
民主党が土地所有法に異議(2002年10月23日)
民主党は、10月23日(水)午後3時から、党本部で国民評議会(幹部会)が会議を招集し、「土地所有法のゆがみを正す」ことを提唱した(ウドゥリーン・ソニン新聞2002年10月24日付)。
この「土地所有法」は、2002年06月27日に国家大ホラル(国会)で採択された。ただ、その実施要項は未定で、今期国家大ホラル(国会)でそのための法律(「土地分与法」改正案)が(注:「土地分与法」そのものは1997年に制定されている)、審議・採択される(議会勢力分布からみて可決され[てしまう]だろう)。С.オヨン議員が批判するとおり、ずいぶんといい加減な話だが、とにかく、来年の2003年05月01日に、モンゴル国民に(実際は家族に)対し、所定の土地片(および菜園)が無料で分与される。その作業は1回限りで実施される(つまり5月2日以降は無効(=有料)ということ)。
この「土地所有法」(およびその実施要項=「土地分与法」)に対し、今頃になってというべきか、民主党が異議を唱えはじめた。
まず、バト=ウールが、「人民革命党はそれまで土地所有法に反対してきたのに、政権復帰するや、当該法を数日間の審議後、承認した。これは、土地を奪取するためであった。」(ウグ新聞2002年10月18日付)、と述べ、さらに、農耕地を「個人」(注:「家族」の誤解だろう)ではなく、企業単位に分与する、という規定に反対している。その理由は、個人農家が農耕地を奪われるおそれがあるからだという。
そして、10月22日に、セレンゲ・アイマグとトゥブ・アイマグの人々が、トラクターによるデモ行進を行う、という。
要するに、バト=ウールは、土地の私有に反対しているのではなく、政権に近い人々だけではなく、自分たち(さもなければ、政権に遠い人々)にも条件のいい土地片をよこせ、ということをいっているのである。それは、現在使用している土地を、そのまま私有に移転させるのではなく、くじで所有地を決定するべきである、といっていることからもわかる(同上ウグ新聞)。さらには、こうした土地分与の裁定は政府が決めるべきではない、とも主張している(ウドゥリーン・ソニン新聞2002年10月24日付)。
これに加えて、П.オチルバトは、「土地(所有)法は憲法違反である」と述べている。ただし、これも、「土地所有法」が憲法違反だ、というのではない。憲法では、国民が居住する「土地」は私有に転化できない、と規定されている、その裁定を「政府」がするのは憲法に違反している、というのである。つまり、オチルバトは、土地分与の権限を政府が持つ、ということが「憲法に違反している」、といっているのにすぎない。
土地分与は、民主同盟連合政権が行った1997年の住宅民営化と同じ手法で(当然彼の大統領時代にということである)、つまり、それぞれの居住する住宅を、自動的に(無条件で)、政府の干渉なしに、実施したのと同じやり方で、分与することを彼は求めているのである。
だから、バト=ウールもオチルバトも同じ内容のことをいっているわけである。
なぜこの時期にこうした運動を開始したのであろうか。それは、土地所有についての不安感があるからである。地方(ウラーンゴム市)では分与するべき土地片がない、という報道もある。政府は、そうした国民の不安感を払拭するのに必死である。すなわち、土地を奪い合う必要は全くない、特にウランバートルでは土地は十分にある、といっている(例えば、ウヌードゥル新聞2002年10月22日付、および23日付)。
重要なのは、分与するべき土地が十分にあるかどうかではなく、有益な土地が十分にあるかどうかなのである。しかも、有益かどうかの裁定の基礎となる土地測量も行われていない。何を根拠にして国家大ホラル(国会)が(ウランバートルでは住民代表協議会(=市議会が)裁定するのかが不明なのである。
民主党は、国家大ホラル(国会)では発言の機会が少なく、選挙でも敗北が続き、党勢がじり貧である。サンマラル基金による最近の世論調査でも、支持率は野党勢力併せて30%ほどである(人民革命党は40%)。モンゴルは小選挙区制なので、この10%差は非常に大きい。まして、小党乱立状態であってみればなおさらのことである。
2002年秋期国家大ホラル(国会)では、「土地分与法」が審議される。採決に至る過程で、かなり紛糾も予想される。ところが、民主党所属の国会議員はグンダライとナランツァツラルトの二人だけである。民主党の主張を議会で反映させるのは困難である。
こうした党勢および政治状況の閉塞状態を打破するには大衆行動しかない。それは当然である。問題は、その大衆運動の内容がモンゴル国民にとって有益かどうかなのである。
1990年初頭、バト=ウールたちがスフバートル広場でハンストを決行し、それが契機となって、人民革命党政権が崩壊した。それを受け、オチルバトが大統領に就任し、モンゴルを経済混乱に導き、IMFなど国際機関(+資本主義諸国)の介入を招いた。
こうした1990年代の歴史は、繰り返してはならない。(2002.10.31)
