「・・・冬、大丈夫ですか?」
「あぁ。平気だ」
躊躇いがちの恋次の問いかけに、スパイラル・コースターから降り立った日番谷
は、少々蒼ざめながらではあるものの、はっきりと頷いた。
コースターに搭乗する前は、そんな悲壮な覚悟で遊具に挑まなくとも良いのでは
と恋次が思うほど日番谷は緊張していたが、流石にもう声を上げることも、恋次に
抱き付くこともなかった。
「よし、阿散井、次はお化け屋敷に行くぞ!」
一つ目を制覇して元気が出たらしい日番谷に、恋次ははいはいと従ったのだった。
「えっ、臨時休業なんスか?」
「はい。昨日の午前中に妖怪の人形が十体あまり壊されてまして、修理にあと二、
三日掛かるんですよ」
「・・・そうですか」
恋次と係員とのやり取りを黙って傍で聞いていた日番谷が肩を落とす。
「そんな訳ですから、冬、他へ行きましょう」
「・・・・・あぁ」
何気なさを装って自分をお化け屋敷から離す恋次に感謝しながらも、日番谷は気
が重い。
「・・・俺、営業妨害しちまったんだな。悪い事をした」
とぼとぼと歩きながら、反省しきりの日番谷の肩を抱き、恋次が慰める。
「やっちまったことは仕方無いですよ。名乗り出てあんたの名前を出す訳にはいか
なかったんだし、後から俺が匿名で賠償額分の金とお詫びの手紙を送っておきます
よ」
「いや!それは俺がする」
断固とした日番谷に恋次は判りましたと苦笑を返した。
さて、萎れた花のようになってしまった日番谷をどうやって元気づけようかと思
案する恋次の耳に、エンジン音が聞こえ、やがて一台のゴーカートが姿を見せ、二
人の前を走り抜けて行った。辺りを見渡せば、すぐ近くにゴーカート用に整備され
たサーキットが見える。
「冬、ゴーカートに乗りましょう!」
「ゴーカート?・・・今の奴か?」
「ええ。絶対に気に入る筈ですから」
自分で動かす乗り物ならばスピードも調節出来て、日番谷を怖がらせる心配もな
いと、恋次は自分の思いつきに明るい表情を見せる。
その恋次の笑顔に、何かを感じたのか、日番谷は大人しく従ったのだった。
「うわぁ!なんだコレ、ミッションかぁ!・・・ありえねぇ。普通はオートマだろ
!ったく、なんでこのゴーカートのとこだけ人が並んでないのか判ったぜ」
二人用のゴーカートに乗り込んですぐの恋次の言葉に、日番谷は興味深げに聞い
てきた。
「どうした阿散井。動かせないのか?俺が係員の奴に動かし方を聞いてこようか?」
「あ、いえ、大丈夫っス。行きますよ」
一騒ぎしたわりに、スムーズにゴーカートをスタートさせた恋次に、すぐに日番
谷が相好を崩した。
常よりもずっと低い目線で、流れる風景を風を切って進むのは、独特の生理的な
快感を呼ぶもので、日番谷は忽ちのうちにその感覚の虜となった。
「これ、面白いな。凄く、良い!」
「お気に召してなによりですよ。もっとスピードを上げますか?」
「うん!」
嬉しそうに夢中になって前を見詰めたり、恋次のハンドル捌きに感嘆してみせる
日番谷は本当に等身大の子供の様に可愛らしい。しかし・・・
「なぁ、阿散井、今度は俺が動かしてみたい!」
サーキットを一周してゴールに戻ってきたゴーカートの中でそう強請られ、恋次
は困って眉を寄せた。
「う〜〜〜ん。これがオートマならなんの心配もないんですがねぇ・・・。一体な
んでミッションなのか、流石、尸魂界の遊園地っていうか・・・」
一人でブツブツと呟き出した恋次に短気な日番谷が痺れを切らす。
「いいからさっさと席を替われ!」
「はいはい。・・・ったく、あんた絶対にカルシウムたんないでしょ」
やれやれと、一旦エンジンを切った恋次がゴーカートから降りると、「牛乳は毎
日飲んでるぞ」と云いながら、日番谷がいそいそと操縦席に移ってきた。
「―――で、コレ、どうやって動かすんだ?」
「今、教えますよ。最初はエンジンの掛け方からですね・・・」
自分の座っていた助手席に腰を降ろした恋次の言葉を、一言も聞き漏らすまいと
日番谷の瞳は真剣な光を宿したのだった。
「阿散井〜〜〜っ!」
一人用の緑色のゴーカートに乗った日番谷が、笑顔全開で手を振りながら自分の
前を走り抜けていくのを、同じように手を振り返して恋次が微笑む。
あれから一刻ばかりの時が過ぎていたが、日番谷がゴーカートから降りる気配は
微塵もない。
最初は二人用のゴーカートに一緒に乗っていたのだが、少々飽きてきたらしい恋
次の様子を察した日番谷は、一人用の物に乗り換え、サーキットのベンチに腰を降
ろしてタバコを吹かしている恋次の前を通り過ぎる毎に、手を振って寄越す。
余程、このアトラクションが気に入ったのだろう日番谷は、始終楽しげに笑顔を
見せている。
そんな日番谷に、恋次は目を細めて語りかけた。
―――――そうやって、笑っていて下さい!
―――――この世界の誰よりも、幸せでいて下さい!
笑顔の日番谷を前にして、幸福感に満たされながら、泣きたいような切なさが恋
次を襲ったのだった。
「おかえり、冬、阿散井クン」
「ただいま」
「ただいま戻りました」
夕食時に市丸の屋敷へと戻って来た日番谷と恋次を、屋敷の主である市丸と吉良
が出迎えた。
「もうそろそろ檜佐木クンと乱菊も帰ってくるやろ。皆が揃ったらご飯にしような
ぁ」
「はい。厨房の者にそう伝えて参ります」
吉良が座を外すと、応接間の椅子に一旦は腰を降ろした日番谷が市丸ににじり寄
った。
「どうしたん?冬」
「あのな、市丸、俺、お前に聞きたいことがあるんだが」
「うん?なんなん、急に改まって」
「あのな、俺、阿散井の子を宿したかもしれねぇ」
「ええっ!ホンマなん?」
日番谷の発言ですら飛び上がったのに、開眼した市丸の紅い瞳に射すくめられて
恋次は一瞬にして呼吸困難な状態になってしまった。
「・・・え・・・・・ぁ・・・ぅ・・・・・」
「勿論仮定での事だが、可能性がゼロって訳でもないだろ」
「まぁ、そうやねぇ。・・・冬は赤ちゃんが欲しいん?」
「特に子作りしたい訳じゃねぇが、出来たものは大事に育てるさ。で、聞くんだが
俺がもし阿散井の子を懐妊してたら、産んでもいいか?」
上目使いに小首を傾げるという、とんでもない可愛い仕草で、しかし内容はそれ
こそとんでもない日番谷の言葉に、恋次はゴクリと唾を飲み込んだが、市丸は数回
パチパチと睫毛と閃かせた後、なんとにっこりと微笑んだ。
「勿論ええよ。冬と恋ちゃんの子やったら、翠の瞳に赤い髪の綺麗で強い子が生ま
れるやろなぁ」
「――――!」
「うん。俺もそう思う。・・・ありがとな、市丸!」
「どういたしまして」
互いに微笑合う二人に、恋次はあんぐりと口を開けたまま、暫し呆然としていた
が、そこに修兵と乱菊の二人が帰って来た。
「あら、二人共帰ってたんだ。旅行、楽しかった?」
明るい乱菊に続き、修兵の恋次の背中をバンと叩き、耳元に唇を寄せ、囁く。
「首尾はどうだったんだ。後で話、聞かせろよ」
「はぁ・・・まぁ・・・・・」
「どうしたんだ、お前?元気が無いなぁ。・・・まさか、しくじった訳じゃねぇだ
ろう?」
「いや・・・そっちは大丈夫だったんスけど・・・」
言葉を濁す恋次に修兵が不審そうに眉を寄せた時、食事の支度が整ったのを吉良
が知らせに来き、皆は食事が用意された部屋へと場を移した。
吉良イズルが指示して作らせている料理の数々は、旅行先のホテルで饗された物
と比べてもなんら引けを取らない素晴らしい物ばかりだった。
が、そんな料理を前にしても一向に箸の進まない後輩を心配し、修兵が横から声
を掛ける。
「阿散井、お前、閨で失敗した訳じゃないんなら一体何を気に病んでいるんだ?」
「・・・あ、それは、その・・・」
視線を落とす恋次に、あることを思いついた修兵が表情を引き締める。
「お前、もしかして日番谷隊長の身体が元に戻らなかったら、とかを心配してるの
か?」
「え、あの・・・それは当然、心配ですよ」
自分の杞憂とは見当違いではあるものの、確かにそれも心配だった恋次はこくり
と頷いた。それを見た修兵が、即座に市丸に声を掛ける。
「市丸さん。阿散井の奴、本気で日番谷隊長の身体を心配してるんすよ。そろそろ
ネタばらしをしても良いですか?」
修兵の問いかけに箸を止めた市丸はそうやねぇ、と応え、日番谷や乱菊、吉良も
食事を中断した。
「・・・?ネタばらし」
周りの雰囲気が変わったことを敏感に察知した恋次が不審気に修兵に視線を向け
ると、端正で精悍な修兵の表情が少し緩む。
「―――実はな、阿散井、日番谷隊長の身体が女性化したのは虚が原因なんじゃな
くて、技術開発局の阿近さんが開発した薬のせいなんだ」
「な、なんですって?」
驚きの余り、恋次が大声を上げる。
「それ、本当ですか?なんでそんなマネを?―――もしかして、俺だけ事実を知ら
されずに、皆でグルなんスか?」
その驚愕のまま、日番谷を顧みれば、翠の瞳が困ったように揺れている。
「・・・原因不明で俺が女になった方がお前が喜ぶって云われたからだ。―――違
うのか?」
「俺が喜ぶ?・・・それ、一体誰に云われたんですか?」
「檜佐木にだ」
あっさりと紡ぎ出された自分の名に肩を竦める修兵に、恋次が向き直る。
「檜佐木先輩!」
「あ〜〜〜っ、いや、落ち着け、阿散井。お前、以前云ってただろう?日番谷隊長
が女の子だったらどんなに可愛いだろうとか、女の子になった日番谷隊長とデート
してみたいとか、エッチしてみたいとかさ」
「・・・そりゃ確かに云いましたよ。でもどうして薬のことを内緒にしたんですか
?」
「それがサプライズ・バースディープレゼントってもんだろう?」
一片の悪気もないという体で腕を組む修兵に恋次は溜息を吐く。
「でも以前から頼んであったとはいえ、本当にタイミング良く、性別変換の薬が完
成したわよねぇ。私、びっくりしちゃった」
「そうですね。でも元四番隊の立場から云わせて貰えば、その薬がどれ位の期間、
効力があるものなのか気になりますし、そしてやはり薬の副作用がないか心配です
ね」
乱菊に続いての吉良の言葉に、修兵はにやりと笑う。
「その点は安心して貰って良いぞ。市丸隊長と日番谷隊長には予め説明はさせても
らったが、薬の有効期限は一ヶ月。当然副作用は何もない。しかもご丁寧に中和薬
まである優れ物だ」
自分のことのように自慢気に話す修兵に、市丸が「流石、阿近君やねぇ」と合い
の手を容れる。
「ついで云えば今回の薬には避妊薬も容れてくれたそうですよ。全く、至れりつく
せりですね」
笑顔で語る修兵の言葉に恋次がビキンと固まる。
「え?避妊薬?ほなら、赤ちゃんは出来へんの?」
「当たり前ですよ。第一、現時点での日番谷隊長のお身体を考慮したら、ご懐妊な
んて、僕が許しません!」
普段は無口な分、確固たる吉良に対して、その場の全員が首を竦める。
「あ〜〜〜、でも、冬は兎も角、阿散井クンは残念やったね」
「・・・・・いえ、そんなことはありません」
意気消沈した表情ながら、静かに、だが確かな口ぶりで応えた恋次は、「俺、疲
れたので先に休みます」と云い置き、席を立つと、市丸が自分の為に用意してくれ
た『夏竹殿(かしつでん)』へと下がったのだった。
「おい、阿散井、入るぞ」
「・・・どうしたんスか、檜佐木さん」
高麗縁の畳にごろりと寝転がっていた恋次の元に修兵が現れたのは、それから半
刻程たってのことだった。
「お前の元気がないようなんで気になってな。もしかして、皆でお前を騙したこと
に腹を立てたのか?」
心配気な修兵に対して、畳から身を起こした恋次は苦笑して緩く首を振った。
「違いますよ。そんなんじゃない。・・・ただ、昔から夢見ていたことが、現実に
はならないとはっきり判って、少しがっかりしただけです」
「・・・阿散井、お前・・・」
「でも、がっかりした反面、ほっとしているんス。―――俺の望みが叶う時は、日
番谷隊長が大きな悲しみを背負う時だから。そんな日は、こない方がいいんです」
「・・・・・誰も日番谷隊長を独占なんて出来ないぜ。あの人は市丸隊長のものだ
本人が自分でそう決めたんだ。誰にも、それこそ日番谷隊長自身ですら、それを覆
すのは無理なんだ」
「ええ。そうですね。・・・俺はあの人が幸せならそれで良いです」
きっぱりと修兵の眼を見て云い切った恋次の真摯な瞳は、今までの憂いを払拭し
ていた。
「あの人、この二日間の間、俺に沢山笑いかけてくれたんです。―――凄く、可愛
かった!」
「良かったな」
「ええ。それにお姫様みたいなドレスや、向日葵の描かれた大胆な水着まで着てく
れて、眼福でした」
「へぇ〜〜〜!善い物見たな、お前。でも、向日葵なんてあんまり日番谷隊長のイ
メージじゃないけどなぁ」
「そう云われればそうですね。でも、とても似合っていたんですよ」
修兵に反論する際に恋次は思い出した。
水着だけではなく、日番谷が昨夜着た浴衣の柄も向日葵であり、昨日の白のワン
ピースや、今日日番谷が着用していたチュニックの胸にも向日葵のコサージュがあ
ったのを・・・。これは何か意味があるのだろうか。
恋次がそれを告げると、頭の回転の速い修兵は暫し考えてから口を開いた。
「阿散井、お前、向日葵の花言葉って知ってるか?」
「・・・花言葉?いえ、そんなの知らないスよ」
恋次が知っている向日葵の知識は、種が酒のつまみになることくらいだった。
そんな後輩に修兵が苦笑する。
「まぁ、いろいろあるんだが、いくつか上げれば、『崇拝』『敬慕』『憧れ』『光
輝』ってとこかな、あぁ『熱愛』ってのもあったな」
(・・・・・・・・)
それはまさに、自分が日番谷に対して捧げている全ての感情に他ならない。
おそらく市丸はそれらを見越して、日番谷の衣装を選んだのであろう。
「・・・・・俺、市丸さんには一生叶わないのかなぁ・・・」
ぽつりと漏らされた恋次の言葉に修兵はにやりと笑う。
「―――で、そうやったガックリきて、日番谷隊長を諦めるのか?俺としちゃあ、
ライバルが減って好都合だけどな」
揶揄するように挑発する修兵に、恋次がむっと唇を引き締める。
「馬鹿なこと云わないで下さい。俺、絶対にあの人のこと諦めたりしませんから!
俺は俺のやり方であの人のこと、愛し抜くんですから!そう決めてるんですから!」
「よし!それでこそ、阿散井恋次だぜ」
修兵にバンと背中を叩かれて、恋次に笑顔が戻る。
「今回の旅行はお前にとって大収穫だったみたいだな」
「ええ。それに思いがけず、良い夢も見れましたしね。それは本当に皆に感謝して
ますよ」
「・・・・・」
日番谷と自分、そして二人の間に出来た子供達に囲まれて暮らせたら・・・そん
な夢。
でも、日番谷と市丸、そして修兵や乱菊、吉良といった掛け替えの無い者達との
暮らしは十二分に幸福であり、なんら不満もない。
ただ自分は一時、夢を見ただけなのだ。甘い、甘い夢を・・・。
そんな感慨に耽っている恋次に、思わぬ声が掛けられた。
「阿散井、俺だ。入ってもいいか?」
「「日番谷隊長?」」
恋次と修兵の声が驚きにハモる。
慌てて立ち上がり、襖を開けた恋次の前に、いつも着ている夜着を纏った日番谷
が立っていた。
「日番谷隊長、どうしたんです?」
「お前の食欲が無いのを吉良が心配して、これを持って行けと云われた」
そう云って差し出された日番谷の両手には、涼しげなガラスの器に、よく熟れた
桃が一口大に切り分けられて盛られている。
「そ、それは、わざわざありがとうございます」
自分の手から慌ててガラスの器を受け取る恋次に、日番谷が続ける。
「俺、今日はお前の部屋に泊めてもらうつもりだったんだが、お前が檜佐木と過ご
すのなら帰るな。じゃ、おやすみ」
そう云い置いて踵を反そうとする日番谷を、恋次と修兵が二人掛りで止める。
「わぁ!待った!」
「待って下さい!」
二人掛りのタックルに、流石の日番谷も身体を拘束されて唸る。
「なんだお前達。なんの連携プレイだ」
「あ〜〜〜いや、俺は今、自分の春蘭殿(しゅんらんでん)に帰るとこだったんで
す。だから日番谷隊長は遠慮なく阿散井といて下さい!」
そう云い置いて、さっさと夏竹殿を後にする修兵に、恋次は心の中で手を合わせ
た。
「・・・本当に良いのか?」
修兵が立ち去るのを唖然として見送った日番谷が恋次に問い掛けると、赤い頭が
大きく頷いた。
「はい。是非!」
「ふぅ〜〜〜ん。じゃ、お邪魔するか」
日番谷は勝手知ったるという慣れた様子で、押入れを空けると、てきぱきと夏布
団を二組、畳に並べて敷いてしまう。
「あ、そんなの俺がやるのに」
恐縮し、慌てる恋次の抗議も聞き流し、にこりと笑い掛ける。
「いいから、お前は冷えてるうちにそれを食べてしまえ。せっかく吉良が持たせて
くれたんだからな」
「え、ええ・・・。あ、日番谷隊長も食べますか?」
確か夕飯のお膳の上に桃は無かった筈である。だとすればこれは吉良がわざわざ
自分の為に用意してくれたものであり、日番谷も口にしていないのではと、思い当
たったのだ。
「そうだなぁ・・・俺が食べさせてやろう」
「――――はぁ?」
恋次から再びガラスの器を取り戻した日番谷は畳の上にちょこんと座り、恋次を
促した。
「ほら、口を開けろ」
「えっ、あ、はい」
断る理由が思いつかないまま、恋次は頬を染めて、爪楊枝に差された一切れの桃
の為に口を開き、それを咀嚼した。
「美味いか?」
「はい。日番谷隊長も食べて下さい」
「うん」
今度は自分が桃を食べて、納得したように日番谷が頷く。
「美味いな」
「ええ」
それから日番谷は二人の口に交互に桃を運び、ガラスの器はあっという間に空になった。
「本当に俺の部屋に泊まってくれるんですか?・・・誰かに何か云われたんスか?」
「いや。誰も何も云ってないぞ。俺が今夜はお前と過ごしたいと思っただけだ。邪
魔なのなら帰るぞ?」
「いえ!お願いですから此処に居て下さい」
「そうか?実は俺はもう眠いんだ。布団に入って話をしても良いか?」
小首を傾げる可愛い仕草で尋ねられ、恋次は「勿論、そうしましょう」と応えた。
阿散井恋次の住まいする夏竹殿はその名の通り、竹林に囲まれた趣のある造りに
なっている。
恋次の真っ直ぐな気性そのままに健やかに育った竹の葉が、サヤサヤと微かな風
にもなびき、いかにも涼しげな趣向で、日番谷は夏場は自分の部屋よりもここで寝
る日が多かった。
部屋の外には篝火が焚かれ、火の粉が舞う様は夜の闇に映えて幻想の様に美しい。
明かりを消した部屋の中で、その篝火を布団の中から見詰めながら、日番谷が語
りかけた。
「・・・旅行、楽しかったな」
「ええ。そうですね。良い思い出になりました」
「又、来年も連れて行ってくれるか?」
「勿論ですよ」
余程あのゴーカートが御気に召したらしいと、恋次はクスリと笑う。
「でも、俺とじゃなくても、休みさえ取れたら誰かを誘って行って来たら良いです
よ」
何気なく云った恋次の言葉に日番谷が異論を返す。
「俺は『誰か』とじゃなくて、お前と一緒に行きたいんだ」
「―――!」
「市丸や檜佐木や松本と一緒に出掛けても、お前と居る程楽しくないのは判ってい
るんだ」
日番谷の思わぬ言葉に恋次は眼を見開く。
「・・・俺と一緒にいると楽しいですか?」
「ああ。凄く楽しいぞ」
常になく明るく応える日番谷に、恋次は思い切って聞いてみた。
「・・・あんた、薬を飲んで女の子の身体になるのに抵抗はなかったんスか?」
「勿論あったさ。でもお前が喜ぶって皆に云われて、ならまぁいいかなって気にな
ったんだ」
「えっ!俺が喜ぶと思ったから女の子になってくれたんですか?・・・じゃ、ビキ
ニやドレスを着てくれたのも、俺が喜ぶと思ったからなんですか?」
「そうだ。―――違うのか?お前、喜んでなかったのか?」
「い、いえ、とんでもない。凄く嬉しかったです!」
「そうか。なら、良かった」
満足げに微笑む、夜目にも煌く翠の瞳に、嬉しさが込み上げてきた恋次は、隣の
布団に寝ている日番谷に、そっと手を差し出した。
「・・・・・俺、片思いなんかじゃないですよね。・・・あんた、俺のこと、好き
でいてくれるんですよね」
「何バカなことほざいてるんだ。当り前だろう!誰の為に俺が女になったと思って
やがるんだ!」
少し怒ったような、そして呆れたような声と共に、差し出した手をしっかりと握
り返され、そのあまり幸福感に恋次の瞳に涙が光った。
その頃、市丸は二人の金髪に挟まれて寝酒を嗜んでいた。
「えっ、阿散井君の子を産んでも良いなんて、日番谷隊長にお返事したんですか?
・・・それはまた思い切ったことをおっしゃいましたね」
驚く吉良に「やって〜〜〜」と市丸が続ける。
「あそこでダメや云うたらボクが冬に捨てられるんやで。そんなん絶対にいやや。
それくらいなら、冬の持ち込むモンを丸ごと飲み込んだほうがええ」
顔を顰める幼馴染に、乱菊がケラケラと笑う。
「あんた本当にヘタレねぇ。もしかして、うちの隊長がある日、子犬か子猫を拾っ
てきて、『市丸、認知しろ!』って云ったら、本当に認知するんじゃないの?」
「・・・・・ぅ。・・・するやろなぁ・・・」
ぽりぽりと情けなく自分の銀糸を掻く市丸に哀れを感じ、吉良が抗議する。
「松本さん、それは惨いですよ。市丸隊長は日番谷隊長を心底愛してらっしゃるん
ですから」
「まぁね。人それぞれよね。愛し方なんて」
にんまりと笑う乱菊に反省の色はまるでない。
攻める愛。
見守る愛。
崇拝を捧げる愛。
そして相手の全てを受け入れる愛。
愛の形はそれこそ夜空の星の数ほどあるのだ。
「明々後日はいよいよ隊主試験だな。お前、しっかりやれよ」
「はい」
眠りに落ちるほんの手前で、手を繋いだまま自分に激を飛ばしてくる日番谷に、
恋次ははっきりと応えた。
朽木白哉、更木剣八、市丸ギン、そして日番谷冬獅郎の推薦を得て、恋次はもう
すぐ隊長位に挑む。
「・・・日番谷隊長。俺が隊主羽織を纏ったら、あんたと同じ場所に立つ権利を得
たなら、その時は・・・」
「うん?」
「――――あんたの『右』はこの俺が護ります!」
「・・・阿散井」
「他の、誰にも譲りませんから!」
天上を見上げたまま、ギュと手を握り締めてくる恋次に、ややあって、日番谷は
目を閉じて微笑んだ。
「期待してるぞ」
「はい。任せて下さい!」
日番谷と同じ様に瞳を閉じて微笑む恋次の胸に勇気が漲った。
それから三日後、阿散井恋次は歴戦の隊長達が見守る中、見事、純白の羽織を手
にしたのだった。