
トラクター・デモ参加者たちが一時拘留された(2002年11月13日)
「ウヌードゥル」新聞(2002年11月14日付)の報道するところによると、2002年11月13日深夜(03時頃)、ウランバートル市スフバートル区長の命令により、バト=ウール、ゴンチクドルジたちが詰めている民主党党本部第二号棟を、警官が封鎖し、あわせて、スフバートル広場、ラッキー・センター(民主党所属グンダライ議員所有)を立ち入り禁止にした。民主党当該棟の窓には、「我々は閉じこめられている」とのポスターが張り出された。ゴンチクドルジは、憲法で保障された思想表現の自由が侵害された、民主手主義がきわめて脆弱化している、1990年代に苦闘して獲得した民主主義、自由が制限されている、という抗議声明を出した。
そして、スフバートル広場に乗り入れていた、トラクター30台とトレーラー8台が撤収され、六人のジャーナリスト(モンゴル・オンライン記者など)を含むトラクター・デモ参加者54人は、朝まで(03時40分〜09時40分)、拘置所に収容された。
15時00分、解放された人々が記者会見を行った。その一人、Н.ボンタル(トラクター・メカニック)は、土地所有法を改正するように要求した、それを民主同盟と民主党は支持してくれた、モンゴルは警察国家となった、と述べた。
16時00分、外務省において、法務内務副大臣Ц.ムンフ=オルギルは、政府は直接関わっていない、法に従ってスフバートル区長が(トラクターデモを)解散させた、と表明し、また、その理由を問われて、モンゴル民主同盟が10月24日、(スフバートル)区長にスフバートル広場での集会許可申請を提出したが、不許可にされた、さらに、11月12日にそれを強行した(後述)ので勾留した、と答えた。
これに対し、議会に議席を有する他の野党(市民の意志・共和党、祖国・民主新社会党)および、ジャーナリスト連盟は、(この封鎖・勾留行為は)民主主義への侵害である、と抗議声明を出した。また、当の民主党所属国会議員ナランツァツラルトおよびグンダライも、トラクター・デモ参加者を強制的に解散させたことに対し、抗議声明を出した。
実は、この日の事態に先立って、(前のHPでの書いたように)このトラクター・デモ参加者は、政府に対し要求書を出し、11月11日までに回答するように求めていたのだが、11日、政府は回答を発表していた。それによると、現在の耕作者(のみ)に農耕地を分与せよ、という要求は、すべての国民の権利を否定しているから受け入れるわけにはいかない、という(ゾーニー・メデー新聞2002年11月11日付)。
さらに、憲法7条1−1項、および2項を根拠にして(軍用地、政府官邸、スフバートル広場でのデモ・集会禁止)、デモ・集会を組織したモンゴル民主同盟委員長Ш.トゥブデンドルジが告発された(バト=ウールはどういう訳か告発されていない)。あわせて、トラクター・デモ参加者(トラクター・メカニック)35人に対し、解散、帰省勧告が出された(ウドゥリ−ン・ソニン新聞2002年11月11日付にはその氏名が全員掲載されている)。
この一連の事態は、どのような意味をもつものなのであろうか。まず、このトラクター・デモは、地方のトラクター・メカニック(運転手)の切実な願いが根底にあるのは明らかである。その参加者の一人は、我々は、ウールド、ゴンガードルジ、ソドフー、エンフボルド議員達に直接陳情し、土地所有法について訴えたい、と語っている(ウヌードゥル新聞2002年11月15日付)。
つまり、この(改正)土地所有法は、原案では、土地(農耕地)は国民(イルゲン)に支給される、となっていた。ところが、国会審議の過程で、土地が国民ではなく、家族に支給される、ということと連動し、農耕地も国民にではなく企業単位に支給される、という動議が出され、それが採決された。実は、その動議を提出したのがソドフー議員であった。彼は、自己の経営する農業企業単位に土地を獲得させたかったかもしれない(証明はまだできていないので書きすぎかもしれない)。セレンゲ・アイマグの人々はそれをよく知っているから、ソドフーに陳情・抗議をしたかったのである。そして、そこの選挙区の対立候補者がバト=ウールであったことは前に書いた。
また、トラクター・デモには、ウランバートルのゲル地区の土地が問題になっている。これは、作成中の都市計画による、ゲル地区市民の立ち退き問題が背景にある。ゲル地区の市民にとって、長年住み慣れた地域からの立ち退きは(最近の調査によると、このゲル地区の市民は仮のすみかとしてゲル地区に住んでいるのではないことを示している)、大いに不安材料となっている。
こうして、オチルバトのグループが企画し、バト=ウールが行動した。これは、前のHPで述べたから繰り返さない。
第二に、その事情にもかかわらず、エンフバヤル人民革命党政権は、この一連の行動に「過剰」といえるような反応をした。先に書いたように、トラクター・デモ参加者の切実な要求を、木で花をくくったような論理で、一蹴した(厳密に言えば論理にはなっていない)。エンフバヤル系の「ゾーニー・メデー新聞」は、バト=ウールを激しく非難して、自己の戦術のためにトラクター・メカニックを利用した、彼のスタンドプレーである、35人のうち4人は政党間争いの道具になったと知って帰省した、とまで書いている(ゾーニー・メデー新聞2002年11月13日付)。人民革命党機関紙「ウネン」に至っては、民主党こそ憲法違反である、と言い返している(ウネン新聞2002年11月16日付)。
こうした過剰反応とも言うべきエンフバヤル政権の措置は、国際派としてのエンフバヤルの政治的立場と関係している。エンフバヤルの最大の目的は、IMFのプランを遅滞なく実行し、外資を呼び込み、そのもとで国内産業を育成し、イギリス型(労働党型)発展を遂げることである。その最大のネックは、IMFによって突きつけられている、国家予算赤字および貿易赤字縮小、ということである。そのために、付加価値税率アップと徴税を強化して歳入を確保することに躍起になっている。さらに、歳出削減につとめ、省庁の事務統合を行っている。
ところが、この人民革命党政権が2000年選挙で公約した、年金、給与の倍増、という政策が、IMFプランと違背する。労働組合連合が、先に合意した労働者・経営者・政府三者協定による、給料・年金増額を要求しているのに対し、政府は容易に首を縦に振らない。いや振れない。
こうした事態を反映して、2002年10月の世論調査(サン・マラル財団実施)では、支持率与党34%、野党側31%というように、人民革命党の支持率低落傾向が止まらない。
この国内外の圧力が、エンフバヤル政権をして、あせり=勇み足とも言うべき、「トラクター・デモ強制解散」という事態を引き起こしたのである。
かつて、オチルバトは民主化運動を力で押さえ込んだ(1990年4月25日)。今回の事態は逆の立場となったが、その内容は全く正反対である(意味不明で思わせぶりのように書くが)。彼はこのことをよく知っているとおもわれる。詳述は又の機会にしよう。(2002.11.22)
