閻魔宮は見上げるばかりの巨大な、そして荘厳な唐風の建物だった。

輿が大門を潜り、長い階段の端に寄せられるや、空想上の者としか認識していなかった地獄の番人達が御輿を出

迎えた。

「天一様、ようこそのお運び、恐悦に存じます」

「中で、閻魔王が首を長くしてお待ちでございます」

牛の頭と馬の頭を持ち、甲冑を身に着け、手に槍を持ち、腰に刀を差した巨大な鬼が二匹、輿から降り立った天一

神の前に恭しく跪き挨拶を述べる。

「牛頭大王、馬頭大王、久しぶりだなぁ」

自分の身丈の三倍はあろうかという相手に気安く返事を返した天一神が、輿の中で萎縮している私に声を掛けて

きた。

「惣右介、お前も降りて来い」

「は、はい」

戸惑い、まごつきながら、恐る恐る輿から降りた私に地獄の徒卒が興味深そうに眼を向けて来た。

「天一様、失礼ですがこちらは?」

牛頭大王の問い掛けに天一神はことも無げに応えた。

「惣右介は俺の愛妾だ。閻魔宮を見物させてやろうと思って連れて来たんだ」

云われた応えに顔が赤らむ私に構わず、今度は馬頭大王が恭しく頭を下げた。

「それはそれはようこそのお越しです。ささ、奥へお入り下さい」

天一神の云った言葉にまるで疑いをもたぬように、両大王は先頭に立って歩き始め、その後を天一神と私、そして

幾人かの鬼達が続いた。



思えば本当に不思議な光景だっただろう。

この世ならざる場所で、この世ならざる者達に囲まれて、まだ少年でしかない人の子が閻魔宮の奥深く歩を進めて

いるのだから。





やがて私たちは朱塗りの太い柱が立ち並ぶ広い広い部屋の中へと通された。

幾千、いや幾万の蝋燭が赤々と灯されたその部屋は異形の者達で犇めき合っていた。

「天一様の御成りでございます!」

牛頭大王が部屋の入口で大音声で告げるや、その異形の者達の目が一斉にこちらに向けられた。

「おお、天一様じゃ。道を開けよ。閻魔王殿の元までお通しせねば」

鳥の頭を持つ異形の者の声掛けで、ざっと道が開き、私はようやく部屋の中央を目にする事が出来た。

そしてその部屋の中央、一段高くなっている高麗の畳に座している者を見て息を呑んだ。



そこに座っていたのは私が今まで見たこともない、そしてこれからも見ることはないであろうと思われる程の美しい

女だった。

桜襲(さくらがさね)の裳唐衣を身に纏い、長い翠の黒髪に透き通るような白い肌、黒曜石の様な瞳にほんのりと紅

い唇。―――その美しさ、まさにこの世のものではない。



だがさらに驚いたのはその美姫が口を開いた瞬間だった。

「やれやれ、ようやく来たか。待ちかねておったぞ、天一」

その花のような唇から発せられた声は野太い男のものだったのだ。

「しきたりに従って訪うのは苦手なのだ。何故一々輿に乗って来なければならんのだ」

憮然としながら中央に向って歩を進める天一神の後に従うながら廻りを見渡せば、あちらこちらから好奇の視線を

返され胸の鼓動が早くなった。

「仕方があるまい。そういう決まり事なのだから。・・・それにしても今回は珍しく客人を伴っておるのだな」

「あぁ。これは俺の気に入りの新しい妾だ」

「ほぉ・・・ぬしに妾がいたのか。確かに中々の美童だが。―――名はなんと申される?」

閻魔王の傍近くに来た私に直々に声が掛かった。

「―――藍染惣右介と申します」

声が震えていまうのは仕方がないだろう。なにしろ相手は冥府の王なのだから。

「ふむ。人の子に見えるがそうではないのか?」

「・・・・・私は『ひとでなし』でございます」

私は前もって天一神に教えられていた通りの返答を返した。

「『ひとでなし』か・・・成る程のぅ・・・・・」

閻魔王の黒い美しい瞳がじっと見つめてくるのに、内心で冷や汗をかきながらも、手を握り締めてぐっと耐えている

と、いきなり私の前に立っていた天一神が呆れたように口を開いた。

「惣右介の詮索などどうでもいいだろう。それよりもヤマ、お前こそそのナリはなんなのだ?」

腕を組んで眉を寄せ、斜に閻魔王を見つめる天一神が助け舟を出してくれたのだとは私は咄嗟には理解出来なか

った。それ程その声は平穏だった。

「これか?これは勿論ぬしの気を惹かんが為じゃ。どうじゃ、美しかろうが?」

にっこりと笑い掛けられた貌は、世のどの様な男とて魂を抜かれそうな魅惑的なものだったが、天一神はつまらな

そうに顎を杓った。

「確かに美しいとは思うが、だからどうかと云われてもな。・・・それよりお前はいつまで俺と惣右介を立たせておく

つもりなのだ?」

「・・・・・つれないのぉ・・・」

悩ましい閻魔王の吐息と共に鬼達が天一神の為に閻魔王のすぐ横に座を設え、酒やようような沢山の食べ物が廷

された。

「惣右介、俺の横に座れ。そして楽にしていろ」

「はい」

天一神と私が座に着くや、再び宴が盛り上がり、鬼達が樂を奏で始めた。

異形の者達、妖物達がそれぞれに酒を酌み交わし、人語を操って会話を愉しんでいるのは実に不思議な光景で、

私は辺りの観察に夢中だった。



「・・・時に天一、そなた北惇大帝殿から姫を娶る話はどうなったのだ?」

「ああ、あれか、すぐにお断りしたさ」

「何故じゃ? ぬしにくれると云うたは北惇大帝殿の三番目の姫であろう、天界一の美姫と云われておるのだぞ。

それに北惇大帝殿の娘婿となればぬしの身とて・・・」

「止せよ、ヤマ。何故俺が見も知らん娘を妻に迎えねばならんのだ。馬鹿馬鹿しい」

眉根をよせ、幼い貌に似合わない大人っぽい表情をして否定を露にする天一神に、閻魔王が心配そうな声で尋ね

た。

「それでお断り申し上げてぬしに咎めはなかったのか? 聞いたところによれば北惇大帝殿は六人いる姫の中でも

特に美しい三の姫を溺愛しておられるそうだぞ。幾人もの名のある神が姫を貰い受けたいと頼んでも相手にせず、

ご自分の目に適う者を長年探しておられたそうじゃ」

「ああ・・・だからなのか。確かにあの爺様、鼻息荒く俺の宮に怒鳴り込んできやがったからなぁ」

得心が要ったというように何度も頷く天一神に閻魔王が慌てた様に膝を進めた。

「何をされた?何の咎めを受けたのだ?」

「別に大した事ではない。―――そんなに色恋沙汰が煩わしいのならずっと幼形のままでいろと、呪いを懸けられ

ただけだ」

こともなげに告げられた言葉を聞いてしまった私は、無礼を承知で天一神の美しい貌を見つめてしまった。

―――それではこの方はこれから先、ずっと童の姿なのだろうか。

「それではぬしはずっと童形のままなのか?・・・その呪いを解くことは出来ぬのか? 我はぬしの成長した姿が見

たいぞ!どれ程美々しかろうとずっと愉しみにしておるというのに」

無念そうな閻魔王の言葉に私は内心で頷いた。

「今の俺の力ではあの爺様に太刀打ちは出来ん。まぁ呪いは俺が『恋』をすれば解けるそうだがな」

「『恋』か。ぬしの一番苦手な範疇ではないか。それでは何百年経っても呪いが解けんかもしれん。さっさと北惇大

帝殿に詫びを入れて呪いを解いてもらえ。元々あの方はぬしをかっているのだ。だからこそ一番可愛い姫を下され

ようとしたのだからな。ぬしが素直に頭を下げれば許してくだされようぞ」

「そうして娘を押し付けられるのか?」

「当然だ。名誉なことなのだぞ」

「ヤだ!俺の伴侶は自分で決める。それに別にずっとこの姿のままでも差しさわりはない」

ふん、と、そっぽを向く子供らしい天一神の造作に私は苦笑を噛み殺し、閻魔王は美しい顔を曇らせた。

「わしはぬしの成人した姿が見たいと云うたであろうが」

「・・・いくら興味がなくとも俺だってそのうち『恋』とやらをするさ」

「何時になるのやら・・・」

「まぁ気を長く持って待っていろ。―――自分で云うのもなんだが『恋』はその内俺にも訪れる」

「・・・・・それはぬしの『予言』か?」

「あぁ。そう取ってもらっても構わん。―――俺の最初で、そして最後の恋だ」

「・・・ぬしが恋をするなら、それは黄金の恋であろうなぁ」

「黄金の恋か?」

「そうだ。この冥界でも、そして天界でも、歌に読まれるであろう程の恋であろうなぁ・・・」

感慨深そうな閻魔王のその言葉がいつまでも私の胸に残ったのだった。



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