正調利田荷方節の発生



唄が生まれたのは・・・

  利田荷方節は、常願寺川と深い関わりのなかで生まれました。昔のこの川は、安政の大洪水までは、水田のずっと下をゆっくり流れる深く広く清らかな水を満々とたたえている川でした。
  河口の水橋から上滝までを船で海産物や魚肥を積んで溯り、米や藁工品、木材を積んで下っていました。この船を動かしたり船着場で船や馬に荷物を積み降ろししていた人達が唄っていたのが「利田荷方節」の発生だと言われています。
 江戸時代には北前船が日本海を交易し各地の港へ物を運んでいましたが、利田荷方節が青森県の謙良節や新潟県の新保広大寺といった民謡によく似ていることから、この船乗り達によって伝えられたものに独自の歌詞を付けて唄われたのが発生に繋がっているのではないかと考えられています。
 働く人達は、腰の煙草入れに鈴を着け、また馬の首にも鈴を着けて歩くたびに規則正しく鈴の音が鳴り、これが囃子の「チリーン チリーン チリーン」のリズムとなったと言われています。
 歌詞は、仕事は苦しく生活も楽でなかったことから、元気付け・慰め・豊かさへの祈りを込めたものとなっています。金銀や鶴亀、大黒、恵比寿などが出てきますので婚礼や新築・祭礼など目出度い席でよく唄われるようになりました。


唄い継がれて・・・

  昭和28年には、より一層の普及発展をという機運が高まり花柳流振り付けと新唄も発表され、昭和40年には保存会も発足し、57年には立山町文化財に指定されました。そして平成元年には保正直次氏(90歳)の唄を沢田城邑氏の録音により「正調利田荷方節」としての楽譜が出来上がり、踊りも利田出身の島田民枝氏に新しく振り付けされ、唄・踊りとも大変華やかで格調高いものに生まれ変わることとなり、保存会も拡大再結成となりました。
  その後、各地の会場に出演し伝承普及に努めています。主な出演として、立山山開き(室堂のホテル)、若人の祭典、敬老会、老人ホーム慰問、叙勲祝賀会、リージョンフェスティバル(北アルプス文化センター)、健康と長寿の 祭典(県民会館)、富山TV放送による常願寺物語などです。



今後の方向とねらい

  
現在、毎月の第二・第三月曜日に定例会を設け、晩方から原城光先生と島田先生のご指導のもと唄・踊り・尺八の練習を続けています。
 一方、婦人学級では講習会をもち、保育所の体育会にアトラクションとして踊りを舞ったり、また利田小学校児童(男女9名)による部活成果の発表としても踊りが披露され、祖父母からの大きな拍手をいただきました。
 地区の活性化と心の豊かさを求め、より一層の発展を目指して会員相互の和と協力の心を持ちながら、大切な伝承芸能を守り続けていきたいと考えています。

                (資料:立山町芸術文化協会二十周年記念誌より抜粋)  


 ご関心のある方、是非一度加入されてみられたらいかがでしょうか。(年間会費は、2千円)
 他にも各地方の色々な民謡の練習を行なっています。 
 御目出度い席での唄・踊りは、きっと皆さんに喜んでいただけることでしょう!。