第八話

「市丸副隊長、遅いですね。日番谷君の勧誘は上手くいかなかったのでしょうか?」

背後から自分の肩を揉みながら少し心配そうに問うてくる雛森に、藍染は微苦笑を漏らした。

雛森には判らないらしいが、市丸がすでにこの五番隊の宿舎に戻って来ていることを藍染は

感知していたのだ。

「大丈夫だよ。そろそろやって来るだろう。・・・・・あぁ。ほら、噂をすれば・・・」

廊下の障子戸が一つの影を映し出し、上機嫌な声が掛かる。

「市丸です。ただ今戻りました」

「待っていたよ。入りなさい」

藍染の応えを待って入室してきた市丸を一目見た雛森は「まぁ・・・」と口を押さえて目を見開い

た。

市丸はすでに死覇装から普段着に着替え、しかも湯上りらしくまだ髪が湿り気をおびている。

「お風呂を使ってらしたんですか? ダメじゃないですか、市丸副隊長! 藍染隊長がずっとお

待ちだったのに!」

思わず叱責の声を上げる雛森に「堪忍。堪忍」と詫びながら、市丸は一通の書状を藍染に差し

出した。

「藍染隊長、お待ちかねの物や」

ニンと口角を上げた市丸から藍染も人の悪い笑みを浮かべてそれを受け取った。

「流石はギンだ。これで日番谷冬獅郎は我が五番隊のものだ」

中身を一読した藍染は満足気にそれを雛森に見せ、雛森もまた読み終えるや瞳を輝かせた。

「本当に。流石は市丸副隊長ですね!」

「しかしこんなに遅くなるなんてね、日番谷君はかなりの難物だったのかい?」

「いえ、ボクがこないに遅くなったのは朽木隊長のお屋敷にお邪魔して話を付けてきたからで

すわ。・・・ほら、立つ鳥後を濁さずって言いますやろ」

「それはまた至れり尽せりだね。助かるよギン」

実際のところ、たとえ朽木白哉がどのように抗議の声を上げようが、それを上手くかわしての

けるだけの裁量を藍染は持っている。だが波風が立たないのに越したことはない。

だが軽い調子で話をしている市丸の真の狙いは、己自身や自隊の隊長である藍染が糾弾の

的になることを恐れてのことではないことも藍染は瞬時に見破っていた。

「―――随分と日番谷冬獅郎が気に入ったみたいだね」

「そりゃもう! 可愛え子やったもん」

探るように目を細める藍染に、市丸は相変わらず明るく告げる。

「ボクはもうお暇してもええやろう? 雛森ちゃん、おいで」

市丸の手招きに素直に「はい」と返事をした雛森が自分の傍を離れるのに、藍染はおやおやと

いう表情を作った。

「雛森君を連れて行ってしまうのかい?」

わざとらしくも残念そうな様子を見せる藍染に、雛森がにっこりと笑い掛けた。

「藍染隊長には私が美味しそうなお夜食をご用意しました」

「おや、それは?」

肩眉を上げて興味を示した藍染に雛森が嬉しそうに身体を乗り出す。

「藍染隊長は七番隊の関君をご存知ですよね?」

「・・・七番隊の、関君? ――いや、知らないなぁ」

天井を見上げ、少し考えてからはて? と、いう顔をする藍染に雛森が説明する。

「数日前、合同演習の件を話し合う為に、私を連れて七番隊舎に足を運ばれたでしょう?」

「うん」

「その時、野外の訓練場で数人が剣の稽古に励んでいたのをご覧になった筈です」

「あぁ。・・・・・成る程、あの時の!」

藍染は合点がいったというように雛森に微笑みかけた。

確かに自分はその時、一人の青年に眼が行っていた。

姿の美しい子だと、一瞬だが気を惹かれたのだ。

藍染がその青年を見詰めていたのはほんの数秒でしかなかったが、雛森は気付いて、そして

憶えていたのだ。

「この度、十八席を勤めていた前沢さんが四番隊に移動になりましたよね」

「うん。私も彼を手放したくはなかったのだが卯ノ花隊長に是非にと請われてはね。・・・まぁ、

以前吉良君を譲ってもらった手前断れなくてね」

ちらりと自分を覗うようにそう云う藍染に、市丸は黙って舌を見せる。

その遣り取りには我関せずに雛森は話を進めた。

「関君は現在七番隊では二十一席なのです。・・・あの、もし今夜彼がお気に召したなら、チャ

ンスを与えて上げて下さい」

「判った。約束するよ」

真剣な表情でそういう雛森に藍染はしっかりと頷いた。

「え〜〜〜〜っ、七番隊の関君やったらボクも前々からちょっとええなぁって思うてたんよ。そ

れやったらボクらもここにいよ。なぁ、雛森ちゃん」

「ダメですよ。初めて他隊の隊長の元に来るのにどれほど勇気がいることか! それなのに副

隊長のあなたまでいたら緊張のあまり倒れてしまうかもしれません!」

「う〜〜〜ん。そう云われればなんや繊細そうな子ぉやった気もするわ」

考え込むような市丸の腕を取り雛森がきっぱりと告げる。

「日番谷君を無事獲得して下さったことを労って私が何でもして差し上げます。だから市丸副隊

長は私のお部屋に行きましょう」

「雛森ちゃんが何でも? う〜〜〜んと恥ずかしいことでも?」

「はい」

淀みのない返事に市丸がにやりと笑う。

「それやったら異存はないわ。今日は雛森ちゃんにいっぱいいっぱいサービスしてもらお」

そう云って立ち上がりかけた市丸は、ふとあることを思い出して藍染に問い掛けた。

「そう云えば藍染隊長、『花の弟』ってどういう意味やろ?」

「『花の弟』? 誰がそんなことを云ったんだい?」

「ボク、朽木はんのお屋敷でお茶をご馳走になったんです。その時茶杓の銘を尋ねたら『花の

弟』だと云われましてん」

市丸の言葉に藍染はゆったりと腕を組んで微笑んだ。

「成る程。朽木隊長らしいね。―――『花の弟』というのは菊華の雅称だよ。菊は花木を除け

ば四季の花の最後に咲くから古来より百草の花の弟と呼ばれたんだ」

「・・・・・菊の花かぁ・・・確かにあの子を花に例えたら菊が相応しいかもしれへんなぁ」

朽木白哉がどれ程日番谷冬獅郎を惜しんでいるかが判る気がして、感慨深く呟く市丸に、雛

森は「そんに綺麗な子なんですか」と期待を滲ませたが、次の瞬間には藍染に敬愛の眼差し

を送って云った。

「日番谷君が百の花の弟なら、藍染隊長は百の花の王です!」

「百花の王。―――牡丹かぁ」

「光栄だね」

市丸の揶揄するような、それでいてどこか納得した感のある声音に藍染は満更でもないよう

に泰然としている。

「だったら雛森君は可憐な『谷間のゆり』だね」

「谷間のゆり?・・・谷間に咲く百合ですか? まぁ!」

藍染の言葉に嬉しそうに頬を染める雛森に対し、市丸はげんなりとして訂正する。

「違うわ。雛森ちゃん。『谷間のゆり』は鈴蘭の別名や。――『君影草』とも云うけどな」

「鈴蘭のことなんですか。でも私、あの可愛い花が大好きなのでやっぱり嬉しいです!」

以前としてにこにこと喜んでいる雛森に、市丸は鈴蘭が結構な毒草なのだとはあえて告げな

かった。身体の弱っている者なら鈴蘭を生けた水を飲んで死ぬことすらあるのだ。当然、藍染

はそんなことは重々承知していて雛森を鈴蘭に例えたのだろう。

(まったくもう、喰えんお人やわ)

だがしかし、雛森が清楚な気品ある可憐な愛おしさだけを持っている訳ではないことも確かな

のだ。

「そしてギン、君は―――」

唐突な藍染の声に市丸の意識が引き戻される。

「君は『天上の紅い華』だ」





「『天上の紅い華』ってなんの花のことなんですか?」

自室に辿りついてすぐの雛森の質問に市丸は小さく苦笑を浮かべて答えた。

「彼岸花のことやよ。花言葉は『情熱』とか『想うはあなた一人』とか・・・」

「素敵! ロマンチックですね!」

感激も露な雛森には教える気はないが、彼岸花もまた毒草であり、その呼び名は剣呑極まる

ものがヤマとあり、市丸は素直に喜ぶ気にはなれない。

だがその反面、自分に似合っていると云われれば納得できる部分もある。

「花談義はそのくらいにしよ。雛森ちゃん。今夜はボクのことうんと可愛がってや」

「はい。お任せ下さい」

雛森の私室の布団の上に向かい合い、二人は共犯者めいた笑みを浮かべて唇を合わせた。



                                             続く           

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