
С.オヨン(市民の意志・共和党)、土地所有法採択に反対し、抗議行動を開始(2002年06月18日〜)
前にも論評した「土地所有法」は、後に述べるように、2002年6月24日の時点で、国会の絶対多数(76議席中71議席[=1議席は死亡により空席])を占める人民革命党会派が、非公開会議を行って、この春期国会で可決し、2003年5月1日から実施することを決議した(ウヌードゥル新聞、2002年06月25日付け)。現在の状況では、「土地所有法」は成立してしまうかもしれない。だが、この成立過程を歴史として残すために、「土地所有法」採決に反対しているС.オヨンたちの行動を記しておく。
「土地所有法案」は、「土地法」修正案が国会で可決したのを受け、国会に上程され、(6月7日から)常任委員会で質疑応答が行われた後、6月14日、本国会で審議が始まった。7月5日までの国会会期中に採決することを予定しているという(イル・トブチョー新聞電子版、2002年06月24日付け)。
この国会での質疑を通して、市民の意志・共和党選出国会議員С.オヨンは、「土地所有法案」採決に反対し、6月18日14時30分から国会内執務室で抗議行動(суулт)を開始した。彼女の部屋の机の向こう正面に張った、青地に白い文字の横断幕には、「土地所有(のために)は、国民の安全保障、準備、情報公開、国民の利益との合致、などが必要である」、と書かれていた(ウヌードゥル新聞、2002年06月19日付け)。
オヨンがイル・トブチョー新聞にインタビューに答え、次のように説明している。「土地所有法案」は時期尚早である。なぜなら、1)土地開発計画が作成されていない、2)ウランバートルでさえ土地測量がなされていない、3)土地の等級が調査されていない、4)土地利用調整機関がない、5)土地資源データーベースがない、6)土地利用を巡る争論が多い(注:トグトフ議員によれば、ウランバートルの人口増によるという)、7)土地法修正が採決されてから二週間しか経過しておらず、実施のための準備が整っていない、からである。(イル・トブチョー新聞電子版2002年06月24日付け)
これより先、2002年06月17日に行われた、市民の意志・共和党の行った新聞記者会見の席上、同党国民委員会委員Р.ボルドの発言によれば、「経済および国民の安全保障」というセミナー(同日の6月17日開催)での研究によれば、土地所有の可否について、31.6%が反対、24.2%が賛成であるという(ウヌードゥル新聞2002年06月18日付)。
一方、オヨンの語るところでは、与党人民革命党国会議員内では、4議員のみが反対を表明したという。また、野党国会議員ナランツァツラルトは、「土地所有法」採択に反対して、審議参加拒否を表した(ウヌードゥル新聞、2002年06月19日付け)。
2002年06月19日、国会副議長ビャンバドルジは、オヨンに対し、当該法案採択の合法性(憲法第26条第1項)と抗議行動の不法性(政府官邸法第11条第1項)を指摘し、抗議行動を中止するように勧告した(ウヌードゥル新聞、2002年06月20日付け)。
2002年06月20日、オヨンたちの市民の意志・共和党は、政府官邸および人民革命党本部前で抗議集会を開催し、200人が参加した。この抗議集会には、伝統統一党のР.ハタンバータルも参加し、土地私有法に反対している市民の意志・共和党を支持することを表明した。(ウヌードゥル新聞、2002年06月21日付け)。
この集会に参加したオリアンハイ作家・科学アカデミー会員は、「土地は私有されない。人間は土地から生まれる。親なる大地は私有できない」、プレブバータル博士は、「土地所有はモンゴルを発展させず、経済を破綻させる」、経済学者ダシゼベグは自らの専門であるモンゴル経済について、「土地が私有化されると、増税になり、国民が貧困化する」、とそれぞれ訴え、「土地所有法」に反対を表明した。(イル・トブチョー新聞電子版、2002年06月25日付け、および、ウヌードゥル新聞、2002年06月21日付け)
また、この集会で、市民の意志・共和党は、与党人民革命党に対し、ここ10年間の民営化作業の失敗に学び、土地所有法案撤回を要求した。同時に、国民に向けて、以下のような声明を出した。すなわち、「土地は、モンゴルの国家的独立、将来の発展、国民生活と運命に深く結びついている至高の財産である。従って、国民の利益のためという名目で、政府与党が拙速に事を運び、国会で性急に採決しようとしている、当該土地所有法に対し、国民が市民の意志・共和党と共同歩調をとることを呼びかける」、と。また、「悪いウサギは小さな袋に入れよ」と(ウヌードゥル新聞、2002年06月21日付け)。これに対し、政府は即日(06月20日)、この呼びかけに対して拒否する旨の回答を発表した(ヌードゥル新聞、2002年06月28日付け)。
2002年06月21日、伝統統一党、民主党は、市民の意志・共和党と共同歩調をとることを表明した。三党合同記者会見の席上、オヨン(市民の意志・共和党)は、「土地は国民の拠り所であり、土地所有の習慣は私たちには以前からなく、後代のものであった。政府が突如として提出したこの重要課題は性急に採決するべきではない」、ドルリクジャブ(民主党)は、民主同盟連合政権時には人民革命党は土地所有に反対していた、現在同党が反対の立場に変わったのは、土地を不法に入手しようという意図があるからだ(引用者注:この趣旨の発言は、自らの行動の反映かもしれない。また、グンダライ民主党議員は、憲法ではモンゴル人に対し土地の所有を認めているが、政府案は家族の所有としているから反対である、という少しピントのはずれた趣旨の発言をしているようだ[=UBPOST新聞電子版2002.06.18]。これも党略のごとき発言であろう。)、フレルバータル(伝統統一党)は、「世に世を継いで祖先の熱き生命と血潮を注ぎ、国家の安寧と基礎であり続けたモンゴルの土地は、現在、私的個人によるほしいままの取引の対象となっている、(現在の憲法では)所有者を生み出し、それに所有させる権利は保障されているとはいえ、(それは)現在の民営化(所有分割)の破綻した政策と同様になるであろう」、と述べた(ウヌードゥル新聞、2002年06月21日付け)。
また、同日の2002年06月21日、国会総会の審議で、ダライフー議員が、農耕地の私有に反対し、大方の支持が集まった。(ウヌードゥル新聞、2002年06月25日付け)
2002年06月24日午後、国会議員人民革命党会派は非公開の会議で、「土地所有法案」を本春期国会で可決すること、2003年05月01日から実施すること、「農耕地の所有」という文言を「(企業)主体向けの土地」に変更すること、一方、「土地法」は2003年01月01日から実施すること、などの決議を行った。(ウヌードゥル新聞、2002年06月25日付け)
ところで、大統領は、議会に対し、1)土地所有の合憲性を認めつつ、国民に意見を聞くこと、2)審議を十分に尽くすこと、3)情報を公開すること、という3項目の提案をした(ウヌードゥル新聞、2002年06月25日付け)。[注:この問題は、ウヌードゥル新聞が積極的取り上げ、オドリーン・ソニン新聞が追随し、ゾーニー・メデー新聞は沈黙している。これは、人民革命党大統領派、民主党、人民革命党首相派の立場にぴったりと対応している]
2002年06月25日、市民の意志・共和党、民主党、伝統統一党は、土地所有法を廃案にして、国民に広く議論するように要求し、国会議長トゥムル-オチルと会談した。しかし、議長はその要求を拒否した(ウヌードゥル新聞、2002年06月28日付け)。
2002年06月27日、国会本会議で「土地所有法」が92.9%の得票率で可決された。
以上、主として事実だけを記した。オヨンたちの行動はモンゴルの歴史に深く根ざす行動である。そして、モンゴル民主化運動の精神をも継承している。またそれは、モンゴル牧民運動の遺産でもある。この一連の過程については、機会を改めて論評しようと思う。(2002.06.29, 2002.07.04 enlarged)
