九月十日即事

「ええお月様やねぇ・・・」

夜空を見上げて感慨深げに呟いた市丸に、日番谷も「あぁ」と小さく頷く。

此処は閑静な佇まいの中にある市丸の私邸だった。

その趣のある縁側で二人は月見酒と洒落ているのだ。

初秋を迎えた庭には落ち着いた雰囲気が漂い、草むらのあちこちから涼風に煽られる様に

耳障りの良い虫達の羽音が聞こえてくる。

その得も云われぬ風情に、市丸は手にした杯の中身をゆっくりと飲んだ後、普段から眇めてい

る目を更に細くしてほぅと息を吐いた。

「それにしても菊の花びらを浮かべてお酒を呑むなん、風流やわぁ」

「今日は『重陽』の節句だからな」

二人の杯には数枚の菊の花びらが浮かんでいる。

その花びらを日番谷は慈しむように微笑んで見詰めた。

「重陽ってお祝いの節句なんやろ? でもなんで菊の花びらをお酒に浮かべたりするんやろ

ねぇ?」

「重陽は五節句の一つで、旧暦じゃ菊の咲く時期に当るから別名を『菊の節句』とも言うんだ」

「ふぅん。どおりで今日は護廷隊だけやなくて、瀞霊廷中で菊の花が飾られとったなぁ」

「うん。陰陽の思想じゃあ奇数は陽の数ってことになってるからな、その陽数の最大である九

が重なる九月九日は陽の気が強すぎる為に不吉な日とされていたんだ。だからその邪気を払

う行事として節句が行われたんだが、これが後に陽の重なりを吉祥とする考えに変わって祝

い事となってからも、無病息災や長寿を願ったりする目的で菊の花を飾ったり、菊の花びらを

浸したり、浮かべたりした酒を呑む風習が残ったのさ」

「冬獅郎は相変わらずこういうことに詳しいなぁ。でも菊の花は愛でてこそ価値があっても、健

康面では期待できへんやろうに」

感心しながらもつっこみを入れる市丸に日番谷が苦笑する。

「そんなことはないぞ。菊の花びらや花粉にはビタミンCやビタミンEの効果もあるそうだ。前に

卯ノ花隊長がそう教えてくれた」

市丸はそれを聞くとおやまぁといった風情で片眉を上げてみせた。

勿論菊の花に含まれるビタミンなどは微量な量であり、その効果を期待して古の人々が菊を

摂取した訳ではなく、あくまで節句の祝いの一環であっただろうが、成る程と思わなくも無い。

「そういえば、今日の夕ご飯は栗ご飯やったけど、あれももしかして?」

「そうだ。栗ご飯も節句の祝いの一つだ。よく判ったな」

よしよしとばかりに日番谷に頷かれ、市丸は今度は軽く嘆息する。

「重陽の節句はもうええわ。それより冬獅郎、明日が何の日なんかは当然知っとるよね?」

ずいっと身体を前に乗り出してそう問えば、日番谷は明らかに動揺したように慌てて目を逸ら

した。

「あ、明日?」

「そうや! 明日、九月十日はさて何の日でしょうか?」

唇の端を切れ上げさせて哂う市丸に、日番谷は少し頬を染めて言いよどむ。

「あ、明日は・・・その・・・・・」

「博識な冬獅郎クンは明日が何の記念日か知ってはるよね?」

「も、勿論だ!」

売り言葉に買い言葉の勢いで気色ばむ日番谷に、内心でほくそえだ市丸が獲物を追い詰め

る肉食獣のように迫る。

「だったら答えてや。明日は何の日やろか?」

「あ、明日は・・・」

「明日は?」

「―――明日は『下水道の日』だ!」

「・・・・・・・・・・・・・・・・はい?」

紅潮した頬のまま、睨みつけるかのように云い放った日番谷に対して、市丸は間の抜け切っ

た素っ頓狂な声を漏らした。

今、確か、下水道とか聞こえたのだが自分の聞き間違えだろうか? いや、きっとそうだろう。

「・・・・・今なんて云いはったん?」

怪訝な顔で再度問う市丸に対し、日番谷は開き直ったかのようにはっきりと応えた。

「だから九月十日は現世じゃ『下水道の日』だって云ったんだ!」

「・・・・・・・嘘やろう?」

「残念ながら本当だ。今から丁度五十年前に下水道の役割や整備の重要性に理解と関心を

深める目的で記念日として認定されたんだ」

「な、なんやて〜〜〜〜っ! どこのどいつがそんなアホな記念日を作ったん!?」

「・・・さぁな。それは俺も知らないが、多分当時の建設省あたりじゃないのか?」

「うぅ〜〜〜っ。信じられへん! ボクはそんな記念日、絶対に認めへんで!」

せっかく今の今まで愛しい日番谷を傍らに置いて、極上の気分で酒を呑んでいたというのに、

もはや台無しだった。

よりにもよって自分にとっては大切な日である九月十日を、馬鹿らしい記念日に当てた役人達

に立腹するが、明日が自分の誕生日だと知りながらわざと惚けている日番谷はもっと腹立たし

い。

日番谷がツンデレなのは周知の事実だが、それも時と場合によりけりだ。

照れ屋で恥ずかしがり屋で、本当は人見知りさえする日番谷を心底から可愛いと思っている

市丸だったが、こんな時くらいは素直に自分の誕生日を祝ってくれても良いのにと恨めしく感じ

る。

「・・・・・ツンが九十九パーセントでデレが一パーセントなんて辛すぎや」

誰にとも無くぽそりと呟いて落ち込む市丸を前にして、流石に気が咎めた日番谷は居心地悪

げにもぞもぞと動き、ついでに上目使いで相手の様子を伺った。

日番谷とて、悪いことをしてしまったと反省はしていた。だが、どうしても市丸が相手だと素直に

なれないのだ。それこそが日番谷が市丸に甘えている何よりの証拠なのだが、残念なことに

著しく判りにくい愛情表現だった。

(あぁ・・・もう、俺ってどうしてこうなんだろう・・・)

市丸が求めている言葉など解り切っているのに、たった一言「明日はお前の誕生日だな。おめ

でとう」そう伝えられたらどんなに良いか。

素直になれない自分に日番谷はきゅっと小さな唇を噛む。

白けた空気が場を満たしたが、やがて市丸はそれを振り切るように立ち上がり、日番谷に手を

差し出した。

「明日は二人ともお仕事やさかい、この辺で休むとしようか」

「あ、あぁ。・・・そうだな」

ほっとした日番谷がその手を取ると、市丸は日番谷を立ち上がらせ、次いで広い胸の中へと

抱き込んだ。

「い、市丸」

包み込まれる様な抱擁に驚く日番谷の耳元に、市丸の声が流れ込む。

「ほんまにキミは困った照れ屋さんや。それでもボクはキミが大好きや」

「―――――市丸」

その言葉に日番谷もおずおずと両手を伸ばし、市丸の背を抱き締めたのだった。





もうすぐ暁を迎えるであろうという早朝、市丸は自分の腕の中に囲った日番谷が身動ぎ、起き

上がる気配を感じた。

身体は依然として深く眠ったままなのだが、戦闘部隊の長として研ぎ澄まされた感覚は常人に

は計り知れないものがある。

一方、小用にでも行くのかと思った日番谷は、そのまま市丸の身体の上に屈む込むようにして

暫らくの間じっと寝顔を見詰めていたが、やがてその唇がたった一言の言葉を紡ぎ出した。

「・・・・・・ギン・・・」

日番谷が日頃呼んだことのない市丸の名・・・。

それは歓喜が身体を満たす程の福音だった。

何故ならその途端、市丸は自身の身体の中に日番谷の感謝と至福の念が流れ込んでくるを

感じたからだ。


お前が居てくれて嬉しい。

俺はこんなにも幸せだ。

―――――ありがとう。


屈んでいた姿勢からゆっくりと上体を倒した日番谷は、自分とは少し色合いが違う銀の髪にそ

おっと触れるだけの口づけをすると、元通りに市丸の隣に横臥して瞳を閉じた。

だから気付かなかった。

滅多に目にすることのない市丸の本当の微笑みと、その瞼の隙間からたった一粒零れ落ちた

涙を・・・。





「ボクなぁ今日の明け方頃もの凄くええ夢みたんよ」

「・・・ほう。それは良かったな」

差し向かいで朝食を取りながら、饒舌に喋りだした市丸にも日番谷は素っ気無い。

「どんな内容か知りたない?」

「別に興味はないな。夢は所詮夢だし」

相変わらず現実だけを直視した物言いに市丸は苦笑したが、心は幸福に満ちている。

「ところで今日は何の日やろか?」

にこにこと聞いてくる相手に日番谷は眉根を寄せ、露骨にイヤな表情をする。

「昨日の夜教えてやっただろうが」

「下水道の記念日以外にや」

「・・・・・三番隊が総力を挙げて祝いの席の準備をしているって松本が云ってたぞ」

「なんや。やっぱり知ってるんやない。いけずな子やわ」

わざとらしく溜息を吐く市丸に日番谷はふんと頤を上げて食事を再開する。

「今夜のボクのお誕生日のお祝い、キミも来てくれるやろ?」

「俺はいかねぇよ」

「ええっ。なんで?」

「十番隊長の俺が三番隊主催の宴にのこのこ行けるかよ」

ツンデレな上に見栄っ張りな恋人に市丸はやれやれと柳眉をさげたが、気分は依然として極

上である。

「お誕生日会はそう時間が掛からのや。遅くとも八時くらいには終わるやろ。キミはその頃また

此処へおいで」

「・・・・・」

「なぁ、来てくれるやろ。ボク、待っとるさかいに」

真紅の真剣な眼差しに日番谷の碧の瞳が揺れる。

「・・・確約は出来ねぇぞ。それに俺からの祝い物を期待してるのならそれも却下だ」

「うん。勿論や。キミがボクに逢いに来るつもりでいてくれるならそれだけで充分や。品物なん

ていらんわ。―――でも・・・」

「でも、なんだよ?」

胡乱気な日番谷の視線を気にすることなく市丸が口の端を引き上げる。

「もう一度キミがボクの名を呼んでくれたら嬉しいなぁ」

その途端、日番谷の貌が茹で上がったかのように真っ赤になった。

「・・・お、お前・・・お、起きてたのか?」

首筋まで赤く染めながらあわあわとなる日番谷のなんと可愛らしいことか。

市丸はその様子に目を細めて囁いた。

「キミのデレは最強兵器やね」

それを味わえるのはおそらくこの世で自分だけ。

その震える程の喜びに身を浸せる幸運。

(―――あぁ。ボクはほんまにこの世界に生まれて幸せや)

護廷十三隊三番隊隊長、市丸ギンはその日最上の誕生日を過ごしたのだった。



                                                     了

                      TOPへ