どうでもいいお話

 1 応援旗の思い出
 娘が雄山中学で2年の柔道部時代、初めて団体で全中に出場できることとなった。
 ところが、このとき保護者会で作った『不動心』の応援旗はバカでかいもので、全中の会場ではとても掲揚できる ものでなく、持ち運ぶのも大変であった。

 そして、3年でまた運よく全中に出場できることとなった。
 それで、幅1.5mほどの『不動心』の応援旗を夫婦で自前で作り、会場でぶら下げたのである。

 そして、今度は娘が富商2年の時、初めて団体でインターハイに出場できることとなった。
 どうも、応援旗を作ること自体が楽しみになっていたのかもしれないが、また性懲りもなく、 嫁さんと二人で作ることにした。

 折りしも、昨年末の紅白では、中島美幸の『地上の星』が大ブレークしており、CDを買って何度も聴いた ものである。
 聞くところによると、監督も練習のBGMにかけているというではないか…
 うん、これだ! 全国の舞台で“輝く星”となるんだ…

 デザインが決まると、嫁さんが布地を買ってきて、キラキラ輝く塗料のようなものまで買ってくる 凝りようである。
 そして、完成したものを眺めては、悦に入っていた。

 さて、富商柔道部初出場のインターハイ会場は長崎の諫早である。
 ここで、『地上の星』の応援旗は華々しくデビューする…はずであった。
 ところが、まず、最初のつまづきは、これを見た保護者のT氏が、ニコニコ笑いながら、
「星くずのように散ってしまうのか…」
 と、つぶやいたそうなのである。

 そして、会場に入ってから手すりにぶら下げると、監督が慌ててやってきて、
「この会場は応援旗の掲揚は禁止になってるんで…」
 と、おっしゃるではありませんか… シュン…

 でも、応援に来ていた舞ちゃんとか生徒たちが、席で持って大きな声で応援してくれたのが 忘れられません…

 しかし、試合の方はというと、T氏が不吉に予言したとおり、娘が二度も精彩なく負けたために、 予選敗退となり、星くずのように散ってしまいました…

 以後、『地上の星』の応援旗は二度と日の目を見ることはなく、インターハイ出場記念として ひっそりと家の廊下に飾られております…

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