既望 四
「今の先生はあんたの目に適ったのか?」
「そうや。あの人はきっと現世ではそれと知られた武芸者やったやろね」
「あんな老人がか? 背丈だって俺より少し高いぐらいだぞ」
道場を後にして、道すがら疑問をぶつけてくる冬獅郎に市丸はフッと口の端を引き上げた。
「冬獅郎は『短小精悍』って言葉を知ってるかな。中国のことわざなんやけど」
「いや、知らない。・・・どんな意味なんだ?」
「小さいモノ程その力が凝縮されていて精悍で力強いという意味や」
「・・・・・・へぇ・・・」
素直に感嘆してみせる冬獅郎に市丸は優しく微笑んだ。
「今の先生はそれを体現しとった。そして冬獅郎、キミもそうや」
「―――!」
カッと頬を染める冬獅郎の背を大きな掌がゆっくりと撫でる。
「まずは一年間、あの先生について精進しや。きっとキミはモノになる。頑張りや!」
「・・・あ! あんたに云われなくても頑張るさ!」
市丸の手を振りきり、真っ赤な顔のまま、小さな肩を怒らせてズンズンと先を歩く冬獅郎に、
「あぁ。また怒らせてもうた」と市丸は首の裏に手を当てたのだった。
縁日が開かれている宮の近くの通りはすでに大勢の人が行き交い賑わいをみせていた。
親に付き添われている子供達の手には、綿菓子や水飴があり、中に金魚が入った袋を持って
いる者もいる。
その子供達の多くが、今年最後に袖を通すことになるであろう浴衣を着ていた。
「・・・・・なぁ冬獅郎、ボクに浴衣を買うてくれへんか?」
「浴衣? あんたそんな物を着たいのか?」
「うん。お祭りでは浴衣を着てる人が多いんや。だからボクも着とうなった」
「・・・・・・・子供かあんたは」
呆れる冬獅郎に構わず、市丸は目に付いた呉服屋に足を向けてしまい、仕方なく冬獅郎もそ
の後を追う。
「どれがええかなぁ。なぁ、冬獅郎、ボクにはどれが似合うと思う?」
「あんたは顔もスタイルも良いんだからなんでも似合うさ」
店内に入り、浴衣が売られている一角で商品を見回してそう訊く市丸に、冬獅郎はさらりと答
える。
「・・・・・それ、本気で云うとるん?」
「事実は事実だ。だからさっさと決めてしまえ」
腕を組んで、顎をしゃくる冬獅郎に、「なんや、ちっとも褒められている気がせんわ」と市丸が
顔をしかめて呟いた時、上客だと判断したのか、店の主人らしき男が二人に近付いて来た。
「いらっしゃいませ。浴衣をお探しでしょうか?」
「うん。ボクとこの子の分な」
「お、おい、俺は・・・」
自分の分など買う気ではなかった冬獅郎は慌てたが、主人は愛想良く頷き、奥の棚の方を指
し示した。
「よろしければあちらの方に麻で織られた浴衣もございます」
「麻かぁ。ええね。冬獅郎、あちらの中から選ぼう」
「・・・・・」
綿に比べて高価である麻なんて贅沢だと冬獅郎は思ったが、所詮、市丸の金なのだからと思
い直す。
「冬獅郎にはこの金魚さんがええかなぁ」
「なんで俺が金魚なんだ」
「トンボの方がええ?」
「子供っぽい柄ばかり選ぶな! ・・・ってか、俺より自分の分を早く決めろ」
「ボクの分はキミが観立てるんや。そしてキミの分はボクが選んであげる」
「あのなぁ・・・」
なんなんだ、この男は・・・と思ったが、いつまでもこんな所にいるのも憚られた冬獅郎は、さっ
さと決めてしまうことにした。
市丸に似合いそうな色合いの物を手に取れば、麻独特の手触りになんだかホッとする。
皺になりやすいのが難点ではあるが、軽くて風通しの良い感触に我知らず頬が緩む。
少し真剣味を帯びて物色を始めた冬獅郎の目が、一着の浴衣を捕らえた。
それは全体が美しい藍色のグラデェーションになっており、裾には黒地でススキが、そして左
胸には大きな月が描かれ、その月もまた幾層もの色を重ねた様な不思議な色合いをしている
「これ。これが良い!」
何時に無く高い声を出した冬獅郎の側に、市丸は急いでやって来た。
「―――あぁ。ええね。ええ柄やわ。流石、冬獅郎は見る目があるわ」
冬獅郎が広げている浴衣を見て、市丸も和んだ表情を見せた。
「ススキに満月なんて、風流やわ。・・・ん? このお月さん、少しだけ欠けとる?」
「えっ?」
市丸に指摘された冬獅郎もじっと月を見詰める。
「・・・・・本当だ。これ、完全な満月じゃない。・・・わざとなのかな」
首を捻る二人に店の主人がにっこりと告げた。
「はい。さようでございます。これはさる人形師が特別に手掛けた物で、十六夜を題材にした物
なのです。しかるに『既望』と名づけられております」
「既望かぁ。十六夜の別名やね」
「はい。こう申し上げてはなんですが、これを着こなせる方はなかなかおいでにならないと思っ
ておりましたが、まるで貴方様に誂えたようでございます」
世辞であることは解り切っていたが、そう云われて悪い気がする者はいないであろう。
「口が上手いなぁ。流石商売人やわ」
「いえいえ。滅相もない。これは本心でございますよ」
とんでもないといった風に慌てて手を振る主人に、市丸ははんなりと笑う。
「そうなん? まぁどちらにせよ気に入ったのは確かや。これを貰うことにするわ」
「ありがとうございます。もし宜しければ弟さまにも同じ作者の物をお勧めしますが・・・」
そう云った主人が奥から持って来たのは、薄い紫の濃淡の地に萩や桔梗が白で少量だけ描
かれた大人っぽい浴衣だった。
そして背中の右の上部にやはり十六夜の月が描かれている。
およそ子供の浴衣の柄としては格段に珍しいであろう一着に、冬獅郎は納得したように「いい
な」と頷いた。
「どちらも一点物でございまして、多少お値段が張るのですが・・・」
「構わんよ。これも頂くわ。でも男物と女物を対で作るのは判るけど、大人の物と子供の物を
対で作るんは珍しいのと違う?」
「はい。この作者は少々風変わりな男でございまして、その意図はわたくしにも判りかねます」
「ふぅん。面白いお人やね」
ついでとばかりに浴衣に似合う帯と下駄も買い、店の奥で着替えを済ました二人は着ていた
物をまたもや藍染の屋敷に届けてもらうように言い置き、浴衣姿で縁日へと繰り出したのだっ
た。
「冬獅郎、イカ焼き食べる?」
「食べる」
「トウモロコシ食べる?」
「食べる」
「リンゴアメは?」
「勿論食べる」
「よく食べるなぁ。お腹こわさんといてや」
「あんたが薦めたんじゃねぇか。あっ、串焼きがある」
冬獅郎は目を輝かせると一目散に駆け寄り、全種類を購入してしまう。
そして買った物を美味しそうに頬張る冬獅郎の姿に、市丸が微笑む。
行き交う人々が、特に老いも若きも女性達は皆、そんな市丸に見惚れて足を止め、ちらちらと
遠慮がちに見詰めたり、あるいは何度も何度も後を振り向きながら未練気に立ち去って行っ
た。
続く
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