「・・・話は変わるがな、天一」

「なんだ?」

「ぬしの横に座っている童をわしに譲っては貰えまいか?」

宴たけなわでの閻魔王の問い掛けに、広間のざわめきがぴたりと止み、閻魔王の白い指先が指し示された私は息

を呑んで、天一神の言葉を待った。

「惣右介をか・・・」

「うむ。その童、容姿よりも更に勝れし才を持っておるな」

「あぁ。気付いたのか」

「ぬしが妾だと云うたは冗談なのであろう? 本当はぬしの宮の家老にでもするつもりなのであろう?」

「さて、どうだかな・・・」

「頼む。わしに譲ってくれ!―――勿論、ただでとは云わん」

閻魔王の合図を受けて、一匹の鬼が高槻(たかつき)を捧げ持って現れた。

閻魔王の手で高槻に掛けられていた白い布が取り除かれたそこにあった物は、虹色に輝く小さな丸い水晶珠だっ

た。

「これは?」

天一神の問い掛けに閻魔王が得意そうに胸を張る。

「東海竜王殿より賜りし宝珠じゃ。この珠を飲み込めば水中にあっても常と変わらぬ息が出来る」

「ほぉ」

「戦好きのぬしのことじゃ、いつ何時蛟の眷属と合戦になるやもしれぬ。だがこれがあれば海の中の戦いでも存分

に力が振るえようぞ」

「ふむ。確かに便利な品だな。―――だが惣右介にはそれ以上の価値がある」

きっぱりと告げられた言葉に安堵すると共に、私の胸に天一神に対する感謝の念が湧き上がる。

いくら無事に帰してやると約束してくれたとはいえ、神にとって人の子との口約束などあって無きが如しの様なもの

だ。何より、今、目の前に置かれているのは天一神の目から見ても貴重な宝に違いなかった筈だ。

「・・・・・駄目か?」

「あぁ。ダメだ」

残念そうに呟いた閻魔王はしかしここであっさり引き下がらなかった。

「それでは遠見の水鏡はどうじゃ? この冥界、そして天界、人界はもとより、あらゆる場所のありとあらゆるものを

映し出す魔鏡ぞ。どんな失せ物であろうがこれに探し出せぬ物はない」

「ふぅ〜〜〜ん。まぁ、あればあったで役に立つのであろうが、今の俺には必要ない。―――もしどうしても探したい

大事な物なら自分で探すしな」

あっけらかんと言い放つ天一神に閻魔王は「ならば翡翠の玉座はどうじゃ? ぬしの瞳と同じ色をしたそれは美しい

玉座ぞ。この世に二つとない物ぞ」と、言い募り、天一神は「俺を痔にする気か」と眉を顰め、広間に笑いが起こる。

「ううむ・・・・・それでは黄金の金剛石はどうじゃ? ぬしの顔程もあろう大きな・・・」

「文鎮の代わりにもならんような物はいらん。もう諦めろ、ヤマ。こう云ってはナンだがお前が持っている物は俺の

手元にも似たような品がある。それに何と引き換えでも惣右介は譲らん」

「―――何と引き換えでもか?」

「あぁ。そうだ」

「ふむ。ならば奥の手を出すとしよう」

閻魔王の合図に、又、暫らくして鬼が何かを捧げ持って現れた。

「あのなぁ、ヤマ。いい加減しつこいと・・・っ!」

言葉の途中で天一神の顔色が変わり、瞳の瞳孔が見開かれるのを私は傍近くで見た。

鬼が恭しく天一神の目の前に置いたのは一振りの見事な太刀だった。

それを目にした異形の者達の間でざわめきが起こった。

「おお! 見よ! あれは・・・」

「大紅蓮じゃ! 閻魔王殿が一千年懸かって鍛えし業物ぞ!」

「おおっ!」

「おおっ!」

広間が揺れた様にどよめいた。

「天一殿は以前よりあの太刀を強く希望しておいでであった」

「ふむ。それはここにおる誰もが知っておることじゃ」

異形の者達のざわめきがあちらこちらから津波のように押し寄せてくる中、私はただじっと天一神を見つめていた。



「あ・・・あぁ・・・・・大紅蓮!」

今まで提示されたどんな宝にも興味を示さなかった天一神の腰が浮き、目の前の太刀を凝視している。

「どうじゃ天一、この大紅蓮と引き換えならば文句はあるまい?」

高らかな閻魔王の笑い声に、私は俯き固く目を閉じた。

天一神は明らかに大紅蓮と呼ばれる太刀に魅入られている。・・・自分はもう現世へは帰れないのだと覚悟した。

だが・・・・


「―――いや、惣右介は大紅蓮とも引き換えぬ!」


子供特有の高い声域の、しかし凛とした天一神の言葉に広間は静まり返ったのだった。

「・・・・・い、今、なんと云うたのじゃ天一!」

「耳が悪くなったのか?ヤマ。・・・惣右介は大紅蓮とも引き換えんと云ったんだ」

我が耳を疑ったらしい閻魔王に再度同じ様に応えを返した天一神は、私の方を振り向いてにっこりと笑いかけた。

「惣右介には何物にも替え難い価値がある」

「―――――!」


私の視界は溢れる涙に邪魔されて不明瞭だったが、この時の天一神の笑顔は終生の宝物となった。



しかし、取っておきの切り札をそでにされた閻魔王は収まりがつかないのか、標的を天一神から直接私へと変えた

のだった。

「ううむっ・・・。じゃがのう天一、ぬしに仕えるよりこの冥府の役人となる方が富も溜まろうし、力もつけられようぞ。

その童、働き次第ではこの閻魔宮の大臣にもなれる器じゃ。もったいとは思わぬのか?」

「・・・・・それは俺が決めることではない」

少し迷うようにそう云った天一神はチラリと私に視線をくれたが、溢れる涙を拭った私の心は決まっていた。

「どうじゃな、そなたこのわしに仕えぬか?」

閻魔王に花のような微笑を向けられた私は、一旦相手の目をじっと見据えた後、両手を合わせて頭を垂れた。

「もったいないお言葉ながら、辞退申します」

平伏した私に暫くして閻魔王の溜息が聞こえた。

「・・・・・ならば是非もない。仕方がないのぅ」

――今の私は相手が冥府の王であろうとも恐ろしくはなかった。ゆっくりと身体を起こし、失礼に当たらない程度の

節度を守って相手に微笑み返す事が出来た。

しかし、それを目にした閻魔王の瞳に、新たに興味を掻き立てられた光が宿ってしまったことには気付かなかった。

「・・・惣右介、と云うたな、見ておれば先ほどから何も口にしておらぬようだが遠慮はいらぬのだぞ。いずれも吟味

を重ねた山海の珍味じゃ。さぁ、食するが良い」

閻魔王が私の前におかれた馳走にふわりと手を翳した途端、沈丁花のような得も云われぬ良い香りが鼻腔をくすぐ

った。と思った途端、猛烈な飢餓感が突如私を襲ったのだった。

「・・・あ・・・かはっ・・・・・」

喉を掻き毟らんばかりの乾きと飢えに前屈みにつっぷした私に緊迫した、そして怒りを伴った天一神の声が届いた..。
.
「しっかりしろ、惣右介。・・・・・止めぬか、ヤマ!」

「何を慌てているのだ天一、この者は『ひとでなし』なのであろう?人の子でないならば『よもつへぐい』を食したとて

なんの差し障りもあるまい」

「―――ぅ!」

平然とした閻魔王に、天一神の眉間に深い皺がよる。

恐らく閻魔王は私が人の子であるということを最初から見抜いており、私を人と知りながら試しているのだ。

目の前が朦朧となり、けぶる思考で、私は夢中で目の前の食べ物に震える手を伸ばした。

「ダメだ。惣右介!」

天一神の叱責を払いのけるように、猛烈な飢餓感に、手にした焼いた獣の肉を口元に運ぶ。

「惣右介!」

悲痛とも取れる天一神の声が耳を打ったが、私はそのまま肉に齧り付いた。

―――己の右腕に・・・。

「惣右介!」

獣の肉を握ったまま、自分の腕を食いちぎろうとした私の顔を、信じられないような強い力で、天一神が引き剥がし

た。

「やめよ!惣右介」

「――う・・・ぅぅ・・・・・」

天一神が引き剥がすのがもう少し遅ければ、確実に自分の腕の肉を食いちぎっていたであろう私は獣のように呻

いた。だらりと垂れた右腕からはドクドクと血が滴っている。

「誰か、早う傷の手当てを!」

天一神の叫びにいち早く動いたのは、なんと閻魔王だった。

「・・・見せてみい。まったく、『ひとでなし』殿は無茶をするものだ」

「・・・・・」

確かに獣の肉を口元に運んだ時はそれを食すること意外考えてはいなかった。だがその肉に齧り付く直前に天一

神の言葉が心に蘇ったのだ。


―――惣右介は大紅蓮とも引き換えぬ!


喉から手が出る程に欲していたに違いない宝を、私の為に諦めてくれた美しい神。

―――私の神・・・。



閻魔王が私の腕を一撫でするや、滴り落ちていた血がぴたりと留まり、裂けていた肉も元通りに直っていた。

更に不思議なのは、あれ程私を苦しめていた飢餓感が今は全く感じられなくなっていたのだ。

「・・・・・惣右介、それ程に天一と共に在りたいか?」

「はい」

ややあっての閻魔王の問い掛けに私ははっきりと応えた。

「ふむ。ほんにこやつは神も人も魅了する。・・・ならばそなたのことは縁無きものと思い、今度こそ諦めよう。そなた

は己の望む通り『桜の宮』の守り人となるが良い」

「―――『桜の宮』?」

「そなたの主、『天乙貴人上神』が住まいする宮じゃ。そこは何故か常に夜での、望月が天空に座しておる。そして

何より見事なのは月明かりの中、絶えず桜の花弁が静かな風に乗って舞い落ちている様じゃ」

「・・・・・・・」

云われた風景を頭の中で描き、私の心は次第に落ち着きを取り戻した。

「こやつは事の他桜花を愛でておっての、百合と水仙の見分けもつかぬくせに、桜の花だけはどんなに遠くからで

も梅や桃の花と見間違えることがないのじゃ」

閻魔王の揶揄するような視線を向けられた天一神はふんと腕を組み、口を開いた。

「・・・桜は間近で繁々と見る物ではない。・・・・・ヤマ、俺達はそろそろ暇乞いをする。世話を掛けたな」

「そうか。愉しい一時であった。まぁ、ぬしも何も食せ無かったからのう。・・・宮へ帰ってゆっくり酒でも飲むが良い」

「そうしょう。―――行くぞ、惣右介」

「はい」

私はこの時初めて、天一神が酒の一滴さえ口にしていなかった事に気付いたのだった。そしてそれはおそらく私を

気遣ってのものであることも・・・。

「待て、天一」

「何だ?」

新たな感謝の念を抱いた私を即して歩きだそうとした天一神を、閻魔王が呼び止めた。

「持って行け」

「・・・・・?何をだ?」

「大紅蓮よ!・・・その童に免じてぬしに貸与してやろう。持って行くが良い」

「―――!本当か?」

天一神の貌が喜色に染まる。

「ふむ。・・・・・返すのは何時でも良いぞ」

「恩に着る。ヤマ!」

さも嬉しそうに太刀を抱いた天一神に閻魔王が苦笑を零す。

「そうして無邪気な様は誠に幼子のようだのぅ。・・・一言云うておくがその大紅蓮をこの冥界と天界以外で解放して

はならぬぞ。・・・尸魂界でも駄目じゃ」

「判っている。・・・何か別の名を付けて本来の力を封印せねばなるまい。力も百分の一程まで落とさねばなるまい

な」

少し残念そうにそう云う天一神に閻魔王が大きく頷いたのだった。




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