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第2章 光 

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 桜の花が咲くこの時期は、日本では、人生の明暗がクッキリと分かれることが多い時期でもある。
 幼稚園、小学校、中学校、高校、大学への入学や入社の時などは、 希望に胸を(ふく)らませて(なが)める桜は、 美しく(はな)やいで、自分のために祝福してくれているように見える。
 ところが、三四郎が、受験した大学にすべて落ちてしまった時などは、 同じように桜が光り輝いていても(うら)めしく、合格した者が喜ぶ姿などが目に入ると、 せつないくらいに(うらや)ましかった。 これからどうしたらよいのか分からない暗澹(あんたん)とした気持ちと絶望感を なかなか(ぬぐ)い去ることができなかった。

桜並木   ガタンゴトンと時折、断続的に音をたてて走る列車の窓外には、ちょうど、なんという名前の川か分からないけど、 その両側の堤防には見事な桜並木が続いているのが目に入ってきた。もう、3〜4日もすると満開であろうか?
 三四郎が東京で見たソメイヨシノは一週間位前には満開だったような気がするが、どうも今思い返すと、そこでの桜からは、 自分が数々の汚点を残してきたということばかりが連想され、「逃げていくのか!」と非難を受けているようにさえ感じる。
 この川の桜堤(さくらづつみ)を見た瞬間、三四郎が生まれてこのかた、 毎年この時期に味わった悲喜こもごもの思いが、明も暗もごた混ぜに、ドーッと頭の中に降ってきたような気がした。 しかし、この桜の花は、(まぶ)しく三四郎の目に()み込み、 新たな出直しを許してくれているように思われる。もちろん、そう勝手に思い込んでいるのかもしれないが、 少なくとも三四郎の気分としては、『希望』という上昇気流の流れの中にいた。
 初出勤の電車の中は、昨日乗った時とは違いほぼ満員に近かった。ただ、普通の通勤電車と違うのは、 登山者と思われる者が結構目についたことで、大きなリックなどもチラホラと見かける。空席は一つもなく、 三四郎は入り口ドアを入ってすぐ左に、縦に取り付けてある パイプの手すりに(つか)まっていた。

「間もなく、愛橋、愛橋に停車します…」
 シューッと列車が減速すると、前方に身体がつんのめってしまうのを、手すりを握っている右手にギュッと 力を入れて支えた。そして間もなく、三四郎の立っている進行方向右側のドアのガラス越しに、 小さな駅のセメントのプラットホームが目に入ってきた。3〜4人の乗客は、 ドアの方に向って列車が止まる前から降りる準備をしている。
 シューッ、ゴトンと電車が止まり、降りる者が降りると、今度は、乗車を待っていた者が乗り込んでくる。 三四郎は、中へ入って来る乗客を見るでもなく見ないでもなくといった感じでボーッと眺めていたが、ふと、 3〜4番目に乗車したグレイのスーツの女性が、どこかで見たような人だなあと思った。誰だったかなあと 考えようとすると、そのとき、彼女の視線が三四郎の視線と真正面に合った。
 ほんの一瞬であったが、(かす)かにハッとしたような動揺と、そのすぐ後に、 親しげに話し掛けようとするような柔らかい瞳の輝きを感じた。が、三四郎は、そんなことはない、まったく自分の気のせいだろうと、 とっさにそのとき感じたイメージを一刀両断に却下した。そして、おそらく、無表情でそ知らぬ顔をしていたのではないかと思う。 彼女の瞳の輝きに、(ほの)かに寂しさのような気が走ったように感じたが、 三四郎はこれもすぐに却下してしまう()に、彼女は後から乗り込んでくる乗客に押し込まれる格好で 奥の方へ行ってしまった。

小さな駅  ヒュルヒュルっと列車のドアが七割ほどのあたりで一旦止まり、2秒ほど間を置いてからパタンと完全に閉まった。
 ブッブーっとブザーが鳴ったかと思うと、列車は、ガタンガタンとゆっくり動き出した。
(あっ、そうか! 昨日(きのう)、幼稚園の子を引率していた彼女だ!)
 やっと、思い出した三四郎は、彼女の方を振り向きながら、ちょっと自己嫌悪に(おちい)った。
(それだったら、軽く挨拶くらいしてもよかったのではないか… 考えてみると、今までいつもこんな感じで、スパッと決断し、 積極的に行動が取れないことが、煮え切らないようで嫌だ! 「勘違い」「人違い」おおいに結構じゃないか!  そこから人のふれあいが生まれ、ドラマも始まるのじゃないか… 何もしないよりは…)
 まあ、でも、そんな時に声なんかかけない方がわりと普通ではないかと思うが、とにかく、三四郎はそんな風に考えながら、 再び彼女の方を振り向くと、横顔の下の清楚なホワイトグレイの上着とスカートから、柔らかくしなやかな 雰囲気が漂ってくる。そして、胸元の右(えり)につけたブローチが、何のデザインかは分からないが、 緑色に小さく輝いているのが不思議なくらいに印象的であった。
 三四郎は、これから長い付き合いになるであろう窓外の田園風景に目を移したが、 すぐに彼女のほうを(なが)めていたいという衝動に()られてしまう。 そのくせ、さすがに、ずっと眺め続けるということは気恥ずかしく、無意識のうちに、 全く別のものか何かを見ているように偽装しながら眺めていた。

 その後、三四郎は、たった10分足らずの時空の中で、彼女はひょっとして、毎日この電車で通勤してるのだろうか… とか、ボーッと考えていた。はっきりと言葉で考えていたわけではないが、そうであればいいなぁ…と淡い期待をしていたようである。
   昨日(きのう)分かったことであるが、 この愛橋駅から馬場島までの間はマイカー乗り入れ禁止となっているため、愛橋まで車で来た者もここで車を止めて置かないといけない。 とは言え、大概(たいがい)の登山者などは、町の中心であり駐車場も整備された大きな駅である上市駅に 止めるというのがほとんどである。そして、この鉄道は、通勤・通学の者もわりと利用している(ふう)で あるが、「登山電車」として観光用に位置づけられているようである。

 そうこうしているうちに、列車は終点の馬場島に到着した。降り口側のドアの近くに立っていた三四郎は、わりとすぐに列車から降りる ことができた。改札出口に近い車両から降りた通勤・通学生風の者は、皆、迷うことなく改札口を抜けて 駅の外へ一目散(いちもくさん)に早足で出て行くようであった。大概の者は、真正面に一直線に伸びる メインストリートの方へと歩いて行った。
 三四郎は、駅を出ると人の流れから一歩横へ外れて立ち止まった。花に包まれた目の前の噴水、その後ろにメインストリートを (はさ)むように建ち並ぶ登山用具店などが、今から店を開こうとしていたりする。そして、 そのまた後ろには、逆光に輝いている剱岳が今日も姿を見せてくれていた。いよいよ、今日からはこの通りを歩いて通勤できると 思うとウキウキとしてくる。再び、三四郎は人の流れの中に戻って歩き始めた。 歩きながら顔に当たる朝の涼風(すずかぜ)も、まるで、剱岳の雪渓から 漂ってくるようで爽快(そうかい)であった。
 まもなく商店街も終わろうとするする時、三四郎はフッと後ろを振り返って見たが、彼女の姿はなかった。

  〔3ページ(未稿)へつづく(H16/4/18)〕  



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