世界銀行総裁がモンゴルを初めて訪問した(2002年5月16−18日)

世界銀行総裁D.ウォルフェンソンは、2002年5月16日夜から18日にかけて、世銀総裁として初めてモンゴルを訪問した。これは、アジア開発銀行総裁千野忠夫が2001年8月26日から30日にかけて、モンゴルを訪問したのに続くものである。この両機関は、IMFとあわせて対モンゴル国際援助機関の代表的なものである(いずれにもモンゴルは1991年に加盟)。

世銀総裁へのモンゴル側の歓迎は、国家元首級へのそれであって、期待の大きさが表れている。ただ、客観的に見ると、歓迎ばかりはしておれないのだが、モンゴル側はそうは見ていないようだ。

今回の世銀総裁のモンゴル訪問の目的は、ゾド(雪害と仮訳される)被害後のモンゴルの発展について協議することと、ハス銀行への40万ドルの融資(後述)調印式に出席すること、とされている。

世銀の公式サイトに公開されている文書を見ると、モンゴルへは、合計14プロジェクト、総額2億7200万ドルを融資し、その内の8プロジェクトは成功裏に完遂したとされる。逆に言うと、残りの5プロジェクトは問題あり、ということなのだが、その成功だとしているプロジェクトに、世銀の意志が感じられる。

それは、経済「復興」「支援」(以下カッコを省略)、経済移行支援、技術支援融資、銀行・企業部門調整融資、貧困層への貧困緩和プロジェクト、銀行・企業および法制支援融資、運輸部門復旧プロジェクト、石炭プロジェクト、である。

さらに、今後の融資計画として、牧地管理、地方小口金融サービス、地方自治体管理(非中央集権化)、新型ストーブ置換、エネルギー部門への技術支援プロジェクト、動植物環境保全プロジェクト、インターネット関連支援、金融関係技術支援プロジェクト、産業統計システム関連支援など、また、非融資活動として、出版物刊行(貧困緩和戦略、公共支出、貿易研究)、民営化問題支援、知的開発(?)、支援国会議準備、などをあげている。

要するに、社会主義から資本主義へ移行させ、対資本主義国との貿易に耐えられる法的・経済的・文化的能力をモンゴルに根付かせよう、ということだ。

ということは、モンゴル指導部も外部側も、こうした機関を、COMECONの肩代わりだ、と認識していることになるのだが、この問題は今回は省略する。

ただ、政府高官が告白するように(2002年5月17日付『ウヌードゥル』新聞)、一部の国民は(ということは政治修辞法からいって「多くの」ということ)、「世銀融資を評価していない」、という。これは、世銀などの支援機関の融資が、貧富の差を拡大させ、「私有制度」確立に寄与していることを意味する。

もっとも、世銀支援は、内政干渉に等しい経済改革を強要するIMFのそれに比べて、肯定的側面は、ある。

今回、ハス銀行への金融支援のことを前に述べたが、モンゴルにある16の銀行の一つである、このハス(Х.А.С=「発展のための金融(アルタン)基金」.)銀行というのは、露天商などを営む女性達の組織である「モンゴル女性同盟」などのNGOによって、1999年に設立された、小規模金融を弱小経営者に対して行う、モンゴル最初の民間非銀行金融会社が母体になった銀行である。この活動が、国連開発計画(UNDP)のマイクロ・プロジェクトの趣旨と合致しているために(どちらが卵か鶏かという側面もあるが)、国連機関からの支援が得られたのである。

この「小経営」者のための融資というのは、当該国の歴史的発展に寄与してきた(詳細は省くが)。こうした融資は肯定されるべきである。ただし、「小経営」者の活動が活発化している、という状況下にあってのみ、効果的であるが。

問題なのは、現代モンゴルがそこから離れて行く懸念がある、ということなのである。(2002.05.23)

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