものである。

なぜか。まず第一に、モンゴル政府は、2003年を「観光年」と位置づけ、観光産業を育成し、外貨獲得の手段にしようとしている。もっとも、その割には、モンゴルの「皇居前広場」ともいうべき「スフバートル広場」が改装中で、塀で囲み、入れなくしている。この工事を請け負った企業が給料未払いのため、労働者がストをしたので、7月1日完成の工期が大幅に遅れたためである。

フブスグル湖は、バイカル湖と水系を同じくし、湖水の高い透明度(約9メートル)で有名であり、風光明媚な場所である。この湖を観光の目玉の一つにしようという訳であろう。であるから、これに先立って、日本のジャーナリストたち(読売、産経、日刊スポーツ、東京中日新聞など)も当地を訪問していた(モンツァメ通信030812)。日本の観光客誘致のためであろう。

だが、それだけでは説明がつかない。なにもフブスグルまで行かなくても、ウランバートルでおきまりのセミナーを開催すればすむだろう。つまり、第二に、これは、モンゴルが1990年代に冷却しきってしまったロシア関係(注:特にオチルバト大統領時代.。これについては、”Ю.Цэдэнбалаас П.Очирбат хvртэл”、Цэен-Норовын Жамбалсvрэн著、2000年、参照)を、エンフバヤルが回復させようという政治的意図がある。

これは、フブスグル湖とバイカル湖を国際観光網に組み込み、ロシアからの観光客誘致とともに、ロシアとモンゴルの国際貿易、およびイルクーツクとの学術交流を拡大しようとするものである。エンフバヤルは、2003年6月26日から7月3日まで、ロシアを訪問し、協力関係復活の方途について話し合った。その具体策の一つがこのセミナーであったのである。

飛躍するかもしれないが、筆者の見るところ、これは、「モンゴルとロシアの協力関係復活」から、資本主義への道に引きずり込まれない、「モンゴル伝統の復活=進化」への予兆である。(2003.08.18)

(追補)エンフバヤルは、その後、2005年に大統領に就任した。だが、エンフバヤルは、上記の懸案を忘れていないかのごとく、2007年03月15日、フブスグル・アイマグを視察した。彼は、ムルン・ソムで、4つの提案をした。すなわち、1)各世帯が生産した品物を近くの市場に出荷し、中小企業を発展させる(注:いわゆる一村一品運動のことである)。2)フブスグル湖を利用する観光開発をする。そして、ロシア・モンゴル輸送網を確立する。ハンフ開発を行う。3)フブスグル湖の環境保全に留意する。4)バク・ホローからの正確な報告が必要である(注:下級行政単位が正確な報告をアイマグ当局にしないことを非難している)(ウヌードゥル新聞2007年03月16日付)。(2007.03.18)

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