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第2章 光

 午後3時頃、富山駅に着く。JRから立山地方鉄道に乗り換える。
 電車の中から窓の外をボーッと眺めていたが、 夕暮れ前で赤々とはしているが、まだ明るい光の中で杉の木や田園が輝いている。 三四郎は、この光の中で見る風景が一番好きであった。世の中が一番美しく、生きいきとしていて、 懐かしく楽しい昔の思い出が頭の中に自然と()き上がってくるようで、ジーンとくる。
 今までの生活空間と比較すると、光の量が何十倍もあるように思われてくる。  実際に、外を見ていると、眼底を光線が突き刺してくるようで、まともに目を開けておれない感じがする。 それでいて、今までと較べるとあまりにも周囲が静かで、まるで、時間が止まっているように思えてくる。
 フッと、三四郎には、生き残った強制収容所のユダヤ人が終戦を迎え、開放された時のような気分がした… もちろん、ものすごい苦しみのユダヤ人とは比較しようもなく、失礼な話ではあるが、 そう感じたのだからしかたがない。
 
「寺田、寺田…」
 とりとめないことを考えていると、車内放送があって、停車した電車は、また、動き始めた。 そして、窓の外の田園から視線を上の方に向けた時、その光景を見て 「はっ」となった。
「なんだ、これは…」
 まだほとんど真っ白に雪をまとった山々が連なって立っている。その中心に、
「あいつが主役だ!」
とはっきりわかる山がある。鋸刃(のこぎりば)を三角にして立てたような山で、向かって頂上より左側の稜線は、中国桂林の水墨画のような岩である。
「信じられない。こんな山が日本にあったのか。あんなところに人間が登れるはずがない。」
 そんなことを考えながらも、ずっと窓外の風景に釘付けになっていた。

 いくつか駅を通り過ぎ、この電車はあの主役の山の真下へ向かっていることがわかる。あまりに険しく、ものすごい迫力で眼前にそそり立っているので、まるで映画の世界にでもいるのではないかと錯覚するくらいである。

2001年最後の剱岳愛橋(あいはし)、愛橋、次は終点馬場島(ばんばじま)です…」
 乗客はまばらで、時間帯の関係もあってか老人と通学生がほとんどで ある。電車が止まり、ドアが開き、幼稚園児を数人引率しながら若い女の先生が乗車した。自然とそちらの方に目 が引き付けられ、なんとはなく眺めていた。園児との元気な会話や笑顔が車外の風景にやわらかく包まれている。 とにかく、まぶしいくらいに明るい光のようなものを身体全体に感じた。

タカネマツムシソウ 「あのう、ここ空いてますか?」
「えっ」
 問い掛けられたことばの内容を考えるよりも、まず、驚いてしまったというのが正直な気持ちであった。 映画やテレビであればスクリーン内の人物が自分に問い掛けてくることは絶対にない。そんな感じで傍観していたの で、他愛のないことばを掛けられただけであったが驚いてしまったのである。
「はい、どうぞ…」
 席は、ばらばらと空席が多いのだが、二人掛けの席が向かい合ってあり、通路をはさんで隣の四席は誰も座っておらず、 三四郎側の四席も三四郎一人だけが座っていた。そして、三四郎は、左隣の通路側の席に大きな旅行カバンを置いていたのであるが、 ひょいと持ち上げて、頭上の荷台に移した。
 そういえば、6人の園児と先生が離れ離れにならずに、ぴったりと座ることができた。
「すみません、どうも…」
「いえ…」
 その後、幼稚園の先生らしき彼女と子どもたちの間で、何か『大岩の不動さん』がどうだったとか、 感想を話し合っている風であった。

「馬場島、馬場島、終点馬場島です。お忘れ物のないよう…」
 車内放送が知らせてくれていた。先ほどの愛橋駅を出てから10分足らずであったように思うが、 終点の馬場島駅に到着したようである。
 彼女と子どもたちは、プラットホームから改札口に向かう途中も、まだ、何か笑顔を時折見せて話しながら出て行った。 三四郎にとっては、彼女たちの姿だけが、ぼやけた周囲の中で浮き上がって見えるようで、まだ、映画の続きでも見ているような 感じであった。三四郎の視線は、彼女たちが駅の出口から楽しそうに出て行く姿をボーッと見送っていた。
 ところが、ふと、駅の正面出口を一歩出て驚いた。あの鋸刃の山の上部が、恐ろしいくらいの背景となって迫っており、 その手前には、その厳しさを和らげるように、色とりどりの花に囲まれた何かヨーロッパ風の噴水が、いかにも冷たそうな水しぶきを上げていた。そこから真っ直ぐに 伸びているメインストリートと思われる道の両脇には、割と小さなみやげ物店がにぎやかに並んでおり、どの建物も ベランダや玄関先などが花で埋まっており、鮮やかなコントラストである。
 駅の内外には、大きなリックを床に降ろして、疲れ果てたように座っている登山者らしき団体やハイキング帰りのような軽い恰好の 老若男女が割とたくさん目に付いた。前の噴水で記念写真を撮っているような人たちもいた。 登山観光で(にぎ)わっている風ではあったが、決して、騒々しいという感じではなく、落ち着いた雰囲気が伝わってくる。

「お客さん、今日は、どこでお泊りですか?」
 声のした方を振り向くと、割と派手な制服に帽子をかぶった50才位の客引きらしき男が、 ニコニコと愛想よさそうに立っていた。その男の向うには、なんと、装飾された馬車があるではないか。 まるで、『不思議の国のアリス』のように、突然、メルヘンの世界に引きずり込まれたようだ!
「いえ、今日は上市にまた戻って、そこで泊まります」
「観光じゃないの?」
「ええ、転勤でこちらの職場へ…」
「職場ってどこ?」
「関東電力ですが…」
「ほぅ、あこなら、まぁ、歩いても10分位で行くが…、どうだい、あの馬車に乗って行かないかい? 500円でいいよ」
「………」
「うちのペンションで泊まってくれたら、料金は()らないのだがなあ…」
「…えぇ、それじゃ…」
 三四郎は、5時までに異動先の職場にあいさつを済ませてから、上市町にあるアパートに行く予定であった。 まあ、歩いても10分で行けるのに500円というのはちょっと高い気もしたが、しかたないかと思った。

「ほいっ」
 と、その男の掛け声とともに、ポコポコと目の前の馬が歩き出したかと思うと、ゆっくりと馬車は動き始め、 正面のメインストリートに向った。みやげ物店には、リックやピッケルなどがぶら下げてあるのをよく見かけるが、 登山道具の店が多いのであろう。三四郎は、祭りの露天商や観光地のみやげ物店の並ぶ雰囲気は、 子供の頃、親に連れて行ってもらった楽しい時間が(よみがえ)るようで好きだった。 これから、毎日、ここを通って 通勤するのかと思うと、少し、ワクワクとした気持ちになってくる。
「ここじゃ、マイカーだめなのよ! 電気自動車だけOKなのよ…」
「………」
 道理で、静かな感じがしたわけだ…
「馬場島って、こんなに山の中にあるのに、なんで『島』って言うんですか?」
 三四郎は、ふと疑問に思って尋ねた。
「えぇ? そう言われりゃ…なんでだろなー、知らんなー」
「あの山、なんて言うんですか?」
「おぉ、ありゃぁ有名な剱岳じゃよ! 2998メートルだから、あんたが頂上に立って手を伸ばしたら、 ちょうど3000メートルじゃよ」
「………」

「ほれ、あそこに石碑があるじゃろ、あの横が登り口じゃよ。あの中に、何百人の遭難した者の名前が 収められているんじゃよ。まあ、ほとんどが冬山でじゃが…」
 いつの間にか、にぎやかな商店街を通り過ぎており、馬車の男の指差した左の方向を見ると、 『試練と憧れ』と彫りこんである石碑が立っていた。馬車の方は、逆に右の方に曲がり、橋を 渡って行った。橋の下には、白緑色に透き通った川の水が、大きな石の間をゴーッと瀬音をたてながら 流れている。
「これが早月川(はやつきがわ)じゃ。ほれっ、あれがあんたの会社じゃよ」
 驚いたことに、馬車の男の示したところに建っている建物は、しゃれたクリーム色の建物で、 ベランダにはあちこちで見かけた家同様に、色鮮やかな花が溢れている。
「ここは、建物規制も厳しいんじゃよ。スイスのツェルマットとかいう町と姉妹都市で、なんでも モデルにしとるそうなんじゃ。花は冬でも絶やしちゃならんのじゃよ。さあ、着いたよ」
「はい…、どうも」
 と、三四郎は財布から500円玉を取り出して手渡し、馬車から降りた。

 会社で、必要なあいさつを済ませ、上市町にあるアパートにたどり着いたのは6時過ぎだった。
 

  〔2ページへつづく(H14/10/21)〕  



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