まさか、こんな事が起き様とは思ってもいなかった。
私は不測の事態に暫し、眼を見張った。
私が見出し、育て、私の背後に立つことを唯一許した、市丸ギン。
残虐ではないものの、冷酷であることは間違いなく、そして強者が弱者を屠るという自然
の摂理になんら不思議を抱かず、他者の血が流れるのを好む冷たい刃のようなお前が、その
ヒヤリとした抜き身の太刀のような鋭利さが私の生理的な快感であったお前が、誰かの為に
地に這いつくばって命ごいをしようなどとは・・・。
それも、私の予感に間違いがなければ、よりにもよって、あの方を!
・・・・私のギンが・・・・・・・
暗い感情に飲み込まれようとする意識を振り払うように、私はギンの手を引いて立ち上が
らせると、屋敷の方へと引き返した。
私が「日番谷冬獅郎」と対面したのはそれから二日後の事だった。
周りの時空を遮断している結界を鏡花水月で一閃すれば、そこには瞳の光を失った白銀の
髪をした少年が怒気を孕んで立ち尽くしていた。
――――あぁ、貴方だ・・・!
気を許した幼馴染の問い掛けに正気を取り戻した少年に歩み寄り、頭を垂れた。
「――――お久しぶりでございます」
「・・・えっ? あの・・・・・?」
面食らったように慌てる少年の態度に、彼の記憶が封印されているのだと見当がつき、僅
かな無念さを隠して当たり障りのない笑みを向ければ、氷輪丸を鞘に収めた後、素直に自分
の非を認めて詫びてきた。
「日番谷冬獅郎です。・・・ご迷惑をお掛けしました」
「うん。それでいい。さて帰るとしようか」
自力では立ち上がれない程に著しく霊力と体力を消耗している彼を四番隊に運ぶ為に、抱
き上げようとした私の腕を彼は必死に拒んだ。その理由は・・・!
「―――待たせている者がいるんです。・・・俺はあいつに相応しい身分を得て、早く迎え
に行ってやりたいんです!」
私はその言葉に瞠目した。
それではギンとこの少年は想い合っているということか、そして・・・。
「おかしいですか? あいつを綺麗だと思って! 美しいと感じて! ・・・だったら笑え
ばいい! でも俺はあいつをこの世で一番美しいと思っています!」
強い光を宿す瞳での激白。
例え、人の子の魂魄を偽っていようとこればかりは変わり様がないのだと痛感させられる
その麗質!
「・・・よく言った! ―――それで良いんだよ。日番谷君」
「・・・・・え?」
「自分が恋した相手を美しいと云えない男に、何の価値がある!」
常になく、本心から賞賛の言葉が口をついて出た。
自分でも苦笑を禁じえないが、ありのままを言えば、目の前の少年の変わらぬ気高さと、
ギンを賞賛されたことの両方が堪らなく嬉しかったのだ。
私は彼の精進に手を貸し、結果として、彼を卍解へと導いたのだった。
それから半年後、日番谷冬獅郎は正式に十番隊の隊長に就任した。
小さな身体に真新しい隊主羽織を纏い、新任の挨拶を述べる為に、一歩々々こちらに歩を
進めてくる姿に少し口角を上げる。
堂々としたその姿を一番見せたかったであろうギンは、私が送り込んだ虚の大軍と交戦中
だ。
自分でも幼稚な真似をしている自覚は充分にあった。しかし、比類ないほど強い光を宿し
ている翡翠の瞳が一瞬、残念そうに伏せられたのを見た時、暗い満足感が胸を満たした。
――――王者の瞳を持つ少年。―――君にギンは渡さない!
そう、絶対にそれだけは許さない。
しかし、ギンが日番谷冬獅郎を拒絶し切れなかったのは私の誤算だった。
早朝の朝もやが入り込んでいる室内で、小さな隊主羽織を胸に抱いて泣いているギンの背
後に立ち、だが、私は中々声を掛けられずにいた。
「・・・・・藍染隊長」
「何だい?」
「ボクの最後のお願い、聞いてくれますやろか?」
「・・・最後の?」
「はい。―――ボクの身体、燃やすにしろ、埋めるにしろ、この隊主羽織も一緒に・・・!」
「馬鹿なことを!」
一瞬、身体を流れる血が熱くなるのを意識する。お前が私を裏切ったのだと、殺してすむ
のならとっくにお前の首は落ちている。
私のお前に対する思いがそんな軽いものだと見くびっていたのか!
歯がゆい思いに眉間を寄せる。
「ボクを殺さんのですか?―――けど、ボクはあの子が死ぬのは見とうないんです」
「・・・日番谷冬獅郎は殺さないと約束するよ」
「え! ほんまにですか?」
泣き濡れた顔を上げるギンに私は小さく頷いた。
「あぁ。本当だ。・・・私が虚夜宮の王座に座るまでは決して彼の命を絶ったりしないと約
束しよう」
「・・・・・・・」
ギンに告げるつもりはないが、より正確に言うならば、日番谷冬獅郎は『殺さない』ので
はなく『殺せない』のだ。何故ならこの尸魂界での彼の身体が滅すれば、それと同時に彼に
施されている封印は破られるであろうと推測されるからだった。そして彼本来の身体は死神
の斬魄刀などでなんら損なわれるものではなく、彼の目覚めは即ち私の死を意味していた。
「・・・・・もう思い残すことがないのならば、二度と日番谷冬獅郎に近付くな。良いな、
ギン?」
「―――はい。藍染隊長」
従順に頭を垂れるギンを後に残し、私はゆっくりとした足取りでその場を去った。
涼やかな朝もやの中、あらゆる憶測と感情が渦巻く胸中を冷静に沈めながら、桜の林を通
り抜けようとした私の前に、思いも掛けない小さな人影が現れた。
「おはよう。惣ちゃん」
「・・・草鹿くん。こんなに朝早くから一人で散歩かい?」
花の色の髪をした幼い少女は、私ににこにこと笑い掛けてきた。
「剣八は一緒じゃないんだね」
「うん。剣ちゃんはまだグウグウ寝てるよ。あたし、惣ちゃんに話があって待ってたの」
その言葉に頭の中で警戒音が鳴り響く。
「・・・それは何かな?」
刀の柄に手を掛けたい本能を必死の理性で押さえながら、笑顔で相手の言葉を待つ。しか
しこの時、斬魄刀さえ携帯していない少女に対して、私は内心抑えきれない程の恐れを感じ
ていた。
「あのね、惣ちゃんが何をしてもあたしは別に構わないだけど、あんまり『天后』を怒らせ
ない方がいいよ」
「――――!」
「あたし達十二人の中で一番強いのは間違いなく『天一』だけど、でも一番おっかないのは
『天后』なの。そして『天后』は『天一』をとても大事にしてるの」
そりゃ、あたしだって天一は大好きだけど・・・と、続ける少女に対し、指の先が冷たく
なるのを実感する。
もとより、記憶と力を失っている自分達の主将を、十二天将の他の十一人がほおっておく
筈がなく、常に監視の目が光っているであろう事は察していたが、それがこの目の前の少女
だというのは余りにも以外だった。
――――いや、十二天将の内、女神は二人だけであり、その内の一人はまだ幼い少女の姿を
しているという。もし、それが本当ならば・・・。
「・・・何故、私にそんなことをおっしゃるのです、『大陰』様?」
私の問いかけに少女はふふふっ・・・と、さもおもしろそうに笑った。
「あたしだって、霊王の奴は嫌いだもの。あいつったら大現尊神の飼い犬の分際でいい気に
なりすぎてんだもの。惣ちゃんがあいつに代わって尸魂界を収めたいっていうのならそれで
も良いと思っているよ」
「・・・・・」
「『天一』ったら大現尊神があんまりしつこく迫るもんだから、うっとうしくなっちゃって
暫らくこの尸魂界に隠れていることにしたんだって。まぁだから今は自分が誰だか忘れてる
けどね。だから惣ちゃんも『天一』には構わない方が良いよ。『天一』さえ傷つけなかった
ら、惣ちゃんが新しい霊王になれると思うよ」
あたしの話はこれでおしまい。じゃあね・・・と笑って少女は瞬歩で姿を消した。その残
像に向ってぽつりと呟く。
「・・・・・霊王か・・・そんなものを望んだことは只の一度もありません」
私は長い間、じっとその場に立ち尽くしていた。
遂に尸魂界を後にするその日がやってきた。
「・・・一つ憶えておくといい日番谷くん。―――憧れは『理解』から最も遠い感情だよ」
大切な幼馴染を傷つけられ、私の言葉に怒りに震える彼の様子はまさに龍の逆鱗だったが
勝負はあっけなく付いた。
凍りついた周囲一面の建造物が氷の翼と共に砕け散り、彼の華奢な身体はその中へと沈ん
だ。色を失った彼の瞳を一瞥し、ギンを連れて歩み去る。
私はその足で『胞玉』を手にし、ギンと東仙 要と共に虚圏へと場を移した。
さぁ・・・これで何もかも仕度が整った。後は彼の来訪を虚夜宮の冷たい王座で待つばか
りだった。