市民運動の高揚と終焉:2004〜2008年
村井宗行

(注:2011年8月9〜13日にモンゴルで開催される「国際モンゴル学者会議」(国際モンゴル学会)での発表用日本語草稿です)

民主同盟連合政権(1996〜2000年)の腐敗を批判して誕生した、新生・人民革命党エンフバヤル政権(2000〜2004年)は、当初の期待から外れ、従来のIMF路線を継承することによって、「貧富の差の拡大」と「貧困・失業」を招き、2004年国家大ホラル(国会)議員選挙での実質上の敗北を喫した。

この結果、人民革命党と野党との「大同盟政権」が誕生した(2004〜2008年)。

この大同盟政権は、野党であった「祖国・民主同盟」が解体することによって、人民革命党主導の連合政権に変化していった(2006〜2008年)。

こうした政治・経済状況の中から、「市民運動」が誕生した。

まず、「ズールン・エフ」協会による詐欺被害者たちがアメリカ大使館前のマンホールでハンガー・ストライキを敢行し、「ズールン・エフ」協会による「詐欺」からの「補償」と、当協会を監督する社会保障労働省の監督責任を糾弾した。

この人々の一部は、その後、「老年者自由同盟」を結成し、「貧困対策」を政府に要求して、デモ集会を行うようになっていった。

次いで、「健全な社会のための市民運動」(2005年2月)が始まった。

「健全な社会のための市民運動」のスローガンは、「汚職反対」、「鉱山部門をモンゴル人の手に」、「貧困対策」などであった。

この運動は、当初、広く市民たちの共感を勝ち得た。

「健全な社会のための市民運動」に刺激を受け、オンギ川での金採掘に伴う「環境汚染」に反対する「牧民たちの運動」は、その声をさらに強めた。また、「貯蓄信用組合」詐欺被害者たちは、「詐欺被害からの補償」を政府に求めて運動を起こした(政府が貯蓄信用組合法を制定したため)。

ところが、その後、市民運動は、明確な成果を勝ち得ないことにいらだち、暴力化していった。その結果、彼らは起訴され、国民の支持を失っていった。

そこで、これらの市民運動は、方向転換を余儀なくされた。

一つの方向は、「市民運動の政党化」であった。この方向は、グンダライによる「国民党」創設(2005年12月)が刺激になっている。「国民党」は、グンダライが自らの汚職による起訴へのおそれから、民主党へ「保護」を求め、再入党したため、グンダライおよび国民党は、国民の支持を失った。

「健全な社会のための市民運動」は、「市民運動党」を結成した(2007年12月)。その目的は、そのメンバーたちが2008年国家大ホラル(国会)議員選挙に立候補して当選することであった。こうして彼らの主張が私的利益へと矮小化することによって、国民からの大方の支持を失っていった。

もう一つの方向は、「市民運動体の統一」であった。その中から、С.ガンバータルたちの「ソヨンボ」運動が結成された(2006年8月)。この「ソヨンボ」運動は、「反対のための反対」ではなく、政府と実質的な交渉を行い、その結果、具体的な成果を一部で勝ち得ていった。例えば、身体障害者たちのスト(2008年6月)への支援、鉱山法改正作業グループへの参画などで、具体的な成果を勝ち取った。

その後、С.ガンバータルは、「モンゴル労働組合連合」議長に就任し、労働運動家に転身していった(2007年6月)。

こうして、2008年国家大ホラル(国会)議員選挙に突入した。市民運動家の主張が国民からの支持を失っていたので、市民運動出身の候補者たちは、議員当選を果たせなかった。

彼らは、その結果に怒り、2008年7月1日の人民革命党本部焼き討ち事件を引き起こした。

この事件は、2006年に首相を解任された後、政権倒閣運動に狂奔した民主党党首エルベグドルジの煽動が事件の導火線となった。

人民革命党本部焼き討ち事件の財源は、再生・「市民運動党」党首がオーナーをしていた「アノド」銀行からの資金であった。

いずれにしろ、市民運動が高揚した背景には、IMF路線による資本主義の侵入、その結果としての「貧富の差の拡大」、「汚職の蔓延」、「失業」などの現象があった。

こうした現象を克服するためには、「IMF路線=資本主義路線」ではなく、モンゴルの社会主義的伝統を背景にする、「長期的な展望に立つ総合的な対策」を必要とする。

短期的な成果と政党化=自己利得化を求めることによって、ほとんどの市民運動は崩壊していったのであった(一部の市民運動家を除いて)。



<2004-2008年表>

・2003年12月15日、米国大使館付近でハンストが行われた。参加者の大半は、「ズールン・エフ協会」事件の被害者。「ズールン・エフ協会」は、日本の業者とタイアップして、モンゴル人を日本に派遣するとして、124人から3500ドル集めた。当協会理事長ツェレンデジドは、日本側との交渉に現れず、姿をくらました。そこで、3ヶ月後、日本側は契約を取り消した。スト参加者たちは、当初、自由広場でストを予定していたが、警察が禁止したので、米国大使館付近に場所を変更した。参加者73人(うち妊婦3人、高齢者7人)。スト参加者たちは、「ズールン・エフ協会」に対し、集めたお金を返却するよう要求。
・2003年12月26日、エレル社税滞納270億トグルグ。地裁と高裁は1億2450万トグルグと認定。最高裁は、それを支持した。
・2003年12月31日、臨時国会が開会され、政府に対し1000億トグルグまでの国債発行権を承認した。予算委員会委員長Н.バヤルトサイハンによると、その目的は、マネー・サプライを増加させること、予算の原資とすること、である。また、その一部が、対ロシア負債2億ドル返済に利用される。外資企業が率先して購入。
・2004年1月9日、2003年度秋期国家大ホラル(国会)が閉会した。
・2004年2月1日〜7月1日、野菜、小麦の輸入関税が期限付きで廃止される。自国産小麦が国内需要の31.3%しか満たさないため。価格の安定化を目的とする。
・2004年2月13日、第三バス社(バス3)を告訴していた労働者が裁判に勝訴した。スフバータル区裁判所は、2003年10月22日から2004年2月13日までの給与を支払うように命じた。
・2004年2月14〜15日、「祖国・民主」同盟は、街頭演説をして、子供たちに1万トグルグ、アパート4万戸を供給する、と宣伝した。これに対し、人民革命党は偽りの約束であると抗議した。
・2004年2月17日、NICが民営化され、ペトロビス社が約850万ドルで落札した。
・2004年2月2〜17日、モンゴル政府は、丸紅香港支店が提訴していた裁判に勝訴した。
・2004年3月22日、「ズールン・エフ」協会被害者によるハンガーストライキ参加者は、社会保障・労働相副大臣С.チンゾリグと交渉を行った。
・2004年2月23日、民主党、民主新社会党、市民の意志・共和党による「三角同盟」が成立した。
・2004年4月5日、2004年度春期国家大ホラル(国会)が開会した。
・2004年4月19日午前7時、「エバトレイド」社は、ミニバス30台を隊列を組んで交通警察署に乗り付け、自分たちの要求への回答を求めた。彼らは、交通警官がミニバス運転手の免許証を提示させたり、ミニバスを不当に停車させ運行を妨げたり、賄賂を要求したりすることを止めるように要求していた。10時、交渉が開始された。10時30分、両者が合意に達した。団体交渉に参加した運転手の一人は、これは全ミニバスの問題である、と語った。
・2004年4月21日、国家大ホラル(国会)議員選挙に立候補する、7党と1同盟が選挙管理委員会に登録された。
・エンフサイハン:「祖国・民主」同盟が勝利した。
・2004年7月1日16時、グンダライ、バト=ウールたち「祖国・民主」同盟が、国営放送局を「襲撃」した。
・「ズールン・エフ」協会被害者はまだ台湾に派遣されていない。
・2004年7月2日14時、エンフサイハンたちは、「祖国・民主」同盟本部前での集会後、15時、選挙管理委員会に行き、再投票中止を要求した。選挙管理委員会は、裁判所による再投票延期決定を受け、再投票延期を発表した。
・2004年7月5日、「公明選挙運動」が自由広場で集会を行った。「祖国・民主」同盟による放送局襲撃を非難。1万トグルグで国民を欺いた。ダルハン、ヘンティー、フブスグル、セレンゲ各アイマグからも参加。請願書を大統領、憲法裁判所、人権委員会に提出し、8日までに回答するように要求。
・2004年7月7日、選挙管理委員会委員長Ж.ヤダムスレン、事務局員Ж.スフバータルは、バガバンディ大統領に会い、選挙結果を報告した。それによれば、「人民革命党36人、「祖国・民主」同盟34人、共和党1人、無所属3人」である。残りの第24、59選挙区の数カ所の投票場での再投票については裁判所が決定する、という。
・2004年7月8日、バガバンディ大統領は、人民革命党党首エンフバヤル、民主党党首エンフサイハン、民主新社会党党首エルデネバト、市民の意志・共和党代表オヨン、共和党党首ジャルガルサイハンたちを大統領府に招き、7月9日11時に、国家大ホラル(国会)第1回会議を招集することを通知した。これらの党が話し合って、「協力して政府を作る」よう要請した。
・2004年7月8日、自由広場で開かれた「公明選挙運動」(参加者100人)は、再選挙を要求すること、「祖国・民主」同盟が不正手段で選挙に勝利した、人民革命党を支持する、と宣言した。
・2004年7月9日、バガバンディ大統領の職権により、第1回国家大ホラル(国会)会議が開催された。だが、人民革命党、共和党当選者は出席せず、「祖国・民主」同盟当選者34人、無所属2人(注:アマルジャルガル、サンジミャタブの二人。オドフーは何故か出席せず)の36人によって、11時半開会した。その後、バガバンディ大統領は、定足数不足のため「休会」を宣言し、議場をあとにした。
・2004年7月19日、人民革命党小会議が開かれた。同日、「祖国・民主」同盟の国家大ホラル(国会)議員選挙当選者が会議を開き、臨時会派を結成し、会長にエンフサイハン、副会長にエルデネバト、オヨンを選出した。
・2004年7月20日、「祖国・民主」同盟当選者は再度集会を開き、人民革命党に大同盟を呼びかけた。
・2004年7月22日、人民革命党党首エンフバヤル、「祖国・民主」同盟エンフサイハン、エルデネバト、オヨン、共和党党首ジャルガルサイハンらが会談し、成功裡に終わったと発表された。同盟の方向で政府を作ることで一致した。
・2004年7月28日、民主党民族評議会が開かれ、「子供に1万トグルグ支給」案の法制化を要求した。
・2004年8月10日、イデブフテン、オヨンたち両陣営が「大同盟」結成文書作成について協議した。これに対して、エルデネバトは不満を抱き、オヨンを非難した。彼は、「大同盟」大会開催を要求した。
・2004年8月12日、「宣言第1号文書」、「協議第2号文書」に両陣営が調印した。<協議第1号文書>1、法に則り合意した。2、国家大ホラル(国会)法第26条に基づき、議長を選出する。3、法に則り、首相を選出し、政府を作る。4、共和党、無所属議員とも協議する。5、議長を「祖国・民主」同盟が承認し、首相を人民革命党が支持する。6、両陣営が国家大ホラル(国会)と政府構成を承認する。<宣言第2号文書>1、国家大ホラル(国会)議長にエンフバヤル、首相にエルベグドルジを両陣営が支持する。2、この「宣言」を議員全員が署名する。3、合意文書に両陣営の代表が署名する。
・2004年8月13日、国家大ホラル(国会)は、69人が出席して、議長にエンフバヤルを選出した。エンフバヤルは首相の任務を解かれ、首相代行にオラーン財務相を選出した。
・2004年8月18日、国家大ホラル(国会)は副議長にオヨンを選出し、常任委員会の構成を承認した。
・2004年8月25日、国家大ホラル(国会)議長エンフバヤル、首相エルベグドルジが、記者会見し、国営テレビを民営化する法律を今国会の冒頭で審議する、と発表した。
・2004年9月8日、人民革命党は、「祖国・民主」同盟に対し、首相を2年任期にして、相互に首相と副首相を交代させることを提案した。これはイスラエルの例にならったものである。
・2004年9月15日、「祖国・民主」同盟は、「協議」の新たな展開(人民革命党による首相二年交替の提案)に対応のため、「協議」グループの人員を入れ替えた。オヨンに代えて、グループ代表にナランツァツラルト、委員としてバト=ウール、グンダライ、С.オトゴンバヤル、М.ソノムピル、Батж.バトバヤル、М.ゾリグトが新たに加わった。
・2004年9月15〜18日、鉱業部門への投資を促すためのセミナーがロシア科学文化センターで開かれた。オーストラリア、英国、米国、カナダ、ドイツ、フランス、中国、ロシア、日本など、世界の130以上の企業がこのセミナーに参加した。
・2004年8月21日18時、「祖国・民主」同盟「協議」グループが人民革命党の提案を受け入れた。
・2004年9月24日、人民革命党と「祖国・民主」同盟は、政府組閣作業開始に合意した。
・2004年9月27日、国家大ホラル(国会)は任命された政府閣僚を承認した。 
・2004年10月1日、2004年度秋期国家大ホラル(国会)で、エンフバヤル議長、バガバンディ大統領、エデブフテン人民革命党会派会長、エンフサイハン民主党党首、エルベグドルジ首相が冒頭演説を行った。エンフバヤルとエデブフテンは、今までの実績と将来の計画について述べた。エルベグドルジは、この政府はモンゴル国民の選択した(大同盟)政府であること、貧困との戦い、子供に1万トグルグおよび新婚家庭に50万トグルグという公約の実行、を述べた。
・国家大ホラル(国会)2004年度秋期国会冒頭演説での、「祖国・民主」同盟代表エンフサイハンの発言:社会主義に由来する「遅れ」から離脱できない(地方分権、人権、民主主義、倫理、平等など)。憲法改正、選挙法改正が必要である。貧富の差、中央・地方間格差を解消するために、富の再分配が必要である。(そのため)家族を支援し、その子供に金を支給すべきである。地方分権確立の見地から、地方選挙に勝利する必要がある。
・人民革命党会派代表イデブフテンの発言:人民革命党が大同盟政府結成を主導した。2000−2004年に、モンゴル経済が向上した。一部政党、派閥がこの成果(特に対ロシア負債問題)をくつがえし、大同盟政府を崩壊させようとしている。今後の課題は、1、政府綱領の作成、2、財政の健全化、3、法の整備、4、税の健全化、5、国際支援機関との協調、6、選挙法改正である。
・2004年10月6日、アルタンホヤグ新財務相(「祖国・民主」同盟、民主党書記長、アルタンガダス・グループ)は、米国訪問より帰国。訪問の目的は、IMF、世界銀行との毎年の通常会談のため。モンゴル銀行総裁(チョローンバト)も同行。世銀との会談:貧困緩和問題。IMFおよび世銀のモンゴル駐在担当者との政策の調整を報告。国家予算に対する彼らの監査(財政赤字、インフレ率、経済成長率)。「千年試練基金」:地域セミナー開催、地方中小起業、インフラ開発。世銀が貧困緩和対策として1200万ドル供与決定。モンゴルは、これらの機関(IMF、世銀)の意見に従わざるを得ない。
・2004年10月12日、ジャルガルサイハン共和党党首・国家大ホラル(国会)議員は、記者会見を開き、人民革命党および「祖国・民主」同盟(特に「祖国・民主」同盟の「1万トグルグ支給案」)を批判し、実現不可能な公約をすべきではない、と述べた。
・2004年10月21日、中央選挙管理委員会は、地方議会選挙の結果を報告した。それによれば、投票率は66.22%、全国690議席のうち人民革命党439議席(63.62%)、「祖国・民主」同盟180議席(26.09%)、無所属10議席、特にウランバートル市では人民革命党が40議席のうち37議席を獲得し圧倒的な勝利を収めた。なお、137投票場で、投票率が50%に達しなかったので、来週日曜日に再投票。
・2004年10月26日、モンゴル商工会議所と通商産業省共催、零細、中小企業経営者大会が開催された。参加者700人以上。ナラントール市場の商人、アルハンガイ・アイマグの牧民、食品・裁縫業経営者の報告。苦情、純粋な批判、貴重な提案などが多かった。商工会議所所長デンベレル:「単なる批判ではなく、政府綱領に盛り込む建設的な意見を望む」。その中でトゥムルバータル(小経営商人)が報告し、「卸売販売網」が大企業数社の支配下に入った。その結果、中小企業が閉め出され、失業した、と報告した。
・2004年10月28日、国家大ホラル(国会)総会で、エルベグドルジ首相が政府綱領を説明した。この政府綱領は、7章27部からなる。それによれば、4万戸のアパート建設、ウランバートルの未利用地に技術センターを建設し、一戸建て住宅を建てる。ゲル地区に温水を供給する。建設費は主として、外資による。この結果、10万人が就業機会を得る、という。
・2004年11月5日、国家大ホラル(国会)総会は、政府綱領を承認した。
・2004年11月8日朝、一青年(19歳)は、兄弟げんかが原因で、バヤンゴル区第3街区33号棟12階から投身自殺を図った。
・2004年11月16日、年金生活者60人余とバヤルサイハン社会保障労働相は、ウランバートル年金生活者会集会場で交渉を行った。年金生活者たちは、1)年金増額が選挙公約であったこと、2)「我々は飢えている」という理由で、年金増額を要求した。一方、社会保障労働相は、1800億トグルグの財源が必要であるとの理由で、彼らの要求を拒否した。しかし、彼らの意見を首相、国家大ホラル(国会)議長、関係常任委員会に伝えることを約束した。社会保障労働相顧問А.ザンガドは、現在最低年金額は3万2000トグルグで、この額を受け取っている人々が全体の65%を占めていることから、年金額を3年ごとに見直すべきである、と述べた。
・2004年11月30日、国家大ホラル(国会)は総会を開き、出席議員47名で、2005年度予算案を拍手により承認した(反対議員5名)。2005年度予算のうち、歳出額が7750億6000万トグルグで、財政投融資に1677億トグルグ(資本投下に559億トグルグ、地方予算補助に59億トグルグ(最も多く支出するのはゴビアルタイ・アイマグに7億7000万トグルグ、次いでオブス、ザブハン、バヤンホンゴル、ホブド各アイマグの順)、教育費に1610億トグルグ、社会保障費に1834億トグルグ支出する。また歳入額が7082億トグルグで、関税から2719億トグルグ、所得税から2467億トグルグ、社会保険控除額1231億トグルグ、観光収入145億トグルグとなっている。財政赤字は669億トグルグである。
・国家統計局が行った世帯調査によれば、モンゴル人100人のうち、36人が貧困状態にある、という。
・2004年12月13日、国家大ホラル(国会)「祖国・民主」同盟会派代表が交代し、エンフサイハンが就任した。副代表に、グンダライ(民主党)、Ц.ジャルガル(民主新社会党)、М.ゾリグ(市民の意志・共和党)が就任した。
・2004年12月18日、民主党民族評議会がヌフト・ホテルで開かれ(124人参加)、党首エンフサイハンが国家大ホラル(国会)議員選挙と、地方議会選挙総括、政府行動綱領について報告した。その後、エンフサイハン、グンダライ、ガンスフに不信任の意見が123人によって提出され、その結果、エンフサイハンが更迭された。そして、翌12月19日、財政経済大学で会議が再開され(128人参加)、党首にゴンチグドルジ、副党首にН.バトバヤル、Б.ムンフトヤ、書記長にШ.トゥブデンドルジが選出された。
・2004年12月26日、「祖国・民主」同盟幹部会が国立劇場で開催された(参加者225名)。その席上、民主新社会党は、「祖国・民主」同盟解体動議を提出し、民主党のエンフサイハン、グンダライ、トンガラグがその決議に署名した。そして、参加者の70.7%の賛成で決議された。(その結果、)エルベグドルジ政権崩壊の可能性が出てきた。
・2004年12月27日、民主党は、ゴンチグドルジ名義で、民主党が「祖国・民主」同盟解体の意思を表明していない、従って、これは不法である、と声明を出した。
・2005年1月6日、民主党がエンフサイハンとゴンチグドルジ(モンゴル民主同盟)の二派に分かれて、民主党本部において党印を奪い合い、建物の一部を破壊する事態が発生した。
・<人民革命党「伝統ー革新、民主主義ー倫理」グループの宣言>。政党・政治不信が広がっている。人民革命党は、政治を信頼するという伝統を復活させる責務がある。2000〜2004年に人民革命党の政治は国民の信頼を勝ち得ていた。しかし、2004年の選挙で人民革命党は、多数党となることができなかった。その実態をよく考えて分析すべきである。人民革命党が消極的になっている。権力が人民革命党の少数の人々に集中し、党と支持者の間に溝ができている。人民革命党に、「多様な考え」、「公開性」が失われている。その結果、「公正さ」が失われている。そこで、人民革命党綱領第2条6.11項に基づき、「伝統ー革新、民主主義ー倫理」グループを結成する。その目的は、伝統、革新、民主主義、論理。その目的は、伝統、革新、民主主義を回復させることにある。目的:1)党綱領の改定。2)民主主義の実行、党の初級組織の権限を拡大し、多様な考え方、公開性を持たせる。3)選挙時の立候補者選定方法の改善、「集団指導」体制の確立、党活動に公正、公開性、積極性を持たせる。4)党活動の回復。5)汚職の排除。6)汚職防止のための法整備。
・2005年01月12日11時、高齢者たちは、年金額(3万2000トグルグ)改定を求め、政府官邸に集合した。約100人が、「エルベグドルジを出せ。エンフバヤルを呼んでこい」と要求した。その理由は、年金額改定にある。ルハムスレンたち4人が官邸に入った。С.バトスフ:「私たちは年金額改定のために1ヶ月以上たたかっている。社会保障労働相の約束が実行されていない」。「物価が上昇している」。首相、議長と会えないなら、道路を封鎖する。彼らは、政府官邸の西側の道路を13時まで1時間にわたって封鎖し、14時に解散した。「外は寒い。道路、広場が凍り付いている時に、高齢者を集会させておく訳にはいかない。事故が起きた場合は、この集会を組織した年金受給者連盟の責任である」、とバヤルサイハン社会保障労働相は述べ、今年4月1日から改定すると述べた。
・「祖国・民主」同盟解体後、民主党の一部議員(バヤルツォグト、オヨン、Л.ゾリグト、バトフー、ゴンチグドルジ、ムンフトヤ、バトバータル、サイラン、ムラトたち約20人)が、人民革命党会派に参加の動き。人民革命党は事態を静観。これに反対し、バトウールは、民主党に残り、エンフサイハン、ナランツァツラルトは新党を結成する動きがある。民主新社会党のエルデネブレン、オトゴンバヤルも人民革命党合流に同調の動きがあるが、エルデネバトはこれを押さえている。この動きは、民主党が大統領選挙を放棄して、現政府存続を計ろうとするもので、背後にはエルベグドルジがいる。
・2005年1月18日、ゴンチグドルジ、バヤルツォグトら民主党、民主新社会党、市民の意志・共和党の約10人の議員は、エンフバヤルと会談した。翌1月19日、これを知ったエンフサイハン、バトウール、バダムダムディン、バトホヤグ、グンダライ、ナランツァツラルト、ソノムピル、О.エンフサイハンは、民主党会派結成を呼びかけ、会長にバトウール、国家大ホラル(国会)副議長にグンダライを推薦することを呼びかけた。エンフバヤルは、公務で海外出張(1月19日〜2月2日)。
・2005年1月19日、人民革命党エンフバヤル指導部は、会議を招集し、ゴンチグドルジらの一部の民主党議員と新会派を作ることを検討し始めた。
・2005年1月20日、民主新社会党(1998年12月結成)は、党名を「祖国党」に改称した。
・2005年1月27日、国家大ホラル(国会)人民革命党会派は、前「祖国・民主」同盟会派議員25人の加入を認めた。その結果、人民革命党会派が61人になった。
・2004年度経済成長率が10.6%であったのは、地下経済の成長、天候の好転による農牧業の好調、金・銅、畜産品世界価格の高騰、によるもの。
・2005年1月31日、61人になった国家大ホラル(国会)人民革命党会派の会議が行われ、副代表の一人にゴンチグドルジが加えられた(代表はイデブフテン)。エルベグドルジも招かれ、「年金額改定」、「子供に3000トグルグ支給」を2月1日から実施することになった。
・2005年2月2日、アイバンホー・マインズ社との協定案作成のため、国家大ホラル(国会)作業部会か作られ、責任者に経済委員会委員長ダミランが任命された。
・2005年2月3日、「健全な社会のための市民運動」は、自由広場から国家検察庁、政府官邸までデモ行進(参加者1000〜2000人)。ゴンチグドルジ、エンフバヤル、フレルスフ、オラーン、ジグジドの「汚職」を告発。
・バヤルサイハン社会保障労働相:「28万600人の年金生活者すべてに対し、年金額を改定した。」
・現在の失業率は、6〜17%、失業者数は、21万人。
・2005年2月17日、国家大ホラル(国会)総会が開かれ、エルベグドルジ首相による政府閣僚二人(エルデネバト、エルデネバータル)の罷免を承認した。その結果、2月18日、この二閣僚の罷免が決定した。
・2005年2月21日、最高裁は、エンフサイハンの訴えを認め、2004年12月19日の決定(エンフサイハンを党首から更迭したこと)が不法であるという判決を下した。
・2005年2月23日、「健全な社会のための市民運動」は、自由広場で2回目の集会を開いた(参加者約400人)。そのスローガンは、「エンフバヤルはスターリンである」、「エンフバヤル打倒」、「責任ある政治、道義感のある政治家を待ち望む」、「エンフバヤルは若者を惑わすのを止めよ」、「賄賂にまみれた祖国を救おう」などであった。その集会の後、一時間して、ジョールチン通りを南下し、国立百貨店を経て、中央郵便局南側までデモ行進をした。一方、同日、「民主社会主義学生同盟」は、モンゴル国立大学南側で、「健全な社会のための市民運動」に反対する集会を開いた。その主張は以下の通り。街頭に出てデモをして事を解決する時は終わった。(このデモ集会は)主催者を除いてそれほど積極的ではない。大統領選挙と関係がある。やるべき事は山積している。(デモ主催者に対し)アメリカで得た知識を生活の方に活用するべき時である。街頭デモの時代は過ぎ、誇張されたスローガンで人々を惑わすことは止めるべきだ。
・<牧民と金採掘会社との争い>。経緯:2000年、アルハンガイ・アイマグのツェンヘル・ソム議会は、当ソムのツェツェルレグ・バグにある「ナリーン・ハマル」という土地を自然保護地にする決議を出した。「モンゴル・ガザル」社は、その土地で金採掘を始めた。ツェンヘル・ソムの住民たちが、ソバルガ・ハイルハン山を守るために、請願書をツェンヘル・ソム議会に提出した。この請願書を受け取った自然環境省と保安局は、調査を開始し、両者から事情聴取した。牧民側の主張:水、土地、動物、植物を守る。牧地、飲料水がなくなっている。「モンゴル・ガザル」社側の主張:ナリーン・ハマルは、ソバルガ・ハイルハン山から離れたところにあり(影響はない)。アルハンガイ・アイマグに納税している。
・2005年3月18日、民主党民族評議会臨時会議が財政経済大学で開かれ、党首にゴンチグドルジを再選し、副党首にН.バトバヤル、Б.ムンフトヤ、Р.アマルジャルガル、Р.ツォルモンの4人を選出した。これに関し、バトウール、エンフサイハンらは途中で退場した。
・2005年3月25日、「健全な社会のための市民運動」は、自由広場で第3回目の集会を開いた。その後、スフバートル広場までデモ行進。このデモ行進に、グンダライらが加わった。一方、民主党は、この運動を「不健全」な運動だ、と非難した。民主党の党旗を掲げて参加した者があったからとみられる。
・2005年3月28日、共和党は、大統領選挙立候補者にジャルガルサイハンを選出した。
・2005年3月30日、人民革命党は、大統領選挙立候補者にエンフバヤルを選出した。祖国党は、エルデネバトを選出した。
・2005年3月30日、アイバンホー・マインズ社は、オユトルゴイ鉱床の金・銅採掘を日本の三井(商事)と共同して行うことに署名した。その内容は、タバントルゴイに発電所を建設すること、石炭を採掘すること、である。
・2005年4月4日、民主党選出のО.エンフサイハン議員は、鉱山法および所得税法改正案を国家大ホラル(国会)に提出した。その骨子は、鉱山採掘に係る免税措置期間5年を短くすること、アイバンホー・マインズ社によるオユトルゴイ鉱山採掘からの収益の50%を国庫に入れること、である。
・2005年4月27日、「健全な社会のための市民運動」は、スフバートル広場で座り込みを続けていたが、暴徒化し、政府官邸にあるエンフバヤルの部屋の窓ガラスを投石によって壊し、トマトを投げつけた。
・トゥブ・アイマグの「トソン・ザーマル運動」は、1990年代から始まった。金採掘による環境汚染や、牧地と農地がなくなっていることに反対し、闘争を継続している。
・「発展のための有権者の運動」は、選挙管理委員会が事務を継続するよう要求。更に、「健全な社会のための市民運動」による政府庁舎破壊の責任を追及。
・ダルハンオールのシャリンゴル、トゥブ・アイマグのザーマル、ウブルハンガイのオヤンガでの、金採掘による環境破壊。環境破壊の例:トゥブ・アイマグのザーマル、セルゲレン、ボルガン・アイマグのブレグハンガイ・ソムで操業している、「エルシ・ジュ」、「ウフ・アルト」、「オルギル・ムンフ・トレイド」、「ゼレグツェー」、「エレル」社などが環境保全対策を怠った。ウブルハンガイ、バヤンホンゴル・アイマグで操業する「アニル・エルデネス」、「ゴルバン・タムガ」社の鉱山、セレンゲ、ダルハンオールで採掘している、「ガン・ホンゴルゾル」、「ツァガーン・ハシ」、「ポリメンポタラ」、「GME」、「ドラジニク・モンゴリー」、「ミネラル・レソルス」、「マステル・クレディト・モンゴルド」、「モンゾル」、「イトゲルト・フレグ」社などが自然環境評価を前もってしないで操業を始めた。「アルタン・フンディー」社の環境保全作業をしないまま、他社に採掘権を売却した。「シャル・ナルスト」社が水源地を枯らした。「リチ・モゴル」、「ドラジニク・モンゴリー」、「B&B」、「イトゲルト・フレグ」社などが環境保全対策をとっていない(環境保全措置をとっているのは全体の4.5%のみ)。
・2005年5月18日、市民の意志・共和党は、他候補陣営がエンフバヤル候補に対して行っている個人攻撃を非難し、エンフバヤル候補を支持することを表明した。
・2005年6月9日、国家大ホラル(国会)は、貧困家庭のすべての子供(33万9800人プラス26万200人)に毎月3000トグルグを支給する法案を採択した。
・2005年6月16〜17日、人民革命党第24回大会が開かれ、新党首にМ.エンフボルドを選出した。この大会で、人民革命党が富裕層に強く影響されていること、真面目な党員が遠ざけられていること、党指導部が金銭に左右されていること、などが議論された。
・2005年6月23日、国家大ホラル(国会)総会は、土地所有法の施行を3年間延長し、2008年4月30日まで、とすることを承認した。これは、2005年3月31日時点での土地所有法実施状況が全国平均土地私有化率12.8%(ウランバートル市で26.9%、地方で6.9%。ウランバートルのゲル地区で70.1%)という状況を勘案した結果である。
・2005年7月1日、ニャムドルジ法務内務相は、国家大ホラル(国会)議長に就任した。 
・2005年7月21日、国家大ホラル(国会)人民革命党会派は、旧「祖国・民主」同盟出身議員が同会派の方針を守らない、として、彼らの除名を決めた。
・「老年者自由連盟」設立。「ウランバートル市老年者委員会」所有の建物を外資「ザム・インベスト」に賃貸したことに対し、「反対」を声明した。
・<牧民と金採掘会社との争い(続)>アルハンガイ・アイマグの「ナリーン・ハマル」という土地で金採掘に反対する「アリオン・ソバルガ(聖なる卒塔婆)」運動。「モンゴル・ガザル」ХХКは、8778А、および1919Хという金採掘権権利書を所持している。その内の1919Хが「ナリーン・ハマル」での金採掘に関わるものである。これに対し、ソム住民評議会(地方議会)幹部会は、付近の環境汚染を理由に、金採掘禁止の決定を出した。その後、両者が妥協し、68ヘクタールに限って金採掘を認め、さらに環境保全対策を義務づけた。これに対し、「アリオン・ソバルガ(聖なる卒塔婆)」運動は、「ナリーン・ハマル」は希少動物が棲息し、薬用植物が生育する土地であり、この地を流れる水が金採掘によって汚染され、そのままオルホン河に流れ込んでいる、さらに、「モンゴル・ガザル」ХХКは、牧民の冬営地を囲い込み、入れなくしている、として反対している。
・2005年7月22ー23日、"СиЭЙЧТи"ХХКは、モンゴル国立大学学生寮1号館と2号館の間の土地をビル建設のために整地し始めた。これに対し、学生寮従業員たちは、反対運動を始めた。この建設会社は、大学名を不法に使用して許可証を取得し、建設資材を少しずつ搬入した。同様の例として、ГYнーЭнх(グン・エンフ)ХХКによる大学敷地略取。ノムホン・ダライン・グールХХКによるモンゴル国立大学1号館東側でのビル建設(ウランバートル・テレビ、シヒホタグ大学)。オドコン・ホールディングХХКによる経済学部西側にビル建設。
・2005年9月5日、モンゴル・イスラエル合弁「シム・テクノロジー」社は、エルデネトでモリブデン最終工程製品生産工場を稼働させた。「シム・テクノロジー」社は、持株の30%をエルデネト社が、70%をイスラエルの「メタル・テフ」社が所有する。
・北米・モンゴル貿易諮問会議が開催され、モンゴルの地下資源について協議した。彼らが特に注目するのは、鉱山法(1997年)改正である。とくに、その改正の骨子のうちの、1)課税を厳密化する、2)増税しない、3)採掘許可証の権利状況を明確にする、などに対し、北米の外資企業側は反対している。
・2005年9月14〜15日、第3回国際鉱山会議・資本投資者フォーラムが「子供宮殿」で開催した。П.オチルバト・モンゴル鉱山協会会長:「この会議の主要な目的は、モンゴルと外資企業の協力、国益保護のあり方を討論することにある。外資企業の手で鉱山開発を行う。鉱山法(1997年。オチルバトとエンフサイハンによって作成)改正によって外資企業が逃避するおそれがある。鉱物資源価格は消費が増えれば高くなる。課税の一部を地方予算に繰り入れて地方開発を行う」。コーリン・ホブスン・「オリカ」鉱業・北米貿易開発部長:「鉱山法改正は投資奨励の方向で進めるべきである」。
・モンゴル郵便会社従業員70人以上が不当解雇に反対して抗議行動を計画。人民革命党党員の首切りと、旧「祖国・民主」同盟の経営権掌握が原因か。彼らはさらに、「国有財産委員会」委員長と運輸観光相解任を要求。一方、モンゴル郵便会社と全郵便労働組合は声明を出し、「70人の不当解雇」の事実を否定した。
・2005年9月25〜27日、Н.アルタンホヤグ財務相は、IMF・世銀会議に出席し、IMFの新計画(「経済成長貧困緩和戦略」)のモンゴルでの実施に「合意」した。
・2005年10月2日、「老年者自由連盟」は、政府官邸前で年金増額を要求して集会を開いた。
・2005年10月3日、2005年度秋期国会でのニャムドルジ国家大ホラル(国会)議長の冒頭演説:エルベグドルジ政権に批判的、経済指標が昨年より悪い、約束ばかりが多い、貧困と闘うことを要求。イデブフテン国家大ホラル(国会)人民革命党会派代表の冒頭演説:多数の有能な公務員解雇、官僚主義、複雑な政治体制が生まれている、インフレの進行、来年度予算に若者家庭に50万トグルグ支給を要求。ゴンチグドルジ国家大ホラル(国会)民主党会派(29人)代表の冒頭演説:憲法裁判所裁決の拒否を要求、首相の施政支持、混合選挙制度を支持。エルベグドルジ首相の冒頭演説:政治改革を進める(公務員自ら国庫収入を増やすべく努力すべきである)、政府歳出を少なくすべきである、地下資源の有効利用(鉱山法改正)。エンフバヤル大統領の冒頭演説:政治の民主化、経済の市場化、憲法の制定、民主的選挙の実施、行政の分担と融和、出版の自由、私的所有の出現という、ここ15年間の成果の強調。これらを諸外国も評価している。しかし、これらは最終目標ではなく、さらにモンゴル国を発展させなければならない。しかし、それらは実現されておらず、不満が出始めている。すなわち、生活困難、官僚主義、汚職(賄賂)、不誠実、不完全な社会供給、不平等な地下資源分配、社会環境の悪化、将来への不信など。(このため)経済成長の阻害要因を除去し、税制改革を行い、官僚主義を少なくし、地下経済を「表に」出し、外資を誘致し、就業機会を増やし、経済成長によって貧困を緩和する必要がある。
・ジェームズ・ベーカー米元国務長官は、アイバンホー・マインズ社の法律顧問をしている。
・2005年10月11日、トゥブ・アイマグ、ザーマル・ソム住民は、「アルタン・ドルノド・モンゴル」社(金採掘)(社長:ロシア人С.パウショク)に対して抗議のデモ行進を行った。
・トゥブ・アイマグ、ザーマル・ソム選出の国家大ホラル(国会)議員Ц.スフバータル:「アルタン・ドルノド・モンゴル」社が法の穴を利用して、モンゴルの土地を奪おうとする企てを行っている。そのため、政治的解決が必要である。政府が国民を守るべきである。この会社は、採掘権を獲得したといって、土地の人々を追い立てようとしている。また、金採掘のため、水が汚染され、家畜が多く死んでいる。
・2005年10月11日、ザーマル・ソム長Д.ラーフは、「アルタン・ドルノド・モンゴル」社に対する、トゥブ・アイマグ(行政)裁判所の判決を不服として、最高裁判所に控訴した。「アルタン・ドルノド・モンゴル」社の何人かの幹部は旧KGB要員だった。
・2005年10月28日、国税庁長官Х.バータル、セレンゲ・アイマグ税関所長Д.ダンバ、国家大ホラル(国会)元議員Х.ウブグンフーが警察に逮捕された。
・2005年10月30日、国税庁長官を取り調べている過程で、税関監査官だったН.トゥブシンジャルガルを逮捕した。彼は、同長官の庇護下で、文書を偽造し、山羊皮4万枚を中国に輸出した疑い。
・2005年11月1日、ビチグト税関所長Н.ダバージャブは、豚肉の脂肪の下に鶏肉約10トンを隠して、輸入した疑惑が明るみに出された。
・2005年11月2日、ウムヌゴビ・アイマグ、ガショーン税関幹部職員のШ.アディシャーを逮捕した。大量の羊皮を無関税で輸出する際に賄賂を取った容疑。また、ゴビアルタイ・アイマグの税関所長ジャルガルサイハンを逮捕した。2005年7月にボルガスタイ税関で150トンの羊皮を不法に輸出した疑い。さらに、ザミンウード税関所長С.バンズラグチも逮捕した。
・2005年11月12〜13日、税関センター実験室長Ё.バトエルデネを拘引した。税関から持ち込まれた物品の等級や品質を変更した疑い。
・2005年11月16日、グンダライは「政治座り込み」を宣言。「健全な社会のための市民運動」、「老年者自由連盟」も参加。1)鉱物資源採掘権を外資から取り戻す。2)タバントルゴイの背後にムンフオルギルとエンフバヤルがいる。
・2005年11月17日、「モンゴル学生連合」は、モンゴル国立大学2号館南側の広場で集会。16時、政府庁舎に向かい、投石。窓ガラス92枚を割り、駐車中の車を破損した。「モンゴル学生連合」の集会は、「ダヤル・モンゴル(全モンゴル)」運動が煽動したもの(ウランバートル市警察談)。
・緑の党は、「イラクに平和を」「米国は京都議定書を批准せよ」という要求を掲げて、レーニン・クラブのそばで、米国大統領ブッシュの車列を一時停車させた。
・2005年11月25日、エンフバヤル大統領は、国家大ホラル(国会)で承認された2006年度予算案のうち、各議員の選挙区で1億トグルグを支給する条項に拒否権を発動した。
・2005年11月26日23時40分〜50分、「ダヤル・モンゴル(全モンゴル)」の若者たち30人は、チンゲルテイ区にある中国人経営のレストラン・バー(「Жун Хуа Лоу」)を襲撃した。
・2005年11月28日、最高裁判所は、ザーマル・ソム長の訴えを認め、「アルタン・ドルノド・モンゴル」社の主張を斥けた。
・2005年11月29日、民主党内に「民主党改革派」が結成された。民主党が人民革命党の補完勢力になっている、と批判。メンバーは、「ザロー・リーダー」クラブ代表のゾルバヤル、国家大ホラル(国会)議員のガントゥムル、バトホヤグ、エンフサイハン、エンフサイハン、ムラト、ツォグトトゥムル、ソドフー、エンフトゥル、アルタンオチル、ベフバト。
・2005年11月29日、「ダヤル・モンゴル(全モンゴル)」運動代表З.エルデネビレグが記者会見をして、ウランバートルの外国語文字を撤去し、モンゴル文化を復興さよう、と述べた。
・鉱山部門への外資企業は、「鉱山法」改正案の中の「15%政府所有」に反対し、資本引き上げを示唆して威嚇した。また、「アルタン・ドルノド・モンゴル」社の採掘権取り消しにも反対。
・2005年12月1日、国家大ホラル(国会)予算委と法務委で、大統領の拒否権発動を受け容れる意見が多数を占めた。
・2005年12月2日、「ダヤル・モンゴル(全モンゴル)」運動代表З.エルデネビレグは、記者会見で、同運動への参加を人々に呼びかけた。
・2005年12月12日、「国民党」結成大会が開催され、党首にグンダライ、書記長にД.バトバヤル、「イフホラルダイ(幹部会)」委員に、Д.ガンホヤグ(政治学者)、Г.ジャルガルサイハン(オトゴンテンゲル大学副学長、ビャンバスレン(ビジネス従事者)、А.オトゴンボルド(ハタグタイ病院長)、Д.バトバヤル(ISEM教育センター長)、Г.オヤンガ(ジャーナリスト)などが選出され。
・2005年12月12日、人民革命党小会議が開催された。この会議では、分派承認問題が焦点となった。人民革命党大会で、「分派承認に50%以上の賛成」条項を、「小会議で委員の4分の1の承認」に変更するかどうかが、新党首М.エンフボルトの名声に影響を及ぼす。また、党内人事問題(能力ではなく財力によって党内人事が行われている)も大きい。М.エンフボルド報告:1)分派問題、2)2004年国家大ホラル(国会)議員選挙の責任問題、2)2005年度経済成長率5.5%に半減(昨年度は10.7%)、3)エルベグドルジ政権の人気取り政策、4)デモ行進、集会の起こる原因(収賄、土地・採掘権認可、保健、教育などの関する決定の歪曲、貧富の差、公務員による官僚主義、不公正、税金・融資・経済の高負担)、5)汚職、6)分派問題(「伝統・革新、民主主義・公正」グループが公開書簡(党内意見の多様性、公開性、建設的批判、公正な党内人事を要求)。その結果、人民革命党小会議は、「伝統・革新、民主主義・公正」グループの存在を、無記名投票により40.8%の支持率によって承認した。「伝統・革新、民主主義・公正」グループは、これまでに形成された3番目のグループである。1993年のЦ.ガンバト、1996年のТ.ガンディに続く。同時に、Г.ザンダンシャタルは、30人以上の青年からなる「人間のための経済改革」グループ結成を宣言した。
・「健全な社会のための市民運動」、「ダヤル・モンゴル(全モンゴル)」、「急進的改革」、「オンギ川」などの「運動」が統一して「同盟」とする。国家大ホラル(国会)議員を辞めさせる、地下資源を国民に分与する、というスローガン。「運動がますます先鋭化して革命的性格を帯びてきた」(バトザンダン)。
・2005年12月16日、「健全な社会のための市民運動」、「老年者自由連盟」、「急進的改革」、「ダヤル・モンゴル(全モンゴル)」、「土地問題」などの運動5団体が統一し、抗議集会をスフバータル広場で開催した。特に、汚職に関わっている人物として、Н.エンフバヤル、Ч.オラーン、Р.ボド、Т.バダムジョナイ、Сv.バトボルドを批判した。
・チンゲルテイ区の住民3800人がウランバートル市長に向け、自分たちの住んでいる土地と交換にアパートを建設するよう提案した。市側もこれを支持した。
・2005年12月28日、人民革命党幹部会は、祖国党と7:3の連立を組み、エルベグドルジ政権を解散させることを支持して、署名をした。なお、С.バヤル、ルンデージャンツァン、ムンフオルギル、ザンダンシャタルなど4分の1の幹部会員は欠席していた。
・2005年12月29日、国家大ホラル(国会)は、大選挙区制の新選挙法を採択した。
・2006年1月3日、Ц.バトバヤル市長は、バス会社の代表者たちと交渉した。これより先、1月2日(バス料金が値上げされた日)、市交通局長が複数のバス会社と会ったが成果を得られなかった。この日、バス会社側は、値上げを撤回しない、と発表した。ウランバートル市長は、バス会社側に対し、世銀融資9500万トグルグ、バス購入代金10億トグルグ、社会保険控除費2億トグルグを免除する措置を講ずるとした。だが、両者の歩み寄りはなかった。バス会社側は、政府が会社側の申し入れに対しこれまで無策にすぎた。社会保険控除費免除は国営バス(注:現在4社ある)に対する措置である。現在までの負債に対する補償がない、と述べた。「バス2」会社社長は、(バス料金値上げは)市場原理である。もし値上げが認められない場合は、バス会社の負債問題を解決し、バス料金免除者(注:バス利用者の半数といわれる)の料金問題を解決すべきである。交渉が妥結しない場合は、バス運行を止める、と述べた。
・2006年1月4日、政府を代表して、運輸観光相Г.バトフー(注:民主党議員。APU社長)は、バス会社代表と会談し、バス料金値上げはやむを得ない措置であることを認めた。この結果、バス料金値上げは正式に決定された。
・2006年1月9日、人民革命党幹部会が開かれ、エルベグドルジ政権更迭問題について協議した。今まで更迭に反対していたニャムドルジ国家大ホラル(国会)議長も立場を変えた。その理由は、政府が混乱に陥っている。例えば、いくつかの省では職員が800人から1100人に増えてしまっている。社会保険庁では、職員の親戚縁者が国家予算で建設したアパートに入居している。人民革命党が責任を果たす見地から政権を単独で掌握する。首相をМ.エンフボルドにし、省庁を縮小する、など。
・2006年1月11日、ゴンチグドルジ民主党党首は声明を出し、「政権を更迭させるという人民革命党の決定は、民主党出身の首相が汚職と積極的に闘っていることと直接関係がある。(これは)人民革命党の手法と合わない」、と述べた。
・2006年1月11日、人民革命党幹部会は、エルベグドルジ政権の人民革命党出身閣僚10人の辞職願いを国家大ホラル(国会)に提出した。
・人民革命党幹部会の議論:エルベグドルジ首相がある新聞紙上で、現人民革命党出身閣僚たちが汚職をしていると述べたことが、ムンフオルギル、オラーン、Сv.バトボルド、Д.テルビシダグバたちを怒らせた。一方、ニャムドルジ、ガンディ、デンベレルたちはもう少し様子を見るべきだと述べた。エルベグドルジへの批判:経済成長の鈍化、「協議」を反故にした、スタンドプレー、人民革命党出身政府職員の解雇、若干のアイマグ副知事を任命しない、など。
・2006年1月12日、「急進的改革」(代表С.ガンバータル)、「健全な社会のための市民運動」(代表Ж.バトザンダン、О.マグナイら)、「協和」(代表С.エルデネ)などの運動が、バス運賃値上げに反対して、スフバートル広場で抗議集会を開いた。
・2006年1月12日、「国民臨時委員会」は、人民革命党党本部に侵入し、「エルベグドルジ政権更迭」の撤回、「オラーン、М.エンフボルドの首相就任」反対、エンフバヤル大統領たちを汚職屋とすること、鉱物資源収入の30−50%を国民に与えること、人民革命党幹部会を開催すること、などを要求した。
・2006年1月13日、国家大ホラル(国会)総会で、フレルスフ議員(人民革命党)は、(「国民臨時委員会」による)人民革命党党本部侵入に怒り、これは、エルベグドルジの教唆による、と述べた。エルベグドルジ首相は、「人民革命党はコミュニストである」、と述べた。これに対し、人民革命党出身議員たちは抗議の声を挙げた。М.エンフボルドは、「人民革命党党本部侵入の責任はエルベグドルジにある」、と述べた。
・人民革命党「伝統・革新ー民主主義・公正」グループが声明を発表し、人民革命党党本部侵入は、特定の政治勢力の教唆によるもの、と非難し、人民革命党党員の団結と民主主義の擁護を呼びかけた。
・2006年1月13日、ウランバートル市長Ц.バトバヤルは、「急進的改革」運動(代表С.ガンバータル)の要求を受け入れ、バス運賃を元に戻す決定を出した。この結果、国営バス会社(4社)および私営バス会社の運賃が旧料金(200トグルグ)で運行することになった。一方、半数以上を占める私営バス会社のバス運行は止まっている。
・2006年1月14日0時7分、人民革命党出身閣僚10人の辞職願い提出に端を発した、エルベグドルジ政権更迭の動きは、国家大ホラル(国会)総会で審議され、賛成39人で承認された。
・2006年1月15日、記者会見で、「健全な社会のための市民運動」、「急進的改革」、「老年者自由連盟」、「国民臨時委員会」、「我がモンゴルの土地」、「モンゴル民族自由占い師連盟」、「政治刷新運動」などの指導者Ж.バトザンダン、С.ガンバータル、Г.バーサン、Ц.ナムスライ、Н.ジョダグたちは、政府当局に対し、6箇条の要求を出した。1)大統領の陰謀非難、2)国家大ホラル(国会)解散、3)人民革命党、民主党非難、4)裁判官、検察官批判、5)再選挙要求、6)「国民代表臨時大会」開催、7)「人民革命党を支持する運動」批判。
・2006年1月16日、第4回人民革命党小会議は、М.エンフボルド党首を首相に推薦することを決定した。
・2006年1月16日、「健全な社会のための市民運動」、「急進的改革」、「老年者自由連盟」、「国民臨時委員会」、「我がモンゴルの土地」、「モンゴル民族自由占い師連盟」、「政治刷新運動」は、スフバータル広場で抗議集会を開いた。
・2006年1月19日16時、私営バス会社(14社)のバスが正常運転を再開した。これらの会社は、燃料がなくなったことを理由に運行を停止していたが、市交通局が1月末までの燃料を補助金として供与したとして再開したものである。
・2006年1月24日、「モンゴル民主同盟」がスフバートル広場でデモ集会を行った。
・2006年1月25日、М.エンフボルドが首相に就任した。
・2006年1月27〜28日にかけて、国家大ホラル(国会)は、エンフボルド政権の閣僚を承認した。 
・2006年2月1日、労働者最低賃金が5万3000トグルグ、年金額が32.3%増額されて2万480トグルグになった。
・2006年2月1日、ロシアの輸出関税が引き下げられた。その原因は、ロシアが世界貿易機関に加盟したことにある。
・2006年2月3日、「公務員給与の30%引き上げ案」が国家大ホラル(国会)で承認され、この2月から実施される。
・2006年2月4日深夜から5日にかけて、覆面をした10人以上の若者たちは、バヤンズルフ区第5地区にある中国資本の建設会社に押し入って、事務所のお金を奪おうとしたが、お金がなかったので、絵、テーブル、椅子を壊して逃走した。
・2006年2月8日、ウランバートル市スフバータル区警察は、「健全な社会のための市民運動」代表Ж.バトザンダン、О.マグナイたちに対し、1月12日の人民革命党本部侵入について、刑法179条を適用し、刑事告発をした。
・2006年2月9日、「健全な社会のための市民運動」代表Ж.バトザンダン、О.マグナイ、「急進的改革」代表С.ガンバータル、ジャーナリストのГ.ダシレンチン、Б.オヤンガたちは、記者会見を行い、特に、「健全な社会のための市民運動」代表Ж.バトザンダン、О.マグナイ、「急進的改革」代表С.ガンバータルは、1937年の政治粛清(ラマ僧2人が粛清された)と同様の政治粛清が行われる、これは反人民革命党運動を弾圧するためのものだ、と述べた。1937年の出来事を繰り返さないために、団結しなければならない。モンゴルに「公正」、「慈愛」があったなら、こうした運動は起こらなかっただろう。すべての国で、コミュニストを追い払ったが、モンゴルではコミュニストが政権を掌握している。ブッシュがコミュニストとテロリストを同一視したが、それは正しい。スフバータル区警察が2月8日にЖ.バトザンダン、О.マグナイを容疑者として召還したことに対し、Ж.バトザンダンは次のように述べた。人民革命党本部の壮大な建物に侵入したが、日々の食べ物のない人々が多くいる。社会のこの悲惨な状況を変革するために闘っている。民主勢力はコミュニストと手を握るようになった。(当該運動の最終目標は何かという質問に対し)われわれは、汚れた政治をきれいにする。1990年の革命を受け継いで、政界に進出する。
・2006年2月9日、民主党は、エンフボルド政権に入閣したМ.エンフサイハン、М.ソノムピル、Ж.ナランツァツラルトを除名した。
・2006年2月13日、「老年者自由連盟」が記者会見を行って、「健全な社会のための市民運動」代表Ж.バトザンダン、О.マグナイ、「急進的改革」代表С.ガンバータル、ジャーナリストのГ.ダシレンチン、Б.オヤンガたちに対する刑事告発に対し、彼らを有罪としないように、国家検察局に要求した。
・「オンギ川住民運動」(2001年10月設立)、「トソンザーマル運動」、「アリオン・ソバルガ運動」が統合して、「河川保全運動同盟」が結成された。当該運動の議会ロビー活動の議員紹介者は、Р.ラシである。З.エンフボルド、А.バケイも参加した。国家大ホラル(国会)常任委員会にオブザーバーとして参加して、対策を提案した。エレル社が環境保全対策を怠ったことで検察局が調査中である。「河川保全運動同盟」は、政府に対し訴訟準備を進めている。ウムヌゴビ・アイマグ、マンダルオボー・ソムの住民も、24憶トグルグの被害を受けたとして、訴訟準備中である。
・党本部に侵入され器物を毀損された人民革命党は、「健全な社会のための市民運動」代表Ж.バトザンダン、О.マグナイ、「急進的改革」代表С.ガンバータルたちに対し、「協調」の申し込みをした。С.ガンバータルはこれを受け入れたが、Ж.バトザンダン、О.マグナイたちは拒否した。
・2006年2月27日、民主党民族評議会が開かれ、民主党党首ゴンチグドルジを解任した(次期党首選任まで党首代行)。「ゴンチグドルジは汚れた場所から逃避した」(С.ビリグサイハン)。
・2006年2月27日、ウランバートル市交通局は、バス・タクシー会社に対し、補助金からの収益控除の徴収を停止した。
・М.エンフボルド首相は、オユトルゴイ鉱山問題担当として、バヤルトサイハン財務相、ジャルガルサイハン商工相、ソガル国有財産委員会委員長を指名した。
・<「金を取り、木箱を捨てている」(トゥブ・アイマグ、ザーマル・ソム長Д.ラーフ論文=全文)>
・2006年3月18日、米国元国務長官J.ベーカーがモンゴルに「個人の招待で」来た。
・2006年3月30〜31日、民主党第3回大会が「文化センター」で開催された。参加者1485人。党を除名されたエンフサイハン派による民主公正党(注:後に民族新党となる)への参加呼びかけ、社会民主党による加入呼びかけなどのポスターが入り口に貼られていた。
・2006年4月4日、個人営業交通業者と中小型バス運転手たちは、記者会見を行って、中小型バス140企業のうち、40企業近くがミクロバス業者である。彼らには、社会保険がないこと、老人と身体障害者無料パスに対する補償金を市交通局から交付されていないこと、種々の税金を徴収されていること、などに抗議し、組合を結成し闘うことを表明した。
・2006年4月5日、アイバンホー・マインズ社との「自動継続契約」に反対して、「急進的改革」運動、「健全な社会のための市民運動」、「健全な社会のための党」らが政府官邸前でデモ集会を行った。
・2006年4月11日、「健全な社会のための市民運動」、「急進的改革」に反対する「融和と健全な政治のために」という名の集会が、「融和」、「自由学生運動」、「フフ・モンゴル」グループによって自由広場で開かれた。彼らは、「健全な社会のための市民運動」や「急進的改革」運動などの人々がスフバートル広場でゲルを4張り建てて座り込み、政治化していることを非難した。また、彼らは、「すべての子供に3000トグルグ支給」は、18歳まで銀行に預け、大学の学費にするよう提案した。
・2006年4月13日、「老年者自由連盟」は、「オユトルゴイ、タバントルゴイ鉱山を早急に閉山にせよ」、「鉱山採掘権を取り戻せ」、という要求のデモを政府官邸北側で行った。
・2006年4月17日午後3時、М.エンフボルド首相の指示により、内閣官房長官С.バトボルド、法務内務相Д.オドバヤル、建設都市整備相Ж.ナランツァツラルト、社会保障労働相Л.オドンチメドは、スフバートル広場でゲル座り込みを行っている人々と会って、彼らの要求を聞いた。抗議運動の代表の一人バトザンダンの要求は、1)オユトルゴイなどの鉱山を国民の手に、2)警察関係者の処分、3)汚職に関係していると言われる政府高官の罷免、である。
・2006年4月17日、М.エンフボルド首相は、スフバートル広場でのデモ集会参加者代表と会見することを申し入れたが、彼らによって拒否された。4月18日、彼らは政府官邸北側でデモ集会を開いた(参加者1000人)。さらに、人民革命党本部に行き、人民革命党書記長に要求書を手渡した。しかし、САПУ火災被害者は参加しなかった。この要求は、М.エンフボルド首相罷免、人民革命党非難であった。これに対し、С.バヤル人民革命党書記長は、同党幹部会でその要求を話し合う、と回答した。会見を終えたГ.バーサン「老年者自由同盟」代表は、「われわれは勝利した」と語った。
・2006年4月19日、「急進的改革」運動は、記者会見を行って、当該運動が学生にお金を与えてデモに参加させたという報道を否定し、さらに、人権団体からの資金援助を要請した。
・2006年4月20日、ニャムドルジ国家大ホラル(国会)議長は、「我がモンゴルの地(注:故О.エンフサイハン議員が創設した)」代表Б.ボルドバータルたち5人の代表と会談し、「鉱山法」改正問題について、市民たちの運動との協議の必要性を認めたが、その政治問題化に反対した。
・2006年4月20日、「バス3」社の最初の民営化(2003年)以降、ウランバートル市国有財産委員会は、「バス3」社の営業を停止させる決定を出した(赤字のため)。
・2006年4月20日19時30分から3時間、М.エンフボルド首相とデモ集会運動代表とが協議した。その間、デモ集会運動側は3項目の要求を5項目に変更して、その実行を迫り、その結果、両者が合意に至らなかった。4月21日11時、再度、協議を行ったが、出席したのは「急進的改革」代表のС.ガンバータルのみだった。それ以外のものは、ニャムドルジ国家大ホラル(国会)議長との協議を要求している、というのが協議欠席の理由であった。
・2006年4月22日、М.エンフボルド首相の指示により、商工副大臣、財務副大臣、保健副大臣らがハンストと座り込み参加者と面会し、ハンスト参加者で体調が悪化している人々を病院に収容した。4月23日にも同様の動きがあった。
・2006年4月22日深夜19時10分、4月18日17時からハンストを行っているСАПУ被害者たちを、オドバヤル法務内務相ら政府閣僚3人が面会し、政府、САПУ、САПУ被害者(従業員組合代表者)三者協定が署名され、問題解決の第一歩を踏み出したので、ハンストを中止するよう、説得した。これを受け、アルトジン・САПУ商業センター社長アルタンがスフバートル広場南側のゲル内でハンストを決行しているСАПУ被害者と面会し、総額46憶トグルグを賠償することで両者が署名した。
・2006年4月23日、М.エンフボルド首相らとデモ集会側との4回目の会談が政府官邸で行われた。デモ集会側の要求である、「エンフバヤル大統領、М.エンフボルド首相罷免」は、政府の権限外であり適法ではないとして拒否した。「警備担当者の処分の可否」要求は、今後検討すると回答した。「オユトルゴイ、タバントルゴイ、ボロー・ゴールド社問題」は、デモ集会運動側が当該問題作業グループに入り、政府、議会、デモ集会側が同等の権限で検討する、と回答した。その結果、「急進的改革」側は、政府側の提案を受け入れ、ハンスト中止を発表した。また、エンフバヤル大統領罷免については憲法裁判所に提訴するとした。一方、「健全な社会のための市民運動」側は、エンフバヤル大統領らの罷免要求が実行されないのでこの作業グループには加わらないとして、政府側の提案を拒否した。
・「デモ集会」運動側は分裂。
・2006年4月24日、政府官邸北側にゲルを建てて、10日間以上泊まり込んでいた「老年者自由同盟」のゲルを、警察が撤去した。国家的行事が行われるからと言うのがその理由であった。
・「急進的改革」代表ガンバータルたちのデモ集会運動側と政府側との作業グループの初会合が開かれた。テーマは、「自動継続契約」の可否、地下資源からの所得税の検討、の2つであった。
・2006年4月25日、チンゲルタイ区の中国人経営の中国料理レストランがモンゴル人によって襲撃された。
・2006年4月27日、デモ集会運動が集会を開いて、「国民特別大会」開催を提案した。しかし、「静かな」デモ集会となった。
・2006年5月1日、САПУ商業センター火災被害者は、スフバータル広場でゲルを2張増やして、ハンストを始めた。М.エンフボルド首相がウランバートル市長の時に不法に土地取得を許可したために、自分たちに被害が発生し、財産をすべて失った、と述べている。
・2006年5月2日、市民の意志党は、民主党との「影の内閣」結成を破棄した。5月3日には、「健全な社会のための市民運動」と共同行動をとると発表し、市民の意志党書記長М.ゾルグト国家大ホラル(国会)議員とЖ.バトザンダン「健全な社会のための市民運動」代表がそのための署名をした。彼らは、民主的な市民社会形成、汚職追放、政府監視、報道の自由に関する法律の制定要求、臨時選挙実施をめざす。
・2006年5月5日、アルハンガイ・アイマグのツェンヘル・ソムで、「モンゴル・ガザル」社が金採掘を行っているが、環境保全対策を怠ったため、水質汚染など環境破壊を引き起こしている。このため、地方住民が闘争を開始した。これについて、「アリオン・ソバルガ」運動代表Г.チャグナードルジ、「人権発展センター」理事長Г.オランツォージたちは、記者会見した。彼らによれば、アルハンガイ・アイマグのツェツェルレグ・ソムとツェンヘル・ソムの住民代表評議会(町議会)は、「モンゴル・ガザル」社がオルホン・バグで金採掘を行い、環境保全対策を怠ったために、19河川とその支流が涸れた、という理由で、このバグのナリーン・ハマルでの操業を認めない、という決議を2005年夏に出した。ところが、住民代表評議会(村議会)幹部会は、2005年7月1日、決定を出し、「モンゴル・ガザル」社に対し、ナリーン・ハマルでの金採掘を認め、バグ長は土地と水利用の許可を与えた。この決定をアイマグ(行政)裁判所は支持した。こうして、2005年8月から10月まで、警官たちに守られ、「モンゴル・ガザル」社は、20ヘクタールの土地を採掘した。これに対して立ち上がった住民たちは、「アリオン・ソバルガ」運動および「人権発展センター」と協力して、アイマグ(行政)裁判所に提訴した。10月2日、行政裁判所はこの提訴を支持した。「モンゴル・ガザル」社は、当地の井戸3ヶ所を涸らし、ナリーン・ハマルの川を汚染させ、この水を飲んだ家畜が病気になった。現在、ナリーン・ハマルには、10以上の家族が生活しており、家畜が病気になり、飲料水もなくなり、タミル川の流れが止まる危険性が出てきた、という。
・2006年5月6日、ザーマルの「ニンジャ」100人以上が、「アルタン・ドルノド・モンゴル」社が採掘権を所有する土地に投石、襲撃し、ガードマン2人に怪我を負わせた。翌5月7日には、その人数が300人以上になった。警官たちは、その内の数人を拘束した。
・市民運動の一つ「急進的革新」(代表С.ガンバータル)の参加した、「鉱山法」改正案作成グループの調査の結果、オユトルゴイ鉱山の採掘権は、1997年にВНРミネラル・インターナショナル社に付与された。この採掘権期間が2000年2月17日に終了した。ところが、同年6月21日に延長された。これは不法であった。2002年にアイバンホー・マインズ社がその採掘権を買い取った。「急進的革新」運動側は、タバントルゴイ鉱山の政府による投資を提案した。また、オユトルゴイ鉱山の自然環境調査と当時の採掘権付与状況を調査すること、政府による投資、アイバンホー・マインズ社への採掘権移譲のコピーを公開するよう要求した。アイバンホー・マインズ社のインドネシア、ミャンマーでの反国民的行為からみて、当該社のモンゴルからの追放を要求した。モンゴル国民の利益に反する「自動継続契約」の凍結を要求した。また、この「自動継続契約」に関係した政府高官や政治家の不正行為を徹底的に調査することを要求した。
・2006年5月8日、政府当局は、スフバートル広場南側にゲルを建てて、ハンストと座り込みを行っている人々のゲルを撤去した。これを実行している「老年者自由同盟」、「ダヤル・モンゴル(全モンゴル)」運動は、これに反対した。また、民主党、市民の意志党もこれに対する抗議声明を出した。
・2006年5月8日、ザーマル・ソムのハイラースト河口でのニンジャと警官が衝突した。
・銅・金のロンドン金属市場での価格が、それぞれ1トン当たり2600ドル、1オンス当たり500ドルを超えた場合、68%を課税する法案が国家大ホラル(国会)で承認された。
・国際経済学者たちは、モンゴルが非市場経済に移行しているという見解を出し始めた。
・2006年5月14日、16アイマグの11運動団体が統一し、「地域社会を守る連合」を結成した。モンゴル人の健康と安全な生活を守るのが目的。鉱山法改正試案を提出する予定。また、採掘状況を監視する予定。
・2006年5月4〜15日、IMFのスタッフ(ロジャー・クロネンバーグら)がモンゴルに来て、貧困緩和対策実施状況を視察した。彼らによると、モンゴル経済の好況は、銅・金世界価格上昇、鉱山部門への外資の参入、活動的な建設部門、好調な農牧業部門などによる。また、金・銅からの収益に68%の課税は外資に有害である、と批判した。そしてIMFは、政策提言を行うと述べた。さらに、公務員給与30%増を疑問視した。
・国民党も、市民の意志党と「健全な社会のための市民運動」のデモに参加を表明。
・ヘンティー・アイマグのノロブリン・ソムの金鉱で採掘している、「バヤン・エルデネス」社を「ニンジャ」が襲撃し、警官二人にケガをさせた。そのため10人を30日間拘束した。
・2006年5月17日、市民の意志党と「健全な社会のための市民運動」は、自由広場でデモ(参加者約100人)。選挙管理委員会の構成の80%が人民革命党で占められていることに反対、その後、スフバータル広場に行き、「老年者自由同盟」と合流。ニャムドルジ国家大ホラル(国会)議長に要望書を提出するべく、С.オヨンを呼び出し、彼女にその文書を渡した。
・2006年5月17日、С.バヤル人民革命党書記長の記者会見:人民革命党支持率の低下を食い止め、党内刷新のため、人民革命党幹部会が開催された(5月11日)。「人材育成、選抜、推薦、責任」のための運動を展開する。
・2006年5月19日、「急進的改革」運動は、М.エンフボルド首相がウランバートル市長時代に、1万5000ヘクタールの土地を兄弟友人たちに付与した。これを裁判所に告発する、と発表した。
・2006年5月19日、「民族新党」結成大会が開かれた。エンフサイハンは、綱領文書「モンゴルの将来と民族新党」を読み上げた。Ц.ツォルモン(外務副大臣)は、民族主義の拠り所は「ノーツ・トブチョー(元朝秘史)」であると演説した。Д.デルゲルツォグトは、「無責任、公正を欠くジャーナリズム、自己顕示、噂話、喧嘩、非難中傷、犯罪、暴力」が社会に蔓延している、と演説した。その他、21世紀は中国の世紀であるばかりでなく、モンゴルの世紀にしよう、と演説するものもいた。そして、「9ヵ条の呼びかけ」を発表した。すなわちそれは、「生活権、人権、安全保障、選挙権、公正、教育権、信頼、労働権、自然環境保護」の尊重である。幹部会員として、М.エンフサイハン(副首相)、Ж.バトホヤグ(国家大ホラル議員)、Ц.ツォルモン(外務副大臣)、Ж.ナランツァツラルト(建設都市整備相)を選出。彼らが1年交替で党首を務める。
・2006年5月20日、ウブルハンガイ・アイマグで金採掘を行っているエレル社を、200人の「ニンジャ」が襲撃した。その一週間前に、З.エンフボルド、Г.バトフー、Р.バダムダムディン議員たちが集会を開き、ニンジャ7000人に対し、「ここはあなた方の土地だ。鉱山を攻撃せよ。まもなく法が改正されてあなた方のものとなる。」と煽動した。一方、当の三人の議員たちはそれを否定している。
・С.バヤル人民革命党書記長:「ここ1年以内に、(人民革命)党に望ましい大きな改革が起こり、党内が健全化し、多くの国民の信頼が回復するだろうと思っている。」
・人民革命党の党内改革の一つとして、党費が中央に一括して納入されていたのを、初級組織が年間80万〜100万トグルグの独立した費用をまかなうことになった。
・アイゼンハワー奨学金によって、25チャンネルの編集長А.バータルホヤグと妻で「政治新聞」の編集長Г.オヤンガが米国留学予定。エルベグドルジの仲介による。
・2006年5月25日、「健全な社会のための市民運動」第1回大会が開かれた。
・2006年5月30日、「急進的改革」運動は、記者会見を行って、「チン・フ・マク」社が「自動延長契約」の条項を履行していないこと(例:舗装道路の敷設など)を明らかにした。
・「急進的改革」運動は、記者会見し、「自動継続契約」の破棄を提案した。政治家たちの短視眼がその最大の原因である。これと同様に、「特別税」も見直すべきである。もしこれらの提案が受け入れられなければ、デモ集会に訴える、と表明した。
・アイバンホー・マインズ社最高経営責任者ジョン・マケインは、記者会見で次のように語った。モンゴルが市場経済によって発展しようとして外資企業を招致した。「オユトルゴイ」鉱山など、モンゴルの鉱山が収益をもたらすには長期間が必要である。それを考慮しないならば、我々は資本を引き上げるだろう。「(銅・金)特別税」導入も、経済的・国際的に否定的影響を与えるだろう。世界経済はモンゴルを必要としなくなるだろう。アイバンホー・マインズ社は、その所有株をモンゴル証券取引所で売却する用意がある。
・2006年6月2日、「銅・金特別税」に反対する集会が、「文化センター」で開かれた。国家大ホラル(国会)議員ではС.オヨンだけが出席した。この集会の組織者の一人Л.ツェレンダバーは、この税法が導入された結果、鉱山企業の設備投資が不可能になり、それに関連した企業の従業員5万人の生活が脅かされ、さらには、世界でのモンゴル評価が低くなる、と演説した。最後に、「5月12日の「黒い金曜日」に突如として承認された『銅・金特別税』を無効にすること、(当該法承認に際し)専門家に諮問することを要求する」、と言う声明文を国家大ホラル(国会)議長に提出した。
・2006年6月2日、国家大ホラル(国会)は、2006年1月1日以降に生まれた子供に1万トグルグ、新婚家庭に50万トグルグ、0〜18歳までのすべての子供に7月1日から3000トグルグを支給することを可決した。
・民営化された(背後にボヤン社のジャルガルサイハンがいるといわれる)「バス3」社が閉鎖される。従業員94人(そのうち80%が女性)が職を失った。
・2006年6月5日、2007年度予算が国家大ホラル(国会)で採択された。この予算は、社会主義時代と同じような性格を持ち、前年度予算より社会保障費が21.2%増、保健費が8.5%増、教育投資が16.9%増である。これは、国際援助機関の勧告に逆らうものである。
・人民革命党書記長С.バヤル:「(人民革命)党が活性化し始めている」。
・2006年6月7日、市民の意志青年同盟、「健全な社会のための市民運動」は、デモ行進をした。この行進に参加した市民の意志党副党首Ц.ガンホヤグは、汚職に反対すると述べた。彼らは、自由広場からモンゴル国立大学、モンゴル国立教育大学を通り、スフバートル広場までデモ行進をした。スフバートル広場北側に隣接する政府官邸の西側では、10以上の貯蓄信用組合に資金を詐取された人々が抗議集会を開いた。彼らは、「貯蓄信用組合法」制定の責任を問うデモを行った。彼らは、モンゴルには2000人以上の富豪がいて、そのうち200人が政治家である。彼らが経済を牛耳り、政治が経済の前に膝を屈してしまった、と抗議の声を上げた。
・2006年6月7日、タクシー会社の運転手たちは、月額1万トグルグ徴税(2004年制定)、に反対し、市交通局と団交した。彼らはこれを二重課税であるとみている。
・2006年6月8日、貯蓄信用組合が担保を取らず貸し付け、焦げ付いて倒産した(例:トグス・エルデネ・サン」)事件の被害者たちと経済学者Н.ダシゼベグたちは、記者会見をして、政府、モンゴル国立銀行が貯蓄信用組合に対する監視義務を怠った、としてその責任を追及した。
・2006年06月13日、「健全な社会のための市民運動」と「国民党」は、ここ1ヶ月、ボローゴールド、セレンゲ、スフバータル、タバントルゴイ、オユトルゴイ、ナリーンソハイトに行き、これらの鉱山が自然環境を破壊し、湖をせき止めて汚濁させ、山を削って谷にし、地域住民に有害な影響を与えているのを視察した。そしてこの日、バトザンダン、グンダライたちが記者会見を行った。彼らは、ボローゴールド社を標的にしぼり、当社がウェブサイトでモンゴル人に贈ったという5000万ドルが誰の手に渡ったかを解明するつもりである、と述べた
・2006年6月14日、「健全な社会のための市民運動」と「国民党」は、スフバータル広場で抗議集会を開いた。彼らは、カナダの「センテルラ・ゴウルド」社出資の「ボロー金鉱」の操業を停止させること、「自動継続契約」を破棄すること、5000万ドルの投資金が誰の手に渡ったか(注:С.バトボルドを名指ししている)を明らかにすること、を政府に要求している。
・2006年6月15日18時40分頃、デモ参加者約200人(注:警察発表は約80人)がボローゴールド社の金鉱に立ち入ろうとした際に、Б.バトソーリ(60歳、国民党員)がガードマンの電気棒で殴打され死亡した。これを指導して参加していたグンダライは、ボローゴールド社を非難した。一方、セレンゲ・アイマグのバヤンゴル・ソムにあるボローゴールド金鉱の副社長イーゴリ・コバルスキーは、この事件の責任がグンダライその他の指導者にある、と述べた。「センテルラ・ゴウルド」社がボローゴールド社(オーストラリアのAGR社所有)を買収する際、その評価価格に上乗せして5000万ドルが支払われた。
・モンゴルの全債務はGDPの80%に相当する、16億ドルに達した。
・2006年6月16日、ボローゴールド社の金鉱「襲撃」事件に関し、カナダ政府はモンゴル外務省に意見書を送付してきた。その中で、モンゴル市民運動が平和的な反対行動をすること、モンゴル経済の発展に果たす外資の役割を尊重すること、カナダ国籍の外資企業に対する不法行為に遺憾の意を表するものであること、この事件がモンゴル政府の正式の政策ではない旨を表明するよう希望すること、などを述べている。
・2006年6月17日、「健全な社会のための市民運動」および「国民党」と、ボローゴールド社長И.А.コバルスキーとは、モンゴル保健部門および教育部門への資本投下に合意した。すなわち、彼らは会談し、保健センターに30億トグルグの寄付をすることに合意した。6月18日には、この寄付金額をさらに増額することになった。この結果、「健全な社会のための市民運動」と「国民党」のデモ参加者約70人は、ボローゴールド社の敷地から引き上げることになった。
・約1000人のニンジャたちが再び「アルタンドルノド」社の金鉱に進入した。ザーマル・ソムでは、4000〜5000人のニンジャたちが、採掘した金を巡って争奪をし、傷害事件を引き起こす事件が起こっている。夏休みになって、学生たちが金鉱に入り込んでいる。
・2006年6月20日、保健省の4人の局長たちは、グンダライが保健行政を混乱に陥れている、と非難し、国家大ホラル(国会)議長と議員たちに、グンダライ罷免を要求した。
・世銀は、モンゴルの行政組織の質的向上のため、2012年まで総額1400万ドルの技術援助のための無償援助を行う、と発表した。その目的の一つは、(外資による)投資環境を整備するためである。
・2006年6月21日、人民革命党幹部会が、党長老の要請で開会され、その中で、М.エンフボルド政府の消極的な行動を批判した。
・2006年6月22日、国家検察庁は、ボローゴールド社の金鉱にデモ参加者約200人が立ち入ろうとした際、Б.バトソーリが殴打され死亡したが、その死因が心臓マヒである、と発表した。
・2006年6月28日、「健全な社会のための市民運動」、鉱山業者権利擁護臨時会議、САЛУ被害者、貯蓄信用組合被害者たちは、スフバータル広場にゲルを建て、抗議行動を始めた。国家大ホラル(国会)解散まで継続する、という。「健全な社会のための市民運動」と貯蓄信用組合被害者たちは、国家大ホラル(国会)解散を要求し、鉱山業者権利擁護臨時会議は、「銅・金特別税」廃止を要求している。
・2006年6月29日、人民革命党は民主党による内閣退陣要求を拒否した。
・2006年6月29日深夜、スフバータル区長に正式の承認を受けていないとして、警察は千人の警官を動員して、スフバータル広場に建てていたゲルを撤去した。
・鉱山法改正(2006年7月8日採択、2006年8月26日発効)の要点:1)採掘権は法人にのみ付与(個人ではなく)。2)国内外投資家に平等に課税(採掘権付与期間は30年、以後20年ずつ2回更新)。3)「自動継続契約」は「投資契約」に変更)。4)地方自治体の権利拡大(採掘権付与決定に関する審議に参加)。5)情報の公開、政府の経営への参加(持株50%まで、全額出資の外資へは34%まで)。6)環境保全対策の厳格化(500万〜1000万トグルグの罰金)。7)採掘権料の引き上げ(5%に)、それの10〜20%を現地の自治体に、70%を国庫に納入。8)外国人労働者数を10%以下に制限。
鉱山法改正に関する見解:ガンバータル(急進的改革運動代表、鉱山法改正案作成グループに参加):1)環境保全対策が不十分。アビルメド(故О.エンフサイハンの「我がモンゴルの地」運動に参加):政府参加条項が不十分。1997年の鉱山法と変わらない。
・2006年8月8日、С.アビルメド、Ж.ビャンバー、Ч.ホルツ、М.ダムディンスレン、Б.バルジンニャム、С.ボルド、Д.サンジャードルジ、Р.エルヘムバヤルたちは、「鉱山法」改正に大統領が拒否権を発動するように要請した。その内容は、1)天然資源を国家ではなく私企業によって開発しようとしている。2)政府参加が50%以内であるということは0%もありえる。3)採掘権付与期間が従来の15年から30年になった。4)採掘権付与に関する審査作業が未だ不明瞭なまま残された。4)自然環境保全対策が不十分である。結局、大統領は拒否権を発動しなかった。
・「急進的改革」運動代表С.ガンバータルの呼びかけで、38の市民運動体が統一し、「ソヨンボ」国民運動が結成された。
・バヤルトサイハン財務相:2007年度7月までに貿易収支が初めて黒字になった。これは銅世界価格上昇、「銅・金特別税」が大きな影響を与えている。
・年金額が平均8%増額される。
・2006年9月2日、О.エンフサイハン議員(民主党選出)死去に伴う(国家大ホラル(国会)第46選挙区(フブスグル・アイマグ)の補欠選挙が実施された。その暫定結果が、2006年09月04日、発表された。それによれば、有権者15551人の内、12393人が投票し、投票率は79.69%だった。立候補者の得票率は、θ.エンフトゥブシン(人民革命党)56.74%(6929人)、О.オトゴンサイハン(民主党)40.65%(4964人)、П.デルゲルジャブ(祖国党)0.94%(115人)、Л.デルゲルダライ(国民党)0.71%(87人)、Ч.バザル(市民の意志党)0.66%(81人)、Л.テムージン(伝統統一党)0.20%(25人)、С.バヤンマンライ(共和党)0.07%(5人)で、この結果、θ.エンフトゥブシンが選挙に勝利した。
・人民革命党「伝統・革新ー民主・公正」グループのメンバー、Д.バトジャルガル:「伝統・革新ー民主・公正」グループの勝利である。人民革命党の改革をフブスグルの人々が支持した。民主党の地方党員もその考えを知って支持した。「伝統・革新ー民主・公正」グループのメンバーの90%近くが選挙運動に参加した。
・2006年9月7日、学生連合は、大学授業料値上げに反対して、来週、デモ、授業放棄を行う、と発表した。
・「労働組合連合」(加盟員2万人)が結成された。彼らは、労働組合が政府に要求を行わなくなったことを批判した。内外の雇用者と対決すると宣言した。
・モンゴルの経済成長が安定化し、国家予算が6.5%の黒字になり、インフレを目標以下に抑えたことは、民族統一政府(=М.エンフボルド政権)の政策の成果である、とIMFが評価した。
・2006年9月8日、新しく組織された「労働組合連合」(代表者の一人С.エルデネ)は、ハンオール区の「労働者広場」で最初の集会を開いた。給料値上げを要求した。
・2006年9月11日、「モンゴル学生運動」の若者たちは、「教育ビジネスを止めよ」、「国有建物をわれわれのお金で建設することに反対する」、「汚職した学長を告訴せよ」、「(われわれは金銭)支払い機械ではない」、「エルデネバータル大臣よ、学生の集まる場所を略取するな」、「З.エンフボルドが教育に介入するのを止めよ」、「教育文化科学省よ仕事をしろ」、というスローガンを掲げて、モンゴル国立大学2号館南側の広場で、集会を開いた。彼らは、授業料値上げ反対、学生寮建設用地取り上げ反対、などを主張している。モンゴル国立大学、科学技術大学、農牧業大学、一部の私立大学などの学生たちが参加した。科学技術大学の授業料が今年、70万〜80万トグルグになった。
・2006年9月12日、欧州復興銀行は、モンゴルに対し600万ドルの借款供与を行うことになった。ハス銀行を通じ、中小企業支援に充てる。さらに、ハス銀行の金融活動を強化するために、100万ドルの資金供与を行う。
・2006年9月12日、「タクシー業者組合」は、石油値上げにともなって、乗車運賃を1キロメートル300トグルグにするように運転手たちに指示した。大型バス運賃も値上げの方向で検討中。
・2006年9月14日、「投資家会議2006年」が政府官邸で始まった。40カ国以上の国々から421人の代表、国内から約400人が参加。政府の投資政策を宣伝するのが目的である。約80の計画案、特にアルタンボラグ経済自由特区計画案に関心が集まる。
・2006年8月時点でのインフレ率は、11.7%の達した。さらに上昇の兆し。
・2006年10月2日、2006年度秋期国家大ホラル(国会)開会。ニャムドルジ国家大ホラル(国会)議長の冒頭演説:バク(村)長から政府委員に至るまで、職務を錬金の手段としている。貧困をなくし、公正さを取り戻すべきである。
・2006年10月9日、鉱山局は、ウムヌゴビ・アイマグのハンボグド、ゴルバンテス、ツォグトツェツィー、アルタンオボー各ソムで鉱山採掘を行っているアイバンホー・マインズ・モンゴリア、チンホア・マク、タバントルゴイ・トランス、プ・シンモン各社の操業について、一時停止処分にした。このうち、アイバンホー・マインズ・モンゴリア社は、ウムヌゴビ・アイマグに83カ所の鉱山採掘地を持ち、環境保全対策をとっていない。各ソム長に報告書も提出していない。このため、オユトルゴイ鉱山の操業を一時停止処分にした。
・2006年10月12日、「公正国民戦線」が「国民放送」を占拠し、チンギスハーン空港と鉄道を封鎖する「政治クーデター」を計画していると発表した。これに関して、同戦線消息筋は、市民の意志党と「健全な社会のための市民運動」による、国家大ホラル(国会)解散要求を支持している、と語った。そして、当局がこれを受け入れなければ、上記の手段に訴える、と述べた。さらに、国家大ホラル(国会)民主党会派25人とエルデネブレンは、議員辞職を明らかにしている、С.オヨン、М.ゾリグト、Л.グンダライはそれに追随する用意があると発表した。民主党は、元来、М.エンフボルド内閣解散、エンフバヤル大統領弾劾などを要求していた。
・2006年10月12日、人民革命党分派(「伝統革新ー民主公正」、「特別大会のために」、「赤いバラ」、「新転回」)は、エンフトゥブシン議員の部屋に集まり、「特別大会」開催要求を発表した。そして、人民革命党党首М.エンフボルドに対し、「公開質問状(2006年10月10日付)」(Ц.オヨンバータル、ジャルガルサイハン連名)を手渡した。
・2006年10月13日、国家大ホラル(国会)民主党会派24人は、М.エンフボルド内閣解散要求書を議長に提出した。その理由は、1)前政権を奪取した、2)国民の権利を奪い、賄賂が拡大した、3)モンゴルを発展させる政策をとらないで、投資計画の遂行率が50%以下である。このため、憲法第43条第4項(注:21人以上の議員によって内閣解散要求が提出できる)により、解散要求を提出する。
・2006年10月15日、民主党会派による解散要求書に対するМ.エンフボルド首相の回答書:現政府は、公務員給与および年金の引き上げ、すべての子供に3000トグルグ支給、1,2年の児童に給食、「健康人」計画実施、経済成長率9%、国民1人当たり950ドル、などを実施してきた。来年度は、再度公務員給与および年金額の増額、すべての子供に5000トグルグ支給、3・4年の児童に給食、「アパート建設」計画実施、などを計画している。(民主党会派による解散要求書提出は)、政府によるこうした政策を遅らせようとする行為である。この行為によって、民主党が2008年の選挙に勝利すると考えているとすれば、それは国民を愚弄するものである。また、現政府は汚職問題に積極的に取り組んでいる。現政権のこの時期に、汚職事件90件のうち、40件を裁決した。汚職事件を政治問題化することは、かえって汚職をはびこらせることになる(注:Х.バータル「獄中書簡」公表をさしている)。投資計画も、昨年末よりも90%以上実施した。М.エンフサイハンは、(民主党会派の解散要求書提出は)エルベグドルジの報復行為である。モンゴルは、大統領制に移行すべく、憲法を改正しなければならない、と述べた。М.ゾリグト(市民の意志党議員)は、「公正国民戦線」を支持しない。憲法を守るべきである、と述べた。
・2006年10月25日、国家大ホラル(国会)は、国家大ホラル(国会)民主党会派が議長に提出した解散要求書を審議した。まず、エンフバヤル大統領が自らの見解を述べた。彼は、1)政治的安定が必要である、という立場から解散は必要がない、2)一定の公務員の責任を問うことは必要である、と演説した。次いで、М.エンフボルド首相が演説し、政府の実績を強調した。その後、各議員の質疑応答が行われた。採決は明日に持ち越された。
・2006年10月25日、「老年者自由連盟」代表Г.バーサンが拘束された(バーサンたちがウランバートル市長室に侵入した[2006年10月9日])容疑で)。
・2006年10月26日、国家大ホラル(国会)は、民主党の政府解散要求について、「解散の必要がない」という決議を出席した68人のうち48人の賛成で、採決した。
・2006年10月26日16時30分頃、「モンゴル民族戦線」、「健全な社会のための市民運動」、「公正市民戦線」、「ソヨンボ」、「ダヤル・モンゴル(全モンゴル)」などの市民運動は、エンフタイバン通りの中央郵便局東側の道路にゲルを建てて封鎖し、交通を7時間遮断した。「ダヤル・モンゴル(全モンゴル)」代表Ш.プレブスレンは、「老年者自由連盟」代表Г.バーサンが警察に拘束されたのに抗議し、政府の解散を要求して、道路を封鎖した。
・「モンゴル国開発基金」創設。銅・金価格上昇からの利益をプールする。対外債務のGDPに占める割合が90%から60%(16億ドル)に下がった。モンゴルはアジアで最も税負担が少ない国となった。
・2006年10月30日、市民運動指導者たちが記者会見をして、道路封鎖を謝罪した。
・バヤンホンゴル・アイマグのバヤンオボー・ソムのホンホル・デルスという土地で金採掘を行っている中国の「ツァガーン・ツァヒル・ゴールド」社は、1800キログラムの水銀を垂れ流した。その結果、この汚染された水を飲んだ山羊64頭が死んだ。このため、当社は操業停止になった。
・2006年11月1日、「全国民大集会」代表と民主党党首エルベグドルジおよび、人民革命党書記長С.バヤルとの会見。
・2006年11月6日、「全国民集会」がスフバートル広場で開催された。トゥブ、ヘンティー、バヤンホンゴル・アイマグなど10以上のアイマグから代表が来た。10時からアンケート用紙(計3万枚)が配布された。それには、1)鉱山法施行停止、2)国家大ホラル(国会)解散と大統領罷免、3)「全国民特別大会」開催の是非、を問うていた。「政治新聞」編集長Г.オヤンガ、「我がモンゴルの地」副代表П.ボルド、「健全な社会のための市民運動」代表Ж.バトザンダンたちが演壇に登った(「急進的改革」代表С.ガンバータルは不参加)。彼らは、汚職高官が国を後退させ、地下資源が外国人の手に渡り、国家大ホラル(国会)は「鉄の頭をもつ」(注:「頑固な」というほどの意)ニャムドルジ議長に従属し、エンフバヤル大統領は宗教の主宰者となった、と述べた。また、1990年の民主化運動の継続である(С.エルデネ)と述べた。
・2006年11月7日14時30分、「全国民集会」が実施したアンケートの集計結果が発表された。集まった10282枚の内、有効なもの10138枚。1)について「正しい」とするもの9783枚(95%)、2)について「正しい」とするもの9448枚(91.8%)、3)について「正しい」とするもの9671枚(93.9%)であった。この結果に基づき、この3つの要求を承認する決定が出され、この「全国民大集会」は成功した、と宣言された。なお、無料で3000人に食事を出す計画は、混乱を回避するため中止された。「全国民大集会」の参加者は、第一日目が1000人、第二日目が500人、第三日目が200人足らずだった。「全国民大集会」は外国人によって資金援助が行われた。その名前は、フランク・ベンジャミン・モイルという北アイルランド人である。
・今年度(2006年)初めて、ジャガイモの自給率が100%となった。
・2006年10月27日〜11月3日、サンマラル基金の世論調査:最重要課題は失業問題(33.3%)、貧困問題(15.2%)、汚職問題(13.4)。信頼する国は、ロシア、米国、日本の順。政党支持率は、人民革命党33.7%、民主党24.3%、国民党3.7%、市民の意志党3.4%、支持政党なし14.6%。
・2006年11月13日、「全国民大集会」主催者は、開催費用が2002万6000トグルグだった、と発表した。その内、800万トグルグは「民主主義」基金と小企業5社からの献金であった。
・2006年11月14日、国家大ホラル(国会)臨時総会は、人民革命党会派の提案を審議し、子供に毎月11330トグルグ支給することで合意した。しかし、突然提出されたため、手続き上、経済常任委員会に差し戻して審議することになった。
・2006年11月15日、差し戻された議案について、国家大ホラル(国会)経済常任委員会は、子供に年13万6000トグルグ支給する議案を採決した。
・2006年11月20日、「健全な社会のための市民運動」指導者の一人О.マグナイは、市民の意志党に加入した。一方、Ж.バトザンダンは2000年から民主党員である。Ч.チメドスレンは人民革命党党員である。
・2006年11月20日、О.マグナイは、記者会見で、市民の意志党加入は民主主義勢力統一の端緒である、民主主義勢力が統一すれば人民革命党に勝つことができる、と述べた。
・現代の牧民の直面する問題:1)家畜泥棒が増え、これを取り締まる法律の罰則が軽い。2)畜産品価格が低下し、消費品価格が上昇している。これに対する政府の調整がない、ゾド(雪害)・ガン(干ばつ)の時と同じ状況である。
・「モンゴル民主同盟」は、С.バヤル(人民革命党書記長)に人権擁護で顕彰、Г.バーサン(「老年者自由連盟」代表)に2部屋のアパートを贈与、С.ツォグトサイハン(「ツォンフニー・ドー」を歌った歌手)の娘に1年間の学資を贈与した。
・2006年12月11日11時、人民革命党小会議開催。М.エンフボルド党首:「問題は多くあるが、党内論議を行うべきである。党綱領を実行するには、安定した政治が必要である。」С.バヤル人民革命党書記長:「今年はかつてないほど党支持率が低下した。(「伝統・革新ー民主・公正」グループの提案した14項目への回答について)6項目は憲法と党則を変えなければならない(から難しい)。党倫理の確立は実現されつつある。」
・2006年12月20日、貯蓄銀行が民営化された。チンギスハーン銀行、モンゴル保険、ロシアのブラツキーの人民銀行のコンソーシアムが2010万1000ドルで落札していた。
・2006年12月26日、10億トグルグ国債が発行された。これは、国債600億トグルグ発行計画の一部となるもの。年利6.5%予定だったが、ХААН銀行が年利6%で全額購入した。この国債600億トグルグ発行により、「4万戸アパート建設」を行う。そのための「アパート金融協会」が設立された。
・2006年12月27日、グンダライ保健相が閣議において解任された。 
・2007年1月2日、グンダライは、記者会見を行い、「健全な社会のための市民運動」に加入したことを明らかにした。彼らは、グンダライ保健相解任は根拠がない、と述べた。(一方、)「健全な社会のための市民運動」はこの1月から倒閣運動を開始する、と述べた。この両者は矛盾があるのではないか、という記者たちの質問に対し、彼らは回答しなかった。
・2007年1月4日、「国民党」と「健全な社会のための市民運動」が組織した集会がスフバータル広場で開催された(参加者少数)。グンダライ解任に反対。「保健部門の汚職、官僚制と闘っていた大臣を根拠なく解任した。この結果、保健部門の改革は滞る。」
・2007年1月17日、人民革命党の青年党員たちは、「健全な社会のための市民運動」を非難した。彼らは、貯蓄信用組合被害者を利用して、その問題を政治化しようとしている、と述べた。この動きに、民主社会主義青年同盟、女性、学生、「老年者自由連盟」、伝統・革新ー民主・公正グループも同調。同グループ調整委員Р.バトエルデネは、「多党制の時代に、個人・団体の誤りをただ一つの政党(注:人民革命党をさす)に責任を転嫁したことを非難する」、と述べた。
・2007年1月18日、国家大ホラル(国会)総会は、オドンチメド社会保障労働相解任問題の審議を延期した。人民革命党会派に一部議員が解任賛成の意見を持っているためである。
・2007年1月19日、国家大ホラル(国会)総会は、オドンチメド社会保障労働相解任問題の審議を再開したが、人民革命党と民主党の応酬が激化したため(例えば、フレルスフが「『眠れる竜』」が目をさめた。これからはおとなしくしていない)と発言)、民主党会派が月曜日まで休会を申し込んだ。
・韓国で就労するモンゴル人が「年金手帳」を交付されることで、両国が合意した。韓国外務省、モンゴル社会保障労働省が調印し、2007年3月1日から実施される。
・17鉱山が国家戦略鉱山に指定される。タバントルゴイ炭鉱、マルダイ・ウラン鉱山、ドルノド・ウラン鉱山、ゴルバンボラグ・ウラン鉱山、オユトルゴイ銅金鉱山、ツァガーンソバルガ・銅モリブデン鉱山、エルデネト銅モリブデン鉱山、ブレンハーン蛍石鉱山、オラーン亜鉛錫鉱山、ツァブ亜鉛錫鉱山。さらに、アスガト銀鉱山はモンゴルロスツベトメト社所有に、トゥムルト・ツァイル鉱山、ナリーンソハイト炭鉱山、ボロー金鉱山、バガノール、シベーオボー炭鉱山、などは政府との「自動継続契約」が実効中である。
・2007年1月19日、国家大ホラル(国会)民主党会派は、国家大ホラル(国会)総会でのフレルスフ行政監督大臣の発言(注:А.ムラト、З.エンフボルド両議員の不正を示す文書がある、との発言を指す)に対し、1月22日、ニャムドルジ国家大ホラル(国会)議長に対し、フレルスフの責任を追及することを申し入れ、さらに、М.エンフボルド政権解散を要求した。これが受け入れられないなら、国家大ホラル(国会)解散すべきであると述べた。
・2007年1月23日、国家大ホラル(国会)民主党会派は、国家大ホラル(国会)総会をボイコットした。
・2007年1月23日、人民革命党「急進的改革」グループは声明を出し、人民革命党と政府役員たちの「無教育、非人間性」を非難し、責任を問う要求を出した。
・2007年1月25日10時50分、39議員の出席で国家大ホラル(国会)総会が始まり、人民革命党会派代表イデブフテンは、政府が法に違反していないこと、フレルスフの言動は人民革命党の見解ではないこと、(民主党の)ボイコットは正しくないこと、を述べた。その後、15時まで休会になった。
・2007年1月25日、市民の意志党副党首Ц.ガンホヤグたちは、エンフバヤル大統領に会い、国家大ホラル(国会)解散の是非を問う国民投票実施を要請した。
・2007年1月26日16時50分、国家大ホラル(国会)総会が民主党会派の欠席のまま始まった。オドンチメド社会保障労働相解任案に対し、出席議員42議員全員が反対し、否決された。それに続き、オドンチメドは登壇し演説した。彼は、その演説の中で、З.エンフボルド議員の私怨によって(注:彼の経営する「(韓国への労働者)派遣仲介所」がオドンチメドの社会保障労働省に移管されたこと)、この問題が起こったのは残念だった。現在の政治状況を考慮して、自ら辞任する、と述べた。オドンチメド社会保障労働相が自ら辞任したことによって、民主党は衝撃を受け、同党への非難が集まり、その支持率が低下した。
・2007年2月2日、グンダライによるジャルガルサイハン商工相解任要求書提出を受け、国家大ホラル(国会)経済常任委員会がこの問題を話し合った。11委員の内7委員が解任に賛成した。だが、総会での審議に入る際、民主党会派が出席せず、定足数不足で、総会審議が2月6日まで延期になった。
・2007年2月4日、「市民フォーラム」結成。「モンゴルで快適に生きよう」という呼びかけ。代表Д.エンフバト:「17年前の民主革命が現在どのようになってしまったのか自問すべきである。仕事が外国人の手に、酒がモンゴル人の手に。拝金主義、飲酒、不正な選挙が広がっている」。Д.ジャルガルサイハン:「私有制を妨げている」。М.イチンノロフ:「政治を監視する必要がある」。Ц.ムンフバヤル「オンギ川」運動代表:不正な鉱山採掘権取得問題を訴える。その他の発言者:Б.チメド(弁護士)、П.バダルチ(作家)、Л.ダシニャム(市民の意志党)、Г.テムージン(政治学者)、Ж.バトザンダン(「健全な社会のための市民運動」代表)、ジャルガルサイハン(人民革命党「新転回」運動代表)。
・2007年2月6日、国家大ホラル(国会)は、保健相にД.トヤ、社会保障労働相にД.デンベレルを就任させるという政府提案を承認した。次いで、グンダライ議員の要求によるジャルガルサイハン商工相解任問題の審議に入った。ところが、グンダライは、ジャルガルサイハン解任問題を一時凍結にしたい、と発言した。これは議会を愚弄するものだとして、ニャムドルジ議長を怒らせ、彼の職権で採決に入り、出席議員44人のうちの29人の賛成(65.9%)で、ジャルガルサイハン解任が承認された。なお、この審議・採決にМ.エンフボルド首相は参加していなかった。ジャルガルサイハンは、解任決定後の記者会見で、解任理由の大きな部分は、ダルハンのトゥムルテイ鉱山の採掘権取り消し、カナダ国籍の3社の採掘権取り消し予定が、何人かの政治家の不満を引き出した、と述べた。彼は、この解任によって、外資の資金援助による全国電力化計画が頓挫するだろう、と述べ、さらに、採決を強行したニャムドルジ議長を非難した。
・民営化前の貯蓄銀行(ハドガラムジ・バンク)の資本金のうち、1000万ドルが不足している。これを落札したロシア・ブラツキーの「国民銀行」は、その真相を明らかにするようモンゴル銀行に要求している。
・セレンゲ・アイマグ、イェルー、フデル・ソムの鉄鉱床(注:国家資金によって探査が行われた)の鉄を採掘し、選鉱する(注:ダルハンの冶金工場で)という当初の契約が守られず、採掘した鉄を直接中国に無税で輸出していた企業(注:ВЛТ社とトゥムルテイ鉄工業社)が、2006年9月8日、商工相鉱山局によってその採掘権を取り消された。この企業は、最高裁まで上訴していたが、2007年2月13日、最終的にその採掘権取り消しが確定した。これには、市民運動による、抗議行動・商工相鉱山局の監査にオブザーバーとしての参加、立ち会いが、その違反行為の暴露に寄与していた。なお、この鉄鉱床はトゥムルテイ鉄鉱床のこと、市民運動は「我がモンゴルの地」運動のことである。
・「ソヨンボ」運動(代表С.ガンバータル)は、国家大ホラル(国会)議員が2000〜2004年に1000万トグルグ、2004〜2005年に1億トグルグ、2006年に2億5000万トグルグ、それぞれの選挙区に割り当てたお金の使途を公開するように要求していた。
・2007年2月人民革命党にУ.フレルスフの指導する「左翼グループ」が生まれた。これに民主党の若手党員も含まれている。
・貯蓄銀行(1996年設立)詐欺疑惑事件:貯蓄銀行は、2006年5月まで財務省が管轄し、それ以降、民営化手続きのため、国有財産委員会に移管された。競売により、234億トグルグで落札された。その後、貯蓄銀行の保有資金のうち、142億トグルグが紛失していることが判明した。財務省・国有委員会合同調査委員会が調査した結果、この紛失は、2002年から発生し、その内、出納責任者Т.チメドツェレンが貯蓄銀行からの送金証明書を偽造して、15億5000万トグルグを詐取し、その他は不明になっていることがわかった。
・2007年3月2日、憲法裁判所大法廷は、ニャムドルジ国家大ホラル(国会)議長が法に違反して、「反汚職法」、「鉱山法」改正の条文を改竄したことに対し、越権行為であるという裁定を下した。
・2007年3月2日、民族新党は、第4回総会を開催し、現党首М.エンフサイハンに代えて、Ж.ナランツァツラルトを新党首に選出した。
・2007年3月5日、貯蓄銀行経営陣(社長Ц.ムンフバトたち)は、記者会見で、138億トグルグが9種類の不正によって費消された、と発表した。
・「ソヨンボ」運動(代表С.ガンバータル)は「民主同盟」と共同行動をとることになった。そのための署名を両者が行った。
・2007年3月15日、国立「労働者海外派遣センター」が設立される。これは、韓国労働省とモンゴル国社会保障労働省間で合意した、モンゴル人労働者の韓国への派遣に関する事務を取り扱う。
・2007年3月17日、ザーマル・ソムの住民による金採掘反対集会が開かれた。100人以上の牧民、住民たちが参加した。彼らは、「環境の犠牲者にはなりたくない」、と叫んだ(1992年からザーマル・ソムで採掘開始)。
・2007年3月18日、「ダヤル・モンゴル(全モンゴル)」運動は、中国、韓国料理レストランの外国語表示の看板を撤去する運動を展開した。
・2007年3月20日、「健全な市民戦線」代表Г.アルスランは、記者会見をして、人民革命党を政界から追放すべきである、と主張した。
・2007年4月2日、国家大ホラル(国会)人民革命党会派は、会議をして、ニャムドルジ議長が辞職する必要がないことを確認した。また、憲法裁判所の構成を法律家のみにするべきことを要求し、政治目的を持つ委員が少なからずいることを非難した。
・2007年4月2日、民主党は、ニャムドルジ国家大ホラル(国会)議長が議会を主宰すれば、参加しない、と、ニャムドルジ国家大ホラル(国会)議長に申し入れた。
・2007年4月5日10時10分、2007年度春期国家大ホラル(国会)開会。開会冒頭、ニャムドルジ国家大ホラル(国会)議長は、民主党の要求を考慮して、一定期間(憲法裁判所の採決を報告するまで)、議長の職務を副議長に代行させる、と述べて、ルンデージャンツァンと交代した。
・2007年4月5日、「健全な社会のための市民運動」(代表Ж.バトザンダン)、「健全な市民戦線」(代表Г.アルスラン)が集会を開き、ニャムドルジ国家大ホラル(国会)議長罷免、人民革命党、民主社会主義青年同盟解散を要求した。また、貯蓄信用組合事件被害者たちは、人民革命党本部で座り込みを開始し、市民の意志党が彼らに食糧を提供した。
・2007年4月5日、「モンゴル統一運動」(1997年4月13日設立)代表Г.ボシグトは、記者会見をして、現在の政党を拒否して、国民投票実施を呼びかけた。
・2007年4月6日、М.エンフボルド首相は、国家大ホラル(国会)総会で演説し、前日の春期国家大ホラル(国会)冒頭演説でのエンフバヤル大統領による政権批判には答えず、「おしゃべりではなく、行動で生産する時期が来た」、と述べた。
・羊毛原毛価格が4万5000トグルグに達した。
・2007年4月9日、民族新党幹部会開会。選挙対策を協議。同党総会参加費が100万トグルグとした(政党中最少額)。
・2007年4月10日、貯蓄信用組合事件被害者たちは政府官邸前で集会を開いた。
・アイバンホーマインズ社とリオティント社は、モンゴル政府との間で合意した30年契約により、オユトルゴイ鉱山の株式34%、収益の55%をモンゴル側が取得することになった。この契約は、15条157項目からなる。2010年から銅鉱脈の露天掘り、2014年から地下採掘をする。2014年〜2020年には、モンゴルの経済成長に多大な貢献をする。将来、純銅生産のための投資が期待できる。銅・金特別税は免除。労働力の90%はモンゴル人とする。GDP40%上昇。収益を国民に分配(方法は未定)。
・市民運動の集会費用は3000万トグルグ。「チンギス・モンゴル」運動が新たに生まれた。現在市民運動の数がウランバートルに30近くある。
・2007年4月12〜13日、国家大ホラル(国会)総会で、ニャムドルジ議長問題が審議された。審議事項は、ニャムドルジ議長解任の可否、改竄修正について、であった。民主党は憲法裁判所がニャムドルジ解任裁決をしなかったことが政治的であると非難した。これに対し、憲法裁判所委員長Ж.ビャンバドルジはニャムドルジ解任の可否は国会の専任事項である、と答弁した。採決結果は、議長の改竄修正に賛成が37人、反対が19人であった。この結果、議長は解任されず、改竄箇所修正作業グループに、Л.ガントゥムル、Ц.ムンフオルギルを任命した。
・2007年4月13日、モンゴル証券取引所は、「4万戸アパート建設計画」のための国債(47億トグルグ)を売り出した。
・2007年4月18日、ニャムドルジ国家大ホラル(国会)議長は、17の採択法案の「改定」資料を証拠として開示した。
・2007年4月18日、政府は、閣議でエグ川水力発電所を運営する企業を入札で決定することにし、そのための監査基準を作る会社を選抜した。それは、スイスの「ポイリ」社である。また、自然環境監査は「エンコ」社が行う。
・2007年4月23日、国家大ホラル(国会)民主党議員たちは、会議を開き、エルデネバト・エネルギー相解任要求について協議した。解任理由は、エルデネバト・エネルギー相が「牧民10万世帯電化計画」を不法に運用した、というものである。署名を集め、近日中に国会に提出する予定である。
・М.エンフボルド首相の呼びかけで、「ソヨンボ」運動(代表С.ガンバータル)、モンゴル労働組合連合、教育文化科学労働組合連合たちが会談して、1)「40万戸アパート建設」監査委員会設置、2)最低労働賃金6万9000トグルグの実施範囲の拡大、3)オユトルゴイとタバントルゴイ両鉱山から開発から入金される「モンゴル国開発基金」による留学生派遣、に関する3者の「合意書」を作成することになった。
・市民運動(「モンゴル民主同盟」、「ソヨンボ」、「老年者自由連盟」、「我がモンゴルの地」、「ダヤル・モンゴル(全モンゴル)」など)は相互に結びつきを強め、2008年の選挙に立候補することになった。これに、「政治新聞」(編集長Г.オヤンガ)も参加する。「全国民大集会」開催の時に、彼らはモンゴル民主同盟代表Х.バトトルガに資金的援助を受けていたので、今度は彼を支持することを表明した。4月27日に開催予定の集会では、鉱山法や政治制度の混乱についての提案を出す予定。
・2007年4月22日、米国ボストン市ハーバード大学で、「小規模企業の将来」という会議に、モンゴルのハス銀行最高経営責任者Ч.ガンホヤグが参加し、モンゴルの小規模企業への効果的な銀行融資の経験を報告した。
・2007年4月25日、くず鉄取り扱い業者500人は、政府官邸北側でデモ集会を行い、1週間以内に要求に対する回答が得られなければ、20人によるハンストを行う、と宣言した。
・「老年者自由連盟」の内紛。同盟代表Г.バーサンがウランバートル市当局やХ.バトトルガから交付・供与された資金を私的に流用した、として、反対する人々ができてきた。
・国家大ホラル(国会)民主党会派は、Б.エルデネバト電力エネルギー相解任決議案をニャムドルジ国家大ホラル(国会)議長に提出した。
・くず鉄輸出許可を求めている業者の要求を受け入れるように民主党は主張したが、「民族産業」支持を主張する人民革命党によって退けられた。
・2007年4月27日、「モンゴル民主同盟」は、スフバータル広場で集会を開いた。「18年前のように大勢の人々が参加する、第2次社会革命を起こす」、という広報活動を繰り広げていた。だが、選挙前に見られる通常の「ショー」となった。民主党党員と民主同盟員が一人当たり10人を動員するよう要請されていた。だから、スフバータル広場が老若男女で埋め尽くされた。「国民の声に耳を傾けない国家大ホラル(国会)は解散せよ」、「収賄者М.エンフボルドを解任せよ」、「鉱山と政権を国民の手に」などのスローガンを掲げていた。開会は予定された12時よりも遅れて開かれた。「誠実、強力な政治、豊かな市民社会のために統一しよう」というポスターが市内至る所に貼ってあった。「モンゴル民主同盟」最初の集会組織者の一人、Дарь.スフバータルは、1990年の民主革命に不足していたものを取り戻すのがこの集会の目的である、と説明した。この「不足していたもの」とは、人民革命党を非難し、政権を担うことのできないМ.エンフボルドを罷免し、国家大ホラル(国会)を解散させること、である。集会参加者に1万トグルグを与えて、スローガンを掲げさせた。若手音楽家たちに、多額のギャラを払って、「ホンフニ・ドー」(注:1990年に歌われたもの)などを歌わせた。彼らを見るために集まった若者たちも大勢いた。こうした資金は、民主同盟ウランバートル市の区支部およびアイマグ支部が拠出し、支持する企業から寄付金を募った。
・2007年4月29日、ウランバートル市チンゲルテイ区住民代表評議会第24選挙区補欠選挙が実施され、人民革命党、民主党、市民の意志党の3党の立候補者間で争われ、人民革命党候補が47%、民主党候補が46.5%の得票率だった。その結果、人民革命党候補が当選した。これについて、市民の意志党О.マグナイたちは、記者会見をして、この両党の選挙違反を非難し、14日以内に再選挙を実施するよう要求した。
・2007年4月30日、「4万戸アパート建設計画」の下での「ボヤントオハー」区建設が今月末に始まるが、そのための定礎式がМ.エンフボルド首相の参加によって行われた。建設資金の60%が行政、40%が建設会社によって負担される。
・2007年5月1日、「モンゴル市民連合」(代表Д.エンフバト)は、スフバートル広場で集会を開いた。「汚職反対」の署名を集める。モンゴル国立大学講師Ч.タミルが提唱した。Г.ジャミヤン(ジャーナリスト)、С.ナランゲレル(弁護士)、М.イチンノロフ(人権運動)、Ж.バトザンダン(「健全な社会のための市民運動」代表)、Ч.ジャルガルサイハン(「急進的革新」運動代表)、Дарь.スフバータル(モンゴル民主同盟)、Г.ホンゴルゾル(オルティンドー歌手)、С.サランツァツラルト(画家)、Т.クイザ(歌手)、Т.ガルサン(詩人)、О.マグナイ(市民の意志党)、Ж.ザナー(「民族ソヨンボ」運動)、Г.バーサン(「老年者自由連盟」)、Г.オヤンガ(ジャーナリスト)、Б.エンフバト(「フフ・モンゴル」運動代表)らが演説した。
・2007年5月2日、くず鉄輸出に関して、国家大ホラル(国会)経済常任委員会が協議した。Ц.ダミランが輸出解禁賛成、Т.オチルフーが年1回解禁、Н.バトバヤルが反対、の意見を述べた。採決は、民主党が一日の審議延長を求めたため、留保となった。
・2007年5月2日、人民革命党は、エルデネバト燃料エネルギー相解任案に反対することを決めた。
・2007年5月3日、国家大ホラル(国会)経済常任委員会で、エルデネバト燃料エネルギー相解任案が再審議された。
・2007年5月11日、国家大ホラル(国会)総会は、エルデネバト燃料エネルギー相解任案を再度審議した。採決の結果、出席議員61人のうち、37議員が解任案に反対し、否決された。注目されたのは、1)人民革命党議員のЦ.シャラブドルジ、У.オラーン、Т.ガンディ、Т.オチルフー、Л.プレブドルジが欠席したこと、2)国民党のグンダライ議員と共和党のジャルガルサイハン議員が人民革命党と共同歩調をとったこと、3)来週にも、民主党がМ.エンフボルド政権不信任案を提出すること、である。
・2007年5月14日、人民革命党会派は会議を開き、その中で、一部の議員は、モンゴルは天然資源が大きいが人口が少ないので、それらの開発は急ぐ必要はない、と主張した。
・2007年5月14日、国家大ホラル(国会)民主党会派は、会議を開き、内閣解散要求を出すことを決定した。
・ダルハンオール・アイマグ、ホンゴル・ソムの環境汚染問題について、保健副大臣(А.オトゴンボルド)の明らかにしたところによれば、重病人が約40人である。牛乳への汚染。農産物への影響も心配される。
・ダルハンオール・アイマグ、ホンゴル・ソムの環境汚染問題について、災害対策担当相(С.オトゴンバヤル)によれば、水銀は通常値の6〜120倍、シアン化ナトリウムは1000倍であった。シアン化ナトリウム中毒症状患者は190人。
・М.エンフボルド政府は、建設都市整備相、環境相、保健相副大臣、災害対策担当相(団長)の4人の閣僚からなる調査団をダルハンオール・アイマグ、ホンゴル・ソムに派遣した。当地では、環境復旧作業を行っている。
・2007年5月21〜23日、民主党は、イフ・テンゲル迎賓館で米国の選挙運動専門家から研修を受けた。
・2007年5月23日、バヤンゴル区第三街で露天商をしている人たちは、営業を再許可するよう要求した。彼らは、一日5〜10万トグルグの売り上げで、一日2〜3000トグルグの利益を得ている。
・2007年5月24日、国家大ホラル(国会)人民革命党会派は、休会を要請。ニャムドルジ議長問題について、人民革命党、民主党が協議する模様。法律専門家の見解:憲法裁判所の裁決を承認するかしないかを秘密投票によって採決すべきであり、議長解任採決ではない。「議員たちの法律知識の欠如」(Д.オドバヤル法務内務相談)がこの問題の背景にある。
・2007年5月24日、САПУ火災被害者と貯蓄信用組合被害者たちは、ハンストを宣言した。
・米国共和党が民主党を支援。Лу.ボルドにミズーリ州名誉市民賞を授与。
・Н.ダシゼベグ(経済学者)談:政治・経済界のボスたちがニャムドルジ排除を企てた。タバントルゴイの採掘権を所有し、鉱山部門大企業を擁護するП.オチルバトがニャムドルジに敵対している。商業発展銀行民営化を主導したН.エンフバヤルとО.チョローンバトの復讐。
・2007年5月30日、国家大ホラル(国会)行政制度常任委員会は、ニャムドルジ議長問題を質疑応答した。憲法裁判所委員長Ж.ビャンバドルジは、裁決経過を説明して、ニャムドルジ議長解任問題を審議する必要がある、という裁決をしたが、解任するがどうかの権利は国家大ホラル(国会)にある、と答弁した。秘密投票により、14委員のうち、10委員は、憲法裁判所の裁決を不承認にした。
・2007年5月31日、国家大ホラル(国会)総会は、ニャムドルジ議長問題を審議した。ビャンバドルジ憲法裁判所委員長は、市民の提訴により憲法裁判所が審議し、解任問題を審議すべきである、という裁決を出した、と説明した。Н.バトバヤル(民主党)は、2006年7月20日の総会議事録(注:2006年春期国家大ホラル[国会]閉会日での審議のこと。この春期国家大ホラルにおいて、「鉱山法」改正などが採決された)には、議長に法案修正の権利を与えた、という記述はない、と述べた。これに対し、ニャムドルジ議長は、時間が切迫しているので、採決された5法案などの最終文案を自分が修正して提出する、と述べたが、その際、民主党は反対しなかった、と反論した。さらにまた、「自分が解任されるべきであるのなら、政治がそれに関係している」というニャムドルジの発言のうちの、「政治」というのは「人民革命党」のことであるのか、というН.バトバヤルの質問に対し、ニャムドルジは、「政治」というのは民主党のことだ、と答えた。この発言が民主党の怒りを誘発し、民主党は無期限審議拒否をした。
・2007年5月31日、10日前から人民革命党本部で座り込みを続けている貯蓄信用組合詐欺事件被害者たちは、ルンデージャンツァン国家大ホラル(国会)副議長、イデブフトゥン国家大ホラル(国会)人民革命党会派代表、国会事務局長Н.ロブサンたちと交渉した。
・2007年6月6日、国家大ホラル(国会)総会が開かれ、ニャムドルジ議長問題が審議された。民主党から唯一人出席したЛ.ガンスフ(民主党議員代表)は、民主党がニャムドルジ解任を公式に主張しているので、そのための投票をするように手続きすべきである(注:民主党議員が審議拒否をしている限り、採決すべきではない、ということ)。人民革命党はニャムドルジ解任不賛成に自信を持っているため、ニャムドルジ解任に賛成を表明している民主党欠席議員17人を投票したと見なし、無記名投票を行った。当日、44人の議員が無記名投票をした(ニャムドルジは棄権)。その結果、解任不賛成が30議員、解任賛成が14議員となった。17人の民主党議員とグンダライの意見の処遇が問題となった。この時、ニャムドルジが再び意見を述べ、彼ら民主党議員の意見を加え(注:彼らを加えると解任賛成票が14+17+1=32票になって、解任不賛成を解任賛成票が上回る)、新議長を選出すべきだ、と主張した。この時、ガンスフが再び入場し、秘密投票の結果を尊重すべきであると述べた(注:投票前後で矛盾した意見を述べている)。民主党議員たちの意見の処遇について、国家大ホラル(国会)事務局は明快な法的解釈を行うことができなかったため(注:国家大ホラル法では出席議員による採決を明記し、国家大ホラル・手続き規則では議員の出席を義務づけている、つまり、議員欠席のまま採決ができない、としている)、最終的な採決にはならなかった。ちなみに、人民革命党3議員が解任賛成票を投じた模様であった。
・2007年6月7日、国家大ホラル(国会)総会は、開催したが、人民革命党会派が休会を要求し、一方、ニャムドルジは議場を後にした。2007年6月7日、国家大ホラル(国会)総会が開かれ、人民革命党会派は、国家大ホラル(国会)法により、無記名投票の結果、ニャムドルジ議長解任不賛成が有効になった、と主張した。審議拒否をしていた民主党は、Л.ガンスフが入場し、民主党議員17人の解任賛成署名を示し、人民革命党の主張に強く反対をした。ルンデージャンツァン議長代理は、ニャムドルジ解任不賛成が有効と宣言し、この決定に反対の意見があれば、憲法裁判所に提訴でできる、と述べ、閉会を宣言した。
・2007年6月7日、国家大ホラル(国会)総会は、貯蓄信用組合被害者を被害額の50%を民主党欠席のまま、国家救済する法案を採決した。
・2007年6月11日、国家大ホラル(国会)民主党議員たちは、審議ボイコットを宣言した。
・2007年6月13日、ニャムドルジは、人民革命党会派の会議の席上、国家大ホラル(国会)議長辞任を再度表明した。彼は、「私は、法に違反しておらず、法文の字句を修正した(にすぎない)。だが、国家大ホラル(国会)審議を遅滞させないことを考慮し(注:民主党が審議ボイコットしていることを指す)、私自ら辞任したい」。
・2007年6月14日、国家大ホラル(国会)総会は、ニャムドルジの辞任を承認した。
・2007年6月14日、ニャムドルジは、辞任表明した国家大ホラル(国会)総会の席上、「統治形態を変えようとする陰謀が強まっている(注:大統領統治を指す)」、と警鐘を鳴らした。
・2007年6月15日、「モンゴル労働組合連合」(組合委員数約20万人)議長にС.ガンバータルが選出された。
・2007年6月19日、国家大ホラル(国会)は、Д.ルンデージャンツァンを議長に選出した。
・2007年6月20日、「サルナイハ」社は、У.バルスボルド前環境相の許可によって、農牧業大学経済貿易学部の敷地内にビルを建設しかけている。これに対し、学生たちは反対している。
・2007年6月21日、モンゴル初の出力50メガワットの風力発電所建設の定礎式がトゥブ・アイマグ、セルゲレン・ソムのサルヒト山で行われ、ニューコム社社長フォンタイン、燃料エネルギー相エルデネバトが参加した。
・2007年6月26日、政府は、オユトルゴイ鉱山、タバントルゴイ鉱山の「投資契約」の内容を明らかにした。タバントルゴイ鉱山投資契約は、エネルギー・レソース・インベスト社が全株式の14%、政府が86%を所有する(政府が50%、他の投資者が36%)。
・アイバンホーマインズ社との「投資契約」について、全モンゴル、「市民アリヤンス・センター」、市民連合、「我がモンゴルの地」運動、有権者教育センター、「ソヨンボ」運動、「政治新聞」、「健全な社会のための市民運動」など18の市民運動は、これに「反対である」との声明を出した。
・2007年6月29日、国家大ホラル(国会)民主党議員は、М.エンフボルド政権総辞職を要求した。
・2007年8月27日、人民革命党内に「左翼連合」(代表、フレルスフたち)が生まれた。社会主義、共産主義を目指すという。
・2007年8月28日、モンゴル民主同盟とは別に、モンゴル民主同盟創設者によるモンゴル民主同盟の大会が開かれた(参加者214人)。幹部会員として、П.ネルグイ、Г.ボシグト、Д.ニンジ、Р.トゥメンツォグト、С.バトボルド、Г.ツォグゾルマー、Л.エルデネトールたち15人が選出され、代表にГ.ボシグトが就任した。彼らは、モンゴル民主同盟がもたらした成果をまだ手中にしていない人々に、その成果を与えることを目的としている、という。一方、前者のモンゴル民主同盟副代表Ш.トゥブデンドルジは、これが金銭目当ての人々の集会である、と非難した。
・2007年9月3日、人民革命党ウランバートル市委員会委員長にГ.ムンフバヤルが就任した。
・2007年9月5日、国家大ホラル(国会)人民革命党会派は会議を開き、М.エンフボルド首相の要求した、4大臣解任要求を17:17で斥けた。
・2007年9月6日、国家大ホラル(国会)人民革命党会派は会議を開き、М.エンフボルド首相は、4大臣解任要求を撤回した。
・2007年9月7日、第8回人民革命党小会議(=党代表者会議)が開かれ、М.エンフボルド党首(首相)は、野党(=民主党)の選挙運動が着々と進行している中で、党内の若干の党員たち(注:Элсний 13のこと)が分派行動をとっている。これが野党に好餌を与えている、と演説した。
・2007年9月7日、「急進的改革」(代表Д.エンフバト)は、Н.デンベレルを擁護し、彼の公表した、「ツァイルト・ミネラル」鉱山会社が亜鉛鉱を一日当たり1億トグルグでモンゴル国外に搬出している(ので規制すべきである)。これは、3万6000戸のアパート入居に相当する、と述べたが、この意見は正当である、とした。
・2007年9月18日、国家大ホラル(国会)民主党会派代表Л.ガンスフは、ホンゴル・ソムでの環境汚染問題に対し、М.エンフボルド政府が関心を持っていない、と非難し、政府の準備金から支援金を出すこと、ホンゴル・ソムに検査室を設置すること、2008年を「安全の年」にすること、シアンによる被害を証明した住民に行政側が圧力をかけ、被害はない、といっている、と述べた。
・2007年9月18日、「千年試練計画」実施決定について、エンフバヤル大統領は、ブッシュ米大統領に謝意を表明。
・ダルハンオール・アイマグ、ホンゴル・ソムの水銀汚染で、107人が病気(皮膚病、胃腸病)、その内20%が子供である。
・ダルハンオール・アイマグ、ホンゴル・ソムで、未熟児が生まれた。
・ダルハンオール・アイマグ、ホンゴル・ソムでは、700人以上が水銀、シアン化ナトリウムに汚染され、彼らのうち、108人が慢性病になっている。水銀が1立方メートル当たり、0.0045ミリグラム検出され、通常値よりも1.36倍高い。
・ダルハンオール・ホンゴル・ソムの住民は移住を希望している。
・ダルハンオール・アイマグ、ホンゴル・ソムの水銀・シアン化ナトリウム汚染問題について、政府(保健省)は汚染が軽減された、と発表。
・ Ц.トヤ保健相:ホンゴル・ソムでは重症者はいない。汚染被害患者の血液、尿を韓国と中国(フフホト)で検査。結果が9月23日に判明する。
・ 選挙が近づいて、その影響を顧慮した当局者たちは、ホンゴル・ソム問題を隠蔽しようとしている。
・ 2007年9月18日、ホンゴル・ソムで野菜の品評会が開かれた。だが、売り上げは芳しくなかった。ダルハンオール・アイマグ知事は、その野菜を試食し、無害だと語った。だが、その試食した野菜は、前もって調査済みのものだった、という。
・2007年9月20日、政府は、閣議で、ホンゴル・ソムの状況を協議・検討した。それによれば、1)医師の活動によって、150人を検診し、妊婦11人は正常。2)ゴミ捨て場からシアン検出。「テールミーン・ホダグ」井戸から水銀検出。3)新しい井戸を掘った。4)3世帯が栽培した野菜(大根、キャベツ)に汚染の兆候がみられる。5)中国人3人、ソム議会議長、ソム長、自然環境監督官、「ツァガーン・ブルド」社従業員に対し、刑事罰を適用する。6)家畜、豚に汚染の影響。М.エンフボルド首相の指示:1)水銀汚染検査器具の購入。2)病人のための薬品購入。3)専門家による連携の必要性。4)専門家の検査結果を受け、適正な措置を講じる。5)飲料水の確保。
・ホンゴル・ソムの住民100人余から採血標本を検査していた、韓国と中国(フフホト市)の行った結果が判明した。ソウル市の研究所の行った検査結果では、血液中の水銀含有量は基準値以下、中国(フフホト市)の行った結果では、血液中のシアン化ナトリウム含有量は基準値以下、であった。
・ホンゴル・ソムの環境汚染問題で、ダルハンオール・アイマグ警察は、「アンダ・インターナショナル」社社長ガンボルドを逮捕した。この会社は、トゥブ・アイマグのボルノールで金採掘を行い、金を含有する土壌をホンゴル・ソムに搬入し、そこで有害物質によって金選別を行い、その汚染された土壌を当ソムに破棄した、という容疑である。
・ 今年(2007年)のインフレ率7%。
・ 2007年9月20日、「モンゴル左翼同盟」(代表У.フレルスフ)ウランバートル市支部大会開催。政府による投資政策を監視することを決定。モンゴル人民革命党を改革するのが目的である。現在の支持者数は1万2000人。
・2007年9月21日、検事総長は、国家大ホラル(国会)3議員(注:Г.ザンダンシャタル、Т.バダムジョナイ、У.フレルスフ)の議員資格停止要求を国家大ホラル(国会)議長に提出した。彼らが、韓国ソウルのカジノで賭博をして、多額の損失をした(注:彼らはその事実を認めている)。この賭博の損失の弁済に、貯蓄銀行公金詐取事件の容疑者Ц.チメドツェレンが詐取した金が使われたかどうか、調査する必要上、この議員資格停止要求書が提出された。彼ら3議員は、同日開かれた国家大ホラル(国会)議員特権副委員会(委員長Д.デンベレル、Д.ルンデージャンツァン、Р.ゴンチクドルジ、Т.オチルフー[出張で欠席])で、それを否定した。当副委員会は、3議員の権利擁護の採決をした。その30分後、国家大ホラル(国会)人民革命党会派の会合が開かれた。この3議員は、議員特権副委員会の席上と同様の趣旨の発言をした。なお、シャラブドルジとガンディは議員資格停止に賛成を表明した。
・2007年9月25日、ダルハンオール・アイマグ、ホンゴル・ソムで住民に健康診断を行った医師たちは、記者会見を行い、50人の医師が4日間、延べ3500人に検診を実施した。その結果、延べ1000人余(実数320人余)が環境汚染で被害を受けた。その内、重症が10%余、軽症が70%余であった。また、気管支炎14%、肝炎18%、高血圧16%であった。
・2007年9月26日、3議員資格停止問題について、国家大ホラル(国会)法務委員会、および行政制度委員会が開かれ、審議をし、資格停止の必要がない、との採決をした。法務委員会は、「4:10」で、行政制度委員会は、「3:9」で。
・2007年9月26日、トゥブ・アイマグ、ボルノール・ソムの住民が、記者会見を行い、環境汚染の事実を訴えた。
・2007年9月27日16時30分、国家大ホラル(国会)総会は、3議員資格停止問題を審議し、秘密投票によって、議員資格停止に賛成しないことを採決した。この問題の審議を最後に、2007年度春期国家大ホラル(国会)は終了した。
・2007年9月27日、ホンゴル・ソムで住民の健康診断を行っていた医師たちは、記者会見を行った。ソム住民1600人のうち、321人が汚染被害を受けた。このうち、12人が金採掘による慢性疾患がある。これらの被害者たちに治療を施す。なお、住民の移住の必要はない。また、7世帯の栽培した野菜に汚染が見られた。その他の世帯の栽培した野菜は、食料として使用可能である。
・2007年10月1日、2007年度秋期国会が開会した(出席議員52人)。民主党は声明を発表し、М.エンフボルド首相の海外出張(注:オーストリア、ルクセンブルグ訪問)を延期させ、セレンゲ・アイマグ、マンダル・ソムでのヘリ墜落事故の責任問題を解決し、政府閣僚の責任を追及することを求めた。ルンデージャンツァン国家大ホラル(国会)議長は、冒頭演説で、「モンゴル発展戦略」を策定する必要がある。千年試練計画、アイバンホーマインズ社との投資契約、2008年度予算承認、政府財政政策の承認、など重要法案が控えている、と述べた。エンフバヤル大統領は、冒頭演説で、「номт тθр」(注:近代的な考え方に基づく責任と道理ある政治、の意味)が必要である、と述べた。
・2007年10月10日、「千年試練基金」(ブッシュ米国大統領の提案、2002年)による、援助に署名。総額2億8500万ドル。内訳は、鉄道部門に1億8800万ドル、投資権利登録計画に2300ドル、専門家養成に2500万ドル、保健部門1700万ドル。
・2007年10月16日、国家大ホラル(国会)経済常任委員会が開かれ、モンゴル銀行の金融政策を審議した。席上、モンゴル銀行の誤りが指摘された。例えば、「金融公庫」の保有金が払底している。その原因は、私企業への融資、「アルタン・ドルノド・モンゴル」社(社長С.パウショク[ロシア人])から高額で金を買い入れた、ジェラルド・メタル社への支払いなど、3000〜4000億ドル(注:国家予算総額の約30%に相当)の欠損を計上した。ロシアの「クレジット・トラスト」銀行を通じて、1000万ドルのロシア国債購入用資金を預金し、当銀行倒産により預金を失った(注:2003年、チョローンバト前総裁の時期)。
・2007年10月17日、市民運動党が最高裁判所によって認可された。
・2007年10月21日、人民革命党小会議が開催された。人民革命党第25回党大会準備のためである。この席上、2008年国家大ホラル(国会)議員選挙の選挙公約が提案された。それには、年金15万トグルグ、公務員平均給与50万トグルグにする、ウランバートル市内に電車、橋、道路を敷設するなどが含まれている。そして、党内改革案として、選挙敗北の際に、党指導部が責任を明確にすることが盛り込まれた。
・2007年10月22日、民主党と市民の意志党は、2008年度予算と「経済社会発展計画」に関し、意見交換を行った。この時、エルベグドルジ民主党党首は、人民革命党第25回大会について、「(人民革命党)党首М.エンフボルドは、その報告で、汚職との戦いについて何ら言及がない。汚職をした者たちが党大会を開いている間に、国民のために働いている我々両党が集まって問題を協議している。」と述べた。
・2007年10月23日、エンフバヤル大統領は、ブッシュ米大統領と会談した。ブッシュ:「千年試練基金は、市場経済を定着させる計画である」。2億8500万ドルの無償援助。
・2007年度は、インフレ率6%、GDPに占める国家予算歳出額が35%である。
・2007年10月25日、エルデネト社従業員たちは、「給料2倍引き上げ」を要求して、エルデネト市のナイラムダル広場でデモをした。
・2007年10月26日、人民革命党第25回大会は、С.バヤル書記長を人民革命党党首に選出した。С.バヤルは、党首受諾演説で、自分から望んで就任するわけではないが、党革新と2008年選挙勝利のために努力する。党首と首相を分離することはできない。これは原則の問題である、と強調した。また、選挙結果によっては責任をとる、と述べた。
・2007年10月29日、人民革命党小会議が開かれ、Ё.オトゴンバヤルを書記長に選任した。
・2007年11月7日、М.エンフボルド首相が国家大ホラル(国会)議長に対し辞意表明をしたのを受けて、国家大ホラル(国会)行政制度常任委員会が開かれ、М.エンフボルドの辞任を承認した。
・2007年11月8日、国家大ホラル(国会)総会は、М.エンフボルド内閣の総辞職を承認した。人民革命党小会議は、С.バヤルを首相に推薦することを決議した。
・2007年11月13日、ナランツァツラルト(1957〜2007)事故死。
・2007年11月21日22時、私営大型バス14社は、Ц.バトバヤル・ウランバートル市長と交渉した。市長は、バス会社側を非難し、バス会社側は、これに抗議し、翌日にストを行うと宣言した。ウランバートル市で360台以上のバスの内、60%が私営バス。「バス組合」、「エルデネトランス」、「アチバス」、「モン・カラ」、「ソタイ・ボヤント」社など14社代表は、11月22日9時、ウランバートル市議会議長Н.ボロルマーと交渉した。彼女は、バス会社の要求を支持し、政府・国家大ホラル(国会)に善処するよう伝達する、と約束したので、11時からバス運行を再開した。
・2007年11月22日、国家大ホラル(国会)総会は、С.バヤルの首相就任を承認した。
・2007年11月23日、С.バヤル新首相は、オトゴンバヤル人民革命党書記長らに、組閣について、共和党、祖国党、市民の意志党、民族新党の各代表と会談するよう指示し、彼らは個別に会談した。
・2007年11月26日、「ダヤル・モンゴル(全モンゴル)」運動(代表Д.ガンスレン)は、自由広場で集会を開いた。歴代のハーンの肖像を誇示する。外国人敵視。
・2007年11月27日、エンフバヤル大統領のペルシャ湾岸諸国公式訪問時に、クウェートが石油部門でモンゴルに協力することに合意した。モンゴル国貿易産業省鉱物資源石油局長アマルサイハン談:「クウェートの国営石油協会と共同事業を行うことに合意した。石油専門家の派遣、科学技術の向上、合弁石油精製鉱業の建設などを行う。国内石油消費の30%をまかなって、石油価格を下げる可能性が生まれる。2年前から準備した。」
・2007年11月27日、С.バヤル首相は、「物価対策委員会」委員たちと会談し、大型バス運賃を200トグルグに引き下げる政府方針を伝えた。
・2007年12月4日、人民革命党内の「急進的改革」、「伝統革新・民主公正」、「特別大会のために」などのグループは、会議を開いた。彼らは、С.バヤル政権にエンフバヤル大統領派(オラーン、ムンフオルギル、ボロルマー、ガンゾリグ、フレルバータル、ナランフー)が多数入閣したことに疑問をもち、再びエンフバヤルの影響下に入った、という結論を出した。
・2007年12月5日、国家大ホラル(国会)総会はС.バヤル内閣閣僚12人の承認問題を審議し、12人全員を承認した。
・2007年12月10日、「モンゴル市民連合」などは、「モンゴルに民主化が進んだが、国民の民主主義は進まなかった」として、スフバータル広場で60人余の集会を開いた。
・2007年12月10日、「アルタン・タリア」社は、スイスの技術を導入して、飼料工業を設立した。
・2007年12月20日、ウランバートル市議会議長にГ.ムンフバヤルが選出された。
・2007年12月25日、国家大ホラル(国会)行政制度常任委員会で選挙法改正(注:比例代表選挙制への)について審議した。民主党議員たちは、審議ボイコットしたため、選挙法改正はならなかった。
・2007年12月21日、輸入小麦、大麦の輸入関税と付加価値税をゼロにする法案が国家大ホラル(国会)を通過した。その結果、小麦、大麦(卸売)価格が50〜90トグルグ下がった。
・2007年12月28日、ウランバートル市住民代表評議会(市議会)は、ウランバートル市長にТ.ビレグト(注:前ウランバートル市議会議長、現大統領府長官)を選出した。
・2007年12月30日〜2008年1月1日、ウランバートル市バガノール区の住民11人が「アジイン・チョノ(アジアのオオカミ)」社の醸造したメチル・アルコールの入ったモンゴル・アルヒを飲んで死亡した。
・2008年1月13日、ダルハンオール・アイマグ、ホンゴル・ソムでのС.バヤル首相の演説:環境汚染(注:水銀、シアン化ナトリウム)に苦しむホンゴル・ソム住民に陳謝し、政府の権限を強化して、環境汚染の進行を食い止める。政治介入の防止(注:小さな政府に相当)を否定。
・2008年1月17日、市民運動党は、2008年選挙に「市民大同盟」を結成する計画である。まず、「モンゴル緑の党」が参加を表明している。
・2008年1月18〜20日、モスクワでエルデネト社株主総会が開かれ、社長にЧ.ガンゾリグ、副社長にА.И.ジガチョフが就任することを承認した。また、年産5万トンの純銅生産工場建設計画が承認された。
・2008年1月21日、С.バヤル首相は、農業従事者との懇談会に出席し、農業の復興を訴えた。
・エグ河水力発電所建設費3億ドルの内、中国政府が60%(1億8000万ドル)を供出し、モンゴル側が40%(1億2000万ドル)を負担する。中国側が更に専門家を派遣する。С.バヤル首相がこの計画を停止させた。その理由は、当該計画は非経済的であり、自然環境破壊につながる、というものである。当該計画は、1991年、アジア開銀により調査が開始された。この3億ドルは、「4万戸アパート建設計画」に充当する。С.バヤル首相は、電力問題を石炭によって行う考えである。彼は、シベー・オボー炭坑に依拠する火力発電所建設案を支持している。
・2008年1月26日、市民運動党(党首Ж.ダトザンダン)は、О.マグナイを副党首に選出した。
・2008年1月30日、С.バヤル首相は、市民団体の代表たちと会談し、彼らと協力して行動する、と言明した。
・2008年1月29日、牧民の権利を擁護するために、NGO「モンゴル牧民」が結成された。
・2008年2月4日、市民運動党と緑の党は、2008年国家大ホラル(国会)議員選挙に「市民同盟」を結成した。現在、この同盟に「健全な社会のための市民運動」、「我がモンゴルの地」、「市民連合」などが支持を表明している(バトザンダン談)。1)責任のある制度、2)エコロジー経済システム、3)社会・教育システムを世界水準にする(「市民綱領」)。
・2008年2月6日、限定納税免除法案が国家大ホラル(国会)で承認された。
・「土地所有法」に基づく土地の私有化の進展状況が30%であることから、その終了期間を4年延長して、2012年とすることになった。
・2008年2月19日、ダルハンオール・アイマグ、ホンゴル・ソムでの環境汚染問題の調査のため、日本から水俣病研究国民センターの研究者サカモト・ミネシが来た。彼は、翌日(2月20日)、ホンゴル・ソムに向かう。
・2008年2月21日、鉱山法改正、および投資契約案作成グループの会合(人民革命党4人、民主党4人、首相、産業貿易相)が開かれた。
・「ツァヒルガーン・テーベル」社は、トロリーバスを組み立てて、カザフスタンに輸出する。
・2008年2月22日、エンフバヤル大統領は、国家大ホラル(国会)に議席を有する政党の代表を招いて、鉱物資源の開発に関して諮問した。共和党のジャルガルサイハンは、鉱山部門に国家が関与することに反対した。特に、民主党エルベグドルジの唱える「1000ドル支給」は、選挙目当ての根拠薄弱な妄言であると非難した。また、作業グループに5党(民族新党、国民党、市民の意志党、共和党、祖国党)を加えるよう主張した。
・2008年3月3〜7日、С.オヨン外務相は、日本を訪問し、日本政府からの2880億円の特恵融資受け入れに調印した。この融資の使途は、国際空港建設(トゥブ・アイマグ、フシグト・フンディーに)である。その条件は、40年償還、初期10年間無利息、後期30年は利息0.2%である。
・2008年3月9日、市民の意志党は、同党第5回大会を開催した。そこで、汚職に反対することが強調された。
・2008年3月10日、ダルハンオール・アイマグ、ホンゴル・ソムで起きた環境汚染問題に関して、国際機関の調査結果が公表された。WHOジュネーブ本部から派遣された専門家たちがホンゴル・ソムの住民109人の尿を採取して検査を行い、そのうち105人は、人体に残された水銀が基準値以下であること、残りの4人は、人体の健康に影響を及ぼす影響は少ないこと、などが判明した。日本の水俣病研究センターの専門家サカモト氏が採取した標本の調査結果は、まだ出ていない。ロンドンで行われている血液検査の最終的な結果は、5〜6日後に出る。
・2008年3月11日、IMFモンゴル駐在員たちは、記者会見を行った。それによれば、(モンゴル)経済が急速に伸びている。銅世界市場価格の高騰を受け、国家予算歳入が増加した。これと共に、歳出が増え、2007年度国家予算歳出額は、前年より60%も増加した。2008年度国家予算歳出額は、2005年比で3倍に増加した。特に給与引き上げ。短期間に60〜70%引き上げするのは、物価値上がりを誘発する。年金額も増額された。しかし、必要な階層に届いていない。また、資本投下額も増加した。(その)経済効果が悪い。(「祖国の贈り物」構想について)1回限りで多額の金額(注:5万トグルグ)を国民に支給すれば、インフレ率の安定化を損なう。2008年度国家予算の中で、歳出額の12%が福祉向けである。そうではなく、(この金額を)資本投下に向けるべきである(保健、教育インフラなどに)。インフレ率が2006年に6%だったのに対して、2008年1月には17.5%になった。これは、公務員給与と社会福祉予算の増額、マネー・サプライと銀行融資額の増加が影響を与えている。外部要因としては、(ロシアの)石油価格値上げ、税関での滞貨などがある。インフレが資本投下をゆがめ、貧困層を直撃している。これらを回避するには、公務員数を削減し、彼らの給与引き上げを行わないか小幅にとどめること、資本投下効率を高めるなどによって、国家予算歳出額を引き下げることである。
・2008年3月17日、ホンゴル・ソム住民と市民運動家たちは、国連専門家による調査結果を受け容れず、再度調査するよう要求した。
・2008年3月17日、貯蓄銀行事件第一審がウランバートル市チンゲルテイ区で始まった。被告の一人、フレルスフ国家大ホラル(国会)議員は、チメドスレン被告が党に寄付を申し出たので、УАЗ-Хурд社から車の寄付を受け、自分(フレルスフ)名義で登記した、と述べた。
・2008年3月18日(18時)、判決が下った。主犯Ц.チメドツェレンに10年1ヶ月の禁固刑、フレルスフ議員に2年1ヶ月の禁固刑が言い渡された。
・水俣病研究国民センター・サカモトの行った、ホンゴル・ソムから採取した毛髪と尿検査の調査結果が発表され、人体への水銀の残留値が基準値以下であることが判明した。
・2008年4月4日、ウランバートル市チンゲルテイ区第4地区の「バヤンブルド」雑居ビル204号室の洗い場から水銀が検出された。その部屋で、人々が金洗浄を行っていた疑いがある。
・2008年4月7日、2008年度春期国家大ホラル(国会)が開会した(5月20日までの予定)。ルンデージャンツァン国家大ホラル(国会)議長演説:2004−2008年国家大ホラル(国会)の成果は、所得税の納税負担を軽減したこと、鉱山法改正を行ったこと、「モンゴル国発展総合戦略」を策定したことなどである。エンフバヤル大統領の冒頭演説:「国民発展総合政策」(大統領提唱)を策定した、税負担を軽減した、給与・年金を増額した、などの国家大ホラル(国会)の正の側面とともに、違憲判断の下った多くの決議を行った、国会内の内紛が多かった、議員による不法行為があった、などの負の側面があった。鉱山部門に関する取り扱い(法人所得税の高率、政治的不安定など)によって、国際的評価が下がった。法律の不備、教育、保健、社会保障、自然環境、行政などの分野でも同じ否定的側面が見られる。「無責任」(刑法のなかの公務員の責任条項を削除したことからくる)、「汚職」(行政・ビジネス部門での)。「祖国の贈り物」構想が実行されていない。行政、立法面での実行の遅れが見られる。国家大ホラル(国会)が政治、ビジネスから距離をおく必要がある。
・2008年4月7日、汚職対策本部は、グンダライ議員の議員特権停止の要求書を国会に提出した。これに対し、グンダライ議員は、この要求書は不法である、と非難した。その理由の一つとして、先の3議員の議員特権停止決議が憲法裁判所によって違憲である、との裁定が下され、これに対する国家大ホラル(国会)の再決議が出ていないことをあげ、汚職対策本部を非難した。
・2008年4月7日、中国資本のホテル「Wen Zhou」(ウランバートル市バヤンズルフ区第14地区)から、水銀が検出された。
・2008年4月9日、グンダライは、自ら創立した国民党から脱党し、民主党に再入党した、と発表した。グンダライは、「抑圧と独占の体制が確立した現在、民主党に加入するしかない」、と述べた。グンダライは、国民党を解党する意見を出したが、国民党党員から受け入れられなかったので、自ら退き、民主党に加入した、という。
・2008年4月10日、エンフバヤル大統領が限定納税免除法に拒否権を発動した事を受け、国家大ホラル(国会)総会は、審議を行い、26対15でその拒否権に反対したが、規定にある3分の2には達せず、大統領の拒否権が承認された。
・2008年4月14日、NGO「ヘンティー・オノン河自然環境保護連盟」(代表:Ч.トヤ)は、記者会見をした。その中で、ヘンティー・アイマグ、ビンデル・ソムでは、現在、32企業が44万2600ヘクタールの土地に、鉱山探査・採掘権を所有している。これは、当ソム全体の82%を占めている。史跡と住民利用地に対して与えた、この鉱山探査・採掘権を取り消し、マンダルハーン山の信仰地の原状回復することをめざしている、と述べた。
・2008年4月14日、市民運動党は、記者会見をして、政府が効果的な物価値上がり抑制措置を講じるように要求し、それがなされない場合は、政治闘争を強化する、と述べた。
・2008年4月17日、古参のモンゴル民主化運動参加者によって、「モンゴル民主化運動党(МОНАРХН)」が結成されたが、彼らは、記者会見をして、次のように述べた。この18年間政権を掌握してきた人民革命党と民主党によって、モンゴル政治が破綻した。彼らは、鉱山法を私益のために改正した。選挙法(大選挙区制)も彼らの私益によって改正された。鉱山法について、国民投票を行うべきである。「民主化運動党」は、現在の国会の解散、2008年国会議員選挙の延期を国民に呼びかけた。そして、臨時国民大会を開催し、新しい憲法を批准し、その後、国家大ホラル(国会)議員選挙を実施する。Х.バトトルガ(注:国会議員、モンゴル民主同盟代表、ジェンコ総帥)は、ジャーナリストを買収した。
・2008年4月17日、「老年者自由連盟」の約20余人は、パン値上がりに抗議して、「タルフ・チヘル」、「アルタン・タリア」両社にデモをした。彼らは、小麦粉の価格安定化政策が取られているのに、パンの価格を値上げした理由を明らかにするように要求した。今年6月まで、パンを値上げしない協定を政府と結んだにもかかわらず、なぜ値上げしたのか、と抗議した。「アルタン・タリア」社は、政府に抗議すべきである、としてつっぱねた。一方、「タルフ・チヘル」社(Х.バトトルガ所有)は、約束の小麦粉を受け取っていない、と回答した。
・2008年4月18日、モンゴル労働組合連合(13労働組合加盟、議長С.ガンバータル)は、労働組合文化会館前からスフバートル広場まで、デモ行進を行った。若者から老人までを含む人々の行進は、(エンフタイバン大通りの)国立百貨店前から中央郵便局前までに及んだ。歩行者やウランバートル市民もこの行進を支持していた。彼らのスローガンは、「物価値上がり阻止」、「国家大ホラル(国会)と政府は仕事(の義務)を遂行せよ」、「社会保険料資金を国庫から銀行に移せ」、などであった。С.ガンバータル議長たち5人の代表は、国家大ホラル(国会)議長、首相と交渉するため、政府官邸に入った。一時間後、彼は、政府官邸から出て来て、С.バヤル首相が彼らの要求を受け入れ、物価値上がり阻止のための対策を両者が検討すること、社会保険料資金を銀行に移すための関連法案を国家大ホラル(国会)に提出すること、などに合意した、と発表した。
・2008年4月18日、С.バヤル首相は、ロシア訪問した際に、小麦の緊急輸入に合意した。
・2008年4月18日、「急進的改革」運動は、政府官邸前でデモ集会を開き、鉱山法改正を公開制で行うよう要求した。その問題点は、「国家の所有」を「行政と個人の所有」に変えたことである、と述べた。
・2008年4月22日、「老年者自由連盟」は、エンフバヤル大統領、ルンデージャンツァン国家大ホラル(国会)議長、С.バヤル首相に要望書を提出した。これには、1)「アルタン・タリア」、「タルフ・チヘル」両社が独占によってパン価格のつり上げを行ったことを調査すること、2)これらの行為をやめさせること、3)両社の会計監査を行って、課税すること、4)「タルフ・チヘル」社の民営化を再調査すること、であった。
・2008年4月28日、民主党国家大ホラル(国会)議員グループのЗ.エンフボルドとР.エルデネブレンは、Ц.ガンホヤグ食糧農牧業相が小麦粉価格を550トグルグ以下にできなかった、という理由で辞任するよう要求する議案を国家大ホラル(国会)議長に提出した。
・2008年5月5日、国家大ホラル(国会)自然環境・食糧・農牧業常任委員会が開催され、Ц.ガンホヤグ食糧農牧業相罷免問題を協議した。出席委員11人。10人が罷免に反対した。
・2008年5月8日、国家大ホラル(国会)は、「土地所有法」施行を2013年5月1日まで再度延長した。
・2008年5月15日、国家大ホラル(国会)総会は、Д.ガンホヤグ食糧農牧業相罷免問題を審議・採決し、同相罷免要求案を否決した。
・2008年5月19日、中央選挙管理委員会は、2008年国家大ホラル(国会)議員選挙の政党立候補届出を締め切った。その結果、7党が届出を行なった(注:現在最高裁判所で承認された政党18のうち、人民革命党、民主党、開発計画党、市民の意志党、市民連合、自由行動党、民主化運動党)。今回の選挙は、各選挙区で選出議員数だけ○で囲むことになっている。
・2008年5月26日、「オンギ川・・・」「トソン・ザーマル・トール河」「フデル川」「サルヒ・サンダグ」「シャリンゴルが揺れた」などの諸運動は、「為政者」に対する闘争を表明した。3アイマグ8ソムの牧民と家畜に水を供給しているオンギ川が涸れて、オラーン・ノールが干上がってから10年経過している。オンギ川流域の土地に与えた37の採掘権を無効にした。だが、「エレル」社は、不法に操業を続け、オヤンガ・ソムの川源地を枯渇させた。さらに、「モンゴル・ガザル」社は、当地の特別保護地域のあるブールルジュート、バイラン川を枯渇させようとしている。この諸運動は、国家大ホラル(国会)議長(ルンデージャンツァン)、首相(С.バヤル)、自然環境相(シーレグダムバ)に請願書を提出したが、返書を手にしていない。また、産業貿易相(Х.ナランフー)に共同行動をとるよう呼びかけた。ブールルジュート川は、オンギ川の最大の支流であり、ウルト川とウルト川床のようにさせないために、地域住民たちが統一して闘争を開始した。「オンギ川」運動代表Ц.ムンフバヤル、「自然保護地方開発」運動代表Ц.ザガスレンが述べるところによれば、「モンゴル・ガザル」社を1週間以内に活動を停止させ、当地から出て行くように要求した。もし要求が受け入れられない場合は、闘争を強化する。武装闘争も辞さない。われわれは恐れない。後世の子孫のために土地を守る。彼らによれば、二つの選択肢があると言う。つまり、「モンゴル・ガザル」社が誤りを認め、操業を停止する。もう一つは、行政が参加して操業する。こうした場合は、武装闘争を延期する。われわれは、どの企業を訪れても、敵視される。最近では、中国人たちがモンゴル人たちを威嚇するようになった。2005年に起きた記録写真がある。このため、二・三人が死亡した。行政が機能を果たしていたら、このような事件が起きなかったであろう。
・2008年5月27日、国家大ホラル(国会)自然環境常任委員会が開会された。当委員会に諸運動の人々も参加した。委員会の冒頭で、ウブルハンガイ・アイマグ、オヤンガ・ソムの第6・第7バグの住民代表評議会(地方議会)の作成したビデオを見、その決議が紹介された。委員会の席上で、「オンギ川」運動代表Г.ムンフバヤルは、「全国的に川の源流地で鉱物資源の採掘作業をするのを停止させる決定を出さないなら、地域住民の公益のために武器を取って闘う」、と述べた。
・2008年6月2日、人民革命党の招聘で英国労働党代表たちがモンゴルを訪れた。
・民主党選挙綱領:個人の権利、自由、官僚主義排除、自由な経済活動、政府の管掌を最小限に。
・2008年5月29日、身体障害者のデモ、国家大ホラル(国会)は、交通法と老人・身体障害者社会保険法改正を行った。その結果、身体障害者に対するバス運賃が有料になった。「身体障害者市民連合」代表С.サインバヤルによると、モンゴルに12万人の身体障害者がいる。彼らの年金額は生活不能の水準である。だから、バス乗車運賃有料化は、不当である。このため、民主党、人民革命党本部前でハンストを宣言した。また、スフバートル広場でデモを行う。
2008年6月6日、デモが行われた。「視覚障害者国民連合」、「身体障害者市民連合」、「聴覚障害者国民連合」が参加した。各自が鎖で身体を結びあい、スフバータル広場、ウランバートル市役所前、政府官邸前でデモ行進をした。「不法な行為を止める」、「扶助料がない」、「差別反対」のプラカードを掲げた。当局は、わずかな扶助料(月額6000トグルグ)で問題をごまかそうとしている。問題が解決されるまで、我々は闘う、ハンストを宣言する、として、国家大ホラル(国会)議長、首相、ウランバートル市長、人民革命党、民主党に要求した。
・2008年6月8日、身体障害者と人民革命党は、合意に達し、人民革命党書記У.バルスボルドと「視覚障害者国民連合」代表М.バヤスガランは、人民革命党本部前で行っていたハンストを中止し、この法律を見直すための文書に署名した。
・2008年国家大ホラル(国会)議員選挙での各党の現金支給公約。民族新党は、子供に月2万トグルグ支給。市民運動党は、市民に5000ドル株券と成人に1000万ドルの融資支給。人民革命党は、国民各人に150万トグルグ支給。民主党は、100万トグルグ支給。
・2008年6月17日、「万人の信頼」運動は、С.バヤル支持を表明した。その理由は、国民の期待を受け、国家運営をしているからで、人民革命党が多数派となって、С.バヤルを首相の職にとどまらせよう、と呼びかけた。
・2008年6月30日15時、バトザンダン市民運動党代表は、約30人の支持者と一緒に、バヤンズルフ区第43投票場に来て、投票箱を奪おうとした。
・2008年6月30日午後6時、С.バヤル人民革命党党首:「人民革命党を信頼してくれたことに感謝している。人民革命党政権は、すべての信頼を実現する、モンゴルを発展させることを公式に約束する。」
・О.マグナイは、開票時に不正があったとして、ソンギノハイルハン区役所前で座り込みを宣言した。
・市民連合代表Д.エンフバトは、得票者名を間違えて読み上げたという理由で、開票のやり直しを要求した。
・2008年6月30日、バトザンダン、マグナイ、ボルマーらは、22:00〜翌3:50、人民革命党本部、および中央郵便局南交差点を封鎖。
・2008年7月1日、12:00、ブンブグル商業センター周辺に住む酔っぱらいや年長者を寄せ集め、それらしき服を着せ、スフバートル広場に運んだ。スフバートル広場、民主党前に人々が集結。12:10、民主党党首エルベグドルジ、選挙不正の演説。12:30、ドラゴン・センターから、バトザンダン、マグナイ、ジャルガルサイハンら来る。13:00、政府官邸東側に集結。13:20、エルベグドルジ再び現れる。14:00、エルベグドルジ:「コミュニストから完全に離れる時が来た。この困難な時、我々を支持している人々に感謝する。コミュニストは、我々を選んだことを一夜のうちにひっくり返した。それから離れる時が来た」。けがをした14歳のЛ.アマルという少年は、「(事態が)どうなっているのか知らない。みんなについて行った。」と言った。Ц.ソソルバラム(注:俳優、民主同盟メンバー)は、「殺せ!」と扇動した。15:00、マグナイ、Б.ジャルガルサイハンたちが人民革命党本部に急行し、扇動した。人民革命党本部襲撃。16:50、バトザンダン、Д.エンフバトは、騒乱の煽動者にされることを恐れ、市民の意志党、民主党が当選を辞退すれば、私もそうする、と述べた。また、これは、マグナイと「健全な社会のための市民運動」の仕業である、と述べた。С.バヤルは、人民革命党本部が襲撃された時、ジャーナリストを避難させた後、最後に脱出し、国家安全保障会議に出席した。そこで、「まず襲撃を止めよ。その後、再選挙を行うのを人民革命党は恐れない」、「エルベグドルジは、国民の選択を否定し、騒乱を作り出した。これは、自らの失敗を他者になすりつける行為である」、と述べた。17:00、人民革命党本部焼き打ち。23:00、約8000人集結。この内、組織者20〜30人。5人死亡。エンフバヤル大統領が戒厳令を布告した。
・民主党は、6月28日、1万5000トグルグを渡して、スフバートル広場での集会を組織していた。エルベグドルジと、タバントルゴイ、オユトルゴイに利権を持つ民主党の独占集団が「騒乱」を引き起こした。エルベグドルジの背後にエンフバヤルがいる。「これを(注:エルベグドルジに扇動された騒乱)民主主義というなら、私は社会主義を選ぼう」<エムジン論説>。
・負傷した騒乱参加者Ч.ムンフバータル:「我々はさらに闘う。私の生活はこの4年間でますます悪化した。これからも悪くなるだろう」。
・(騒乱に)指令を出していた車両が中央郵便局北側に駐車して、車の内部で何か話し合っていた。
・石、レンガを積んだ車が出現した。(何者かが)犯罪者を集め、金銭や酒を与えて、人民革命党本部前に行かせた。ダルハンオール、オブス、ドルノド、トゥブ、ボルガンでも同様のこと組織しようとした。隣のビルから中国人たちがデモ参加者に石、レンガを集めて手助けした。
・検察庁の調査では、参加者の大半は犯罪者だった。彼らは、1万5000〜2万トグルグを受け取っていた。
・2008年7月2日、国家大ホラル(国会)特別総会が開会され、民主党議員たちは、エルベグドルジは騒乱を扇動していない、述べた。
・2008年7月2日、市民運動党党員(ダルハンオール選挙区立候補者)М.イチンノロフは、ダルハン・ソムでのデモ集会を組織しようとしたが、人々の非難にあった。7月1日にも、民主党立候補者Ш.トゥブデンドルジたちがデモを組織した。オブス、ボルガン、ドルノドでも同様の動きがあった。
・2008年7月5日、バトザンダン逮捕、容疑を否認。マグナイは行方不明。
・「フフ・モンゴル」代表Д.ガンスレン:「民族(主義)思想の必要性。7月2日(「黒い火曜日」)の「騒乱」に参加したが、その阻止に回った。スフバータル区警察署を防衛した。バトザンダン、マグナイは、誤った方法を行使した。」
・2008年7月7日、マグナイ逮捕。容疑(社会秩序紊乱、刑法第177、179、180条)を否定した。
・2008年7月8日、民主党民族評議会が開催され、1)7月1日の「騒乱」の責任はエルベグドルジにではなく人民革命党にあること、2)С.バヤル政権は辞職すべきこと、3)これが実現しない限り新しい国家大ホラル(国会)に参加しないこと、などを決議した。
・2008年7月8日、У.フレルスフは、第2審で無罪判決が下った。
・2008年7月13日、トゥブ・アイマグ、ザーマル・ソムのアルタン・ドルノド・モンゴル社の従業員は、給料未払いに抗議して、デモを行い、同社が採掘する金鉱を襲撃した。
・2008年7月16日、国家大ホラル(国会)行政制度常任委員会が開かれ、С.バヤル政権解任問題が審議され、9:6で解任不賛成の採決をした。
・2008年7月17日、国家大ホラル(国会)総会は、С.バヤル政権解任案を審議し、否決した。
・2008年7月18日、エルベグドルジ民主党党首は、記者会見を行い、党首辞任を表明した。
・2008年7月29日、警察は、民主党員О.バルスを7月1日の騒乱での火災を引き起こした主犯として逮捕した。
・2008年7月30日、スフバートル広場で、7月1日の騒乱で逮捕された人々の釈放を要求する座り込みが行われた(「誠実な市民の戦線」「国民の緑の運動」によって)。
・米国NGOは、モンゴル政府による鉱山部門での国家所有導入政策に反対して、「千年試練計画」を凍結することを要求した。
・「デモ集会は組織犯罪だった」(Г.ガンバータル・ウランバートル市警察治安室長)
・2008年8月30日、民主党は、エルベグドルジに代えて、アルタンホヤグ(アルタンガダス派)を党首に選任した。アルタンホヤグは、アルタンガダス派(1996〜2000年の民主同盟連合政権時代に、同政権内の「反対派13人」を中心にして生まれた)に属する。
・2008年9月1日、国家大ホラル(国会)議長にД.デムベレル(人民革命党)が選出された。
・2008年9月1日、С.バヤル人民革命党党首は、アルタンホヤグ民主党党首と会談し、インフレ、物価値上がり、鉱山部門の成長、などの問題について協力して政局を運営するよう呼びかけた。これに対し、アルタンホヤグは、貧困、収入格差の不均等、民生不安定などの除去が必要であり、協力できると答えた。
・2008年9月3日、人民革命党小会議が開かれた。その席上、С.バヤル党首は、鉱山部門の開発には人民革命党と民主党の協力が必要であること、またモンゴルには融和が必要となっていることを述べた。これに対し、テルビシダグワバは、(連合政権は)憲法違反である、として反対意見を述べた。
・労働組合連合は声明を出し、物価値上がり(注:40%以上といわれる)のため、生活が困難となっているとして、抗議集会を開くことを宣言した。
・2008年9月4日、2008年7月1日の騒乱に関連し、共和党党首ジャルガルサイハンが逮捕された。
・2008年9月4日、С.バヤルは、「モンゴル人は融和すれば協力になる」、と述べた。
・2008年9月11日、国家大ホラル(国会)は首相にС.バヤルを指名した。
・2008年9月11日、労働組合連合(議長С.ガンバータル)は、公務員給与と年金額の引き上げを要求して、スフバータル広場でデモ集会を開いた。「物価値上がりに反対」、「国民が飢え、病弊している」、「健康で安全な生活を保障せよ」、「科学部門への国庫扶助が必要である」などのスローガンを掲げていた。ガンバータル:「給与と年金額引き上げによって物価上昇になるというのは真実ではない。石油世界価格が下落している時に、モンゴルでは上昇しているのは、6、7社ほどの国内石油販売会社が国内販売市場を独占しているからだ。こうした状況を打破すべきである。そのために政府を監視しなければならない」。参加したスフバータル区の住民:「年金額の引き上げを求める。連合政権を作って物価上昇を阻止せよ。エルベグドルジは7月1日の騒乱を引き起こした張本人である」。小児科医:「物価上昇に反対する。モンゴル国民と医療関係者の給料が低い。ガンバータルを支持する」。老齢者:「生活が苦しい。国民の生活を改善しようとしてくれる政治家がいない」。教師:「給料の引き上げを要求する」。
・2008年9月12日、人民革命党・民主党連合政権のための調停グループ(М.エンフボルド、С.バヤルツォグトら12人)が文書に署名した。
・2008年9月12日、警官たちの親族160人は、スフバートル広場でハンガーストライキを宣言した。彼らは、スフバータル区およびウランバートル市警察庁によって解散させられた。
・2008年9月12日、モンゴルに住む11万5000人の身体障害者のうち、視覚障害者が7000〜10000人である。彼らは、生活権の保障を求めて大会を開き、500人以上が参加した。
・2008年9月13日、エルベグドルジは、民主党の「民主同盟」派をバヤンゴル・ホテルに集め、分裂を策す。これに、大臣のポストが得られないと不満を抱くД.ガンホヤグ(ブリッジ・グループ)、アマルジャルガル(元首相)、Х.バトトルガ(ジェンコ)、Д.オドフーらも参加。さらに、バトザンダンと計って、市民運動党も加える策動。
・2008年9月18日、労働組合連合、政府、経営者の三団体が会談した。Л.ニャムサムボー(経営者側)は、公務員給与引き上げを批判した。これに対し、С.ガンバータル(労働組合連合側)は、搾取を止め、安定した成長が必要であって、国民生活が悪化しているから、政府がそれを改善すべきである、と述べた。С.チンゾリグ(政府社会保障労働省副大臣)は、労働組合連合側の要求を受け入れ、給与引き上げを検討する、と述べ、さらに、(物価値上がり対策として)新(連合)政権が輸入品量の制限を検討する(注:物価値上がりの主要な原因として、国内生産が行われていないことがある)、と述べた。
・2008年9月19日、国家大ホラル(国会)総会は、С.バヤル連合政権の閣僚を承認した。
・2008年度地方議会選挙(10月12日実施)で、ウランバートル市議会では、人民革命党と民主党が「18:3」で人民革命党が勝利した。ウランバートル市以外の地方議会選挙では、人民革命党が393議席、民主党が230議席(その他共和党2議席、祖国党2議席)を獲得した。地方選挙に10党が参加。
・2008年10月13日、モンゴル銀行は、銀行の資本準備金比率を0.5%下げ、5.0%にする決定を出した。
・モンゴル商工会議所(所長С.デムベレル)、ハス銀行、ペトロビス社共催による、中小企業主に対する無担保融資を実行する。36人に50万〜500万トグルグ融資。
・現在のモンゴル人平均世帯収入(4人家族)34万0400〜37万9200トグルグ。
・2008年10月23日、О.マグナイ、Ж.バトザンダン、Б.ジャルガルサイハンたちの資産が封印された。
・2008年10月27日、ボルガン・アイマグ、サイハン・ソムの住民と「急進的改革」運動(代表Д.エンフバト)は、記者会見をした。その席上、サイハン・オボー石炭鉱床(コークス炭)は、1999年5月27日、Ц.ツェンドオチルに民営化で落札・売却された。その後、中国資本に譲渡された。2007年7月23日、「サイハン・オール保護運動」が結成され、石炭採掘反対運動を展開してきた。
・国家統計局の最新の発表によると、経済成長率9.8%、国家予算700億トグルグ赤字(オユトルゴイ、タバントルゴイが稼働していないこと、石油製品と鉱物資源輸入、鉱物資源輸出が停滞状況であることなどがその理由である)、
・サンマラル基金による世論調査(2008年10月24日〜11月7日実施)。「明日再び選挙を実施すればどの政党を支持するか」:人民革命党支持が多い。「連合政権を支持するか」:支持する59.8%。「緊急課題は何か」:失業問題。「それを(緊急課題を)人民革命党が解決できるか」:できると答えた人が多い。「政府の失政は何か」:物価上昇。「大統領制」:支持するが最も多い。政治家支持率は、С.バヤルが40.9%、エルベグドルジが21.7%、エンフバヤルが12.1%の順である。
・人民革命党の「伝統・革新ー民主・公正」グループは、ガンビャンバ(代表)、ダライフー(代表委員)、ダランタイ(副代表委員)、オドバル(副代表委員)、ナランバヤル(副代表委員)を新たに選出した。党員の教育能力向上を目指す。
・教育文化科学相オトゴンバヤルとハーン銀行との協定(国家予算歳出の20%を占める教育予算の資金をХААН銀行に扱わせる)が不当競争禁止法に違反する、と銀行協会が抗議。
・2008年11月20日、「老年者自由連盟」代表Г.バーサンが14日間の勾留。
・2008年11月27日、国家大ホラル(国会)総会は、2009年度予算を承認した。3955億トグルグの赤字予算。銅世界市場価格を3400ドルと計算した結果である(注:6700ドルであれば均衡予算になる)。
・「フブスグル湖の住民」運動による、フブスグル湖の環境汚染反対運動(ブレンハーン・リン鉱山開発に伴う)。
・2008年11月30日、ウランバートル市議会議員再選挙が実施された(午前7時〜午後10時)。
・2008年12月1日、ウランバートル市議会議員再選挙の暫定結果:人民革命党35:民主党10(13時時点)。その後、ハンオール区:人民革命党1:民主党5、バヤンゴル区5:1、ソンギノハイルハン区8:1、スフバータル区4:2、その他は全議席が人民革命党(16時時点)。一方、区議会議員選挙結果は、バヤンズルフ区が全議席人民革命党、チンゲルテイ区とソンギノハイルハン区は、人民革命党25:民主党10。
・2008年度対外貿易赤字が8億4400万ドルに達した。輸出:鉱物資源、輸入:石油製品、自動車、建設資材、ビール。
・2008年12月31日、С.エルデネが刑事告発された。
・ウランバートル市議会議員再選挙で、45議席のうち人民革命党が36議席、民主党が9議席それぞれ獲得した。民主党は前回3議席から「大躍進した」(エムジン記者)。第三勢力がいなくなった。
・2008年12月3日、С.バヤル政権は、約1800人の功労者に月額20万トグルグの年金を支給する法案を国家大ホラル(国会)に提出する。
・2008年12月3日、政府閣議で、農牧業省は、ジャガイモ、野菜、小麦が国内需要の50%を満たすことができる、と報告した。特に、ジャガイモは100%、野菜は50%の需要を満たす。小麦は19万トンを市場に売却する。
・2008年12月6日、第5回「開墾V」国民会議がウランバートル・ホテルで開催された。С.バヤル首相、バダムジョナイ農牧業相らも出席した。出席者たちは、長所(国内需要の50%を満たす)と共に、短所(収穫時期が遅れた、収穫作業・技術が稚拙だった)も指摘した。
・「預金保護法」成立。16の市中銀行。「緊急基金」3000億トグルグ分を銀行に預金する財務省案。
・消費者物価指数が前月より1%下がった。しかし、前年の同時期より11〜29%上昇した。
・2008年12月10日、ウランバートル市議会は、Г.ムンフバヤルを市長に任命することを承認した。
・2008年12月10日、モンゴル銀行は、アノド銀行を監査し、営業を停止させた。預金者の預金引き出しが多くなり、銀行が混乱状態に陥っている。モンゴル銀行総裁А.バトスフ:「2008年に総額700億トグルグが貸し出された(注:未回収)。預金者保護のための措置である。経営陣の営業権を停止にした。倒産したのではない。貯金額1450億トグルグ、融資額1800億トグルグ。主要株主たちが多額の債務を返済していない」。Н.ダシゼベグ(モンゴル大学学長):「融資額と利子額で2000億ある。不良債権ではなく、回収可能で、健全な経営である」。21時〜12月11日5時、刑事警察、国家捜査局がアノド銀行を捜査した。同時に、Н.ダバー(最高経営者会議委員)、Э.グルアランズ(最高経営者会議委員長)、Д.エンフトゥル(社長)など10人余りの所在確認と保有資産凍結措置を執った。Э.グルアランズ:50歳、オヤチ。Н.ダバー:「市民連合」より国家大ホラル(国会)議員選挙に出馬。現市民運動党党首。Д.エンフトゥル:50歳、1992年、アノド社を設立。
・2008年12月11日、国家大ホラル(国会)総会は、「モンゴル国開発基金法」改正を承認した。
・モンゴル皮革の価格が下落して、牧民の生活が悪化している。
・2008年12月20日、人民革命党第6回小会議が開かれ、書記長にУ.フレルスフを選出した。М.エンフボルド派(=ウランバートル市派、バダムジョナイたち)が力を持った。
・2008年12月26日、11省の14副大臣が任命された(人民革命党と民主党が50:50の割合で)。

(C)著作権所有 村井宗行

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