既望 六

腹を抱えて笑うといった表現がぴったりな程、前屈みになって笑い続けていた冬獅郎は、その

笑いをようよう収めるや、先程浴衣の胸元に仕舞いこんだ市丸の財布を再び取り出し、中に入

っていた数枚の札を全て抜き取り、それを老僧に差し出したのだった。

「受け取ってくれ」

「いや、このような大金は・・・」

目の前に突きつけられた札に老僧は躊躇したが、冬獅郎は不敵に唇の端を挙げてみせる。

「いいんだ。俺はこの尸魂界にやって来て初めてこんな愉快な気分になったんだ。あんたの言

葉を信じた訳じゃねぇが、気持ち良く受け取ってくれ」

断固とした意思を感じる冬獅郎の声音とその瞳の強い力に、老僧はこくりと喉を上下させ、や

がて押し頂くようにしてその札を受け取ったのだった。



「いくら機嫌が良かったから云うて、何も手持ちのお金を全部あのお坊さんにあげてしまわん

でも良かったんやない?」

「・・・残しておいてどうしようと云うんだ」

くだんの老僧と別れて、藍染の屋敷へと歩き出してから暫らくしての市丸の言葉に、冬獅郎は

器用に片眉を上げてみせた。

「残った分はキミのお小遣いや云うたやん。・・・桃ちゃんに何か買ってあげたら良かったのに」

「なんであんたの金であいつにモノを買ってやらなきゃならないんだ」

市丸とすれば、多少なりとも冬獅郎が自由に出来る手持ちの金を与えたかったのだったが、

その真意を知らない冬獅郎は憮然とする。

「それに俺はもうすぐこの瀞霊廷を出て流魂街に帰るつもりだ。だからあいつの手元に俺との

思いでになる品なんか残したくはない」

「―――! どうして? なんで出て行くなんて云うんや? ここにおれば食べる物にも寝る場

所にも困らんいうんに」

それどころか、流魂街に住むということは虚の襲撃にも怯えて暮らさなければならないというこ

となのだ。

「・・・桃はもうすぐ上位の席官になるんだろう?」

「うん。確かに藍染隊長がそんなことを云うとったね。桃ちゃんの努力が認められたということ

や。おめでたい話やのにそれがなにか問題なん?」

「あいつは藍染さんのことが好きなくせに、流魂街に住んでいた頃の約束を守って俺と結婚す

る気でいるんだ」

「・・・・・・・それは・・・」

護廷十三隊の上位の席官はその家族を瀞霊廷に住まわせることが出来る。

つまり冬獅郎が雛森桃と結婚すれば瀞霊廷での住居権を得られるのだ。


―――しろちゃん。あたし、死神になる。そして必ずしろちゃんを迎えにくるよ!

しろちゃんはこのあたしがずっと守ってあげる!

だからあたしを信じて待っててね!


冬獅郎の小さな手を握り締め、可憐な姿に似合わない激しい決意を述べる雛森の気持ちが嬉

しくて、つい頷いてしまったことを冬獅郎は今では激しく悔やんでいたのだ。

(藍染さんが好きなくせに馬鹿な奴・・・)

苦笑を浮かべたまま冬獅郎は市丸を見上げた。

「俺の他に好きな人がいるのに、律儀に昔交わした約束を守ろうとするなんて、馬鹿な奴だと

思うだろ?」

「・・・桃ちゃんは確かにすこぉし変わっているし、藍染隊長を恋慕っているのはほんまやけど、

キミが好きやという気持ちにも嘘はないんよ。キミが流魂街に帰るなんて承知せぇへんやろ」

「だから桃には何も云わずに行くつもりだ」

「そんなことしたら桃ちゃんはそれこそ半狂乱になってキミのこと探すで」

「だが死神としての業務があるし、そうそう自由も利かない筈だ。俺がうまく隠れればそのうち

諦めるだろう」

冬獅郎は幼い姿に不似合いな寂しげな微笑を浮かべた。

「桃のことは心配してない。藍染さんはあいつを妻にはしてくれないかもしれないが、大事にし

てくれているし、あんたもあいつを可愛がってくれているからな」

「冬獅郎・・・・・」

市丸が掛ける言葉を失っているうちにも二人の足は進み、藍染邸の前に辿り着いた。

「・・・つまらない話をしている間に屋敷に着いたな。あぁ。これを返さないと・・・」

懐から取り出された自分の財布を見て、市丸は首を振った。

「それはキミにあげた物や。キミが持っとって」

「でも・・・」

「安物やから気にすることはないよ。キミが持っとり」

断固として受け取る気配のない市丸に、冬獅郎が小さく嘆息する。

「俺の目には結構な高級品に見えるけどな。まぁあんたはこういう物を沢山持ってるんだろうし

そんなに云うなら遠慮なく貰っておくか」

「うん。そうしてくれるとボクも嬉しいわ」

「・・・・・あんた本当にヘンな奴だな。―――まぁ、いいか。それじゃあな・・・」

「・・・うん。おやすみ冬獅郎・・・・・」

冬獅郎は一度だけ市丸を振り返り、門の横にある木戸から中に入り、そのまま姿を消したのだ

った。

それを黙って見送っていた市丸は、やがてぽつりと呟く。

「冬獅郎、このボクかてキミを流魂街になんか行かせたりはせぇへん!」

そのままくるりと踵を反し、元来た道を足早に戻る。

そして目当ての老僧がまだ柳の木の下に端坐しているのを見てほっと胸を撫で下ろした。

「良かったわ。まだ居ってくれたんやね」

「んんっ? そなたはあの少年と一緒にいた者じゃな」

「ボクは市丸ギン云います。護廷十三隊の三番隊を預かってます」

市丸が老僧に自分の名と身分を明かしたのは、これから先、自分に対して嘘をつくのは許さな

いと暗に告げたことを意味している。

だが老僧は驚愕し萎縮するどころか、逆に得たりという風情で満足気に何度も頷いてみせた。

「うむ。やはりそうか。隠してはおったが只事ならぬ霊圧にそうではないかと思うていた。その

隊主殿がわしに何の用かの?」 

「ボクと一緒におった子のことをもっと詳しく教えて欲しいんや」

「天乙貴人のことをか?」

「そうや。その天乙貴人いうんは一体ナンなん?」

自分に詰め寄る市丸に対し、老僧は静かに語った。

「天乙貴人というのは、『正印』、『正官』、『正財』の『天上三奇』を兼ね備えた者のことじゃ。こ

れを持って生まれた者は己が世界の最も高き処まで登り詰める力を持つ」

「だからあの子のことを天に登る龍やて云うたんやね」

「そうじゃ隊主殿はご存知かな。どの世界においても、龍のみが次元と時空を自由に行き来す

ることが出来る唯一の生き物なのだということを」

「・・・・・龍なんて幻の生き物や」

「いいや。龍はおるのだよ。現にこのわしはあの少年の中に氷の翼龍の姿を見た」

「―――!」

唇を引き結んだ市丸に、老僧は一つ溜息を吐いた。

「だがその龍は深く深く眠っていて起きる気配を見せなかった。おそらく何かがあの少年の力

の覚醒を阻んでいるのだ」

「あんたはんはそれに心当たりは無いん?」

必死の形相も露わな市丸に対して、老僧は緩く首を振った。

「なんとかなるものならこのわしとて助力は惜しまぬ。だが残念ながら見当が尽かぬ。只一つ

云えるのは天乙貴人程の者を外から拘束するのは並大抵なことではない。だからあの少年

の内部の何かがそれを阻んでいる可能性があるということじゃ」

「内部の何か・・・」

市丸は屈んでいた身を起こすと、何事かを決心したかのようにキッと柳眉を寄せた。

「貴重な意見をホンマにおおきに。残念ながら今は手ぶらで何もあげれんのやけど、何か困っ

たことがあったらボクのことを訊ねて来てや。きっと力になるわ」

そう言い置くや、風を切るような勢いでその場を後にしたのだった。

市丸のその後姿を見送りながら、老僧はほぅと肩の力を抜いた。

「―――いよいよ氷水が焔火にとって変わる時代が到来するか・・・。良かったのぉ元柳斎、今

暫らくの辛抱じゃ」

一方の市丸は自らの屋敷の帰路に着きながら、一つの決心を固めていた。

市丸は冬獅郎に霊力があったとて、危険な業務の多い死神になるのは反対だった。

だが冬獅郎の決意を知ってしまった以上、もう選択の余地は残されていなかった。

例え冬獅郎が死神になっても自分が守ってやれば良い。と唇を硬く引き結ぶ。

まさか冬獅郎が本当に総隊長になれるなどとは思っていない市丸だったが、冬獅郎の内部の

何かが霊圧を封じているのかもしれないという、あの老僧の意見は捨て置けないものだった。



その夜、寝床の中でまんじりともしないまま朝を迎えた市丸は、護廷隊に赴くや、自隊の三番

隊ではなく、四番隊に足を向け、四番隊の隊主である卯ノ花列に面会を求めた。

そしてこの面会から一つの仮説を導き出した卯ノ花によって、内部で眠っていた冬獅郎の霊

圧が解放されたのは暫らくの間を置いてのことだった。



                                               了

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