ついに待ちに待った日がやって来た。
俺は仕立てられたばかりの隊主羽織に袖を通し、氷輪丸を背に負い、半年の間寝起きした部屋を後
にし、就任式が執り行われる一番隊の隊舎へと足を向けた。
部屋を出る最後の時、柱の傷に心の中で語りかけた。
( ・・・・・もうすぐ逢えるんだな・・・)
十日程前、突然面会を申し出、そして隊主試験を受けさせて欲しいと頼み込んだ俺に、山本総隊長
は、意外な位あっさりと俺の望みを承諾してくれた。もし、断られたら現行の隊長の誰かに一騎打ち
を挑んででもと、思いつめていた俺は正直拍子抜けだっが、その翌日行われた試験で満場一致で合
格する事が出来た。
そしてその後は十番隊での俺の受け入れや、引継ぎ業務の完了を待つばかりの日々だった。
一番隊へ向かいながら、ふと目を転じた空はまさに『天上の青』と云わんばかりの晴天で、自然に心
が浮き立った。
だが、あれほど逢いたいと望んだ市丸の姿は就任式には無く、俺は深い失望を押し隠して隊長達に
挨拶をし、それに続く十番隊での祝賀会、そして四十六室や瀞霊廷の主だった重鎮達への挨拶廻り
を勤めた。
瀞霊廷のお偉方はともかく、俺を熱狂的なまでに歓迎してくれた十番隊の隊士達には俺自身胸が熱
くなる想いを感じ、絶対にこいつらの信頼を裏切るまいと心に固く誓った。
そしてあっと云う間に夜の帳が降り、新たに与えられた十番隊の隊主室で身支度を確認した俺は一
路、市丸の屋敷へと歩を進めたのだった。
−−−半年ぶりに再開した市丸はやはり綺麗だった。
何か心に懸念を抱えているらしい市丸は最初俺を拒んだが、言霊の遣り取りをするうちに覚悟を決
めてくれたらしく、俺を抱きしめて小さな声で問うてきた。
「−−−ボクのものになってくれるん?」
「ああ・・・」
( −−お前と出会ってから、俺はずっとお前のものだったんだぜ・・・)
言葉にしない笑みで応える。
−−−−−俺達はその夜、結ばれた。
「あないなお月さんもええね。綺麗やわ」
「お前の方が綺麗だ」
お互いの着物を取替え、くちづけを交わし、朝日の中で俺は市丸と別れた。もちろんそれは一時のも
ので、すぐに次の逢瀬があるものだと思い込んでいた俺の心は幸福感に満ちていた。
十番隊の隊主室に戻る途中、在る事を思いついた俺は霊術院の方に足を向け、昨夜まで自分が使
っていた部屋にやって来た。
部屋の中はきちんと清掃がなされ、次の主を待っているかのようだった。
俺は床の間の黒檀の柱の傷を見つめ、暫し躊躇した後に決心し、部屋の文机の引き出しから小刀を
取り出すと、『市丸ギン』と彫られた横に『日番谷冬獅郎』と彫り込んだ。
これが見つかれば、咎めや嘲笑の的になる事は判っていたが、甘んじて受けようと思った。
二つ並んだ名前を見ていると嬉しさが込み上げてくる。
「・・・ふん。もう一方の柱を傷付けなかっただけマシだよな」
自分に都合の良いように解釈し、今度こそ十番隊に帰るべくその部屋を後にした。
―――― 一体何があったというのだろう?
――― 市丸が俺を見ない!
互いに多忙な身だからだと、俺は最初自分を納得させようとした。だが明らかに俺を避けている市丸
に焦りが募る。
そしてある日、何とか口実を見つけて三番隊の隊主室を訪れた俺に、市丸は云った。
「ごきげんよう。『十番隊長さん』」と。
なんの感情もないような貼り付けたような笑みを見て、俺は用件も済まさずに十番隊に逃げ帰ってし
まった。
―――こんな、こんな事になるなんて、目の前が暗くなる思いだった。市丸に否定されるなんて俺に
とっては自分自身を否定されたに等しい。何事が起きたのか理解出来ないまま、まさに『絶望』の淵
に身を置いている気がして全身が冷たくなるのを自覚した。
だが、俺の喪失感や悲しく辛い思いはまだこの時、序章に過ぎなかった。
元々隊長格としての実力は定評のある市丸だったが、私生活の面では人に眉を顰めさせることが多
かった。それが最近とみに頻度が増し、四十六室から総隊長の元に何度も厳重注意の勧告がなさ
れる始末で、俺ははらはらしどうしだった。
市丸に否定されてしまった以上、側に居ることは出来ない。だが、見守ることは止められなかった。
あいつが何を思い、この先どんな道を歩もうと、ずっとあいつを見ていたいと思った。もう、俺の手は
届かないとしても想うことは止められなかった。
最悪、お前が死神としての道を外れ、処罰の対象となってしまう時がきたなら、お前に刀を振り下ろ
す役はこの俺が引き受けようと覚悟した。
――――市丸は誰にも渡しはしない。他の、誰にも!
そんな思いを抱きながら短くはない時が流れた。
そして俺と市丸は対峙した。
『――――射殺せ、神槍!』
市丸から繰り出された刃を間一髪でかわした俺は即座に反撃に転じようとした、だが松本が市丸の
刃から雛森を救ってくれた時、分かった。
市丸が本気ではないことを・・・。
もし、『気』の込められた刃であれば、松本に市丸の刀を止める力は無い。
そうだ、第一あの至近距離で護廷隊最速と云われる市丸の刃を避けられた事とて信じられないに。
市丸の刃には明らかな迷いがあった。―――俺を殺そうとする『気』と、そうではない相反する『気』
が・・・。
「・・・五番副隊長さんをお大事に」
まるで俺からの反撃が無かった事を残念がるようにそう云って、市丸は俺の前から消えた。
あぁ、本当にお前は何を考えているんだ、市丸!
その二日後、瀞霊廷の誰もが予想だにしなかった大事件が勃発した。
護廷隊の隊士の多くが信頼と敬愛の情を捧げてきた五番隊隊長、藍染惣右介の謀反!
信じられなかった。あれ程雛森が己の全てを捧げて尽くし、慕った藍染が!
この俺ですら安心して雛森を任せられると頼り切っていた藍染が!
「・・・一つ憶えておくといい日番谷くん。――憧れは『理解』から最も遠い感情だよ」
目の前が紅く染まる程の怒り。
「――――卍解、大紅蓮氷輪丸!」
しかし、激情に駆られて繰り出した刃は相手に掠り傷さえ負わす事が出来ず、逆に俺は一閃の元に
切って捨てられた。
完敗だった。俺は薄れ行く意識の中、遠ざかる市丸の足音を聞いたような気がした。そして俺の心も
そのまま闇に沈んだ。
このままずっと眠って二度と目覚めなくとも構わない。
暗い夢の中で自傷気味に思う。
あいつのいない世界に何の未練もない。
あいつの中で俺はなんの価値もなく、俺はあいつを見失った。
最早世界がどうなろうとも関心はない。
こんなことを本気で思っている俺は護廷隊の隊長として失格であり、例えこの命が存えようとも今ま
でのような存在意義はないだろう。
そう思えば俺の命を繋ぎ留めようと懸命の努力をしてくれたであろう、卯ノ花隊長さえ煩わしい気が
する。もう何もかもがどうでも良いというのに・・・。
そう思って意識の覚醒を拒否し、夢の国に逃避を続けていた俺の元に来訪者が現れたのは藍染達
の出奔から暫らく経っての事だった。
「・・・・・冬獅郎・・・」
あぁ、これも夢なのだろう。もう何年も聞かなかった市丸の優しい声。優しい呼びかけ。
「かんにんな、冬獅郎」
切なさに震えているような市丸の声。お前、何をそんなに悲しんでいるんだ?藍染と共に行くことが
お前の望みじゃなかったのか?
自分では身動き一つ出来ない俺の頬に触れる市丸の掌の温かな感触。
「かんにんな、怖い思いさせて。・・・痛い思いさせて。かんにんな」
優しく、優しく髪を梳かれて泣きたくなる。
違う。俺は戦士だ! いや、その前に指揮官だ。戦場に出てどんな辛酸を舐めても生き延びて反撃
の機会を待つ忍耐は培ってきた。なのに、市丸、お前がいないことがこんなにも辛い。生き延びるこ
とを拒絶したいと思う程に。
「かんにんな、キミのプライドずたずたにしてもうた」
そうだ、俺はお前手酷くに裏切られたというのにまだお前を愛しているんだ!
「どうか死なんとって冬獅郎! お願いや、目を覚ましてくれんやろか・・・」
唇に触れる柔らかな感触。市丸からのくちづけ・・・。
もう、お前が俺に触れてくれる日はこないと諦めていたというのに。
「・・・・・いつか、ボクの業をキミが終わらせてや。待っとるさかにな冬獅郎」
祈りにも似た呟き。そして最後にもう一度俺の頬にくちづけを落とし、市丸の気配は遠ざかった。
・・・・お前がそう望むなら俺は生きよう。そしてお前の真意を確かめる為にお前の元に赴こう、そう決
心した俺は自らが張り巡らしていた夢の結界を破り、外界へと足を踏み出したのだった。
「日番谷隊長の意識が戻られて本当に安堵いたしましたよ」
優しく微笑む卯ノ花隊長に俺は心から謝意を告げた。
「本当にありがとうございました。あの、雛森は?」
「お身体の方は心配はいりません。ただ意識はまだ戻っておりません。昨日までのあなたと同じです
ね」
そう云われて俺は自身の不甲斐なさに唇を噛み締めた。そうだ、俺だってあの夢がなかったらこちら
に戻って来ようとは思わなかっただろう。――――夢。あれは本当に夢だったのだろうか?
「あ、あの卯ノ花隊長、失礼を承知でお聴きしますが、昨夜この部屋に誰かが侵入した形跡はありま
せんでしたか?」
「まぁ、日番谷隊長」
卯ノ花は何故かとても嬉しそうに目を見張った。
「この部屋の外は昨夜も今も、あなたの身を案じる十番隊の皆さんがそれこそアリの這い出る隙間も
無い位に詰めておいでですよ」
「・・・・・そうですか」
「今朝方あなたの意識が戻ったと知って、皆さんそれは喜んでいらっしゃいました」
「・・・皆には心配を掛けてすまないことをしました」
「本当にそうお思いなら一日も早い回復に努める為にお身体を労わって下さいね」
卯ノ花隊長はにっこりと微笑んで部屋から出て行った。
その後ろ姿を見送り、俺は眼を閉じた。
例え昨日の市丸が俺の願望から生じた夢だとしても、俺はもう一度お前に会いに行こう。全ての決
着を付ける為に。
「『黒崎一護』? それがそいつの名か?」
「はい。この度正式に死神代行の任に付きましたので、日番谷隊長にもご挨拶をと思いまして」
「ふぅ〜〜〜ん。面倒見が良いな。阿散井」
六番隊の副隊長である阿散井恋次の隣で、阿散井の赤色の髪にも負けないような派手な萱草色の
髪をした若い男がまじまじとこちらを見つめている。
「―――なぁ、恋次、十番隊の隊長って子供なのか?」
「ばっ、馬鹿っ! 失礼な口を利くんじゃねぇよ!」
阿散井が慌てて黒埼とやらの口を塞ぐが、俺は少しばかり眉間の皺を深めたに留めた。外見で俺を
見くびる奴に関わるほど暇ではない。
「十番隊隊長の日番谷冬獅郎だ。見知りおけ」
そういい捨てて踵を反そうとした俺に、死神代行に就いたばかりの若者は右手を差し出してきた。
「黒崎一護だ。よろしくな、冬獅郎」
「・・・・・」
唖然とした俺の手を握ってにっこりと黒崎は微笑み、その横で阿散井は顔面蒼白になっている。
「ば、馬鹿野郎。早くその手を離せ、一護!」
「俺、お前と同じ位の妹達がいるんだ。何かあったら力貸すからな、冬獅郎」
慌てふためく阿散井を意に介さず、俺を見つめる鳶色の瞳に俺も初めて正面から黒崎に向かい合っ
てその瞳を覗き込んだ。
――――トクン。鼓動が一つ跳ね上がった。
――――トクン。なんだ? 胸がざわめく。・・・まるで遠い昔に封印した記憶をを思い出そうかとする
ように。
黒崎の瞳を見つめた瞬間、見知らぬ筈の様々な情景が俺の脳裏を駆け巡った。
これは一体どうゆう事なのか、突然くらりと眩暈を覚え、よろめいた俺の身体を黒崎一護がとっさに支
えてくれた。
「ど、どうした? しっかりしろ冬獅郎!」
「いけねぇ! 日番谷隊長はまだ本調子じゃねぇんだ。おい一護、日番谷隊長を四番隊に運ぶぞ!」
「お、おう!」
「・・・大丈夫だ。少し眩暈を感じただけだ、四番隊は必要ない」
俺の不調に動揺した二人の手を離れ、俺はふらつきながらも十番隊の執務室の戸を開けた。
「わざわざ足を運ばせて悪かったな、黒崎。阿散井もご苦労だった」
「は、はい。・・・ですが、日番谷隊長・・・」
「俺の事は心配いらない。少し休めば回復する。・・・黒崎を他の隊長に引き合わせてやってくれ」
「・・・はい。では失礼します。あの、よけいなことかもしれませんがどうぞお大事になさって下さい」
「ああ。ありがとう」
粗野な言動の中にも人の温もりというものを感じさせてくれる阿散井に、心からの礼を云って、俺は
執務室の戸を閉ざした。そしてそのままずるずると座り込み、両手で顔を覆った。
「―――黒崎一護、お前は何者だ? ―――いや、俺は『何者』なんだ!」
一方その頃。
「―――――封印が破られつつある・・・」
四番隊隊長、卯ノ花 烈は隊主室の窓から十番隊の方角を見つめ、余人には決して見せぬであろう
険しい表情で呟いたのだった。
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