民主党が党首ドルリグジャブを更迭した(2003年01月23日)

モンゴルは1月が政治の季節かもしれない。ウヌードゥル新聞、ゾーニー・メデー新聞、その他の新聞(ツァグ・ウエ電子版)は、2003年01月24日付で、以下の事態を一斉に伝えている。

モンゴル民主党は、2003年01月23日、同党国民評議会(208人から構成される幹部会)を招集し、秘密会を開催して、党首Д.ドルリグジャブを更迭した。

新しい党首にはМ.エンフサイハンが選出された。この事態をどう見るか。

民主党は、1999年12月06日に、民族民主党(党首アマルジャルガル)、社会民主党(党首ゴンチグドルジ)、伝統復興党(党首ビャンバスレン)、宗教者民主党(党首バーサン)、民主党[第2次](党首エルデネ)、伝統統一党の一部の6党が統一して結成された。

これらの諸政党の綱領は、民族民主党の資本主義路線から、社会民主党の社会民主主義路線まで、雑多であり、しかも、汚職事件が後を絶たず、とても統一などできるはずがなかったのだが、2000年の国家大ホラル(国会)選挙に勝利し、政権に復帰する、という目標のため、合体した。こういうのを野合という。

選挙勝利が実現しておれば、当初の目的からして、問題が一応なかったのだが、一連の国政選挙で一度も勝利したことがない(2000年国家大ホラル選挙、2001年大統領選挙、2002年の2度にわたる国家大ホラル補欠選挙)。従って、その選挙結果に対する責任を巡って、意見が対立してきた。

党内には、様々な派閥がある。現在米国にいるエルベグドルジ「派」(以下同じ)として、党首ドルリグジャブなど。エンフサイハン派として、それを後ろで指揮する前大統領オチルバト、もともとエルベグドルジと盟友だったバト=ウール(彼はエルベグドルジが米国に「逃亡」したのでこちらに「鞍替え」したのかもしれない)など。ゴンチグドルジ派として、旧社会民主党系の書記長エンフボルド(彼は国有財産委員会委員長だったが、一つは政治的理由で、もう一つは汚職疑惑で更迭された)、До.ガンボルド(国家大ホラル第36選挙区補欠選挙立候補者)など。そして、Да.ガンボルド(1990年のビャンバスレン政権の副首相で、旧民族独立党党首)も、Ш.アルタンゲレル(民主同盟連合政権元外務大臣)、Б.バトバヤル(民主同盟連合政権元官房長官)と一つのグループを形成している。ビャンバスレン(元首相)も、性格的に言って、政局には必ず口をはさむ。

新しい党首に選出されたМ.エンフサイハンは、1990年代当初から、モンゴルの資本主義化を強く主張していた人物で、1996年の民主同盟連合政権で首相を務め、一つには、経済混乱の責任をとって、もう一つには、エルベグドルジたちの追い落としにあって、首相を罷免された。彼は、2001年民主党大統領選挙立候補者選出にも敗れ、今回は、「三度目の正直」となった。その候補者選出方法も彼(の派)は従来から非難し続けてきた。つまり、エルベグドルジによる首相追い落としへの、エンフサイハン派のリターン・マッチであったわけだ。

だから、新党首によって民主党が党勢をのばすか、と問われれば、否定的な答えしか返ってこないだろう。ただ、一つだけメリットがあるとすれば、ドルリグジャブは、1996年から1999年までエルデネト社社長をしていたのだが、このときに同社資産の私的流用=背任疑惑で、今日、追訴される可能性がある。党首が交代すれば、少なくとも民主党にはダメージは最小限ですむだろう。与党人民革命党は、この党首交代という事態について、ウネン新聞(2003.01.24)で、民主党国民評議会が決定したのは党首を更迭したことだけだ、と冷笑し、歯牙にもかけていない。(2003.01.27)

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