
エンフバヤル政権の1000日(2003年05月21日)
人民革命党エンフバヤル政権は、2000年8月9日に発足し、2003年5月5日で、その執務期間が1000日になった。その時点で、記念の行事が行われるはずであったが、SARS騒動で延期されていた。それが収まる気配を見せ始めた、5月13日、エンフバヤルは記者会見を行って、政権の総括を行った。その席上、彼は、「遠大かつ壮大な政策を推進している」、として、「加工業8.8%増、資本投下20%増、GDP成長率9.4%」、「50万世帯に土地を無料で供給」、「世紀の道」、「貿易特区」などの成果を強調した(モンツァメ通信2003年05月13日、および、ウヌードゥル新聞2003年05月13日付、Mongol Messenger 2003.05.14)。
また、正式にというか、人民革命党機関誌「ウネン」は、2003年05月20日および21日付で、「モンゴル政府の1000日、就労機会、進歩、発展の三年間、モンゴル政府が過去三年間にどのようなことをしたかについての各省の報告」を掲載して、その「成果」を公表した。
筆者は、これまでこのHPで、その大半を検証してきたので、論評はそれを読めば充分だと思うが、ここでは、資料的な意味から、その内容を紹介しておこう。
「財務経済省報告」では、マクロ経済において、GDP成長率が2000年の1.1%から2002年に3.9%になった、特に加工業の成長(2001年22.7%、2002年24.3%)、産業発展があった。それは、2001年を国内産業育成の年、2002年を資本投下の年、とした政策の結果である。
IMFと「協調」し、支出の削減、収入の増加をはかった。
財政赤字を縮小した(二分の一に)。会計制度の整備。特産品加工業3%免税。金鉱業に免税措置を講ずることによって成長を促した。
低所得者層の所得税を33.3%減税し、高額納税者の所得税減税予定している。
対外負債をなくすことができた。モンゴル銀行に対する債務を二年間でなくした。
国債を発行した。銀行の構造改革を行った。
インフレ率が1.6%に低下し、通貨準備高が49%増加した。
商業発展銀行・農牧業銀行・バガノール発電所を民営化した。
モンゴル支援国・機関による融資が6億6300万ドルである。
アルタンボラク自由貿易特区を建設することになった。
地方産業育成のために50〜100%減税した。
「工業貿易省報告」では、2001年を国内産業育成の年、2002年を資本投下の年としたことの「成果」として、工業生産高が2001年11.8%、2002年3.8%増加し、特に、加工業が2001年22.7%、2002年24.3%に成長した。
「食料農牧業省報告」では、牧畜業のための基金を設立した。
「緑の革命」により食料生産が2.1%から3.3%増加した。
食肉輸出を再開した(ロシア、日本、ヨルダン、カザフスタンに)。
「自然環境省報告」では、土地法(改正)・土地所有法を施行した。環境保護のための法整備を行い、ゴミ問題に取り組んだ。
「法務内務省報告」では、法整備を進めた。
「インフラ省報告」では、日本政府融資によるウランバートル第四発電所の修理、各国政府融資によるエネルギー施設の修理、日本政府無償援助による石炭採掘、中国援助によるドゥルグニ水力発電所、クウェート基金によるタイシル水力発電所、世銀融資による電力網整備を行った。
電力部門を民営化した。
自動車道の整備・更新、橋の架設を行った。
アジア開銀特恵融資によるナライフーマーニトーチョイル間道路の敷設、世銀特恵融資によるエルデネトーアルバイヘール道路の補修、日本政府無償援助によるウランバートル市内道路の補修を行った。
観光客が増加し、観光業が成長した。
ウランバートル鉄道債務の完済した。
電話網を整備した。携帯電話が増加した。外資による電話の自動化を行った。
スペイン政府特恵融資による清掃施設の改修を行った。
「社会保障労働省報告」では、年金の完全支給、給料の増額を実施した。
最低賃金額を3万ドルに増額した。
失業率が2002年3.3%に低下した。
「教育文化科学省報告」では、「教育一括法案」を上程し、承認された。
「保健省報告」では、法整備を行った。
「国防省報告」では、平和維持軍へ参加した。モンゴル軍・米軍合同演習「バランス・マジック」を実施した。
以上である。
くどいようだが、これらの項目は、今まで筆者が論評してきたものがほとんどである。ここでは、そのいくらかを補足しておこう。
農牧業部門で、かつて1980年代まで行われていた手法が復活していることは、社会主義的手法への回帰の意味もあろうし、牧民の自己責任だけで、ガン(干害)・ゾド(雪害)を克服するのは困難である、ということが再認識されたことを示しているだろう。
社会保障部門での社会保障・年金拡大(不十分であるが)は、評価されるが、1980年代のレベルには達していない。
エンフバヤル政権が明言するとおり、この成果は、IMFとの「強調」(筆者の表現では「従属」)である、と言うが、内実は、そのほとんどが、融資・援助による資金に依拠している。この返済が30年後に大きな負担となるだろう。この外部資金による、インフラ整備、というのは、かつての帝国主義諸国の常套手段であった(イギリスのアフリカ植民地、日本の「満州国」など)。
それは、貧富の差の拡大、低開発の進行、という、かつて、アフリカがたどった道である。モンゴル指導層は、かつて、В.バーバルが誇らしげに言い放ったような、グローバリズムを不可避な所与のもの、とみなさず、その危険性を認識しなければならない。
モンゴルでは、「地下経済」が国民経済の30%を占めている(いわゆるインフォーマル・セクターを含む)、と言われるが、その状況への言及がない。モンゴル国立銀行は、その事実を捕捉しているはずであるが、それを公式には認めていない。マクロ経済は、それを含めたものでなければならない。インフォーマル・セクターこそ、当該国の自生的発展にとって不可欠の部門であるのだから。(2003.05.25)
