「慣れないことばかりで疲れただろう?」
戸惑いながらもなんとか業務をこなし、無事に入隊初日を終えた日番谷を気遣って吉良が労わ
りの言葉を掛ける。
「はい。少し・・・」
今日一日を共に過ごして吉良の人となりに信頼を置いた日番谷は素直に頷いた。
二人は隊舎の食堂へ続く廊下で歩を進めている。
「夕食を食べたら次は湯殿へ案内するよ。その後は君は自室に戻ってゆっくりと寛ぐと良い」
「はい。ありがとうございます」
死神にしては珍しく穏やかな性質の吉良に、日番谷は今度も素直な返事を返す。
広い隊舎内は移動に結構な時間を割いてしまうのだが、食堂へと通じている渡り廊下となって
いる場所に来た時、日番谷はふと誰かに呼ばれたような気がして、何気なく中庭を挟んだ反対
の廊下に目をやった。
夕日が沈みかける直前に投げ掛けてくるまぶしい光に満たされた廊下を行きかう隊士達の間か
ら、思いがけない人物が目に前に現れたのはその時だった。
(―――――えっ!)
にわかには我が目が信じられない。
逢魔が刻が見せる幻かと一瞬思った程だった。
現世で生きていた頃、祖父から聞かされていた妖しの刻。自分はその刻に囚われてしまったの
だろうかと慰ぶかんだのだ。
だか、その幻かと思った姿は、行きかう者達の間を縫ってするすると此方へ近付き、日番谷に微
笑み掛けた。
「冬獅郎」
「い、市丸・・・?」
大きな双碧を極限まで見開いた日番谷に、市丸はゆっくりと屈みこんで視線を合わせる。
「ほんまに五番隊へ来てくれたんやね。嬉しいわぁ」
「う、うん! ―――いえ、はい!」
吉良の手前、慌てて言葉使いを訂正しながらも、日番谷の胸はどきどきと高鳴り続ける。
「帰還は明日になると伺っておりましたが、お戻りになったのですね」
「うん。雛森ちゃんのお蔭でな。君らはご飯食べに行くんやろ、ボクも一緒するわ」
吉良に応えて、先に立って歩き出した市丸に二人が従い、食堂へとやって来た三人は雑談を交
えながら夕食を済ませたのだが、正直なところ日番谷だけは市丸を見詰めるのに夢中になって
いて話題を振られても生返事を返すばかりで、自分が今何を食べているのかさえ定かではない
といった心持ちだった。
食事を終え、日番谷が是非、市丸に見せたい物があると言い出したのはそれから暫らくの事だ
った。
「ボクに見せたい物? なんやろう、楽しみやね。・・・ほんならお風呂へはボクが案内するからイ
ズルはもう自由にしてええよ」
「はい。では僕はここで失礼します。――日番谷君、また明日執務室でね」
「今日は本当にありがとうございました」
席を立ち、手を上げて去って行く吉良に日番谷はペコリと礼をした。
「・・・・・イズル、ええ子やろ?」
「うん。凄く親切にしてもらった。あの人、皆からも慕われてるみたいだ。俺の良い目標になる」
遠ざかる吉良の後ろ姿を見送りながらの日番谷の言葉に、市丸は軽く噴出した。
「ははっ・・・。イズルはボクの自慢の一つやけど、キミがイズルを目標にするなんて可笑しいわ」
「えっ? それ、どういうことだ?」
怪訝な顔をする日番谷をまぁまぁと宥め、市丸は話題の転換を図る。
「そんなことより、ボクに見せてくれる物があるんやろう? 早く見て見たいわ」
「あ、あぁ・・・。じゃあ道場の方へ行こう」
釈然としないながらも気持ちを切り替えてそう云った日番谷に、今度は市丸が不思議そうな面持
ちで小首を傾げた。
「――――道場?」
鍛練に熱心な五番隊の道場には、煌々とした灯りが灯され、まだ幾人もが竹刀を振るい、汗を流
している。
そしてその入口には、一枚板に素晴しい筆跡で『天真正伝無敵流』と認められた看板が掛かっ
ていた。
「これは、見事な物やねぇ」
感嘆の息を漏らす市丸に、日番谷は頬を紅潮させて相槌を打つ。
「藍染隊長が俺の為に書いて下さったんだ。俺の宝物だ」
誇らしそうに小さな胸を反らす日番谷に市丸も微笑む。
「無敵流っていうのがキミの流派なんやね。カッコイイわぁ! でもその上に書いてある天真正伝
っていうのはどんな意味があるん?」
「無敵流は天真発揚を本位としているんだ。つまり一片の私心も持ってはならないとされている。
そうでなければ断じて免許を許されなかったんだ」
「それは自分自身の私欲の為に剣を使ってはいけないということやね」
「そうだ。俺はその無敵流の心構えをこれからもずっと守っていくつもりだが、まさか藍染隊長が
そんなことまでご存知だとは思わなくて正直驚いた」
「・・・あの人はなんでも知ってはるんよ」
皮肉めいた市丸の冷笑に気付かなかった日番谷は大きく頷く。
「藍染隊長は素晴しい方だな。朽木隊長には本当に申し訳なかったけど、俺はこの五番隊に入
隊して良かったと思っている」
「それは良かった。キミがそう云ってくれてボクも少し安心したわ」
きらきらと煌く碧の瞳を向けられた市丸は如才なく応えながらも、頭の中では藍染の尻に生えて
いると思しきタヌキのしっぽを思い切り踏みつけたのだった。
(オッサンなにイイ人ぶっとるんや! すぐに化けの皮が剥がれるちゅうのに・・・)
しかし、藍染に本気で呆れながらも、自分自身もまた日番谷に対して秘密を抱えていることに、
内心で苦笑を漏らす。
(どうせすぐにバレるんはボクも同じやね。・・・・・傷は浅いのに限る。今夜のうちに決着をつけよ
う。それでこの子がボクから離れるならそれは仕方の無いことや)
日番谷に嫌われるのは正直辛いが致し方の無いことだ。
そう踏ん切りを着け、切り替えの早い市丸は日番谷を即してその場を去った。
「そしたらな、自分のお部屋から着替えを取っておいで。ボクと一緒にお風呂に行こう」
市丸にそう云われ、日番谷は大急ぎで準備をし、待ち合わせた場所に駆けつけたのだが、市丸
はもう先に来て廊下の手すりに腰掛けていた。
「待たせて済まない」
「そんなことはないよ。ボクも今来たとこやから。・・・あれ、キミ、着替えに死覇装を持ってきたん
?」
日番谷が手にしていた風呂敷の隙間から死覇装と思しい黒地を見咎めた市丸が尋ねる。
「あぁ。それがどうかしたのか?」
「ううん。ちゃんと云わんかったボクが悪いんやけど、業務が終わってからのお風呂の後は普段
着や夜着で構わんのや。次からはそうすれば良えよ」
「わかった」
湯殿は隊舎の最奥に位置しており、丁度この時間は業務を終えた者や鍛練での汗を流そうとす
る者達で賑わっている。
湯殿に通じる廊下の行き止まりの前がちょっとした広場のようになっており、長椅子が何脚も並
べられ、湯上りらしき者達が思い思いに飲み物を手にしながら雑談に興じている。
そこにはお茶などもおいてあり、一種の社交場となっているのだと推測出来た。
中には市丸や日番谷を見咎めて、会釈したり挨拶したりしてくる者達もいる。
その視線の全てが好意的なもので日番谷は少し嬉しくなった。
自分はまだ子供とはいえ、れっきとした五番隊の三席であり、皆から期待を寄せられているのだ
と思えば自然と誇らしさが込み上げる。
その期待に背かないように業務に励み、出来る限りの精進に勤めようと改めて思う。自分だけ
の為ではなく、自分の横にいる市丸の為にも。市丸が自分のことで恥をかいたりしないように、
そして一日も早く市丸と同列に並び、皆の前で堂々と呼び捨てで名を呼ぶことが出来るように。
日番谷は子供らしい純真な想いを抱き、その日を夢見ていたのだ。
「それじゃここでお別れだな」
湯殿は右が男湯、左が女湯と分かれていた。
市丸を女性だと信じて疑わない日番谷は、当然入口で分かれるものと思っていた。
「・・・・・なぁ、もし忙しくないようなら風呂から上がってから少し話しが出来ないかな?」
遠慮がちに聞いてくる日番谷に、市丸はう〜〜〜んと考え込む。
「忙しいという程やないけど、今日中に現世での討伐の報告書を少し纏めておきたいなぁって思
うとったんよ」
「そうか・・・。それなら仕方ないよな。俺は風呂から上がったら自分の部屋に帰るから、あんた
もゆっくりと任務での疲れを取ってくれ」
傍目にもしょんぼりした日番谷が男湯の方に足を向けると、あろうことか市丸もその後に付いて
来た。
「・・・? どうしたんだ。女湯は向こうだぞ。こっちは男湯だ」
振り向いて『男湯』と書かれた大きな暖簾を指差した日番谷に、市丸は悪戯っぽく哂う。
「うん。判っとるよ。ボクも今日はこっちに入れてもらうは。一緒に入れば中でお話も沢山出来る
し、裸のお付き合いも出来る。一石二鳥やね」
すたすたと自分を追い越して男湯の暖簾を潜った市丸を、日番谷は呆然と見送り、次いで絶叫
に近い声を上げた。
「わぁ〜〜〜〜〜っ! やめろ! よせっ! あんた、何考えてんだ!!」
叫びながら市丸を止めるべく、猛然とその背にしがみついたのだった。
続く
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五番隊編 5