商業発展銀行が民営化された(2002年05月21日)

国営企業の管理運営を担当する国有財産委員会は、2002年5月21日、声明を出し、商業発展銀行の民営化が成立したことを公表した。

商業発展銀行は、1991年に設立され、金融、内外為替業務を行って、毎年、国家予算に40億トグルグを納入してきた優良企業である。余談ながら、筆者もモンゴル語新聞購読のための送金は、当該銀行宛であるが、今まで一度もトラブルは発生していない(当然のことだが)。もっとも、日本の銀行は4000円という保証金だか手数料だか知らないが、法外な金額を請求してくるが。

この予想外ともいえる、商業発展銀行民営化のための競売は、かつて論じたように、延期になっていた。その理由は、応札者がなかったこと、入札最低保証価格が高すぎたこと、などであった。これもかつて論じた(2002年05月07日の項参照)。これに加えて、あの米同時多発テロ後の、米経済混乱の影響も指摘されている。

この民営化作業は、5月15日、民営化審査部会が設立され(部会長はプレブドルジ国有財産委員会委員長)、最終段階に残った2者(モンゴル・アメリカ合弁企業「商業発展銀行受け入れコンソーシアム」と、スイス・アメリカ国際資本合同「バンカ・コマーシャル・ロガノ/ジェラルド・メタルズ」)につき、審査基準(資本金・投資額、将来構想、環境保護対策、雇用対策など)をもうけ、最低基準70ポイントをクリアした後者(バンカ・コマーシャル・ロガノ/ジェラルド・メタルズ社)に、民営化資格を与える、と決定した。

その結果、76%の政府持株が、1,223万ドル、プラス総額2,800万ドルの投資条件で売却され、民営化されることになった。

この「事態」は、モンゴルに少なからず衝撃を与えたようで、「ウヌードゥル」、「ゾーニィ・メデー」、「ウネン」各紙、各種電子新聞が2002年05月22日に一斉に報道した。

この民営化には、2つの問題があると思われる。一つは、今後の民営化に与える影響、もう一つは、モンゴルの将来に与える影響、である。

まず、今後の民営化に与える影響について。この民営化に続いて、ゴビ、NIC、MIATなど、基幹産業民営化が予定されている。ところが、これらは、商業発展銀行と違って「利益」を出していない。ということは、逆に、国民生活のためには役立っている、ということである。畜産品加工、石油製品販売、輸送部門は、国民生活安定のために、「赤字」運営がなされているからだ。これらが民営化されると、「利益」計上のために、一斉に価格が引き上げられるだろう。これはモンゴル国民にとって不幸である。

こうした「不幸」を断行しようとする(多国籍)企業は、モンゴル国民に敵対することになる。そういう企業が出現し、今までの歴史が繰り返される、という可能性はあるだろうか。予断を許さない事態である。

次に、モンゴルの将来への影響について。商業発展銀行を取得したバンカ・コマーシャル・ロガノ/ジェラルド・メタルズ社は、スイス銀行、および、米非鉄金属買い付け企業とから構成されている。これがオランダのING銀行という経営コンサルタントに銀行経営を委託し、今後、消費金融、貿易プロジェクト・ファイナンス、ATM設置、地方商業センターの拡大、電話・インターネット網の充実、などを行うという。

これが、「大分割(大規模民営化)最初の成功」(「ウヌードゥル」新聞2002年05月20日付け)であり、「世界有数の銀行になる(次期最高経営責任者ジャン・ボジャー談)」(ゾーニィ・メデー」新聞2002年05月24日付け)、といえるだろうか。それほど単純ではないように思われる。

元来、銀行構造「改革」は、銀行設立も「改革」もIMFなどのプランによってされてきたものである。かつて、モンゴル人は資本主義的な銀行を必要としなかった(当たり前だが)。将来の不安に備えて「貯蓄」などの必要性は感じなかった。物価は30年変動がなかった。ところが、1990年のビャンバスレン政権から始まった失政によって、国民生活の悪化が進行した。小分割(小規模民営化)によって、国営企業操業が停止し、経済低迷が起こった。そこに設立された銀行なるものは、国有財産簒奪のための機関でしかなかった。その典型的な事例が、民主同盟連合政権下で起こされた「復興銀行合併問題」(1998年7月)であった(村井宗行「1990年代モンゴルの政治と経済ーー1990年代モンゴルをどのように評価するかーー」(『モンゴル研究』第18号、1999−2000年、モンゴル研究会)。

だから、銀行構造改革とは、国際金融、マネー・ゲームにモンゴルを巻き込もう、というアメリカ基準の政策(グローバリズム)のことである。国有財産委員会顧問として、米国際開発協会の専門家が参加していること、商業発展銀行民営化発表の席にアメリカ大使が出席していること(ロシア、中国、アジア開発銀行関係者とともに)、農牧業銀行(HAAN銀行)経営責任者(米国際開発協会派遣)が「歓迎」と「祝福」の意を表したこと(ライバルに対して)、などからもうかがえるだろう。

先に述べたように、ジェラルド・メタルズ社は、1962年に設立された非鉄金属買い付けを行う、世界有数の企業である。これが商業発展銀行民営化に参加した理由は何か。これがねらうのは銀行からの利潤ではない(もちろんモンゴル国民の福利ではないかもしれない)ことははっきりしている。ねらうのは、モンゴルの銅、モリブデンなどの鉱物資源である。これらを、商業発展銀行会計制度を通じて、アメリカに「円滑」に搬出することであろう。

つまり、米多国籍金融・鉱山企業が、モンゴルを容易に操る橋頭堡を築いた、というわけである。基幹産業民営化とはそういうことなのである。(2002.05.31)

(追補)ところが、この米国籍の経営陣は、その当初のもくろみがはずれたとみえ(それはそれで肯定的に受け止めるべきであるが)、2002年には、8億トグルグの赤字を計上し、2003年には、法人所得税36億トグルグが未納となった(ウヌードゥル新聞2003年6月11日付、2004年2月10日付参照)。

さらに、「鉱山法」が2006年7月8日に改正され、「鉱物資源を国民のものに」、という市民運動の声に国民が支持を示すようになった。

この予想外の事態に嫌気がさした、この経営陣は、その所有株(全株の76%)をウランバータル銀行とカピトロン銀行の共同コンソーシアムに売却した。その背後に、М.エンフボルド、Т.バダムジョナイ、Х.バトトルガがいるとみられている。そして、残り24%の所有株の内、13%について、その所有者であるモンゴル郵便銀行社長Д.ゾリグトがО.ツォルモン(エンフバヤル大統領夫人)に売却した(ウヌードゥル新聞2006年12月12日付)。

こうして、商業発展銀行は、民族資本中心の銀行となったが、政治家たちの強い影響下に移ったこともあって、今後、健全な経営ができるかどうかは、未だ不明である。(2007.03.11)

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