土地所有法に異議を唱えるトラクター・デモが行われた(2002年11月05日)

バト=ウールが指導する、「土地を公正に分与するための運動」に参加する人々は、2002年11月05日、スフバータル広場で、トラクター35台に乗ってデモを行った。(以下の内容の記述は、ウドゥリーンソニン新聞2002年11月05付、ウヌードゥル新聞2002年11月06日付、モンツァメ通信2002年11月05日による。)

デモ参加者は、トゥブ、セレンゲ、ドルノド、ダルハン=オール、ヘンティー、フブスグル諸アイマグ(県に相当)から、トラクターに分乗して参加した。当初は100台がウランバートルを目指して出発し、最長680キロメートルの遠路(ドルノド・アイマグのヘルレン・ソム[郡に相当]の住民)から集結した。

参加者の地方では、様々な妨害工作が行われた。参加者の家族への脅迫、解雇宣告、農耕民への土地割り当て取り消し、農耕会社社員運転者告発(トラクター使用に対する)など。さらに、道中でのトラクター燃料隠しや販売拒否、ウランバートルの入り口でのトラック2台による封鎖、交通警官60人を動員しての威圧など。

こうした困難を乗り越え、11月05日12時、35台のトラクターがスフバートル広場に集結し、「コ」の字型(モンゴル語ではП字型と表現)に駐車した。

トラクターには、「汚職政治、貧困生活撲滅」、「セレンゲ・アイマグのР.ソドフー議員による土地買い占め反対」、「Ц.ウールド、Ш.ゴンガードルジ、Р.ソドフーなどをはじめとする土地マフィアを国会から追放」、「我々は土地のために最後まで闘いぬく」、「我々の要求は8万人農民の要求」、「土地横領の政府の解散」、と書かれたプラカードを付けていた。

彼ら参加者の発言では、地方民はトラクター・デモを支持している、人民革命党メンバーでさえ支持している、ソム長や警官代表も参加している、単に自分のためではなく子孫のために参加した、2ヘクタールの(現在の耕作する)土地を自分のものにするために参加した、という。

バト=ウールが演説し、「農耕地を耕作者に、都市市民の居住する土地(ゲルのこと)をその居住者に無料で分与せよ」、と述べた。スフバータル広場西側の設置された演壇には、例によってというべきか、Р.ゴンチクドルジがいて、酔漢がピストルで襲撃しようとして護衛官(国家議長経験者護衛のため)に取り押さえられた。さらに、Ж.ナランツァツラルト、Л.グンダライも演壇立ちしていた。

彼らは、家畜を牧民に、住宅を居住者に、無料で分与したのと同じ方法で、農耕地を農民に無料で分与せよ、といった趣旨の5項目の要求書を政府に提出し、11月07日15時まで回答するよう要求した。

さて、このトラクターデモは、次のような特徴を持つ。まず第一に、民主党の党勢退潮を阻止するために、第1次民主党(1990年)党首であったバト=ウールを全面に押し立てた。そして、前のホームページ記事(「民主党が土地所有法に異議(2002年10月23日」)でも言及したように、要求内容の趣旨から見て、このデモ計画にはオチルバト前大統領が関わっていると思われる。つまり、1990年代初頭の民主化運動の高揚を再現しようとした、ということである(これについても前のホームページ参照)。

第二に、同様のデモが、1995年に、ジャスライ人民革命党政権に対し(当時も、絶対多数の議席数を擁していた)、「汚職追放」を要求して、ゴンチクドルジたちの指導によって行われた。これも、1996年の国家大ホラル(国会)選挙を意識しての行動だった。

そして第三に、戦車でも出現したかのごとき「トラクターデモ」という派手な行動から分かるとおり、バト=ウールの性格の反映でもある。彼は、理論派というより、行動派(しかもどちらかといえば暴走派)、そして、民主化運動に参加したのは何よりもロックが聴きたかったからだ、というように、サブカルチャー好みの性格(注:この「サブ」とは当時のロックが「地下」のものであった、という意味だけでなく、「闇」の権力志向を含意するが、証明不能なので、筆者による書きすぎになるかもしれない)の反映でもある。しかも、バト=ウールの選挙区は、セレンゲ・アイマグ第34選挙区で、先ほど名前が出たР.ソドフーに、2000年の選挙では僅差で破れ、落選した。

だから、このトラクターデモは(参加者の真摯な行動は筆者は大いに評価する)、政治戦術的色彩が濃厚である。「土地所有法」の問題点は今後も明らかにすべきなのだが、このデモはそれに寄与する度合いは低いと思われる。

ゾリグの妹、オヨンが沈黙しているし(注:ゾリグ、オヨン兄妹の母親、Г.ドルジパラム[1937-2002]が11月01日に死去した。息子殺害犯人が不明のままであった)、ウランバートル在住の筆者の友人の報告では、ウランバートル市民の反応は、冷たいようで、むしろ、ダライ・ラマの訪問の方に関心が向いているという。(2002.11.08)

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