
トラクター・デモ調査委員会報告が出された(2002年11月27日)
トラクター・デモ(2002年11月05日)に関して、国家大ホラル(国会)に設置された、調査委員会(Д.デンベレル[委員長]、Ш.バダム、Д.バザルサド、Ж.ナランツァツラルト、Б.エルデネバトの五人で構成)は、11月14日に設置され、14回にわたる会議を開き、延35人に面会し、11月27日、その調査結果を発表した(ウヌードゥル、ゾーニー・メデー、ウドゥリーン・ソニン各新聞2002年11月28日付)。
当該委員会(モンゴル語では作業班というが)は、(1)スフバートル広場でのデモ集会、(2)民主党本部封鎖、(3)ジャーナリストの一時拘留、という三点につき、その適法性を調査した。なお、この委員会設置要求は野党側から出されたものであった。
もちろん、この委員会の構成から見て(人民革命党三人、民主党一人、祖国・民主新社会党一人)、国会を紛糾させるような結果にはならないことは事前に予想されていた。ただ、デンベレルは、これまで復興銀行合併問題(1998年)でも調査委員会を主宰したこともあり、清廉潔白で公正な人物である。
デンベレルによる報告によると、(1)は不法、(2)は適法、(3)は直接言及なし、というものであった。要するに、政府のとった対策は合法的だった、というわけである。
ただ、デンベレルは、少数意見の付記を保障している。それによると、エルデネバトは、(1)は不法だが、人権に制限を加えるべきではなく、今後法改正が必要である、(2)は違法、(3)違法、という判断をした。また、ナランツァツラルトは、(1)はデモを禁止したことが原因である[補注:ゾーニー・メデー新聞2002.12.04の報道によれば、この報告の国会での審議の際、改めて確認を迫られたナランツァツラルトは、「不法」であると回答した(2002.12.06加筆)]、(2)は違法、(3)は違法である、とした。すなわち、それぞれの出身党の見解に一致する。
ここで興味深いのは(筆者にとって)、面会者の一人であるボシグトが、1998年の「モンゴル統一運動」デモで規制され、当時首相だったナランツァツラルトおよび民主同盟連合政権は、自分を2回にわたり勾留した、これをも調査すべきである、と述べたことである。不遇をかこつボシグトらしい(著者は、今夏、ボシグトにインタビューして、その人となりや、行動を十分に知ることができた。近いうちに論文にまとめたいと思ってる)。だが、一面の真理はついている。つまり、政治力学によって結論が正反対になる、ということである。
これは、政府のとった措置に「適法」というお墨付きを与えたにすぎない、やや茶番劇(実際、エルデネバトなどは会議や面会に出席しないケースもあった)というべきである。
筆者がここで問題にしたいのは、このトラクター・デモの背景についてである。
前にも書いたように、発言を封じられている国民の唯一の手段として、デモはある。ある時には、これが歴史を動かしてきた。モンゴル牧民運動、モンゴル民主化運動を見よ。
今回のトラクター・デモは、その性格が薄い。まず、トラクター・メカニックは、地方からトラクターに乗ってウランバートルに集結した。これは、自分たちには土地が分与されないのではないか、という不安感がそうさせたものであった。その後、農業従事者には(その定義は今後の課題となるが)、0.5ヘクタールの農耕地が分与されるという政府側の説明に納得して、帰省したものもいた。「土地所有法(改正)」の曖昧性がその背景としてある。
次に、最も重要なことは(「土地の私有」はさておき)、ウランバートルのゲル地区に住む住民についてである。都市整備計画の成り行き次第では、彼らが土地追い立てられる場合もあり得る。トラクター・デモではこのことが話題になることが少なかった。もちろん、この調査報告にも触れられていない。
そして、かつて、筆者は、オチルバトに言及して、少し思わせぶりな言い回し方をした(2002年11月13日付参照)。実はあまり書きたくなかったのであるが、やはり書いておかなければならないだろう。
現在、ウランバートルのあちこちに広壮な建物が建設されている。おおかたの国民が、ゲル、アパートに居住している。それだけにその異様さが目につく。例えば、この建物が「土地所有法」の規定通り、0.07ヘクタールであれば問題は少なかろうが、もしその規模を越えておればどうなるか。当然、超過分は所有禁止になる(2002年06月27日に成立した「土地所有法」では金銭にて購入可能、とあるから、無料では分与されない、ということである)。
こうした広壮な建物を所有する人物達の中には、かつて民主同盟連合政権下の政府高官達も多くいる。(注:これについて、ゾーニー・メデー新聞2002年11月18日付に、具体的な人名と広さが公表してある。興味ある人は読まれたい)
バト=ウール達のいう「土地を公正に分与せよ」、というのは、こうした制限規模超過の、広壮な住宅もそのまま「無料で」、所有者に分与すべきだ、という意味である。決して「土地私有」に反対しているわけではないのである。
これは、オチルバトがいう、かつて住宅をその規模に関係なく分与したように(1997年)、土地も(その広さに関係なく)分与せよ、というのと一致している。オチルバトは、民主化運動を押さえ込んだ。「土地所有法」も押さえ込もうとしているのだろうか。攻守、所を代えているけれども。
付け加えると、11月29日付け、ゾーニー・メデー新聞の報道によれば、民主化運動参加者の一人、ニンジ民主同盟スフバートル区調整委員は、民主党の腐敗を弾劾し、解党を主張した、という。
歴史が転回していると言うべきである。(2002.12.04)
