(―――遅い)

早朝の冷たい空気の中で床から起き上がった日番谷は内心溜息を吐いた。

(俺の誕生日には帰って来ると云っていたのに、あのバカは一体何をやってるんだ)

銀糸の髪をした己の恋人を罵ってから床から出る。

寝室から出て来た日番谷に、隣室で控えていた家人が声を掛けてきた。

「おはようございます。御館様」

「ああ。おはよう。今日も良い天気みたいだな」

「はい。御陰で年末の掃除が捗ると皆喜んでおります。・・・どうぞこちらをお使い下さいませ」

「うん。ありがとう」

護廷十三隊の総隊長という地位にあっても、使用人に対して決して奢った態度は取らない日番谷に、壮年の家

人は心からの笑みを見せ、水を張った角だらいや水瓶、唾壷といった洗面道具を差し出した。

元来日番谷は身支度などで他人の手を煩わせたりはしないのだが、護廷隊の総隊長に就任してからはある程


度の格式が必要だとの周りの意見を取り入れ、中堅の貴族の様式位はマネるようになっていた。

洗顔が済むと今度は温かな湯気をくゆらせた朝食が運ばれてくる。

どんなに就寝時間が遅かろうとも、毎日規則正しく起き出して決まった通りの行動を取る日番谷は、使用人達か

らみれば、この上もなく仕え易い主だった。

「美味かった。ごちそうさま」

「はい。今日はすぐに死覇装をお召しになられますか?」

膳に乗せられていた料理を綺麗に片付け箸を置いた日番谷に、給仕をしていた家人が問い掛ける。

それに日番谷は「ああ」と返事をしてから少し考える素振りをする。

「もしかして昼に一度ここへ戻って来て着替えるかもしれない。済まないが何か外出着を見繕っておいてくれ」

「かしこまりました」

返事をした家人の男は日番谷の着替えを手伝うと、今度はその見事な白銀の長い髪に櫛を入れた。

「相変わらずお美しい御髪(おぐし)ですね」

「そうか? でももうそろそろ切ろうかと思ってるんだがな」

「・・・それはどうかお止め下さいませ。御館様の長い髪が失われては残念に思う者達がやまとおりましょう」

苦笑を伴った家人の言葉に、日番谷は「そんなことはないだろう」と軽く笑う。。

しかし実際の話、本人は知らぬことだが、日番谷の姿を見た者の殆どが、その美麗な顔立ちや絶妙のバランス

を誇る少年の肢体と同じくらい、流れるような光沢をもつ白銀の髪に溜息を吐くのだ。

丁寧に丁寧に梳き上げた髪を、頭の高い位置で金色の飾り紐で結い、家人は日番谷から離れ、礼を取る。

「お支度が済みましてございます」

「あぁ。ありがとう。今日も綺麗にしてくれたな」

労わりの言葉を掛けて立ち上がった日番谷は寝室へと戻る。

日番谷が食事を取っている間に寝具は別の家人の手で片付けられており、きちんと清掃がなされていた。

綺麗に掃き清められた部屋を見て満足気に頬を緩めた日番谷は部屋の隅に置かれた二階厨子に近付き、

その上の唐櫛笥(からくしげ)の箱を開けた。

中には目も鮮やかな趣向を凝らした美しい簪や笄が沢山収められていた。

「今日はどれにするかな?」

小首を傾げて考える。

日番谷が決して家人に触れることを許さないこの豪奢な装飾品は、全て市丸ギンからの贈り物だった。

素材も値段もまちまちであるそれらは、しかし玄人の目から見てもいずれ劣らぬ一級品であり、市丸の趣味の

高さを反映していた。

日番谷はいつも自身でその中から本日髪を飾る物を選んでいたのだった。

しかし大概即決してしまうのと違い、今日はどれにするか決めかねた。

その迷いの元になっているのは、約束の日から十日が過ぎるというのに、虚圏の藍染の元へと出向いた市丸

が今だ瀞霊廷に、いや、自分のところに帰ってこないといういらつきだった。

「・・・・・別にどうしても簪を挿さなければならねぇってことはないよな。今日はこのままにしよう」

独りごち、唐櫛笥の箱の蓋を閉じた日番谷は、その二階厨子の下の段に大切に置かれた和紙の包みに気が付

いた。

それは過日の日番谷の誕生日に、黒崎一護から贈られた『香』だった。

「そういえば使うのがもったいなくて開けてなかったが、折角貰ったんだ、まだ出掛けるのに時間があるし焚い

てみるか」

香は精神を安定させてくれる物が多い。市丸の不在でささくれだっている自分の心を落ち着かせてくれるかもし

れないし、一護に感想を伝えたいと思った日番谷は、さっそくそれを手に取り包みを開いた。

そして中の細長い木箱の蓋を開け、暫し絶句したのだった。

「・・・・・・・松本め、やりやがったな」

透明感のある碧色の琥珀の笄を手に乗せて唸る。

一護は香だと云って自分に手渡したが、これは如何見ても装飾品だ。

―――いや、厳密にいえば、それは確かに『香』ではある。・・・・・非常に贅沢な使い方をすればであるが・・・。

だが一護に宝石の知識があるとは思えず、日番谷は過去の自分の副官の入れ知恵なのを見抜いていた。

さてどうするかと眉間を寄せて悩み、やがて決心したように一つ溜息を付く。

「俺を長い間放って置くあいつが悪い」

日番谷は決め付けるように呟くと、金色の飾り紐で結われている自分の髪の根元に、一護から送られた琥珀の

笄を挿し込んだのだった。





「冬獅郎! お前、それ、付けてくれたのか?」

朝一番に昨日の虚討伐の報告書を持って一番隊舎を訪れた黒崎一護は、総隊長の席に座る日番谷の髪に自

分が贈った笄を見つけ、職務中にも関わらず上官を呼び捨てにして駆け寄った。

それに気分を害した素振りも見せず、日番谷が口角を上げる。

「あぁ。・・・どうだ? 似合っているか?」

愛しい者の微笑みに、一護は感激に何度も頷く。

「凄ぇ似合ってる! マジ綺麗だ、冬獅郎!」

「それは重畳だ」

容姿に対する追従など聞き飽きているらしい日番谷は興奮も露の一護と比べて平静そのものではあるものの、

それでも悪い気はしないのか、翠の瞳は優しい光を宿している。

一護から書類を受け取り、ざっと目を通してから問う。

「ところでお前の今日の業務はどうなっているんだ?」

「えっ?」

「お前から贈り物を貰った礼に何が良いか訪ねたら、一緒にどこかへ出掛けたいと行っていただろう?」

「いいのか!? 冬獅郎?」

今日、十二月の二十九日は尸魂界における一護の誕生日だった。

「うむ。ありがたいことに最近は比較的平穏な日々が続いている。このまま何も起こらなければ俺とお前が昼か

ら遠出しても差し支えあるまい」

「やった! じゃあ昼に迎えにくるよ」

「ああ。俺の屋敷で待ち合わせよう。一護、死覇装は脱いで来いよ」

「判った。じゃあな、冬獅郎。楽しみにしてるから」

喜色満面な一護は全身で喜びを表しながら一番隊舎を後にした。

それを目を目を細めて見送った日番谷は、その一護の姿が消えると暫らくして、ポツリと呟きを漏らした。

「――――俺を放っておくあいつが悪い」





「え? 総隊長とデート!? やったわね。一護!」

十番隊舎に戻り、事の次第を自分の副隊長である松本乱菊に告げれば、乱菊は我が事のように喜び、一護に

飛びついた。

「これもみんな乱菊さんのおかげだ。本当にありがとう」

「あら。あたしは何も・・・」

「乱菊さんに選んだ貰った髪飾り、あいつの気に入ったみたいなんだ。今日髪に挿してたから」

「そ、それ、本当?」

乱菊の水色の瞳が大きく見開かれる。

「ああ。それで俺、昼から休暇を取りたいんだけど、後を任せても良いかな?」

「勿論ですよ。楽しんできて下さいね」

動揺を隠して笑顔を見せる乱菊に気付かず、一護は「ありがとう」と大きく頷いたのだった。





正午を知らせる鐘が護廷隊に鳴り響き、半日の業務が滞りなく終えられたことに安堵した一護は、隊主室で死

覇装を脱ぎ、乱菊が見繕ってくれた外出着に着替えると、自分の後を任せる乱菊を、せめてもと昼食に誘った。

「そんな、気を遣わなくても良いのに」と言いながらも、乱菊は嬉しそうに一護の後に従ったのだった。



二人が何処で食事を取ろうかと談笑しながら瀞霊廷の大通りを目指して歩いていると、途中で偶然に檜佐木と

恋次が並んで歩いてくるのにかち合った。

「よぉ。一護、メシ喰いに行くのか?」

「あぁ。あんた達もか?」

一隊を率いる隊長になっても以前と変わらず気さくな態度の恋次に、一護も笑顔で応える。

「この先に最近出来たばかりの評判の良い定食屋があるんだが、良かったら一緒にどうだ?」

ちらりと自分を見て提案する檜佐木に、乱菊がにっこりと頷く。

「良かったですね、隊長。檜佐木隊長が奢って下さるそうですよ」

「えっ・・・。いや、俺は――」

慌てる一護に軽く檜佐木が肩を竦める。

「あぁ。俺の奢りだ。たまには良いだろう」

乱菊のタカリに慣れているらしい檜佐木は気にした振りも見せず先に立って歩き出したのだった。



「口コミ通り美味い店でしたね」

「ああ。そうだな」

味にも量にも満足したらしい恋次の言葉に檜佐木が応える。

「ご馳走様でした。檜佐木さん」

しっかりと食後のデザートまで平らげて満足気な乱菊の横で、流石に申し訳そうに一護が頭を下げる。

「気にするな黒崎。今度はお前に奢ってもらうさ」

食事を終え店を出た四人は護廷隊への帰路に付いていたのだが、ある通りの角を曲がった処で一護が足を止

める。

「それじゃ俺はここで失礼するよ。乱菊さん、後のことは宜しくな」

「ええ。任せて下さい」

ぽんと自分の胸を叩いて請け負う乱菊に、恋次が不思議そうに聞いてきた。

「なんだ一護。お前、何処かへ行くのか? そういえばなんかめかし込んでると思ったけど」

「ウチの隊長はこれから総隊長とデートなのよね」

自慢気に宣言する乱菊に対して一護の頬が赤らむ。

「マジか? やったじゃねぇか、一護!」

一護が日番谷を想っていることを知っている恋次は、自分のことのように喜色を表した。

檜佐木までもがそれに同調する。

「確かに市丸がいない今がチャンスだな」

「・・・・・市丸は今虚圏に居るんだよな? 何時こっちへ戻ってくるんだ?」

躊躇いながら一護が乱菊に尋ねると、乱菊は困った様に眉を寄せた。

「それが詳しいことは誰も判らないんですよね。ギンの奴は日番谷総隊長の密命で虚圏に特使として『派遣』さ

れてて、一年の半分は瀞霊廷を留守にするし、虚圏で何をしているのかも謎だし・・・」

「確かに謎だよな。でも例年なら今頃はこっちに戻って来ている筈なんだがな」

「ですよね。毎年開かれる日番谷総隊長の誕生会には必ず居ますからね」

檜佐木の言葉に、そういえばと恋次も思い出す。

「まぁとにかく頑張れよ。俺達は皆お前の味方だからな」

「ありがとう。檜佐木さん」

エールをくれる檜佐木に笑顔で礼を云って、じゃあ、と歩き出した一護の後を乱菊がとことこと着いて来る。

「―――? 乱菊さん?」

訳が分からず振り返った一護に乱菊がえへへ・・・と笑う。

「隊長が日番谷総隊長と何処かへ出掛けるのなら、日番谷総隊長も何時もの死覇装じゃなく外出着を着てる筈

でしょ? ちょっと目の保養をさせてもらおうと思って」

女性ならば誰でも美しいものを目にする機会に貪欲だが、特に着るものに対して執着を持っている乱菊は、美

々しく着飾っているであろう日番谷の姿が見たくて堪らなかったのだ。

そしてあろうことか檜佐木と恋次までもがそれに便乗して着いて来たので、結局四人そろって日番谷の屋敷へ

と向かうことになってしまった。





「・・・まぁこんなものかな・・・」

昼食を済ませ、出掛ける為の身支度を整えて鏡の前に立った日番谷が己の姿を検分していると、ふいに背後

から声が掛けられた。

「綺麗やなぁ。冬獅郎」

「―――市丸!」

驚きに見開く翠の瞳の向こうで、市丸ギンがいつもの人をくった笑みを浮べて立っていた。

「帰ってきたのか!」

「うん。ただいま。・・・遅うなって堪忍な」

「・・・・・・・」

咄嗟のことに複雑な想いが胸中に渦巻き、黙り込んでしまった日番谷に、ゆっくりと市丸が近付く。

「上等な着物を着てるなぁ。何処かへ出掛けるトコやったん?」

「・・・・・そうだ」

「誰と出掛けるん?」

「・・・っ」

こうゆう場合の多くは『何処に行くのか』と尋ねるものだが、市丸は敢て『誰と行くのか』と聞いてきた。

日番谷自身は身に纏う物に対して余り拘りがなく、今の装いが間違いなく同伴者を伴って外出する為のもので

あることを見抜いてのことだった。

「このボクに云えんような相手と出掛けるつもりやったん?」

沈黙を護る日番谷のすぐ側まで近付いた市丸の瞳はもはや笑ってはいなかった。

その市丸の右手がスッと伸ばされ、ハッとした日番谷が飛びのくよりも早く白銀の髪から碧の琥珀の笄が引き

抜かれた。

「――返せ!」

笄を取り戻そうとする日番谷の手を避けて、市丸がしげしげと手にした物を見る。

「これもしかして琥珀と違うの?」

「そうだ。大事な物だ。早く返せ」

「趣味のええ物やね。でもキミは自分でこないな物を買うたりはせんし、誰にもろたん?」

「・・・・・誰だっていいだろう」

唸るように云う日番谷に市丸の雰囲気が一変する。

「・・・冬獅郎。キミ、前にボクと約束したこと忘れたん?」

「・・・・・・・そ、それは・・・」

悲しげに問われ、日番谷の瞳が狼狽に揺れる。

以前、日番谷は髪を飾る装飾品は市丸が選んだ物しか使わないと約束したことがあったのだ。

「約束、忘れてしもたん? それともボクとの約束はもう反故にすることにしたん? どっち?」

決して声を荒げない市丸が、内心どれ程怒り、また傷ついているかが分かるだけに日番谷は相手の目を見てい

られずに俯くが、それでも一応の反論は述べる。

「お、お前だって、俺の誕生日には帰ってくると云ってたのに嘘ついたじゃねぇか」

「そうやな。それはボクが悪かったわ。でもだからって他の男から送られた物をキミが身に着けるのは我慢がな

らんわ」

市丸はそう云いしな、手にしていた碧の琥珀の笄を高い塀の外へと放り捨てたのだった。



                                                          
                                                          続く


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