ふわふわと雲の上に浮かんでいるような心地よさに日番谷はうっとりと微笑んだ。
(気持ちいい。−−−なんて気持ちいいんだろう)
「・・・冬獅郎・・・・・」
余りの心地良さに覚醒仕掛けた意識を再び閉ざそうとしたが、柔らかく名を呼ばれてゆっくりと眼を開ける
「冬獅郎、もう起きなあかん、夜が明けてしまう」
(・・・・・市丸・・・?)
寝ぼけ眼の日番谷の瞳に最初に写ったのは、柱に立て掛けてある自らの愛刀、氷輪丸であった。
「・・・あ、俺・・・?」
慌てて起き上がろうとした日番谷の身体がやんわりとした力で抑えられた。驚いて見上げる翡翠の瞳に
夜着に身を包んだギンが微笑する。
日番谷は自分がギンの膝枕で長時間眠っていた事を瞬時に察知して身体の力を抜いた。
「よう寝とったね。・・・・・身体は平気か? どこか痛むとこはあらへんか?」
髪を梳かれながらギンにそう云われ、ゆっくりと起き上がって自分の身を検分した日番谷の身体は湯で
清められた後に真新しい小袖が着せられてあった。
「−−大丈夫だ。・・・この小袖はお前の?」
「うん。こういう時着物は便利やね。肩幅は合わんけど、たくし上げすればボクんでもキミが着られるわ」
ギンの言葉に日番谷が「そうだな」と同意する。
それから暫し、二人は無言で見詰め合う。
語り合いた事は沢山あるはずなのに、何故か言葉が出てこない。その一方でこうして二人でいられる
事実に、お互いが深い満足感をおぼえていた。
「−−−もう帰らないといけねぇな・・・」
ややあって、名残惜しそうにポツリと呟いた日番谷に市丸も頷く。別れの時が近づいていた。
「・・・・・なぁ、市丸、さっきのことだけど・・・」
「うん?」
言いにくそうに口ごもり、頬を染めた日番谷が、それでもちゃんと自分の相手を見据えて問い掛ける。
「次からは・・・お、俺も、お前のこと、・・・・・抱いた方が好いのか?」
「−−−−−えっ?」
云われた意味が理解出来ないらしいギンに、より一層顔を赤らめた日番谷が喰って掛かる。
「だから、俺も、その、・・・・・お、お前の尻に・・・」
そこまで云われてようやく日番谷の意思が飲み込めたギンは唖然とし、次に、爆笑した。
「あはっ! あっはっはっはっ〜〜〜〜〜!」
腹を抱えて笑い転げるギンに対し、日番谷はきょとんとした後に猛烈に怒り出した。当然の反応である。
「笑うな、市丸! 俺は真面目に聞いてるんだ!」
こめかみを引き攣らせ、拳を震わせている日番谷の剣幕にギンは揚々笑いを収めた。
「あはっ、はっ、はっ、・・・・・堪忍や、冬獅郎!」
「ふん!」
「そう怒らんとき、可愛い顔がだいなしや。−−いや、冬獅郎は怒っとっても可愛いけどな」
ギンの大きな手でぐりぐりと頭を撫ぜられ、日番谷は唇を尖らす。その姿は歳相応のあどけなさだ。
「・・・冬獅郎はどうしたいん? ボクのこと抱きたいん?」
逆に問われた日番谷がぐっと詰まるのをギンは面白そうに見下ろす。
「冬獅郎がボクん中挿れたいんやったらボクはいつでも喜んで足開くけどな?」
にっこりと微笑まれて、日番谷は可哀相な程しどろもどろになる。
「お、俺はただ・・・お前に抱かれて凄く気持ちよくて・・・・・だから俺もお前にそうした方が好いのかと思っ
て・・・でも、俺はこんな子供の身体だし・・・・・あまり睦言に関して知らないし、お前を満足させてやれる
か正直自信がない・・・」
そう云ってしゅんとなってしまった小さな身体をギンはギュと抱きしめ、囁いた。
「その心だけで充分や! その気持ちだけでボクは満たされる。・・・ほんま、天にも昇る心地や。おおき
な、冬獅郎」
「でも・・・!」
だが、ギンの言葉に納得出来ない日番谷がなおも食い下がろうとするのをギンは苦笑して制した。
「ほなこうしようか、キミに今着せているボクの小袖をあげるわ。そしてキミがそれをたくし上げなしで着ら
れるようになったら、その時にボクを抱いてくれたらええ」
「お前の小袖を俺に・・・?」
「そうや」
「・・・・・でも、俺、そんなに大きくなれるのかな・・・」
確かにギンは体格の良い者が多い護廷隊の中でもかなり長身の部類に入る。不安そうに俯く日番谷の
様子に、いつか寝物語として聞いた藍染の言葉がギンの脳裏を過ぎる。
『日番谷冬獅郎はおそらくこの先も成長することは無いだろうね・・・』
『・・・・・それは何故ですの?』
『彼の卍解が未完成なのと同じだよ。彼の本来の力はこの尸魂界では絶対に開放してはならないものだ
からさ。・・・もっとも、未完とはいえあの威力だ。完全に開放せずとも困りはしないだろうけどね』
あの時の藍染は妙に愉しげだった。ギンは機嫌を損ねまいとそれ以上詮索しなかったが、あれはどういう
意味だったのか・・・
「それにこの小袖、かなり高い物なんだろう? こんな良い物貰うわけにはいかねぇよ」
再び上目使いで見つめてくる大きな翡翠の瞳にギンは我に返って口角を上げる。
(良いモンの価値が解かるんか、流石やね)
確かにこの小袖は藍染がギンにあつらえた中でも特上品の部類であり、平隊員の給金に換算すればゆ
うに半年分にも相当する品だった。
「そんなことは気にせんとき。・・・キミはまだ知らんかもしれんけど、護廷隊の隊長は大した高給取りなん
やで。・・・・・キミも乱菊にたかられんように気を付けなあかんよ」
冗談めかしたギンの言葉にも釈然としないらしい日番谷にそれならと妥協案を提示する。
「だったら古の慣わしに従って互いの着物を交換するっていうのはどうや?」
「・・・互いの着物を?」
「そうや、もう千年も前に廃れてしもた慣わしやけどな、昔は契り合った者同士で衣を交換したんよ。だか
らボクらもそうせえへんか?・・・ボクはキミにその小袖をあげる変わりに、キミの死覇装と、隊主羽織も
貰うてええやろうか?」
「もちろんだ!」
ギンの咄嗟の思いつきは大人びた思考を持つ日番谷をとても喜ばせたようだった。
きらきらと嬉しげに煌く日番谷の瞳にギンは自分の未練の深さを思い知る。
(あぁ・・・いつかこの子を置いていかなあかん日が来るなんて・・・!)
そしてその未練が、云うべきでは無い問い掛けをしてしまう。
「・・・・・・・なぁ冬獅郎、もしボクが遠い所へ行ってしもたらキミはどうする?」
「遠い所?・・・護廷隊の長期任務なのか?」
「そやのうて、ボクの意思ではどうにもならんような所へ行ってしまったら、キミはそれでもボクの帰りを
待っとってくれるん?」
他の誰にも心を寄せず、帰るあてのない相手を待つなど誰にも出来はしない事だ。だが、ギンな何故か
日番谷の応えが判っていた。
「ふざけんな。−−この俺がおとなしくお前の帰りを待つとでも思ってんのか」
「待っとってくれへんの? ボク捨てられるん?」
「連れ戻しに行くに決まってんだろ! バカ野郎!」
思わず耳を塞ぎたくなるような大音量で日番谷が怒鳴る。
「お前が俺の側に帰りたいとさえ念じてくれたら、例え地獄へだって迎えに行くからな!」
「・・・地獄かぁ・・・・・」
「お前、本気にしてねぇだろ。だがな、本当に地獄に出向いて自分の好きな奴の魂を取り戻した男だって
いるんだぞ!」
「知っとるよ。小野篁はんのことやろ?」
あっさりと返されて、日番谷が目をぱちくりするのを見たギンは悪戯っぽく笑う。
「・・・・・市丸、お前・・・」
「知っとるよ。篁はんのことは・・・フフッ・・・・・キミはボクがどこで生まれたと思うとるん?」
そう言われて、ああ・・・と日番谷は納得した。
小野篁は現世の平安時代を代表する霊力者、安部清明に次ぐであろう不思議人物だ。
かの人は閻魔宮まで出向き、閻魔大王に願い出て、恐ろしい苦悶の果てに、見事愛しい恋人の魂を取り
戻したのである。
ふとギンの脳裏に、日番谷が小さな両手を合わせて必死に藍染に懇願している姿が浮かび、すぐに
有り得ぬ事だと首を振った。
(−−−冬獅郎の気持ちは嬉しいけど、生憎藍染隊長は閻魔さんよりおっかないわ・・・)
「前例があるんだ、俺だってお前の為ならなんだってする」
すっくと立ち上がった日番谷が愛刀の鞘を掴む。
「この氷輪丸に誓う!」
目の前に突き出された日番谷の斬魄刀にギンが満足気に微笑む。
「おおきにな。そう云うてもろうてもの凄う嬉しいわ!−−−でもな、行き先が解からんかったらどうしよう
もないやろ?」
「探す!・・・一生掛けても探し出す!」
「・・・・・そうして探し出してくれはっても冬獅郎まで尸魂界に戻れんようになったら?」
「二人で打開策を考えればいい。俺は絶対に諦めねぇ! −−だが、もしどうしてもダメなら・・・」
今の今まで激昂していたのが嘘のような静かな日番谷の瞳がギンを見つめる。
「もし、どうしても戻れなかったら、二人でそこに棲めばいい。−−−お前となら俺は・・・!」
日番谷の確たる応えにギンの内の未練という氷塊が粉々に砕け散る。
(−−冬獅郎は何があってもボクを追ってきてくれるやろ。・・・まぁ実際はそんなことさせへんけどな)
「−−−−−うん。それでこそ冬獅郎やわ。・・・ボクの冬獅郎や!」
「・・・なんだお前、俺を試したのか?」
憮然とする日番谷にギンが小さく首を振る。
「違うよ。誤解やて。−−−そういえば今更なんやけど冬獅郎はボクのどこがそんなに好きやったん?」
小首をかしげながら聞いてくるギンに日番谷がぼっと紅くなる。
「そ、そんな、どこ・・・って、云われても−−−一目惚れに理由なんてあるかよ!」
「・・・・・一目惚れやったん? ・・・奇遇やね」
「はぁ?」
「ボクもキミに一目惚れしたんよ。キミを一目見て、『運命』や、思たんよ」
「・・・運命? 俺がお前の・・・?」
「そうや。・・・・・忘れんとってな、これから先、何があっても」
−−−キミがボクの運命や!
手を伸ばしたのはどちらが先だったろうか、二人はしっかりと抱き合いくちづけを交わした。
愛しい者。大切な者。離れがたい者。−−出会うべくし出会った自分の存在価値の全てである者。
薄っすらと白み始めた空がまだ脆弱な光を障子戸に放っている中、二人は静かに身体を離した。
「・・・じゃ、俺は帰るな。・・・・・お前がくれたこの小袖、大事にするからな」
少し照れたように氷輪丸を抱きしめてそう云う日番谷にギンも頷く。
「ボクの方こそ貴重なもんをおおきにな。死覇装はともかく、あないに可愛らしい隊主羽織なんて滅多に
手に入らんもんや。大切にするで」
別れの場になっても茶化そうとするギンに「俺はすぐにでかくなるんだからな、その時になって吼えずらか
くなよ」と日番谷が頬を膨らませ、「はい、はい、愉しみにしてます」とくすくすと笑いながらギンが応える。
障子戸を明けて縁側に出た二人が見上げた空は、朝日を誘わんとしている強い白い光と今だ空中に留
まろうとしている夜の藍色がせめぎ合い、その中間で困ったような真円の月が美しい輝きを滲ませている
もともと曖昧なものを好む傾向があるギンにはその月がとても可憐なものに写った。
「あないなお月さんもええね。綺麗やわ」
同意を求めるべくもなく呟いたギンに日番谷が微笑みかける。
「お前の方が綺麗だ」
「−−−冬獅郎・・・」
出会った夜に聞いたのと同じ言葉と笑顔の残像を残し、日番谷は瞬歩を使ってその場から消えた。
後に残させたギンは暫らく夢見心地で立ちすくんでいたが、やがて踵を反して部屋へと戻り、夜具が延べ
られている続き部屋の襖を開けた。
そこには昨夜、想いの限りを尽くした痕跡がありありと残っていたが、ギンはそれらに気を留めることなく、
床の横に脱ぎ捨てられている白い小さな隊主羽織を手に取る。
ギンの隊主羽織と同じ、袖なしの型のそれは、裏地に千歳緑が使われている。−−そしてこの色は瀞霊
廷では日番谷冬獅郎のみに許されている色である。はたしてその事実を当人は知っているだろうか。
瀞霊廷での、いや尸魂界での類無き地位と権威の証、他の追随を許さない力の象徴。それを目にした者
全てに羨望と畏怖の情を抱かせる、それがこの隊主羽織なのだ。
だがその反面、並々ならぬ重圧をもその背に負うのである。
日番谷は当初隊長職を望んではいなかった。彼が隊主羽織に手を伸ばしたのはひとえにギンの為であ
った。恋した相手に相応しい者でありたいと望み、あの小さな背に大きな、大きな重責を負ったのだ。
重い、重い、十字架を−−−!
「・・・・・・・御免な、冬獅郎・・・!」
小さな真新しい白い隊主を胸にかき抱いたギンの両眼から涙が溢れ、頬を伝い、それを追うように嗚咽
が漏れる。肩を震わせながら泣いたのはどれほどぶりであろうか、あとからあとから溢れ出る涙はなかな
か止まる気配が無い。
この羽織は愛しいあの子の抜け殻にすぎない。それはよく解かっている。だが、大切にしょう。そうギンは
心に誓う。こんな自分を想ってくれた何よりの証として−−大切に、大切にして、決して誰にも手を触れさ
せたりはしない。
例え今この瞬間から相対する敵同士となったとしても−−−。
自分の真実はただひとつ。
「・・・・・忘れんとってな、冬獅郎。 −−−キミがボクの運命や!」
−−−後に、八番隊隊長、京楽春水をして『黄金の恋だね』と言わしめた、これが二人の始まりだった。
了
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