ギンの屋敷には家屋と比例出来ないような広大な庭がある。
殊更ふらふらと出歩く事が好きなギンの為に、季節折々の花が咲き、小川が流れ、築山が設けられていた
ゆっくりとした、しかし迷いの無い足取りで歩を進めるギンに、誘い掛けるかのように桜の花びらが纏いつく
「・・・・・なんやろうね、ほんまに。・・・なんでこないにどきどきするんやろ・・・」
桜の林とも言えるほどの一群を抜けると、そこは開けた草原になっており、山野のあらゆる草花が思い思
いに咲き乱れている。
−−−そしてギンはそこで出会ってしまったのだ。
野原のほぼ真ん中に巨大な庭石がぽつんと一つ置かれている。
ギンが月見をするのに好んで腰を降ろしているその巨石の上に小さな人影が見える。
その人影を捕らえた途端、どくんとしたうねりが身体を包み込み、ギンはその躍動を沈める為に殊更霊圧
を落とし、相手に警戒心を抱かせないように静かに声を掛けた。
「こんばんは、ええ月夜やね」
「・・・・・」
驚いて慌てて振り向くかと思えた相手は、以外にもギンの接近に気付いていたらしく、眺めていた月から
視線を外し、ゆっくりとその顔を正面へと向けた。その途端、
(・・・うわあぁぁぁ〜〜〜!)
完璧な張り付いたような笑顔のまま、ギンは心中で大絶叫を上げることになった。
(なんちゅう綺麗な子ぉやねん!)
初見でギンがそう評した相手はまだ年端もいかぬ十歳程の少年だったが、月光に映える白銀の髪と意志
の強さを現す光を宿す翡翠の瞳を持ち、確かに幼いながらにも凛とした気品があり、長ずれば辺りをはら
う程の美貌の持ち主となることは間違いなさそうであった。
そしておそらく相当に制御されているが、澄み渡った高原の空気のようなひんやりとした、しかし心地の良
い霊圧。
(−−−ああ・・・この子なんや・・・・・)
ギンの内で何かがすとんと納得した。
と、途端に得も云われぬ想いが身体を突き抜ける。
「・・・すまない。ここは個人の邸宅の庭だったんだな。・・・俺は怪しい者じゃねぇ。今年霊術院に入学した
ばかりで余りここの地理に詳しくなくて・・・散歩をしてて迷い込んでしまったみたいだ。すぐに出て行くか
ら・・・」
ギンの心情は知らないまでも、だが悟りが早いらしい少年は謝意を告げるとゆっくりとした動作で腰を上げ
ようとする。その相手をギンは慌てて制した。
「ええんよ。ええんよ。気にせんでも!・・・君さえよければ好きなだけお月見してってや」
普段の市丸ギンを見慣れている者が見れば怪訝に思う程あたふたと引き止める姿に、少年は腰を宙に
浮かしまま聞き返した。
「本当に良いのか?」
「もちろんや。この家の主として君を歓迎するで!−−だからもう暫らくここにおってや」
ギンの必死さが伝わったのか、少年は暫しの躊躇いを見せたが、やがて元通りに腰を降ろし、ギンを安
堵させた。
「・・・・・あのな、ボクも君の隣に腰掛けてええやろか?」
躊躇いがちにそう口にするギンに少年が初めて笑顔らしきものを見せる。
「ここはあんたの庭なんだろ、なんで俺に遠慮すんだよ」
くすりと笑われて、ギンはその貌に思わず見とれてしまう。頬が赤らむのを自覚して慌てて首を一つ振る
と、「ほな、遠慮なく」と、トンと軽い動作で石の上に飛び乗り、少年の横に座を占めた。
それから暫らく、二人は無言のまま時を過ごした。
ただじっと月を見ているかと云えばそうではなく、どちらかと云えば二人とも月よりも隣に座った相手を見
詰めている時間の方が格段に長かった。それは互いに見詰め合うのではなく、月を眺めている相手の横
顔を時間をずらして観察するというおかしなもので、当然互いに見詰められているのは承知の上である。
初対面であれば非礼にも相当する行為だが、不思議と二人共多少の気恥ずかしさを除けば満ち足りた
幸福感に包まれていた。
(−−−ああ・・・いつまでもこうしとられたらええのになぁ・・・)
ギンの内心の呟きを聞き取ったかのようなタイミングで少年がこちらを向き、二人の視線が絡み合う。
「・・・・・ほんま綺麗なお月さんやね」
「−−−−−あんたの方が綺麗だ」
(−−え?)
追従とはとても思えないぶっきらぼうな言葉の意味を、ギンは瞬時に理解出来なかったが、言った本人
は耳まで赤くしてすっくと立ち上がった。
「俺、もう行かねぇと・・・寮を無断で抜け出してきちまったし、明日から授業があるし・・・」
素早く言い訳をしてその場を去ろうとする少年の手首を流石の反射神経で捉えたギンは、果たして自分
が開眼している事実に気付いていたであろうか。
「待ってや!・・・どうしても君に聞いて欲しい事があんねん!」
「・・・・・なんだ?」
ギンの只事ではない様子に、少年は瞬時にびくりと身体を揺らし、恐る恐るといった動作で見上げてくる。
「−−−いきなりこないな事ゆうても信じてくれへんかもしれんし、君には迷惑なだけかもしれへけど、ボ
クな、君に恋してしもうたんや!」
「−−!」
案の定、驚きに目を見開いている相手に、ギンはこれ以上ない真剣さで言い募った。
「お互いに名乗りもせんでこないなことゆうても本気に出来ひんかもしれんけど、もし、もし、君が少しでも
ボクのこと『特別』やと思うてくれる時がきたら、もう一度ここへ、この場所へ来てくれへんやろか?−−
ボクな、待っとるさかいに、いつまでもここで、君のこと待つさかいに、その時がきたら、もう一度ここに来
たってや!」
他人に対してこれ程なりふり構わずに頼み事をするのは始めてだった。むしろ哀願に近いものだった。
ギンに両肩をしっかり固定され、傍目には身動きもままならないように写っている華奢な少年は、ただ呆
然としているかに見えたが、ギンの慟哭にも近しい言霊を聞いて暫らくして、するりとその腕から抜け出し
て、射抜くかのような光を宿した瞳で、キッとギンを見据えて云った。
「必ず来る。−−−なるべく早く、迎えに来る。・・・・・だからお前は何も心配せずに安心して待っていろ」
その言葉と同時に少年の姿は掻き消す様に消えた。『瞬歩』を使ったのだとギンが理解したのはそれから
暫らくたっての事だった。それ程自然で完璧な動きだった。
(−−−あの子・・・何てゆうた?・・・・・ボクのこと迎えに来るって・・・確かにそうゆうたよなぁ・・・)
心ここにあらずのていで月の光を浴びていたギンは、はらはらと舞落ちる桜の花びらに目を移し、ようや
く正気を取り戻した。と、同時に得も云われぬ悦びの感情が身体を突き抜ける。
(−−ああ、今ここで死ねたらええのに・・・)
うっとりと目を閉じて微笑むその貌は、心が満たされきった証に違いないものだった。
「・・・まさか本気やないんやろうけど、でも『約束』してくれはったんやもんなぁ・・・それだけで充分や・・・
おおきになぁ・・・・・・・日番谷冬獅郎クン」