寺院の歴史

・文明3年(1471年)〜文明7年(1475年)蓮如上人が吉崎(福井県)滞在中、教西(初代)が道場(寺院の前身となるもの)を創建。これが正覚寺の始まりである。《「寺社由来書上」による》

・現存している寛文9年(1669年)の阿弥陀如来絵像の裏書に「泉 正覚寺寺物」とある。1600年代半ばには当地である泉の地に御堂が建てられていたと考えられる。


・金沢大学教授の故井上鋭夫氏の著「本願寺」では、『三門徒派は、・・・・蓮如の時期まで北陸における大きな教団だったと考えられる。・・・・家紋がかりがね紋で・・・・越中に水野姓の寺があり・・・・』とある。
 当寺はまさに「藤ニ頭合セ三ツ結雁金」の紋であり、姓は水野である。
 従って、井上氏の説に従えば、蓮如上人が北陸の地に教えを広める以前に、大きな勢力を持った一団、「三門徒派」であったと考えられ、そのルーツは三河(愛知県)だと推測できる。(現在でも愛知県には水野の姓が多い)
 蓮如上人の巧みな教線の拡大策によって、ついに蓮如上人の配下に入ったと思われる。