アルタンボラグに経済特区を建設(2002年06月28日)

国家大ホラル(国会)は、2002年6月28日、セレンゲ・アイマグのアルタンボラク国境警備所周辺の500ヘクタールの土地に、経済特区を建設するための法案(アルタンボラグ経済特区法)を可決した。

アルタンボラク周辺のインフラ(水道、暖房、電気、道路、鉄道、通信)を整備・新設し、これらを推進する企業主体の土地税を5年間減免する(延長の場合はさらに3年間30%減税)。ただし、当該法案審議の過程で、当初盛り込まれていた所得税(収益があればの話だが)減免は、人口希薄な地域に建設すること故、見送られた。遊戯施設やカジノ営業も許可されるという。

当地での輸出入品への付加価値税、特別税などの税金はいっさい賦課されない(つまり1997年のゼロ関税制度と同じ)。

外資企業には、土地税は10年間免除される。

政府関係者によれば、この経済特区建設によって、輸出入品が増加し、通貨流通が円滑になるだろうという。(ウヌードゥル新聞、2002年7月2日付)

この経済特区構想は、人民革命党ジャスライ政権時代の1995年に作成されたもので、北部国境にアルタンボラク経済特区、南部国境にザミンウード 経済特区、西部国境にツァガーンノール経済特区を建設することを視野に入れていた(UB-POST新聞、2002年05月30日付)。つまり、人民革命党政権の基本方針であるということである。

この経済特区構想は、ミャンガン・ザム(新世紀の道)建設と連動している。ミャンガン・ザム建設は、2001年1月の国会で承認されたもので、西部国境のツァガーンノールから東部国境のラシャーントまで、全長2600キロメートル、米国と同等の高速道路を敷設しようというものである。総工費3億ドル、施工期間10年を見込んでいる。

当然のことながら、このミャンガン・ザムに利権の臭いを嗅ぎ取った日本は興味を示し、チンギス・ハーン帝国時代の東西交渉の復活、などとはやし立てている(外務省HP参照)。

まず、経済特区であるが、これはもちろん中国で1979年に始まった、経済特区の試み(輸出志向型発展戦略)が参考になっている(中国の経済特区については、例えば、矢吹晋、対外開放政策の展開、『中国の世界認識と開発戦略−−視座の転換と開発の課題』小林弘二編,1990所収など参照)。

ただ、中国のそれと違って、モンゴルの経済特区は、大量の商品・貨物の搬出入が可能な港湾に隣接していないこと(ミャンガンザムの終点ではあるが)、国家予算からの財政支援があまり期待できないこと(逆に言えばすべて外資企業に依存していること)、貿易相手国は基本的にはロシアと中国に限定されざるをえないこと、などから、実現はかなり困難である。失敗すれば、賭博場しか残らず、 マフィアの巣窟になってしまいかねない。

このことは、ミャンガン・ザムにも当てはまる。ミャンガン・ザム建設の最大の障害は資金不足である。象徴的な意味で、国家公務員は一日分の給料を寄付したりしているが、それだけではもちろん足りない。結局は、外国の援助・融資頼みになる。そこから汚職・腐敗が始まる。

しかも、ミャンガン・ザムには野党が反対している。ただ、その論拠が、バーバルのように、人民革命党政権下でのインフレから国民の不満をそらせるため、という意見は論外であるが(UB-POST新聞2001年01月25日付)、エンフサイハン元首相などは、そんな金があったら、若者を外国に留学させろ、といっている。

経済的にみても、地理的に山岳・砂漠・河川を通過しなければならないこと、中・ロともそれほど関心を示さないこと(それぞれ自国の他の地域に別の道路や鉄道を持っていて、ミャンガン・ザムが対外的に延長されないこと)、などによって、不利である(オドリーン・ソニン新聞、2001年05月12日付など参照)。

つまり、環境保護の意味からも、国民の移動の自由の意味からも、砂利道路は必要であるが、米国基準の高速道路は不必要なのである。ミャンガン・ザム(新世紀の道)ではなく、新世紀への夢に終わるかもしれない。

結局のところ、この両構想とも、外資企業頼みだということである。外資企業進出の障害が、土地私有問題であった。だから、土地私有法が可決されたその同じ日に、アルタンボラク経済特区法が可決されたのである。

こうして、市場経済化、「民主化」の名の下で、資本主義化による政治的・経済的・倫理的混迷へとモンゴルはひた走ることになるだろう。(2002.07.12)

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