既望 三

市丸と並んで通りを歩いて冬獅郎が最初にその歩みを止めたのは、大きな店構えの書店の前

だった。

「本屋さんに入るん?」

「・・・ぁ、いや・・・」

「ええやん。入ろう。ボクも本屋さんは久しぶりや」

躊躇する冬獅郎を見て、市丸は軽くその細い腕を引いて店内に連れ込んだ。

知的好奇心が強い者は総じて並みの人間より知能が高い。

日頃から賢さを感じさせる冬獅郎は、きっと無類の本好きなのだろうと市丸は察したのである。

その書店は多種にわたる書物が本棚にびっしりと収められており、瞬く間に冬獅郎の興味を惹き

つけた。

「何か気に入った物があれば買うたらええよ」

「・・・・・ん、でも・・・」

あちらこちらの本に目を輝かせつつも、冬獅郎はいつもの覇気がない。

「どうしたんや。何を気にしとるん? ここにキミの読みたい本が無いんだったらよその本屋さんへ

行く?」

市丸の懸念に冬獅郎は頭を振った。

「そうじゃない。どれもこれも読んでみたい本ばかりだ。でも・・・」

「うん?」

自分の顔を少し心配そうに覗き込んでいる市丸に、冬獅郎は思い切ったように告げた。

「藍染さんの屋敷にも沢山の本があるんだ。そして藍染さんは俺が読みたいと思う物があれば、

いつでも読んで良いと云ってくれた。でも、俺は十の歳に現世で死んだから難しい漢字は判らな

いんだ」

呟くような細い声音に市丸は柳眉を寄せた。が、それも一瞬のことだった。

「なんや、それやったら辞書で調べたらええ」

「えっ? 辞書?」」

市丸は辞書が並んだコーナーに冬獅郎を連れて行くと、何冊か手に取って物色し、その中から

一冊を冬獅郎に差し出した。

「これがええ。これを買おう。これから判らない字や言葉はこの辞書を使って調べたらええ。使い

方はボクが教えてあげる」

「そ、そうか・・・」

冬獅郎は驚きながらも嬉しそうに頷いた。

「冬獅郎はどんな本に興味があるん?」

「そうだな。歴史や文化について書かれた物が好きだ。でも動物記や綺麗な風景の写真なんか

も好きかな」

「それやったらそういう本も買おう」

「う、うん」

市丸と冬獅郎は半刻程をその書店で過ごし、辞書を含めた十冊余りの本を購入した。

買った本は荷物になるので、藍染の邸宅に届けてもらえるように手配を頼み、その書店を後にし

たのだった。



「なぁ冬獅郎。少し早いけどお昼ご飯を食べへん?」

市丸は、昨夜からの怒りで今朝も殆ど食事を取っていなかった冬獅郎を気遣ってそう云った。

「あぁ。別に構わないが、堅苦しい店は嫌だぞ」

「判っとるよ。この近くにお値段は大衆向けで、ボリュームがあって、しかも美味しいお店がある

んや」

「よし。そこに行こう」

後に楽しみが控えていれば、人をいうものは愉しい時間を過ごせるものである。冬獅郎は上機嫌

で市丸に従った。

大きな暖簾を潜った先の店は開店したばかりだというのに、もう人が沢山詰め掛けていて、その

人気の程が伺えた。

二人は辛うじて空いていたカウンターの椅子に腰掛け、腹一杯になるまで詰め込んだのだった。

「―――美味かった」

食後のお茶を啜り、満足そうにそう云う冬獅郎に、市丸も微笑んだ。

「キミが美味しそうにご飯を食べているのを見るとボクも幸せや。ところでこの後、どこか行きたい

所はあるん?」

「いや。特にないが・・・」

「それやったらお散歩しよう。少し遠いけど秋のお祭りで縁日をやっとるお宮さんがあるんよ」

「へぇ・・・。縁日か。いいな」

子供の姿のままで何年も過ごしている冬獅郎は精神年齢はもはや大人だったが、やはり縁日に

は気を惹かれたらしい。



縁日が開かれているという宮まで二人でそぞろ歩く。

と、満腹感で機嫌の良い冬獅郎がとある道場の前で足を止めた。

「ここ、剣道の道場だよな」

「そうやよ。冬獅郎は剣術に興味があるん?」

「・・・・・あったら悪いのかよ」

照れたように頬を染め、唇を尖らす冬獅郎に市丸は慌てて手を振った。

「悪いことなんあらへんよ。良かったら見学して行く?」

「見学出来るのか?」

忽ち食いついた冬獅郎に、市丸は軽く苦笑した。

「こういう市井の道場は常に入門希望者を募っているものや。冬獅郎がもし剣術を習いたいのや

ったら、入門したらええ。その財布の中身をそのまま渡したらむこう三年はここに通えるで。道場

主の腕がどれ程のものかはこのボクが見極めてあげるわ」

「・・・・・」

先にたって道場に入って行く市丸の背が、冬獅郎の目にはやたらと頼もしい物に映った。



「ここの道場はアカンな」

少しの間道場の隅に座り、稽古を見ていた市丸が断言した。

「えっ。どうしてだ? あの道場主はたいした腕じゃないのか? でも人も沢山いるし、教え方も上

手そうだぞ」

「あの道場主自体はなかなかの腕前やよ。死神でいうたら上位の席官も勤められるわ」

「だったら・・・!」

冬獅郎は何故市丸がダメだしするのか判らなかった。

ここの道場主は大柄だが温厚そうな表情で多くの門人達を縦横無尽にさばきつつも、一人一人

に的確なアドバイスをしている。

「それだ。今の踏み込みを忘れてはいけませんよ」とか、「惜しい! 今一歩でしたな」とか、声を

掛けられた門人達はぱっと顔を輝かせ、尚も夢中になって稽古に勤しんでいるのだ。

「あのな、冬獅郎。あの先生は皆に一言ずつ『甘いこと』を云うてその気にさせているやろ」

「あぁ」

それがまさか悪いことだというのかと冬獅郎は不思議に思った。

「あないな幇間稽古を受け取ったら例え才能があっても開花は著しく遅れるわ。だからここはアカ

ンっていうたんや。他を当たろう」

そう云うとすっくと立って道場を出て行く。冬獅郎はその後を慌てて追う羽目になったのある。

それから二人は何件もの道場を当たり、六件目でようやく市丸の気に入る道場主に巡り会うこと

が出来た。

それはごく小さな道場で、門人の数も少なかったが、小柄な老いた道場主からは凛とした芯の

強さと気概が伝わってきた。

「坊やは小さいのに仕事をしておるのか?」

「はい。あるお屋敷で働いています」

「そうか。それは感心なことじゃ。ここは見た通り寂れた道場で通って来る者も少ない。皆、すぐ

根をあげてしまうでな。だが、坊やが辛抱して学ぶというなら明日からでもおいで」

道場主の老人にそう云われた冬獅郎は迷った。

正直、剣術を学んでみたい気持ちは強いが、自分は藍染宅の使用人であり、勝手なマネは出来

ないと思ったのだ。

「藍染さんにはボクから云うてあげる。心配はいらへんよ」

冬獅郎の迷いを敏感に察知した市丸がそう云うと、それでも暫し躊躇した冬獅郎は、結局最後に

コクンと頷き、「よろしくお願いします」と道場主に頭を下げた。



                                                 続く

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