ぱん! という短い音が室内に響いた。

日番谷が市丸の頬を張ったのだ。

「お前、なんてことをするんだ! あれは黒崎が俺の誕生日の祝いとしてくれた物なんだぞ」

笄が飛んでいった塀の方を見やりながら自分を責める日番谷に、市丸はニンと口角を上げた。

「あはっ。やっぱり一護ちゃんやったんや。・・・冬獅郎は一護ちゃんのコト好きやもんなぁ」

揶揄するようにそう云われた日番谷は頬に朱を滲ませる。

「・・・黒崎は誰からだって好かれている。護廷隊の隊長格や隊員達も多くの信頼を寄せている」

「うん。そうやねぇ。ボクも一護ちゃんのコトは好きやよ。でも、キミがボクとの約束を違える程親し

いとなったら話は別や」

「―――っ! お前、黒崎に何かしたら承知しねぇぞ!」

眉根を寄せる日番谷に市丸は軽い笑い声を立てる。

「ふふっ・・・。まぁそないに怒らんと、ボクのお土産を受け取ってや、冬獅郎」

市丸は懐から白絹に包まれた小さな物を取り出し、日番谷へと手渡した。

「藍染さんからキミへの贈り物やよ」

「! 惣右介からの?」

慌てて絹の包みを開いた日番谷の瞳に美しい輝きが現れた。

「これは・・・」

「うん。奇遇なことにそれも琥珀やよ」

「琥珀? これが?」

日番谷が驚くのも無理はなかった。彼が今手の中に収めているそれは琥珀独特の淡く鈍い光で

はなく、屋内に差し込んでくる昼の光の中で、青や紫や緑へと次々に色を変え、それどころか蛍

光発色さえしていたのだった。

「虚圏で偶然見つけたそうや。まぁ現世にも同じ物があるらしいけど、希少価値なんは間違いな

いやろなぁ」

5センチ程の楕円形の塊を二人して見詰め合う。その間にも日番谷の手の中の琥珀は刻々と色

を変えていく。

「藍染さんに、キミがボクの選らんだ装飾品しか身に着けないという約束のことを話たら、エライ残

念そうにしてはったけど、加工して身に着けなくなくてもええから、キミにもっとって欲しいそうや」

静かな市丸の声音に日番谷がコクンと頷き、形の良い指が何度も何度も愛しそうに琥珀の表面

を撫でる。

「惣右介・・・・・」

呟いた名は深い慈愛に満ちていた。

「――惣右介」

長い睫毛をギュと閉じ、再度名を口にした日番谷は手の中の琥珀を大事そうに己の胸に押し当

てる。

「・・・惣右介は元気でいるのか?」

ややあって、瞳を開いた日番谷は寂寥感を漂わせて市丸に尋ねた。

「うん。大丈夫やよ。もう暫らくしたら虚圏での成すべき事は終わるそうや。そしたら今度は居場

所を現世に移せるそうや」

「そうか。良かった」

市丸の言葉に、日番谷は心から安堵したかのように美しい笑顔を見せた。

「――――いつか・・・」

「ん?」

今度お前が惣右介の元に行ったら伝えてくれ。――いつか、必ず迎えに行くからと!」

「――うん。必ず伝えるよ。安心し、冬獅郎」

堅い決意を秘めた日番谷の視線を市丸に市丸は優しく頷いたのだった。





一方その頃・・・

「なんか今、光らなかったか?」

「ええ。なにかしらね?」

先頭を歩いていた一護が自分の斜め後ろにいる乱菊に問い掛けた。

日番谷の屋敷の側までやって来ていた四人は、屋敷の塀を越えて飛んできた物体を偶然目にし

その正体を確かめるべく足早に近付き、道に落ちていた笄を発見したのだった。

「―――あっ、これは・・・」

「やだっ! コレ、一護・・・じゃなかった、隊長が日番谷総隊長にあげた笄じゃない」

乱菊の非難めいた声に。檜佐木と恋次は顔を見合わせ屋敷の中の気配を探る。

「・・・・おい、この霊圧は・・・」

「ええ。帰って来たんスね、市丸サン」

頷き合う二人の言葉に乱菊がキュを唇を噛み締める。

「じゃあ、コレを屋敷の外に放り投げたのはギンだっていうの?」

「現場を見たわけじゃないが、そうとしか考えられない」

冷静に応える檜佐木に乱菊がじたん場を踏む。

「もうっ! なんでこんな時に帰って来るのよ。一護、いえ、隊長、構わないから日番谷隊長の屋

敷に乗り込みましょう!」

一護の腕をぐいぐいとひっぱり正面玄関に向かう乱菊に、半ば引きずられるようにして、一護は

自分を心配気に見詰めている檜佐木と恋次に別れを告げたのだった。





「申し上げます。只今玄関の方に黒崎様と松本様がお見えになられましたが、いかが致しましょう

か?」

襖を隔てた向こうからの遠慮がちな家人の声音に、日番谷はハッとした。

暫らく無言で躊躇している日番谷に変わり、市丸が応えた。

「お二人とも此処へお越し頂いてや」

「かしこまりました」

家人が遠ざかると、市丸が日番谷に笑い掛けた。

「約束の相手は一護ちゃんやったんやね」

「・・・そうだ。俺が笄の礼に何がいいかと尋ねたら、俺と一緒に出掛けたいと云われて」

「ふぅん。ほんならこれからデートなんやねぇ」

「・・・・・っ。―――お前が今日帰って来ると判ってたら黒崎と約束することは無かった。それに黒

崎は何も悪くない」

「一護ちゃんはええ子やよ。でもなぁ、あの子は冬獅郎、キミに恋しとる。何も見返りを期待する

ないう方が無理やろう?」

「・・・・・・・」

市丸の言葉に日番谷が無言で俯いた時、家人の案内で一護と乱菊が姿を見せた。

「―――ギン! あんたって奴はどうしてこんなに間が悪いのよ!」

部屋へ入ってそうそう自分に喰って掛かる乱菊に市丸がにっこりと笑った。

「久しぶりやね、乱菊。元気そうでなによりやわ」

「おだまり! よくもウチの隊長が総隊長にプレゼントした物をポイ捨てしてくれたわね!」

「あれ? それ、乱菊が拾ったん? ひゃぁ・・・タイミングええなぁ」

いけしゃあしゃあと応える市丸に、乱菊がフルフルと震える。

「あんた表に出なさい。きっついお灸すえてやるわ!」

「コワイわぁ・・・ボクなにされるん?」

いきり立つ乱菊に対してどこまでも飄々とした市丸は、それでも日番谷の側を離れて乱菊の方へ

やって来た。

乱菊はその市丸の手首をガッチリと掴み、自分が手にしていた笄を一護に手渡して告げた。

「邪魔者はあたしがきっちり捕獲しておきますからね。隊長は総隊長とデートを楽しんで来て下さ

い」

そう云うや、「痛いわ、乱菊。離してや〜〜〜っ」と情けない声を上げる市丸を引きずるようにして

部屋を退出したのだった。

後には、なかなか顔を上げようとしない日番谷と、そんな日番谷にどう声を掛けて良いのか判ら

ず戸惑う一護の二人が残されたのだった。



「―――すまない・・・」

ややあって日番谷が小さな声で一護に詫びた。

「市丸が、お前が俺にくれた笄を塀の外に投げてしまったんだ。本当にすまない。今度キツク叱っ

ておくから許して欲しい」

ペコリと頭を下げる日番谷に、一護も漸く笑みを頬に乗せた。

「そんなこと気にするな。ほら笄も無事に戻ってきたしさ・・・」

一護が掌を広げて、乱菊から手渡された笄を差し出した。

「・・・もう一度、改めて受け取ってくれるか? 冬獅郎」

「あぁ。勿論だ」

間髪入れずに応えた日番谷に二人の間の緊張感が一挙に霧散する。

日番谷は、藍染から贈られた琥珀を左手にもったまま、右手で一護から差し出された琥珀を受け

取ったのだった。

「―――? 冬獅郎、お前そっちの手に何を持ってるんだ?」

日番谷が左手に大事そうに包み込んでいる物に興味を引かれた一護が尋ねれば、日番谷は素

直に左手を開いて見せた。

「これは藍染から俺へと、市丸が持って来てくれた物だ」

「・・・・・そうか。藍染が・・・」

刻々と色を変える美しい宝石を目にし一護は少し寂しそうに笑った。

それは己が心惹かれ、恋情を捧げている相手には数多くの信奉者がいるというのを改めて納得

したかのような大人の笑みだった。

日番谷は一護のその雰囲気に心が騒ぎ、そんな自分を叱咤するように強気の口調で告げた。

「思わぬことで時間を取らせてしまって悪かったな。すぐに出掛けるとしよう」

だが一護はそんな日番谷に緩く首を振った。

「いや、それはもう良いよ。冬獅郎」

「黒崎?」

「あいつが帰って来たとなれば、俺がお前を何処に連れ出しても、お前の心は俺と共には無いだ

ろう? お前は一刻も早くこの屋敷に帰ってあいつとの時間を過ごしたいと思う筈だ」

「! そんなことはない! 俺は・・・」

勢い込んで反論する日番谷に、一護はもう一度「良いんだ」と首を振った。

日番谷は確固たる意思で否定する一護に何も云えなくなり、もう一度視線を床へと落とした。

確かに一護が云うのは事実であろうと思う。自分がここまま一護と外に出掛け、一護がどんなに

自分を楽しませようと心を砕いてくれたとしても、気がそぞろになるであろうことは間違いない。

だが、さりとて、一度取り交わした約束事を反故にするには余りにも気が引ける。

さと、どうしようかと思いあぐねる日番谷に、一護が唐突に聞いてきた。

「冬獅郎、お前、今でも昼メシの後に午睡しているのか?」

「・・・えっ? あ、あぁ・・・偶にはな」

「ふぅん」

遙か以前、一護が死神代行を務めていた六十年前の日番谷は、背丈も十歳程の子供でしかな

く、己の身体の成長を促進させようと日々努力を重ねていたものだった。

午睡はその一環であり、『寝る子は育つ』という育ての親同然の祖母の言葉を実践したものだっ

たのだ。

「じゃあ、俺と一緒に昼ねしようぜ」

「えっ?」

自分の提案に驚く日番谷に、一護は悪戯っぽく笑う。

「外に出掛けるのはヤメにするとしても、あいつは乱菊さんが連れ出してしまったし、乱菊さんの

あの様子じゃ、すぐに解放はして貰えないと思うんだ。だからあいつが戻ってくるまでの間だけ、

俺と一緒に昼ねしないか? 俺と同衾してくれ、冬獅郎」

「・・・・・そんなことで良いのか?」

自分の心の負担を考えての提案に、日番谷は一護の優しさに包まれるような気がした。

それと同時に、この思いやり溢れる優しい、そして強い魂に、自分は何一つ返してやれないのを

切なく思う。

しかし、それでも、誰を差し置いても、市丸ギンへの想いが重きをなす。

市丸は日番谷が己の全てを掛けて異界から連れ戻した相手なのだ。

この日番谷冬獅郎の只一度だけの、只一人だけの『恋人』なのだ。

一護はそれを心得た上で、自分を日番谷に差し出した『強き者』だった。



日番谷と一護は家人に頼らず、手早く二組の布団をその部屋に布いた。

互いに着物脱ぎ、肌着だけになって各々の布団に潜り込もうとした時、思い出したように一護が

問い掛けた。

「そう云えば、俺がお前に贈った琥珀、どうして乱菊さんはお香だなんて嘘をつかせたんだ?」

不思議そうに尋ねる相手に日番谷が小さく笑う。

「嘘じゃないさ。琥珀は『香』として使うことも出来るんだ」

「えっ! 本当か?」

「あぁ・・・とても良い香りがするそうだ。だが、殆どの者はそんな贅沢なマネはする気にならんだ

ろうがな」

「う〜〜〜ん」

考え込むように部屋の中を見渡した一護の視線が、書院棚の上に置かれている白磁の香炉の

前でピタリと止まった時、決心が着いた。

「冬獅郎、この白磁の香炉借りるぜ」

「―――何をする気だ? まさか!」

日番谷の碧の瞳が大きく見開かれる。

「あぁ。俺がお前に贈った笄をここにくべるんだ」

「馬鹿なことを云うな! そんなマネが出来るか!」

「凄く良い匂いがするんだろう? 試してみたいと思わないか?」

「ダメだ! 第一あれはもう俺の物だ。贈り主のお前にだって勝手なことはさせないぞ」

日番谷は床を用意する前に、装身具が入った箱に、藍染から贈られた琥珀と共に大事そうに笄

を収めたのを一護も見ていた。

「でもお前、もう二度とアレを髪に飾ってはくれないんだろう?」

「――――!」

思わぬ反撃に、日番谷は二の句が告げない。

「藍染はお前が大事に持っているというだけで満足かもしれねぇけど、俺は使い道があるなら実

用的に使って欲しいんだ」

事も無げにそう云った一護は立ち上げると、香炉と翠の琥珀を手に日番谷の横に戻って来た。

「良いだろう? 良いと云ってくれ、冬獅郎」

琥珀を香炉の中に入れ、手を翳しながら肯定を待つ一護に、日番谷は諦めたように頷いた。

「仕方ないな」

「サンキュ・・・。―――赤火砲」

極限まで力を絞っての鬼道で、琥珀の先端にほんの少しの火が燈る。

見る間に細い煙が立ち昇り、なんとも妙なる香りが当たり一面に漂い始めると、一護は香炉にそ

っと蓋をして寝床の中に身を横たえ、日番谷もそれに習った。

「・・・まったく、お前といいあいつといい、どうしてこう俺の周りには困った奴が多いんだ。こんなも

ったいない真似をしやがって」

日番谷の苦笑に、一護はふふっと目を細める。

「想いの伝え方の違いなんだから仕方ないさ。でも、お前は俺のこと好きでいてくれるのを判って

いるから、そんなお前に甘えて、たまにはこんな我が侭をしてみたくなるのかもな」

「ふん」

日番谷は軽く口を尖らせはしたが、満更でもないという穏やかな光が瞳に宿っている。

一護は日番谷が床に就く前に降ろした長い白銀の髪の一房を手に取り、それを自分の口元に近

づけてうっとりと云った。

「・・・・・あぁ。良い匂いだな」

「・・・そうだな」

それが己の髪の匂いのことなのか、それとも部屋を芳香で満たしつつある琥珀の香りのことなの

かは敢て聞かずに日番谷が応える。

「おやすみ、冬獅郎。良い夢を見ろよ」

「あぁ。お前もな」

程なくして二人は緩やかな眠りに落ちていき、双方から安らかな寝息が聞こえ始めたのだった。





それから後、毎年の日番谷の誕生日には必ず一護から琥珀が贈られ、二人がその琥珀で香を

焚き、共に午睡を楽しむことが恒例となったのだった。





                                                   了


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