乱菊
「あ〜〜、これ、素敵!」
松本乱菊は一軒の小間物屋の店先で足を止め、ガラスケースの中に収められている櫛(くし)や笄(こうがい
)の内の一つに水色の大きな瞳を輝かせた。
ここは瀞霊廷でも大きな繁華街の大通りで、昼を少し過ぎた今は多くの人々が行き来している。
「何か気に入る物がありましたか?松本副隊長」
乱菊の背後から同じ十番隊の女性隊士が声を掛けてくる。
「見て見て、これ、良くない?」
ガラスケースの中に入っている、大輪の菊が描かれた鼈甲(べっこう)の櫛の一つを指差した乱菊に、女性
隊士も成る程と頷く。
「凄く、綺麗な櫛ですね」
「でしょう!」
その店は主に櫛や笄や簪(かんざし)など、髪を彩る装飾品の小物を扱っているらしく、店事態は然程大き
くはないものの、品のある造りで、上質の品揃えが自慢であり、瀞霊廷では高級志向の店として知られていた。
「でもきっといいお値段ですよ。一番目立つトコに飾ってあるし」
「そうよねぇ」
二人は顔を見合わせ、同時に軽い溜息を吐いた。
「まぁ、高給取りの松本副隊長なら大丈夫でしょうけど」
「私にだって上限はあるわよ。それに・・・」
「え?」
「なんでもないわ。―――もう行きましょう。」
「お買いにならないんですか?お気に召したんでしょう?即決の副隊長にしては珍しいですね」
「・・・まぁね。さぁ、早くお昼ご飯食べに行かないと、午後からの業務に遅刻しちゃうわ」
「はぁい。日番谷隊長は厳しい方ですからね!」
「そうそう!」
二人はきゃらきゃらと明るく笑いながら、店を後にした。
その一部始終を、少し離れた茶店の窓から見ていた人物がいた事を気付かずに。
「松本、お前、今から少し暇があるか?」
一日の業務が滞りなく終了し、先日賞与を貰ったばかりだった乱菊は、さて誰を呑みに誘おうかと思案中だ
った為、自分の上司である日番谷冬獅郎から突然声を掛けられ、大層驚いてしまった。
「え?隊長、私と呑みに行きたいんですか?」
「―――はぁ?誰もお前と酒を呑みに行くなんて云ってねぇ。俺に少し付き合う時間があるなら、その後、誰
とでも呑みに行きやがれ」
呆れ顔を返す自隊の幼い隊主に、なぁんだ・・・と少し失望しながらも、乱菊は何処へでもお供します。と
、笑顔を返した。
「た、隊長、此処って・・・」
日番谷が乱菊を連れて来たのは、乱菊が昼間足を止めた小間物屋だった。
純白の隊長羽織りを纏った日番谷の姿を目にした店の主が、いそいそとやって来て、声を掛ける。
「これはこれはようこそお越し下さいました。今日は何をお求めでしょうか?」
「あぁ。こいつに似合う櫛か簪を、と思ってるんだが」
「隊長!」
思わぬ日番谷の言葉に乱菊は慌てたが、日番谷はたまにはいいだろう?と微笑し、乱菊の頬を染めさせた。
「てめぇはよくサボリやがるし、俺の云うことだって半分は聞いてねぇが、それでも十番隊の要としてよくや
ってくれてる。それに、俺に取ってもかけがいのない大事な存在だ。だから、たまには何かお前が喜ぶ贈り物
の一つもやりたいと思う。受け取ってくれ、松本」
「――――隊長!」
その言葉だけで、自分は今すぐ死地にだって行ける!乱菊の目に涙が浮かんだ。
その涙を慌てて拭った乱菊に、店主が次々と高価な簪や櫛を薦めてくる。
「そのお美しい御髪には此方の翡翠の簪など如何かと・・・」
「・・・ええ。綺麗ね」
「明るい色の物がお好みでしたら、この珊瑚の簪や瑪瑙(めのう)の櫛など宜しいかと」
「・・・ええ。いいわね」
「―――少しお値段が張りますが金剛石を埋め込んだ品もございます」
「・・・どれも素敵だわ」
日番谷が金に糸目を付けないと見て取った店の主は、乱菊にあれこれと店の品物を見せたが、肝心の乱菊の
反応はイマイチだった。
それを敏感に感じたらしい日番谷が横から口を挟む。
「松本、お前、自分の欲しい物があるならちゃんと云え。らしくねぇぞ!」
その言葉に怯んだように乱菊が肩を竦めて、ちらりと店先のガラスケースに視線を移すと、その視線を追う
ように日番谷が歩を進めた。
「お前の欲しい物はどれなんだ?」
幼い容貌に似合わぬ有無を云わせぬ眼力に、乱菊はしぶしぶと鼈甲の櫛を指差した。
「この櫛か。欲しい物があるなら最初に云えばいいだろうが」
嘆息する日番谷に、乱菊は、でも〜〜と、続ける。
「私の髪に、その鼈甲の櫛は映えないんです。色目が似すぎているから。・・・そういう鼈甲の櫛が映えるの
は雛森みたいな黒髪なんです。―――私には似合わないんです」
おそらく、店の主もそれが判っていて、値が張るであろうそれを自分に薦めなかったのだろうと、らしくな
くしょんぼりと俯いた乱菊に、暫らく黙っていた日番谷はやがてふっと笑って云った。
「そんなことはねぇだろ。確かにお前の髪の色によく似ているが、その金の髪がより豪奢に見えると思えば良
いじゃねぇか」
「・・・まぁ、そう考えればそうなんですけど」
上司の言葉にも今ひとつ釈然としない乱菊に、それにな・・・と日番谷が続ける。
「こんな風に、花びらを可憐な曲線で強調した菊の文様を『乱菊』って云うんだろ?」
「え!―――そうなんですか?!」
思わぬ驚きに水色の瞳が大きく見開かれる。
「なんだ、お前、知らなかったのか?」
「あ、はい・・・」
確認の意味を込めて二人が店主の方を見やれば、老年に指しかかった小柄な店主がにこにこと頷いた。
「よくご存知でございますね。おっしゃる通りでございます。流石は護廷の隊長様。博識でいらっしゃいますね」
「――――これを貰おう。包んでくれ」
「かしこまりました。お買い上げ、誠にありがとうございます」
小間物屋の主人に見送られて店を出た二人は、夕張が降りる間の束の間の茜の空の下を歩き始めた。
「・・・隊長、ほんとにありがとうございました」
「あぁ」
ずっと黙ったままだった乱菊の謝辞に、日番谷が小さく応える。
乱菊の両手は、箱に入れられ、丁寧に包装された櫛を大事そうに包みこんでいた。
「・・・私、捨子だったんですよね。だから親の顔は勿論、自分の誕生日も知らなかったんです」
「そうか」
「産着に包まれて捨てられてて、その産着の端に『乱菊』って書いたあったそうです」
「・・・・・」
「自分を捨てた親を恨んではいないつもりでした。きっと何か事情があったんだろうって、そう思い込もうと
してました。でも、本当は親に可愛がられてる子を見るのが辛かった。―――羨ましかった・・・」
振り返らずに、自分の一歩前をゆっくりと歩き続ける小さな背中に、誰にも漏らした事のない想いを語る。
「でも私、こんな善いものを、こんな好い名を親から貰ってたんですね。それを今日まで気付かずにいたなん
て大ボケですよね」
えへへ・・・と笑う乱菊の目に涙が滲む。
そこで初めて日番谷が足を止め、やれやれと云った顔で乱菊を見上げた。
「・・・その櫛、綺麗だな」
「はい。大事にします」
これからは、この櫛を肌身離さず持ち歩こうと決心した乱菊がしっかりと頷く。
「―――数多居る中で人目を引いて惹き付ける。大胆で強烈で、そのくせ、意外と繊細で可愛いとこもある」
「・・・・・はい?」
「まるでお前そのものだな。お前の名だ―――『乱菊』!」
「ひ、日番谷隊長!」
クスリと笑って再び歩き始めた幼い背を、夕焼けの空よりも赤らめた顔をした乱菊は慌てて追いかけたのだ
った。
後日、十番隊の隊長である日番谷冬獅郎が、護廷隊の男性隊員達に絶大な人気を誇る松本乱菊にプロホーズ
をしたというウワサが瀞霊廷を駆け巡り、乱菊は嬉しそうに自慢の大きな胸を張り、日番谷はこれ以上はない
程に眉間に皺を寄せ、こめかみを引き攣らせた。
ウワサの出何処は言わずと知れた小間物屋のおしゃべりな店主だった。