2005年 (平成17年) 1月   土地家屋調査士会 会報
思い出に残る事件簿 「授業料」
 私が12年間勤めた公務員を退職し、土地家屋調査士事務所を開業したのは昭和48年32歳のときでした。それまで、土木技師として自ら調査・測量・設計・物件補償の算定、用地買収などの仕事を行っていたため調査測量に関してはそれなりの実績がありましたが、土地家屋調査士の補助者経験もなく、ペーパードライバーがすぐ路上運転するような状況の中での開業となりました。

 
  時は、まさに「日本列島改造論に」沸くバブル時代で、地元の市役所に勤務していた事もあり仕事も忙しく、そのつど本を開いたり直接登記所の職員の方に相談しながら測量や表示登記の申請を行っておりました。

 
  そんなある日、私にとっては最悪の「思い出に残る事件簿」発生することになったのです。

 事件は土地地目変更登記で地元の銀行より提供された地番と公図をもとに現在は使用していない工場の敷地の地目変更をするものでした。依頼人は地元の名士であり早急に手続きをして欲しいとの事でした。地目変更も完了し、抵当権設定も終わった時に間違いが判明したのです。

 公図も地籍も現地と似ていますが、この土地は土地改良事業中で不換地として処理がなされている土地で、依頼地は他人の借地となっていたのです。

 
  それを知った時、頭は真っ白で髪が逆立ちつ思いで、意識は動転し前が真っ暗になりました。

 こんな時、誰も手を差し伸べてくれるものではなく自分自身で解決するしかなく、心を決めてまず銀行に報告し相談し、最終的には、私が不換地となっている土地を買い求め、借地となっている土地と交換して換地してもらうことで土地改良区に借地を理解してもらい数百万円で私が買収することとなり、とりあえず解決しました。


  今、思い出しても「ぞっと」する思いで、問題が解決しなかったら関係する善良な皆様に多大な迷惑をかけるだけでなく、土地家屋調査士としても大きな責任問題になっていたと思っております。
 そんな意味では支払ったお金は多額な勉強料と割り切っております。

  それから今日までの30年間「土地家屋調査士」としての資格の重みを常に受け止めながら、依頼者に頼る事なく自分で周辺の調査や現地の確認に努め、登記所へ提出する申請書は必ず事務所内で緑鉛筆でチェックをかけることにしており、幸いにその後、今日までたいした問題もなく皆様のおかげで法務大臣表彰まで頂くことに感謝しております。

 
  これからの人生は自分の天職である「土地家屋調査士」に生きがいを求め、職務に責任を持って、努めて生きたいと思っております。