土地所有法の国会審議が始まった(2002年06月07日)

政府は、6月7日、土地法を修正したのに続いて、土地所有法についての法案をまとめ、国家大ホラル(国会)に上程(БАТЛАН ГАРГАХ)した。

国会では、経済委員会と自然環境・地方開発委員会が合同で審議し、質疑応答が行われた。その際、政府案とあわせて提出されたナランツァツラルト議員案も同時に検討された。

政府案の骨子は、(a)18歳以上のモンゴル国民および企業主体は土地を所有(ЭЗЭМШИХ 注:字義通りに訳せば「占有」だが、詳細は省略するが<「土地所有法」参照>、事実上は「所有」)できる、(b)牧地の水源地、共有地、上下水道用地、森林水資源のある土地は共同で利用する、(c)15−60年間、許可証取得によって所有できる、(d)(期間が満了した)許可証の(延長)有効期間は最高40年間である、(e)許可証の名義人が死亡したり失踪したりした場合、残りの期間を法定相続人が継承する、(f)その他、家族用土地片(ウランバートルでは0.07ヘクタール、トゥブ、オルホン、ダルハン・オール・アイマグでは0.5ヘクタール、その他の地方では0.45ヘクタール、なお、ウランバートルで規模が少なく、地域によって差があるのは、国民のウランバートル流入を制限するためだという。効果はないだろうが。)、畑(1ヘクタール)がそれぞれ、無料で国民に供与される、(g)当該法は2003年01月01日より実施される、というものである。(ゾーニー・メデー新聞2002年06月08日付)

一方、ナランツァツラルト議員案は、彼自身がウヌードゥル新聞(2002年05月20日付)のインタビューに答えて、その詳細を語っていた。それによれば、(a)土地の所有よりも長期間の占有にすべきである、(b)不動産の所有に限定すべきで、土地の所有を許可すべきではない、(c)国民に広く議論を呼びかけるべきである、という。

さらに、ゾーニー・メデー新聞(2002年06月10日付)によれば、政府案は、上記土地の所有申請が、家族ごとに、家族成員の証明書をつけて、ソムまたはドゥーレグに提出することになる、という。また、外国人はその資格がない。

6月12日、上記委員会合同質疑によって、政府案が支持された。ただ、野党議員、例えば、オヨン議員などは、当該法案は時期尚早である、として反対しているし(ウヌードゥル新聞(2002年06月13日付)、民主党の強い反対もあって、成立は予断を許さない。

いずれにしろ、この「土地所有法」は、モンゴルの歴史を大きく旋回される性質を持つ。

第一に、モンゴルでは、土地を所有する、という習慣はなかった。かつて、モンゴル慣習法では、「土地の所有」という概念はなく、ただ、氏族(部族)共同体首長が、土地の管理と、共同体成員の戦争および遊牧指導を委任されていただけであった。清朝支配期になっても、封建領主に性格が対応するザサック・ノヨンは、こうした共同体成員の指導(属性的には支配)を、清朝によって剥奪され、中間管理職の地位に押しとどめられた。(これに抗して、ザサック・ノヨン、タイジ等のサボタージュや抵抗、この規定を逆手にとっての牧民達の訴訟・逃散・武力闘争、いわゆるモンゴル牧民運動が展開する)。

第二に、宗教的な意味(ラマ教の)からも土地は不可侵であった。

第三に、牧地そのものは、モンゴルにあっては、海原に相当するもので、所有することとはなじまない。

こうした理由のため、民主同盟連合政権の成立後、1997年に、土地分与法が制定(土地法は1994年制定)されたのだが、それは、住宅の無料供給(民営化)に限定された。その意味では、ナランツァツラルト民主党議員の主張は首尾一貫している。

当時、人民革命党もその主張に与していた。ところが、2002年、「土地法」修正が国会で承認されたのを受け、政府は土地の所有を推進する立場に変わり、「土地所有法(案)」を国会に上程したのである。

その理由としては、エンフバヤル人民革命党政権は、外資による国内産業振興を意図し、それを梃子にして、貧困緩和を実現しようとしている。2001年秋に、エンフバヤルがアメリカを訪問し、ブッシュと会見した際も、この立場を明確にし、アメリカ企業によるモンゴル投資を要請していた。

この外資のモンゴル流入にとっての障害が、土地の所有関係が明確になっていないことであった。だから、できるだけ早く「土地所有法」を成立させなければならなかった。

もちろん、外国人による土地所有の禁止は盛り込まれているが、APUや商業発展銀行民営化の例で証明されているとおり、ダミーを使えば、土地の所有は全然問題ない。

かつて清朝支配期に、中国人による牧地の所有を禁じた清朝の法令が、モンゴル人との婚姻によって、難なく無力化したのと同様であろう。

これ以上書くと長くなるのでやめるが、IMF・世銀加盟、民営化、などによってたががはずされ、この土地所有法によって、さらに一層、歴史が旋回しようとしている。これは、ゾリグ達が起こした民主化運動の意図とは全く異なるものである。

繰り返す。今、モンゴルは重大な岐路に立っている。(2002.06.17)

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