私が市丸ギンを傍らに置くようになって、はや十数年の月日が流れた。

 私が心に描く計画も然したる障害も無く、着々と進行していたある日、一人の少年の名が私

の胸に小さくない波紋を生んだ。

 

「日番谷冬獅郎・・・と、云うんだね?」

「はい。私が流魂街で一緒に暮らしていた子なんです。凄い霊圧を持っているのに中々死神に

なるのを承知してくれなかったんですが、この春にやっと真央霊術院に入学する気になってく

れたんです」

 休憩時間の雑談で、さも嬉しそうにそう微笑む少女は、現在、我が五番隊の副隊長を勤めて

いる雛森 桃だった。

「シロちゃん、いえ、日番谷君は自分の斬魄刀も持っていて、もう始解も出来るんです」

「なんだって!・・・本当かい?」

「はい。私、翼を広げた氷の龍を何度か見ました。私の居た潤林安は治安は良かったんです

が、やはり時たま虚の襲撃を受けました。でもその度に日番谷君が『氷輪丸』で追い払って

くれたんです」

「『氷輪丸』?・・・それがその子の斬魄刀の名かい?」

「はい。日番谷君は『潤林安の守護者』なんて呼ばれて、皆から恐れ敬われています」

「それは凄いね」

 自分のことのように誇らしげに話す彼女に相槌を打ちながら、私は内心で眉を顰めていた。

 死神で無い者が斬魄刀を所持するなどということは有り得ない。だとしたらその日番谷冬獅

郎という少年が持つ『氷輪丸』は斬魄刀ではないということだ。――――まさか!

 

―――――なにか別の名を付けて、本来の力を封印せねばなるまいな。

 

 遠い過去に聞いた言葉が頭の中で蘇る。・・・まさか、そんなことが?

 

「・・・雛森君、その日番谷君というのはどんな子なんだい?」

 私の質問に彼女はぱっと瞳を輝かせた。

「日番谷君はとても綺麗な子なんです!―――銀色の髪に翡翠みたいな温かい碧色の目をして

いて、見掛けは十歳になるかならないか位に見えるのに、とても大人びた口を利いて、でもそ

れが不思議と似合ってるんです」

 

―――――!!!

 

一瞬だが、私の身体から全ての力が抜け落ちたのを感じた。

 

「・・・あの、藍染隊長、どうかなさいましたか?」

 表情を無くした私に怪訝そうに声が掛けられた途端、呪縛は解け、私は何時も通りの笑みを

取り戻した。

「なんでもないよ。・・・ところで、もう暫らくしたら私は隊主会に出なければいけないん

だ。後の事を宜しく頼むよ」

「はい。お任せ下さい」

 にっこりと笑い、私が飲み干した湯飲みを片付けて立ち去る小柄な身体を、私は感情ないま

まに暗い目をして見送ったのだった。

 

 

 

 

 

 私の予感は的中し、隊主会での議題は日番谷冬獅郎に感してのものであった。

 稀に見る高い霊圧を示した事で、例外中の例外として、真央霊術院の受験を免除され、のみ

ならず、一年後には長らく空席となっている十番隊の隊長に内定し、そしてその準備期間であ

る一年間は、出来うる限り、現行の隊長がその指導に当たるという過去に慣例がない決定が総

隊長の口から告げられたのだった。

「――――以上、しかと皆に頼みおくぞ。―――解散!」

 総隊長の締めくくりの挨拶を待って、集っていた隊長達が三々五々に動き出す。私は十三番

隊の浮竹と談笑しながらも、横目で市丸の姿を探していた。

 五番隊の副隊長を経て、今は三番隊の隊長を勤めている市丸は、八番隊の京楽と話しをして

いたが、視線に気付いたのか、一瞬だけ此方に瞳を向けた。それを見逃さず、視線に気を込め

る。

(――――今夜!)

 何事もなく京楽と共に歩み然る市丸の背中が、私に無言の肯定を返しているのが解かった。

 

 

 

 

 

 市丸の屋敷の縁側で、望月の朧月が深い藍色の天空に座しているのを眺めながら一人杯を干

して、私は市丸の帰りを待っていた。

 満開を過ぎた桜の花弁が僅かな風に煽られて舞い落ちる様に、自然と頬が緩むのを自覚す

る。

 この市丸の屋敷は彼が三番隊の隊主に任じられた時に、私が腕利きの宮大工に細かい指示を

出して施工させた物だった。

 大した規模でもなく、また決して華美に成らぬように、しかしその反面、紫檀や黒檀といっ

た高価な木材を惜しげもなく使用し、高雅な趣味に誂えたこの神殿作りの屋敷の、広い庭とそ

の周囲には、数多の種類の桜の木を百本も配置した。

『こないぎょうさんの桜を植え張るんですか?』

 不思議そうに聞いてくる市丸の顔を昨日のことの様に思い出す。

『そうだよ。ギンは桜の花は好きではないのかい?』

『いいえ。そないなことありませけど、桜は管理が大変で植えっぱなしというわけにはいきま

せんやろ?』

『よく知っているね。大丈夫だよ、ギンは何も心配しなくていいんだ。全て私に任せなさい』

『はぁ・・・。まさかと思いますけど、藍染さんが自分で桜の手入れをしはりますの?』

 私の桜への執着が理解出来ずに茶化してくる市丸に小さく笑う。

『そうだよ。・・・私の幼い頃の夢はね、桜専門の庭木職人になることだったんだ。そしてそ

の合間に、塵一つ無いように主人の屋敷の中をぴかぴかに磨き上げるつもりだったんだよ』

『ええっ!』

『ふふ・・・びっくりしたかい?』

驚く市丸に対し、自傷気に私は笑った。

『でもまぁ流石に今はそんな暇はないからね。信頼出来る専門家に頼むことにするよ。―――

この瀞霊廷、いや、尸魂界一、美しく咲く花を咲かせてくれるようにね』

『・・・はぁ。ほんなら、あんじょうよろしゅうお願いします』

『ああ。任せておきなさい』

 ぺこりと頭を下げる市丸に私は微苦笑で応えた。

 

――――つまらない未練なのだと自分でも判っていた。だが、己の住む屋敷に大した拘りを持

たなかった私が、市丸が自身の屋敷を準備すると判った時点で、あれこれと口を出さずにはい

られなかった。

 

 

 

 はらはらと風に舞い落ちる薄紅色の花弁を見るとも無しに眼を向ける。

 

―――――そう、ここは私の『桜の宮』だった。

 

「藍染さん、お待たせしてしもうてかんにんなぁ・・・」

やがて屋敷に帰ってきた市丸に寛容に頷く。

私の期待を裏切ることなく、高い戦闘能力を有し、そして美しく成長した市丸に私は深い満

足を覚えていた。

 

「―――そう云えば、京楽の話は何だったんだい?」

 上背は私と代わらぬ程に高くなったものの、頼りない程に細い腰を抱き寄せ、淡い花の様な

市丸の薄い唇にくちづけてから問う。

「藍染さんが憂慮しはるようなことは何も・・・。」

 市丸は京楽との遣り取りを簡潔に私に説明した。

 

「恋・・・か、確かに恋に溺れている者にとっては、その対象は全世界の何物より手に入れる

価値のあるモノだろうな」

「――――藍染さん?」

 遠い昔の幼い日、私が胸に抱いたのは恋心ではなかっただろう。しかし・・・

「・・・・ギン、私もね、恋とは違うが、ずっとずっと探し求めている者がいるんだよ」

「藍染さんの『運命の相手』ですか?」

「そう。――――私を斬ってくれる者を、だよ」

「―――!」

 私の以外な言葉に驚き、絶句するギンを労わるように、銀糸の髪を梳き、首筋に唇を寄せ

る。そうしながら、自分自身が癒されているのを自覚していた。

 

 

私が遣り遂げようとしていることを知れば、『貴方』は決して私を許しはしないでしょう。

 

 今すぐとは云いません。『貴方』が私に望んだ王道と真逆の道に進んだ私を、『貴方』御自

身の手で屠って下さい。

 

 私は『貴方』の来訪を虚夜宮の王座で待ちましょう。

 

 それが今の私の、唯一つの暗い希望なのです。

 

 

「さぁ、おしゃべりはもう終わりにしよう。―――私に安らぎをおくれ、ギン・・・」

 どうゆう訳なのか、市丸が傍にいれば、くだんの夢を見ない私は、彼の身体を横抱きにし、

褥に寝かせ、ゆっくりと身体を重ねていった。

 

 

 

 

 

 暁にはまだ遠い時間、腕の中から市丸の身体が擦りぬける感触に眼を覚ます。

「ギン?」

 不審に思って声を掛ければ、庭を散歩して来たいのだと私に告げ、私は鷹揚にそれを許し

た。

「おおきに、大好きや藍染さん」

 私の頬に柔らかなくちずけを供し、身軽に部屋を出て行くギンを苦笑で見送る。

 実際、私は市丸を甘やかすのを愉しんでいた。

 あいまいなものを好み、何を考えているのか、私ですら掌握しきれない彼を手元に置く、そ

の刺激と不思議な安らぎは、私にとって心地良いのであると認めざるを得なかったのだ。

 

 そんな私の脳裏に突如言い知れない不安が走ったのは、市丸が部屋を後にして暫らく経って

からだった。

 

――――なんだと云うのか、この全身を貫く焦りにも似た動揺は!

 

 私は夜着の上に羽織を羽織るや、瞬歩で市丸の後を追ったのだった。

 

 
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