
第9回モンゴル支援国会合が開催された(2002年07月08日〜10日)
第9回モンゴル支援国会合が、2002年07月08日から10日までの三日間、ウランバートル市で開催され、共同議長を務めた日本および世界銀行をはじめとする、20カ国と19の国際機関、NGOや市民団体などが参加した。
第一日目に予備討論が、第二日目と第三日目に正式な討論が行われた。
これらの内容は、例えば、ゾーニー・メデー新聞(2002年07月09日、15日付)が報道している。また、世界銀行の Press statement No 2002/0711/WBOUB でも知ることができる。それらによれば次のようになる。
エンフバヤル首相は、第一日目の開会演説において、モンゴルで行われている「改革」(注:括弧は筆者による。以下同じ)の続行を誓い、その保証人がモンゴル支援国会合である、として、さらなる援助を要請した。
それを受け、支援国は、モンゴルがマクロ経済の安定(インフレ率の低下、国家予算赤字の縮小)に一定の成果を収めたことを褒め讃え、IMF主導のPRGF(貧困緩和成長戦略)などに対する準備を説き、在地資本および外資企業による投資にとって必須であるところの、財政「改革」、民営化、土地(所有)法、などの実施を要求した(イアン・ポーター世銀地域担当理事)。
それに対し、モンゴル側は、過去12年の教訓に「学び」、市場経済化をさらに一層推進することを誓った(オラーン財務・経済相)。
正式討論では、支援国によるさらにこまごまとした具体的な(すなわち内政干渉の類の)要求が出された。
つまり、政治形態の整備(いわゆる「良き統治」)として、責任の明確化、情報公開、汚職追放、法による統治、などが必要であるとした。さらに、外資企業のモンゴル参入を意図しているのであろうが、市場原理に基づく、エネルギー、情報分野での活動計画作成を求めている。
最後に、モンゴル(政府)がこれらの条件を満たすことを前提にして、来年度に総額3億3000万ドルの支援を約束した。
さて、このモンゴル支援国会合は、1991年9月に、日本と世界銀行が共同議長国として、東京で第一回モンゴル支援国会合が開催されてから、2002年までにほぼ毎年開催されている。2001年には第八回支援国会合がパリで開催されていた。
初期のそれは、工業用部品の贈与・借款など、文字通り「支援」の性格であった。これは、モンゴルがIMFや世界銀行に加盟した際の祝儀金のようなものであった(彼らは「人道的支援」と称しているが)。
回数を増やすごとに、その性格が、IMFのESAFプラン(構造改革計画)と連動して、無理矢理、世界基準の資本主義の枠内に引き入れようとする、内政干渉的なものになっていった。
支援国会合による、モンゴル「支援」の効果を計る物差しは、GDP増加、インフレ率低下、国家予算赤字縮小など、数字だけのものである。
モンゴルの特殊性や実情を考慮したものではない。まして、その数値は1990年代初頭が悪すぎたものだから、丸ごと効果が上がった、というわけにはいかない。だから、オラーン財務・経済相の、「我が国は国際機関の信頼を取り戻しつつある」、という発言(ウヌードゥル新聞2002年07月08日付)はそのまま首肯できない。
さらに、国際機関の対モンゴル支援の基本戦略が(注:IMFのPRGF<貧困緩和成長戦略>やモンゴル側の作成したPRSP<貧困緩和戦略文書>に基づいている)、経済成長、貧困緩和、不平等是正におかれている。ということは、経済が「成長」するにつれ、貧困化が進み、不平等が広がっている、ということだ。
つまり、この「支援」策や国際機関主導のプランが、モンゴルの従来の生活習慣・生産様式や倫理を破壊させ、国民の多数を苦しめている、ということになる。
モンゴル指導部は、外部の「支援」を当てにしないで、自主独立のプランを持つべきである。(2002.07.22)
