
モンゴル民主同盟(ニュー・ウェーブ・グループ)が特別大会開催を準備(2003年02月18日)
ウヌードゥル新聞(2003年02月19日付)によると、モンゴル民主同盟(МоАХ)は、2003年02月18日、特別大会開催のための準備会を開き(注:この日が13周年記念日にあたる)、その席上で、「ニュー・ウェーブ・グループ」といわれる、Г.ボシグトが報告をした。彼によると、1)過去13年間政府は国民のために何もしてこなかった、2)ただ私利私欲にかられて走ってきた、3)我々の追求する民主化は誤っている、3)これを正すための闘争が必要である、という。
当該準備会は、労働組合文化中央会館(МYЭСТО)に、150人余り(「モンツァメ通信」では159人)が参加しして行われた。
また、特別大会開催は、当初、5月6日に設定されていたが、「土地所有法」実施(5月1日)後であることから、日にちを繰り上げて、4月8日に開催されることになった。
この「ニュー・ウェーブ・グループ」という耳慣れないグループは、かの「民主化運動の13人」の一人、Г.ボシグトが率いる。なお、同様の主張をしている、ニンジは参加していない。つまり、民主同盟内の一グループである、ということである。
だが、その主張は、1)筆者の論文とほぼ同様の趣旨であること、2)ボシグトには昨年の夏(2002年8月)インタビューをしていること、によって、やはり、いささか私的(「一グループ」的)に(注:もちろん筆者と見解が全く同じであるということでは決してない)論評を加えたい。
ゴンゴルジャブィン・ボシグトは、1942年ウランバートル生まれ。父ゴンゴルジャブは初代保健大臣。母タムジャブ・デリコフ(Delikoff)は医者。(注:ボシグトの境遇は驚くほど、С.ゾリグに類似する。ゾリグは父サンジャースレンが教育大臣。母ドルジパラムの父がロシア人地理学者シムコフであった)。医学専攻。ハンガリー医科大卒。医学、経済学、通訳専門。医局、科学技術委員会委員長、閣僚会議第一副大臣補、モンゴル・ソ連政府委員会審議官、医学委員会研究員を歴任。1986−90年にモンゴル平和委員会勤務。現在は、初めて設立された「ウランバートル・ロータリー・クラブ」初代理事長。
つまり、1980年代まで、ボシグトはモンゴル政府指導部の中枢にいたということである。
だが、1989年12月から、ボシグトの周辺があわただしくなった。1989年12月07日、エルベグドルジ、スフバータル、エンフバータル、Ч.エンヘーらと初めて集まり、モンゴル民主同盟を設立した(注:ボシグトへのインタビューによる。以下同じ)。1989年12月10日、国連人権の日に最初の集会を開いた。その時の政府への要求書はボシグトが書いた。1990年02月18日、モンゴル民主同盟第1回大会開催。そこで、1)多党制、2)市場制度、3)「モンゴルの知恵」を施行すること、を決議した。1990年03月07−09日、ハンガーストライキに参加。同月09日、政府解体(「勝利!」;ボシグト談)。03月26日、Да.ガンボルド、アマルサナー、バーサン・ラマ、ビレグトたちに民族進歩党(注:国民進歩党が正確な日本語訳だが通用に従う)結成を呼びかけた。
ここまでがボシグトの「栄光」の期間である。彼は、何らかの理由で(注:初対面であるからして、そこまでは聞き出せなかった)、民主化運動とは距離を置くようになった。
ボシグトが強調していたのは、グローバリズムの広がりの中で、「モンゴルの知恵」が必要であること、すべての政党は「モー」(劣悪)であること、であった。
以上の主張が、1997年に「モンゴル統一運動」を結成し、民主同盟連合政権に反対することになった。また、今般、「ニュー・ウェーブ・グループ」を形成することにもなった。
かれは、「すべてから見放されている」という。筆者は、「そんなことはない。日本でもあなたの意見を注目してるものがいる」、と応えておいた。
長くなるので、結論だけを言っておきたい。ボシグトは、モンゴル牧民運動史の流れの中で起きた、モンゴル民主化運動の「тайж(台吉[タイジ])」であった。説明不足であるが、詳しくは筆者のいつか完成する「モンゴル民主化運動のタイジ」を参照していただきたい。(2003.02.27)
(追記)上の動きに対抗して、民主同盟は、数日後、エンフサイハン民主党党首を来賓として迎え、会議を招集し、Ц.エンフトゥブシンを民主同盟議長に選出した。彼らは、「ニュー・ウェーブ・グループ」が人民革命党から資金援助を受けた、と非難した。そこで、「ニュー・ウェーブ・グループ」のП.ネルグイ、Г.ボシグトたちは、人民革命党からの資金援助は事実無根であり、むしろ、民主同盟は民主党の従属物ではない、どの政党にも属さない、と再び非難した。この事態について、人民革命党は、民主同盟が「民主党の民主同盟」と「ネルグイ[ボシグト]の民主同盟」の二派に分裂した、として、高みの見物である(「ウネン」新聞2003年03月14日)。(2003.03.17追補)
