糸 遊  ―― いとゆう ――

藍染ら三人の隊長達が虚圏へ渡り、尸魂界に対峙する立場を明確にした日から数日後の深夜、厳

戒態勢が牽かれる瀞霊廷の、その中でも職務がら昼夜を問わず他隊よりも数多くの死神達が行き来

する四番隊の集中治療室でそれはおきた。



深く閉ざされている夜の帳をこじ開けるかのように、何の前触れも無く空間かぱくりと口を開いたのだ。



その中から現れたのは藍染と共に出奔した筈の三番隊隊長、市丸ギンであった。

彼は白の装束に身を包み、己と似たような衣装を着こなした一体の破面を従えていた。

「お連れする場所はこちらで宜しかったでしょうか? 市丸様」

「おおきに、ウルキオラ。 流石、藍染さんの一番のお気に入りだけあって、間違いの無い仕事をして

くれるわ」

「・・・いえ、オレは藍染様からあなたの警護を仰せつかっただけですから」

市丸の軽口ににべもない返答を無表情のまま返したウルキオラは油断なく辺りを見渡した。



虚圏から瀞霊廷に出口を繋げると同時に張り巡らした結界は、壁一枚隔てただけのこの部屋を完全

に孤立させ、外部からの接触を遮断している筈である。

大して広くもない室内はベットが一つ置かれた他は医療器具らしき物も殆ど見当たらないくらいに閑

散としている。

そのベットの上で一人の少年が青ざめた面持ちで瞳を閉ざしていた。

白銀の髪に幼いながらも整った美しい容貌。長じて輪郭の丸みが消えれば目を見張るほどの秀麗さ

になるだろう事が容易く伺えた。

護廷隊の敷地内にいるのだからこの少年も死神ということなのだろうが、それにしては幼すぎると内

心ウルキオラは眉を顰めた。

そんなウルキオラに構わず、市丸は静かにベットに歩み寄り、腰を屈めた。

「・・・・・冬獅郎」

―――いとしさが滲み出たような声だ。

そう思った自分に素直にウルキオラは驚いた。

「かんにんな、冬獅郎」

市丸の長く形の良い指が少年の頬に添えられるのを凝視する。

「かんにんな、怖い思いさせて。・・・痛い思いさせて。かんにんな」

壊れ物を扱うような繊細さで、市丸が少年の髪を優しく優しく梳き上げている。

「かんにんな、キミのプライドずたずたにしてもうた」

市丸の広い肩が震えているのを見たウルキオラはまるで市丸が泣いているかのような錯覚を覚えた。

勿論市丸は涙など流してはいなかったが・・・。

「・・・・・ウルキオラ」

「はい」

「この子な、ただの死神の子やないんよ」

「・・・はい」

「こんなに小さいんにな、護廷隊の隊長なんよ。 それも、数百年に一人の天童って言われとる」

「はい」

「おそらく刀の勝負で負けたんは藍染さんが最初かもしれへん」

「・・・・・」

「藍染さんはこの子の命までは取らんってボクに約束してくれはった。 ・・・それでも、こうしてこの目

で確かめるまでは心配で気が変になりそうやった」

―――そう、側近である市丸の覇気の無さに業を煮やした藍染がウルキオラを目付けに着けて『見舞

い』に行く事を許したのだ。縒りにもよって敵陣である瀞霊廷へ!



市丸ギンは東仙 要と共に自分達破面の主たる藍染惣右介が虚圏へ従えてきた部下だった。

だが、東仙 要が破面の直接の指揮官たる『統括官』という地位を藍染から与えられたのに引き換え、

市丸は無役のままであり、にも関わらず藍染の寵愛を一身に集めていた。

口さがない破面達の間では『藍染様の寵妃』などと呼ばれているくらいだ。

だからといってウルキオラの中で市丸を侮る感情は微塵もない。賢明なウルキオラには市丸を侮るこ

とが主である藍染を侮辱するに等しい行為であるとの認識があった。

第一、甘く見て掛かるには市丸は得体が知らなさ過ぎた。常に飄々として張り付いたような笑みを浮

かべているが、彼が何事かを藍染の耳元で囁けば、主は大概の場合鷹揚に頷くのが常だった。

そんな、殆ど無条件に藍染に甘やかされていると見えた市丸がある日を境にふいに口数が少なくなり

藍染の問いかけにすら生返事を返すようになった。





『・・・・・ギン、そのうるさい沈黙はなんなんだい?』

今日の夕食後、同席を許されたウルキオラの前で軽い溜息をついて藍染が市丸に問い掛けた。

『・・・ボク、そないにうるさかったでしょうか?』

『このところずっとね・・・』

『はぁ・・・・・それはエライすみませんでした』

一見したところは、互いに紅茶を啜りながらの軽口の応酬に見えるが、物事に動じないウルキオラを

しても正直席を立ちたいと思える程、キンと冷えた空気が場を満たしていた。

『なんやボク、藍染さんのご不興を買うたみたいやわ。ほな、今晩の夜伽は遠慮しますわ。――ああ、

そうやウルキオラ、キミ、ボクの代わりに藍染さんと同衾してくれへんやろか?』

突然そう市丸に振られたウルキオラは無表情のままチラリと藍染を伺ったが、主は目を閉じて緩く首を

振った。

『それはウルキオラの役目ではないよ、ギン』

『ほな、あの髪の青いお嬢ちゃんはどうです? 藍染さんのお好みに合うてそうな子ですやん?』

市丸の揶揄するような言葉にウルキオラは我知らず奥歯を噛み締めたが、やはり藍染は首を横に振

って応えた。

『誰もお前の代わりなど出来ないんだよ。分かっているだろうギン』

『・・・・・・・』

『私はお前の願いを聞き入れた筈だよ。なのにお前がそんなふうだと、せっかく命拾いをした日番谷

君の身もどうなるか分からないね』

市丸のただならぬ様子の訳を見抜いているらしい藍染はやんわりと情人に脅しを掛けたが、市丸は

それを鼻で笑って一蹴した。

『冬獅郎は卯ノ花隊長の庇護下におる。なんぼ藍染さんかて迂闊に手出しは出来へんやろ』

藍染はその言葉に無言で肩を竦めてみせた。

『・・・そないにボクの態度が気に入らんのやったら、いっそボクを殺したらええんと違いますか?』

『ギン!』

『なるべく惨たらしく殺してそのボクの死体を瀞霊廷に送りつけてくれたらええわ。・・・そうしたら、あの

子も少しは溜飲が下がるかもしれへん』

自嘲するように唇を歪めて笑う市丸に藍染は処置なしとばかりに、やれやれといった表情で小さく吐

息を吐いた。

『―――仕方が無いね。 ギン、瀞霊廷へ行っておいで』

『・・・・・え?』

云われた意味に驚いて市丸がばっと顔を向ける。

『お前は誰にも何にも執着が無いようだが、自分が思っているよりずっと頑固なんだよ。・・・小さい時

からそうだったね。 心に凝った想いがあるとまるで貝のようになってしまう。 気付いていたかい?」

『・・・いいえ』

まるで親が子を諭しているかのような優しい語り口で藍染は続けた。

『お前がそんな様子では私の心も安らがないよ。 だから日番谷君の見舞いに行っておいで。 その

目でちゃんと彼の無事を確かめて来なさい。 但し、必ず戻って来るんだよ?』

『はい! おおきに、藍染さん!』

今までの憂いの表情など跡形もないような輝くような笑顔を見せた市丸はがばりと席を立ち上がり、

藍染の背後からその身体を抱きしめた。

『大好きや、藍染さん!』

本当に嬉しくてたまらないといった仕草で大きな猫のように身体を擦り付ける市丸に藍染は苦笑しつ

つも、その銀糸の髪を撫でている。

藍染の底知れぬ力の巨大さ、恐ろしさを知り、正体の見えない市丸に警戒心を持つウルキオラはそ

の二人のじゃれあいを不思議な思いでただ見つめていた。

『それともうひとつ、瀞霊廷へはウルキオラを同行させなさい』

『え〜〜〜っ!』

生き生きとした表情を取り戻した市丸が初めて不満そうに異議を唱えた。

『そんな〜〜〜、ビデオカメラと一緒やなんていややわ』

『お前の護衛の為だよ。 ―――よろしく頼むよ、ウルキオラ』

『かしこまりました』

虚夜宮においては藍染の決定事項は絶対である。恭しく頭を垂れるウルキオラを見て、流石の市丸

もそれ以上の我は張らなかった。





「どうか死なんとって冬獅郎! お願いや、目を覚ましてくれんやろか・・・」

切なげな声と共に少年の頬に寄せられていた市丸の唇が、少年のそれと重ね合わせられようとして

いる。

それが主たる藍染から見れば間違いのない裏切りと写るだろうと咄嗟に判断したウルキオラは、間一

髪の差で己の緑の瞳を閉ざしたのだった。

ややあって瞼を開いた時には市丸はもう身を起こして少年を見つめていた。

「ほんまはこの手でキミを殺めよう思たんよ。誰か他の者の手に掛かるくらいならボクのこの手でとな

けどどうしても出来へんかった。 だったらキミの手でボクの命を終わらせて欲しいんや・・・・・いつか、

ボクの業をキミが終わらせてや。 待っとるさかいにな冬獅郎」

その言葉にウルキオラは市丸の覚悟を透けて見たような気がした。 市丸はこの少年に討たれるつも

りでいるのだ。 自分の死に方を決めているのだ。 この何事にも飄々として全てのことを受け流して

いるかに見える市丸が。

「おおきにな、ウルキオラ」

「いいえ」

少年から離れ、自分の方へと歩みよって来た市丸に短く応えて頭を垂れる。

「・・・このことはひとつ借りにしておくさかいに覚えといてや」

「―――はぁ」

「なんか困ったことがあったら力になれるかもしれへんゆうことや」

自分が不義の現場をその瞳に収めなかったことを差しているのか、そんなつもりは微塵もなかったが

藍染に大概の我が侭を押し通す市丸に貸しを作れたのはジョーカーのカードを手に入れたに等しい。

ならばなるだけ有効に使わせて貰おうと冷静に分析したウルキオラの耳に軽いノックの音が聞こえ、

瞬時に市丸の身体を抱えてドアから部屋の隅へと飛びのいた。

強力な結界を張ったのが空事のように簡単にドアノブが回り、ゆっくりと開かれた中から妙齢の女性

が姿を現す。 死覇装の上に纏っているのは護廷十三隊の権威と力の象徴たる隊主羽織である。

「市丸様、ご避難下さい!」

刀の柄に手を掛け、ソニードで侵入者に斬って掛かろうとするウルキオラを制して、市丸が瞬歩を使っ

て前に出る。 自分の刀の柄を市丸の手に押さえられたウルキオラはその早業にはっとした。

市丸の戦闘能力は未知数だが、まさか自分よりも早く動けるとは思っていなかった為に純粋に驚いた

のだ。

「やめや、ウルキオラ。 キミの力じゃ卯ノ花隊長には適わんわ」

「―――っ」

目の前で繰り広げられた攻防も一切関知しないかのように、四番隊隊長、卯ノ花 列はにっこりと市

丸に微笑み掛けた。

「まぁ、市丸隊長、おいでになっていらしたのですか」

「はい」

「日番谷隊長のお見舞いですか。 よくいらして下さいましたね」

「―――今度のことはお礼の言葉もない程や。 ほんま、おおきに、卯ノ花隊長!」

「いいえ。 私は当然のことをしたまでですよ」

頭を下げて礼を云う市丸に卯ノ花は心からの温かな笑で応える。

だが、反逆者である市丸に対して同僚の頃と変わらぬ応対をみせる卯ノ花に、ウルキオラは背筋が

冷える思いを憶えた。 そんなウルキオラに初めて視線を移した卯ノ花は小さく簡単の溜息を漏らした。

「まぁ・・・なんて美しい・・・・・」

「―――ウルキオラは藍染さんの一番のお気に入りですよって」

「そうでしょうね。 彼には心がありますもの・・・」

納得するように頷く卯ノ花にウルキオラは目を見張る。

( ―――――オレに『心』があるだと? )

虚であった自分にあるのは創造主たる藍染への忠誠心だけだ。そう頑なに信じてきたというのに。

「ボクらはこれで失礼います。 冬獅郎・・・いえ、日番谷隊長のこと、よろしゅうお頼み申します」

「心得ました。 今日来て下さって本当に嬉しく思いますよ、市丸隊長。 あなたがこのまま日番谷隊

長を気に掛けずにすましたとしたら、私は次にあなたと合間見えた時に容赦しないところでした」

苛烈な卯ノ花の言葉にも市丸は殊勝に頭を下げている。

「・・・藍染惣右介の元に戻ってもあなたに得るものはないのでしょうに」

キツイ言葉から一転して痛ましい者を見るように卯ノ花は市丸を見つめ、それに市丸は泣き笑いの様

な表情をみせた。

「ボクの道はすでに決まってます。 自分で決めた道や! ・・・・・それに藍染隊長を一人には出来へ

んのです」

自分の元へと歩み寄って来る市丸に即され、ウルキオラは虚圏へ通じる空間を開く。

ウルキオラと市丸がその中へ足を踏み入れた時、背後の卯ノ花が再び言葉を投げかけてきた。

「市丸隊長、あなたは『糸遊』という言葉をご存知かしら?」

「――いとゆう? いいえ。 知りませんな」

「陽炎の別名です。 水の流れに透明な糸が踊っているような、ものとものとの間が糸で繋がってい

るような・・・そんな意味合いなのでしょうね。 私はずっとあなたにそんな不確かな印象を抱いてきま

した」

「・・・・・・・」

「でも、市丸隊長、あなたが日番谷隊長をいとしく想う心は形はないままに、確かに今、存在している

のですね」

しみじみとした卯ノ花の言葉に市丸が無言で礼をしたのを最後に虚圏へと続く空間は閉ざされたのだ

った。





「おかえり、ウルキオラ。 昨夜はご苦労だったね。 おかげで私の可愛いギンも普段どうりに戻ってく

れて喜ばしく思っているよ」

「身に余るお言葉です」

「日番谷君を見ただろう?」

「はい」

「美しい子だっただろう?」

「・・・はい」

「ギンの為に手に入れてやりたかったのだが上手くいかなくてね。 でもギンは未だにあの子を諦めき

れないらしくて困っているんだよ」

「・・・・・」

虚圏へ帰った次の日、藍染の呼び出しに応じたウルキオラは主からの労いの言葉に姿勢を低くしたま

ま頭を垂れていた。

「本当にご苦労だった。 下がってゆっくり休みなさい」

「はい。・・・あの・・・・・」

「ん? どうしたんだい?」

「いえ、失礼いたします」

てっきり見たありのままを記憶する能力を持つ、己の眼球の提出を求められるものとばかり思ってい

たウルキオラは幾分ホッとしながら藍染の広い自室を辞した。

第4(クアトロ)エスパーダとして自分に与えられた宮に帰る道すがら、窓から見える広大な虚夜宮の

砂の庭に目を移す。 と、目の端でゆらりと空気が揺れているのに気付いた。

現世の砂漠と殆ど同じ気象条件である為、この虚圏でも昼の間は頻繁に陽炎を見ることがある。

ゆらゆらと揺らめく大気の流れを見ていると不思議な面持ちがする。

遥か昔、人であった頃の遠い遠い記憶が蘇ってくるかのような・・・。そんな懐かしい感傷。


―――彼には心がありますもの・・・


不意に思い出された思いがけない言葉。

「・・・・・ふん。 くだらん」

ポツリと呟いてはみたものの、常に冷静沈着な者として虚夜宮にその名を知られ、己を律すること長

けている筈のウルキオラの胸に広がるさざなみは一向に消える気配が無い。



陽炎が踊っている。 それを見つめるウルキオラの緑の瞳のその向こうで遠い昔の晴れた日が、人恋

しげに揺れているかのようだった。


                                                      終

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