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知らないのは誰か?


 中国でいまサッカーアジアカップが開かれています
予選から準決勝までの中継をみていると、中国人の大半は、バーレーンなどこれまでその国がどこにあるかも知らない国 のチームを応援している。日本の選手と観客には罵声。日本人の観客にはごみや飲料の容器も投げられたと報道されています。
 7日は北京で中国と決勝戦です。昨夜のニュースでは、在中国の日本大使館がホームページなので、日本人全体に注意するよう呼びかけている ようです。日本が勝ったらどうなってしまうのだろうと心配しています。

 さて、先日、ある方から、「いわゆる「ゆとり教育」により、学習内容の減 らされているが、小学校の社会科では、日本の地図と県名を覚えさせていないという有名評論家の論文を読んだ。どうなっているのか?」と言われました。町議会議員がどうできることでもないと思いながらも、ホントかなと思い、雄山中学校体育館の隣にある、教育センター事務所で教科書を見せてもらいました。確かに、教科書では、触れていませんが、地理に関する立派な副読本があって、自分も感心するほど、詳しく紹介されていました。 

 せっかくですから、いまの中学生はどんな教科書を使っているのかと見せてもらいましたが、全部読みたいと思い、富山に行って、中学と高校の歴史の教科書を買いました。中学の教科書では、地域の歴史を調べようという課題で広島のことが4ページ分も割いてありました。どうして、広島に原爆が落とされたかというテーマでした。

 子供が調べているという形をとっていますが、明治 時代には、中国・四国地方を管轄する第五軍管広島鎮台が設置され、そのため、日清戦争では、前進基地、その後、多くの軍用施設があったと紹介されていまいた。さらに、明治27年(1894年)臨時帝国議会仮設議事堂があった というのです。つまり、そのとき、広島は日本の首都だったのです。はじめて知りました。

 今度は、高校の教科書をめくってみました。昭和3年(1928年)、日本軍は蒋介石の国民革命軍と武力衝突し、 済南城を占領した、いわゆる「済南事件」が記述されていました。さらに、蒋介石の国民政府 は、南京から漢口、最後に重慶に政府を移して、日本と戦ったとあります。

 話は戻って、サッカーアジア大会で日本チームに対するブーイングが起こったことについて、中国政府に対して、一部の国会議員たちが、「反日教育のせいだ」とか、小泉首相 も「スポーツと政治はどうか」と発言しているですが、予選と準々決勝は国民政府が奥地である重慶で最後まで抗戦したところ であり、準決勝は済南。つかり、日中が激突して、多くの人民が犠牲になったところです。

 私たち大人は、2年前の学習指導要領の改訂によって、子供の授業のレベルが落ちたのではないかと、心配しましたし、いまもそうですが、知らないのはむしろわれわれ大人なのではないか。太平洋戦争当時、ほとんどの日本人は、諸外国に比べて、日本の国力はどの程度なのか、知らされていなかった。しかし、いまは、知ろうと思えば、いくらでも情報 を入手できる。それにもかかっわらず、私たちも、もう「わかったつもり」でいる。
 これは、地方政治にもいえると思います。私自身、せっかく、一般の方よりも情報が得やすい立場でいながら、なかなか思うようにいかず、「この程度でいいのかな」と 自分で着地点を探そうとしている自分がときにあります。しかし、あの戦争はなぜ、負けたのか、なぜ起きてしまったのか、そのときの政治家はどうしていたのか、と思いをめぐらし、だからこそ、自分の力に見切りをつけないで、皆が正しい判断を できるように、多くの情報を共有する作業に一層、努力していきたい。

(平成16年8月6日 某平和記念式で)

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