
日本の新しい「モンゴル援助計画」を読む (注)
村井宗行
(注:本論文の英語版は、モンゴル国立大学モンゴル言語文化学部紀要『モンゴル研究』[http://smlc.num.edu.mn/images/stories/Nom/Mongol_Sudlal_2007/39.Murai.pdf]に執筆)

1,日本政府の対外援助方針は、以前は「対外経済協力審議会」によって討議、立案されていたが、最近は、「ODA総合戦略会議」によって討議され、成文化されることになった。著者は以前の「モンゴル援助」については、検討したことがある(注:http://www.aa.e-mansion.com/~mmurai/ M.Murai, Special Features about Japanese Aids-Decision-Process to Mongolia and Its Problem)。ここでは、2004年11月作成のモンゴル援助計画(注:外務省、対モンゴル国別援助計画(mongolia0411)といって、以後5年間にわたる、とされる。以下、援助計画と呼ぶ。http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/kunibetsu/enjyo/mongolia.html参照)について検討する。
この援助計画は、花田麿公駐モンゴル元大使が主査となって各機関の参画によって起草されたものである。花田が述べるように、「対モンゴル政策で...各方面の方々が参加し、熱い議論をして(われわれは)一つの文書をまとめあげた」(注:外務省、第17回ODA総合戦略会議議事録、http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/kunibetsu/enjyo/mongolia.html参照)、と述べているように、端的に言えば、この援助計画は以前のものよりも精緻化していることは間違いない。確かに、以前のそれは、数人の対外経済協力審議会委員による諮問によって成文化された、粗雑なものであった。
2,この「対モンゴル国別援助計画」(2004年11月)は、二つの部分からなっていると見てよい。一つはモンゴルの現状分析、もう一つは援助内容の記述、である。
「援助計画」は、「(モンゴル)政府の開発計画」を分析している(12〜14頁)。それによると、
(a)基本方針:
@抜本的な経済改革と輸出主導の経済成長。
A教育と文化の保護・尊重。
B所得分配効率化による国民の生活水準の改善と効果的制度の開発による社会福祉の拡充。
C地域開発構想の実施、都市と地方の格差是正。
(b)部門ごとの政策:
@社会政策:
基礎教育と職業訓練の提供、質の高い医療と予防医療による健康増進、東洋文化の特徴と世界的価値に基づいた文化・芸術、科学技術の向上、富と所得の分配の改善と貧富の差の是正。
A経済政策:
マクロ経済の安定、財政・金融部門の健全化、民営化の継続と効率化。国内産業復興と輸出振興、鉱業部門の強化、牧畜産業の下落の歯止め、観光開発、地方インフラの開発。
B地域・地方開発政策:
地方を意識した税制・投資・貸付政策の実施、全国を5つのブロックに分けた地域開発。
C自然環境政策:
環境に配慮した経済成長、地方の天然資源の保護と利用に関する責任明確化。
D対外政策:
国境地域の犯罪防止等、ロシア・中国との良好な関係の発展、日本との「総合的パートナーシップ」の強化と拡大発展、アジア太平洋諸国との関係強化等。
Eガバナンスの強化、社会的秩序の確保と規律の強化
政策の効率的な実施、効果的な国民へのサービス、法の確立等ガバナンスの強化、公共サービスの説明責任制度の改善、抜本的な法改正と法の実施改善による犯罪、収賄及び汚職の根絶。
「援助計画」は、これを「持続的経済成長による貧困の削減」と見なす。だが、これが「持続的経済成長」計画である、とはとうてい読めない。
エンフバヤル政権(2000〜2004年)は、前政権である「民主同盟連合政権」(1996〜2000年)の失政と腐敗・汚職を払拭することを選挙公約に掲げて、国家大ホラル(国会)議員76議席中72議席の究極の絶対多数派を形成し、「草原のブレア」として颯爽として登場した。
エンフバヤルは人民革命党党首は、2000年7月17日、人民革命党小会議(執行委員会)で報告し、次期政権の骨格を明らかにした。それによると、
人民革命党選挙綱領の実施
銀行金融政策の健全化
関税、税制度の適正化
国内産業育成
中小企業支援
就業機会の創出
農牧業の電力化
予算の公開性
学費・医療費の軽減
市場経済制度の維持
観光業育成
(注:OS000718)
というものであった。すなわち、次期政府政策綱領は、人民革命党(選挙)綱領を基本にして、前政権の誤りを正し、それに「市場経済制度の維持」と「観光業育成」が付加されていた(注:この人民革命党綱領は、1997年の人民革命党20回大会で決定されたものであった)。
この政府政策綱領(2000〜2004年)は次のようであった。
経済成長
輸出振興
教育文化発展
社会保障の充実
地域発展、地方と都市間格差の是正
モンゴルの特殊性考慮
1.社会政策
「社会政策の基本的方向は、人間の発展を促進し、民生の向上、社会サービスの提供、失業・貧困の撲滅にあ る。」
2.経済政策
「マクロ経済を強固にし、輸出振興、私有制度を中心として、経済安定をめざす。鉱山業、牧畜業、輸出振興、観光 業を発展させる。2004年までに経済成長率を6%にする。」
3.地方政策
地域発展構想に基づく、資本投下、定住政策
4.自然環境政策
エコロジー保護
5.国防政策
6.行政混乱除去、風紀取締
(注:OS000908)
すなわち、この政府政策綱領は、経済成長至上主義のIMF路線を踏襲しているものの、「モンゴルの特殊性考慮」とか「教育文化発展」とか「社会保障の充実」とか「行政混乱除去、風紀取締」とかというように、IMF路線とは異なった、「第三の道」をも模索する左派中道路線であった(注:http://news.bbc.co.uk/hi/english/world/asia-pacific/newsid_817000/817356.stm)。
ただ、エンフバヤル政権は、その行動方針を急転回した。2001年10月12日、かの米国世界貿易センター・ビルが崩壊した。エンフバヤル首相は、2001年11月11日、国連総会での演説の後、米国大統領ブッシュと会談した。その席上、エンフバヤルは、イスラム原理主義に基づくテロリズムに反対すると共に、米国からの投資増を要請した。この会見を境として、「土地私有化」(2003年5月1日施行)などの政策を打ち出していく。これは、ある種の「経済成長」路線への急転換であった。しかし、当初からそうであったわけではないのである。
しかも、この「経済成長」路線は、貧富の差の拡大をもたらしていった。
このため、2004年の国家大ホラル(国会)議員選挙では、「祖国・民主」同盟は、「貧富の差の拡大」解消をキャッチ・フレーズとする「子供たちに月1万トグルグ支給」という選挙公約を掲げ、選挙違反すれすれの戦術を用いて、人民革命党議席72議席を37議席にほぼ半減させ、事実上勝利した。これが、人民革命党内の分派「伝統・革新ー民主・公正」グループなどを生み出していく原因ともなった。
「(持続的)経済成長」は当初からのものではなく、「貧困緩和」は実現されず、むしろその差は拡大していった。つまり、援助計画に述べる「モンゴル現状分析」は事実に即していない。
この援助計画は、モンゴルへの援助内容について、次のように述べている。
「我が国は1972年のモンゴルとの外交関係樹立以来地道な外交活動を展開し、1990年までに総額60億円の援助を実施した」(14頁)。「1991年以降現在まで、我が国は、移行期の混乱に伴う同国の緊急ニーズに対する支援を皮切りに」(14頁)、「我が国のモンゴルへの支援は、....食糧、水、保健・医療、教育という人間が生きる上で最も重要な部分で支え、次にエネルギー、通信、輸送(鉄道、道路等)、牧畜振興と産業基盤の支援をトップドナーとして果たしてきた」(14頁)。
だが、「支援された施設等において急速な市場経済化のために運営システムが崩壊し十分活用できなかった、あるいはモンゴル側の資金難で維持経費が負担できなかったことにより効果が発現するまでに時間を要したケースもいくつか見られた。」(14〜15頁)
このように、モンゴルの実情に遭わない援助も「いくつか」あったことを認めている。
では、そうではない援助は何だったか。「援助計画」が述べるところでは、
「我が国のこれまでの援助のうち、モンゴルから特に評価されているものとして、インフラ部門では、「通信施設整備計画」による衛星通信地上局の設置、「ザミンウデ駅貨物積替施設整備計画」によるコンテナ貨物積替基地の建設、「ロックアスファルト舗装道路計画」等による道路建設、第4火力発電所の改修、「ウランバートル市公共輸送力改善計画」による首都のバス供与、「初等教育施設整備計画」による校舎増築、「村落発電施設改修計画」による地方へのディーゼル発電機の供与があげられる。緊急的援助では、食糧援助、食糧増産援助、緊急無償による短波無線機の供与、草の根無償では、学校改修の案件、人材育成では、インフラ部門等の人材養成(第4火力発電所、バス公社、ダルハン製鉄)等が挙げられる。」(14頁)
すなわち、1)衛星通信地上局および短波無線機の設置、2)ザミンウデ駅コンテナ貨物積替基地の建設、3)アスファルト舗装道路建設、4)ウランバートル市第4火力発電所の改修と人材研修、5)首都へのバス供与、6)校舎増築修理、7)地方へのディーゼル発電機の供与、ということだ。2005年までの援助累計総額1400億7100万円を日本国民の税金から拠出したにしては、満足のいく結果とはいえないだろう。
この不満足の原因の第一は、日本の援助がモンゴルの実情に合わないことである。例えば、花田自身が述べるように、フブスグルノ(注:フブスグルのこと)で、某国の強力な圧力によって行われた暖房組織民営化の失敗に、日本企業支援工場が荷担した(注:第9回ODA総合戦略会議議事録「私が一昨年の8月に訪問したフグスグルノという県のある村で、去年民営化の圧力がある大国からあって、それで中央政府が民営化した。それは暖房組織です。そしてその暖房組織を民営化しちゃうと、その暖房組織を全部買い取るだけの余力のある人はいませんので、村人が金を集めて、一つ会社作って民営化したわけですが、子供を、今度市場経済を移って、学校が有料になったので、学費を払うという段になると、お金がない。そうすると、私の取り分をよこせと、そうすると暖房組織の菅を出資分に応じて切って、それをダルハンにある製鉄所に売ってしまうわけです。その製鉄所は、日本の某商社の支援で作ったものですが、貴方の国の工場が食っちゃった、という風に僕は言われたのですが、そうすると今度は学校に暖房が無くなって、冬は木を切って、もうもうとした煙の中で授業をする。これは木や森を乱伐するものですから、今度は夏は水枯れ、そこは川の合流点であるにも拘らず両方から水が流れて来ないと、そんな状況が地方で一杯出ています。」)。
第二に、援助する側とされる側の中間搾取、などが挙げられる(注:援助それ自体の批判として、グレアム・ハンコック、武藤一羊・監訳 (Hancock, Graham, Lords of Poverty, Macmillan London Limited, London, 1990)、鷲見一夫、ODA援助の現実、1989年。これは世界で普遍的に見られる)。
このため、今後は重点分野を決め援助する、ということになる。 その分野とは、
「我が国の対モンゴル援助は、持続的な経済成長を通じた貧困削減への自助努力を支援することを上位目標に置き、これを達成するため、地方経済の底上げをするとともに、牧畜業の過剰労働力を他セクターにおける雇用創出により吸収することを中位目標とする。」(17頁)、「(こ)の方向性に基づき、今後5年間を目途とした我が国の対モンゴル援助は、第一に、市場経済を担う制度整備・人材育成に対する支援、第二に、地方開発支援(地方開発拠点を中心とした特定モデル地域を対象とする支援、牧地と農牧業再生)、第三に、環境保全のための支援(自然環境保全と自然資源の適正利用、首都ウランバートル市の環境問題への対策)、第四に、経済活動促進のためのインフラ整備支援を重点分野とする。」(17頁)
これらは、上述のごとく、現状分析が間違っており、現実の援助が不満足なものであり、実情に合わず、援助される側のモンゴル側に原因が伏在する限り、効果は疑わしい。
このため、「援助計画」は、「対モンゴル援助の留意点」(21〜22頁)を挙げている。それによれば、1)政策協議、2)他ドナー及び日本のNGO、モンゴルのNGO等との協調・連携、3)環境・社会面への配慮、4)効果的実施のための評価、その他を列挙している。だが、これらのことは何も援助に限ったことではない。それぞれの集団が相互理解をする上での基本であろう。むしろ、今までこれらを示さなかったのが不思議なくらいである。
さらに、モンゴル人に対し、日本の援助への幻想をかき立て、ふくらませていく。今までの援助は「丸抱え」であったといわれる(注:内閣総理大臣官房外政審議室、第13期第12回対外経済協力審議会議事録、1999年10月28日、参照)。日本の援助額が少なくなっていく現実の中で(注:外務省、対モンゴル経済協力の概要、2006年9月、によれば、
「我が国の対モンゴルODA実績」
(単位:億円)
年度 円借款 無償資金協力 技術協力
1999年度 0 53.74 19.29
2000年度 61.39 65.68 19.58
2001年度 0 55.12 19.18
2002年度 0 40.60 18.33
2003年度 0 30.85 15.26
2004年度 0 18.80 14.69
2005年度 29.81 40.06 14.57
累計 391.07 746.95 262.69
計 1400.71
、この「幻想」が敗れた時の反動は無視できないであろう。
3,このように考えてくると、著者は「援助不要」論に傾く。その理由は、第一に、日本政府の援助は現状分析の甘さのため、実情を反映していないことが挙げられる。その顕著な例が、2004年からの政治経済状況である。エンフバヤル政権の政策の継続に事実上、不信任を突きつけ、社会主義的な施策を盛り込んだМ.エンフボルド政権が成立した。М.エンフボルドは、エンフバヤルによってその路線の踏襲を期待されたが、М.エンフボルド政権成立の事情もあって、路線転換を余儀なくされ、「子供に月1万3000トグルグ」、公務員給与の1.5倍化など、IMF(注:IMF路線批判については、ジョゼフ・スティグリッツ、世界を不幸にしたグローバリズムの正体、Joseph. E. Stiglitz, Globalization and Its Discontents, 2002、TS. Baatar, Economic Globalization: External Factor of Mongolian Development, 2005)、世銀(注:世銀総裁はネオコンだと言われる。また、村井宗行WEBサイト「世界銀行総裁がモンゴルを初めて訪問した(2002年5月16−18日)」参照。)、アジア開発銀行の最も嫌う政策を実施せざるを得なくなっている。
その理由の第2は、モンゴルでは民族主義の高まりが見られ、政治面では、民族主義的主張をその党綱領に持つ「国民党」(2005年11月30日結成、党首グンダライ)、「民族新党」(2006年5月19日結成、党首М.エンフサイハン)が生まれ、また、政治腐敗への反発、貧困の差の告発などを掲げた市民運動が生まれた(注:「健全な社会のための市民運動」、「急進的改革」運動、「ソヨンボ」運動、「我がモンゴルの地」運動など、さらに、拝外主義的主張をあらわにする「ダヤル・モンゴル(全モンゴル)」運動も出現した)。この風潮がモンゴル国民の一定の支持を集めている。経済面では、鉱物資源を国民の手に、という主張が強くなって、鉱物資源採掘権の取り消しを求める風潮が高まっている。
これらは、日本の援助に対立する(注:このため、日本の商社丸紅は、モンゴルへの投資について、一定程度の警戒感を隠さない。「モンゴル政府の合理的な判断力を前提とすれば、諸外国との外交・経済関係を損ねるような資源ナショナリズムに走る懸念は少ないと考えられる。もっともモンゴル政府が合理的な判断力を失った場合、異なった結果になる可能性は否定できない。」丸紅経済研究所、「モンゴル出張報告」、2006年12月8日、21頁参照。もっともここで言う「合理的」とは、日本企業が考える「合理」ではあるが。)。
さらに、「援助計画」は、「市場経済化」を進めるモンゴルを前提にしている。だが、これはモンゴルの歴史から見れば、一過性に過ぎないといえる。土地など生産手段の公有を基本にして成立しているモンゴル社会は、社会主義(モンゴル型であるが)に移行していった。この社会に日本のような資本主義はなじまない(注:自由主義経済、民主主義経済、開放型経済、市場経済など、いろいろいわれるが、要するに資本主義経済のことである)。
日本のモンゴル援助を子細に検討すると、日本企業進出の地ならし、という側面がある。「ミレニアム道路」計画に財政支援をして、東部アイマグを高速道路化するのは(注:2007年時点で、日本のODA援助によって、ヘンティー・アイマグのウンドゥルハーン近くまで高速道路化された)、将来のアジア版EC結成(注:地域的安定と日本の安全保障のために提唱されたこの構想は、「援助計画」に明示されていないが、花田の発言から見られるとおり、日本はこの構想を指向していることは明らかである。M.Murai, Special Features about Japanese Aids-Decision-Process to Mongolia and Its Problem.)を見越し、特に物流の面で東部アイマグから河川を通じて、豆満江に結びつけるものであるし、鉄道の補修は現在及び将来における日本企業による物資の円滑な運送のためであり、ウランバートル市第4発電所改修は日本企業の生活上の必要からくるものである。教育研修は日本企業進出にとって必要不可欠である。
4,もし援助が必要なのであれば、「援助計画」が言うところのNGO中心による援助への転換が必要である。JICAなどは大幅削減すること、「モンゴル・日本センター」など真にモンゴル人が求めているものだけに絞ること、中間に介在する機関を排除すること、文化中心の関わりに限ること、などが求められる。
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