『はっぴいえんどBOX』が発売されました。BOXセットの詳細については省略します。そして、あらかじめお断りしておきますが、
わたしは「はっぴいえんど」のオリジナルCDを1枚をのぞいて買ったことはありません。
わたしはいわゆる『ロンバケ』世代のナイアガラーで、それ以前の作品についてはあくまでも後追いですし、関心の優先順位から「はっぴいえんど」は後回しになっていました。
彼らのディスコグラフィーのなかでは最後の作品である『THE HAPPY END』、これだけがリアルタイムで認知しているもので、中古で去年2003年ようやく入手しました。
1985年、メンバー4人がそれぞれ日本の商業音楽の世界で最も脚光を浴びた時期に再結成し演奏したライブ音源を収録したものでした。われわれのような80年代からのリスナーにどのように受け止められていたかといえば、「ロンバケの大滝」が、「YMOの細野」が、「作詞家の松本」が、「アレンジャーの鈴木」が、日本のロックの原点と言われる伝説のバンド「はっぴいえんど」の元メンバーなんです、と言ったものではなかったでしょうか。
ほかの作品は言ってみればいつでも買えたのですが、このレコードだけは長年CD化されなかったこともあり、ずっと欲しいなと思っていました。しかし、購買動機はそれだけではありませんでした。
わたしがデビュー時からその活動をフォローしていたアーティスト「ピチカートファイヴ」が、この再結成ライブにバックコーラスとして参加しこのレコードに音源として記録されているという事実を知ったからです。
思えば「ピチカート」はナイアガラが休眠期間に入った80年代半ばに大滝とクロスフェイドするようにわたしの前に登場しました。その後90年代半ばのリイシュー期でナイアガラ熱が再燃するまでのわたしのCD棚の最前列を陣取ることになるのです。彼等や当時「渋谷系」と呼ばれたアーティストたちの何組かは「ナイアガラ」作品やそのルーツとなる音楽に大きな影響を受けており、大滝が音楽制作を休止している間のわたしの欲求を満たすに足る作品群でした。
まず大滝とピチカート再結成ライブにおける共演は活字として「はっぴいえんど伝説文庫版(92年)」で認知していました。この1冊が「はっぴいえんど」のプロフィールの多くをわたしに提供することになります。両者の接点には驚きこそしましたが、接着剤が「ノンスタンダード」のレーベルオーナー細野晴臣であることはすぐ推測できました。
しかし細野とともにこのバトンリレーに重要な役割を果たした人物がもう一人いたことにはこの時点ではまだ知りえませんでした。その人物の存在を知ることになるのは2001年年末、「ノンスタンダード」のCD復刻でその名前がわたしの目前に再・再・・・登場したからです。
牧村憲一。
この稿は牧村憲一をめぐる「点と線」をたどる物語です。
とにかく、2001年はこの名前をほんとうによく目撃しました。一般的にはめったに表舞台に登場しない名前なので、あくまでもわたしの目の前にだけ、という話ですが。おかげで『THE HAPPY END』がどうしても欲しくなりました。なんとしてもこの共演を聴いておきたかったからです。そして、ついにこのレコードを手にしてみると、ブックレットが封入されているではありませんか。そこには再結成を記念したコメントや対談と貴重な写真が掲載されていました。そのなかの1枚、再結成ライブ終了後と思われるメンバーを交えた集合写真、その中央に大滝、細野の間に顔を出しほほえむ、1段後ろの列の小西康陽の姿。その時、この事実を視覚的にも確認することができたのです。
牧村憲一を最初に認識したのは、「拝啓小沢健二様」という小沢の研究本で「フリッパーズギター」の発見者としてのインタビューの章を読んだことからです。そこにはすでに「日本のロック史を影で作った」的な記述がありましたが、それ以上の情報もなく見過ごしていきました。もっともこの本を買ったのは小沢や小山田、さらには「トラットリア」の作品、その他の「ポリスターWITZレーベル」のアーティストを愛聴していたからこそで、ほどなく「エクゼクティブプロデューサー、ケン.マキムラ」と彼らとの関連性を認識するに至りました。95年ごろです。ここでこれらのアーティストの作品に見られる「ナイアガラ」的要素に少しふれてみたいと思います。
渋谷系のナイアガラチルドレン
「sing a song children」
それは伝説の「はっぴいえんど再結成ライブ」のステージで大瀧詠一がひとま
わり下のアーティストたちに掛けた言葉。
「さよならアメリカ〜」のコーラスに加わったそのメンバーとは細野主催のノンス
タンダードレーベル所属のワールドスタンダー
ド(鈴木惣一郎)、shishonen(戸田誠司)、ピチカートファイブ(小西康陽)らでした。
小西康陽はピチカートファイブ最初期のシングルとして「アクションペインティン
グ」
で音壁を再現しています。彼は86年雑誌「レコードコレクターズ」のガールグループス特
集で長門芳郎と対談していることからもダイレクトなスペクターフォロワーとも言
えます。また同じく87年のバーバンク特集や『ロジャーニコルズ&スモール〜』
のライナーでソフトロックの布教者となりました。ピチカートのサードアルバム『月面軟着陸』では「指
切り」をカバー。89年、須藤薫『テンダーラブ』のプロデュース。90年、中山忍プロデュ
ース。91年、三浦理恵子プロデュース。同年の森丘祥子プロデュースでは「夢で逢え
たら」「ブルーバレンタインデイ」をカバー、92年、トーキョーズクーレストコン
ボ名義で「五月雨」をインストでカバー。サウンドスタイルよりも音楽についての博
識ぶりやポ
ップイディオムの咀嚼と消化のし方においてナイアガラの継承者といえます。そし
て2001年ラストアルバムで「愛飢えを」をカバーしました。これは「新春放談」で「俺が小西のCD買うとは思わなかったなあ・・・」という大滝本人のお墨付きを得ました。
小西とともに結成からピチカートを牽引した高浪敬太郎はセカンドソロ『エブリバ
ディアウトオブタウン』では音数は少ないものの「ディスクッドビーザナイト」
を下敷きにした「20%の憂鬱」を制作しています。
「指切り」のボーカルを取ったのは後にオリジナルラブとしてブレイクする田島貴男
。バンドからひとりになったシングル「プライマル」はフォーキーなサウンドが「
ブルーバレンタインデー」「銀色のジェット」などのナイアガラバラードを連想させ
ます。
そのビジュアルとキャラとバイオグラフィーで渋谷系のプリンスの名を欲しいまま
にした小沢健二はソロ2作目の『ライフ』で「お花見メレンゲ」調のグルーブを創出
しフォロワーとしては希有なリズムタイプ・ノベルティータイプのアプローチを見
せています。筒美京平との共作ではありますが「それはちょっと」は吉田美奈子版
「夢で逢えたら」を彷彿させます。商品名を歌い込んだCM作品をCD化した「カ
ローラU」も見逃せな
い仕事です。
フリッパーズギター時代の『ヘッド博士の世界塔』の「ドルフィンソ
ング」は『ペットサウンズ』〜『ヘッド』(モンキーズでジャックニッチェ編曲)
経由のスペクターサウンドでした。
渋谷系のもう一人の中心人物として小山田圭吾がいます。彼もサウンドスタイルこ
そ狭い範囲のフォロワーにとどめることができませんがコーネリアスとしてのファ
ーストは密度・完成度においてまさに90年代の『ロンバケ』だと断言できます。ぎっしりポップス
へのオマージュにあふれていました。また主催するトラットリアの多彩で多産なレ
ーベ
ルカラーもナイアガラを意識したものと言えます。
そのトラットリアからデビューしたのはブリッジのカジヒデキ。『ミニスカート』ではスウェーディッシュサウンドを取り入れながらも「ブルー
」、「夏物語」で好アプローチを見せています。とくに「夏物語」は「FUN×4」へのオマージュを表明していました。
同じくポリスターの「WITZレーベル」が送り出したのがLRとスパイラルライフ。
LRはデ
ビュー曲「レイジーガール」からすでにメロディーラインとミキシングが影響大。中
でも最高傑作の呼び声が高
いのは『ランドオブリッチーズ』収録の「Now That Summer Is
Here」。詞・曲・アレンジともに『ロンバケ』からの強い影響を受けています。ブ
ライアン
ウィルソンファンで知られる黒沢健一の真骨頂です。
スパイラルライフはバーズなどのハーモニーとサウンドを9
0年代に再現しましたが『フリークスオブゴーゴースペクテイターズ2』収録の「アイ
ウィッシュ」ではスペクターサウンドに挑戦しました。
99年の風街ミーティングへの参加で印象深いのはサニーデイサービスです。は
っぴいえんどの90年代解釈で注目を集めた彼らは松本的詞の世界とボーカ
ルスタイルに強い影響を感じます。
あとは大御所たちのバックバンドを勤めたヒックスビル。先達への敬意と安定した
演奏能力が信頼
を得たのでしょう。「平成の伊集加代子」真城めぐみは93年ペイズリーブルー名
義で「I SAW MOMMY KISSING SANTACLAUS」をあのサウンドで完全コピー。
このほか同年代のアーティストとして渋谷系に入れるにはやや違和感がありますが、デイトオブバースのスペクターアプローチ
「虹のつり橋」。
無名なところではスーン「ミリオンイヤーズガーデナー」(子安次郎のディレクション)、綿内克幸「恋の500
0マイル」(吉田仁のプロデュース)が記憶に残ります。
冒頭に触れた鈴木惣一郎は『ペットサウンズ』〜ミレ
ニウム〜バンダイクパークス経由のサウンドで、どちらかと言えば”細野より
”でした。ただしプロデュースした小林美雪の『ガールズカレンダー』では『ナイアガラカレンダー』を意識した、と発言しています。
先述したとおり彼らのおかげで大滝の音楽作品へ向けた渇望感がやわらげられ、逆にわたしのなかの世代交代を進行させたことは事実です。彼らはわたしと同世代か、少し下の年代で、わたしと同じように「ナイアガラ」作品を聴いてきて、さらにそのバックボーンとなる70年代以前の音楽を知り、聴き進んで来たのだなあ、という印象でした。90年以降は大滝や山下達郎の世代では容易に手にできなかったというレコードの名作が、ぞくぞくとCD化、再発されて行き、幻の名盤がこんな片田舎に住む一介のリスナーの手にまで届けられるようになったのも大きな要因ではないかとも思っていました。
2001年春、ピチカートの「アクションペインティング」をれんたろうさんに紹介しようと久しぶりにレコードを取り出しクレジットを見て、「コーディネーション: kenichi MAKIMURA」という文字を発見。気にはとめていましたが、それ以外の場所で発見してしまったことでその意外性というかインパクトは比較的弱いものでした。この時点では「ノンスタンダードの牧村」という認識はありません。
2月ごろ岡崎友紀のアルバム『ドゥーユーリメンバーミー』を入手します。ドラマの主題歌として「ドゥーユーリメンバーミー」がカバーされ注目をあつめる直前に書籍「ソフトロック・インジャパン」を読み、それをリストに加藤和彦作品を捜索していたのだったと思います。これが牧村氏のプロデュースなのです。このアルバムはA面が全曲加藤作品で、B面には竹内まりやと大貫妙子の提供曲が1曲ずつ入っています。
加藤はデビュー当時のまりやに大きく関わっています。「ドリーム・オブユー」「戻っておいで私の時間」「不思議なピーチパイ」は加藤の提供曲でした。また大貫にはコンサートで共演したことや『ロマンティーク』の頃のヨーロピアン路線に影響を与えたことなどが古い雑誌「ミュージックステディー」を読み返してわかりました。そして『アバンチュール』と『ロマンティーク』のプロデューサーが牧村氏であることもです。大貫の古いレコードがそろっている中古屋へ行きジャケットをひっくり返して調べているとまりやのLPもあり、ついでに手にとって見ると『ユニバーシティーストリート』のクレジットにも牧村氏が。
整理します。この時点で「牧村とポリスター」、「牧村と加藤和彦とRCA」という点が浮かんできています。
2001年3月21日はわれわれナイアガラーにとって特別な意味を持つ日でした。84年大滝本人が言い放った「ナイアガラ予言」をしぶとく憶えていたナイアガラーたちがこの日を特別な日にしたからです。代わりに届けられたプレゼントは『ロンバケ』の20周年記念盤と書籍「オールアバウトナイアガラ」の加筆復刻版の発売でしたが、20年を経て発表されたこの2点には貴重な音源や情報が満載でした。そのなかでわたしにとって最もうれしく、一番衝撃的だったのはこの「オールアバウト〜」の『CMスペシャル』のライナーに牧村氏の名前があったことです。
「牧村憲一はシュガーベイブのマネージャーを経てCM音楽制作会社でナイアガラのCM作品に関わっていた」という記述です。
94年『ソングス』が再発され達郎がシュガーベイブ時代の曲だけで構成したイベントを行うなどで、「シュガーが渋谷系の祖である」的なコピーがメディアに踊っていた頃、今一つしっくりこないものを感じていました。しかし、これでようやく事実として受け止められ、先述した「牧村が日本のロックの〜」的な表現もけっして誇大なものではないと納得しました。
これで一段落したかに見えたこの「点と線」の物語がさらに展開したのはこの2001年の年末です。
テイチクが「ノンスタンダード」のカタログを復刻したのです。ピチカートとともにレーベルを彩ったワールドスタンダードやシショーネンは中古でも入手困難でこれまで聴いたことがなかったので、というのが購入動機っだったのですが、この1年の締めくくりにふさわしい買い物になりました。
このCDのライナーには「牧村氏が細野とともにノンスタンダードのプロデューサーだった」という記述とこのリイシューに寄せた本人のコメントまで載っていました。そのなかに、あの「はっぴいえんど再結成ライブ」に触れたくだりがあり、『THE HAPPY END』と「アクションペインティング」がより太い線でつながりました。
「ノンスタンダードのカタログではないけれど、実はあれは隠れノンスタンダードだ
からね。実際、音源作ったの細野さんだし、コーラスやってたのノンスタンダード勢
だから、歴史の中ではあれはアウトサイドにあるノンスタンダードなんです」(牧村
憲一)
ノンスタンダードのアーティストたちはポストテクノのフィールドから登場しましたが細野のルーツを辿っていくかの
ようにその後ポップスへ展開していきました。その帰り道のある地点に「はっぴいえんど再結成ライブ」のステージがあったということです。「さよならアメリカ〜」は”
はっぴいえんどMEETSバンダイクパークス”ですし。
「牧村とシュガーと大瀧」、そして「牧村と細野とピチカート」
これで<ナイアガラ〜まりや・大貫〜ノンスタンダード〜ポリスター>という日本のロック〜ニューミュージック〜Jポップの流れが牧村憲一という縦糸で一直線に結ばれていることが証明されたのです。
牧村氏の発言によるとYMOの細野を崇拝して集まった時点で彼らはすでにYMO以前の
細野作品にも精通していて、その音楽世界を誰よりも理解していたようです。それは
歴史の必然だったんですね、
しかし。
鈴木惣一郎によると85年の冬に鈴木と、小西、戸田、アーバンダンスの成田4人
がテイチクに呼ばれ「売れるものをやれ」と要請されたそうです。
耳新しいものから、わかりやすく親しみやすいものへ、ポップス回帰は自発的なもの
ではなく経営サイドからの外圧もあったようです。
皮肉にも最後まで売れることなくノンスタンダードは幕を閉じ、彼らがブレイクする
のは次に用意されたステージで、でした。
また、”牧村BOX”というレコードが100枚ぐらい入った段ボールがあっ
て、それを彼らのあいだでむさぼり聴いたそうです。その中身はテリーメルチャーの
ソロ、バリーマンのソロ、ミレニウム、イクイノックス関係などのおそらく当時入手
困難なポップスの宝箱だったようです。
そして”牧村BOX”は牧村氏のポリスター移籍とともにさらにその下の世代へと聴き継
がれていくことになります。まさに技は直伝されたのです。
それからというもの、今まで斜めに読んでいた鈴木惣一郎の著作「モンドミュージック」やサエキけんぞうの古い文章を引っぱり出して読み返しました。そして、そこにもう一つのサブストリームがあるように思えてきました。
さて、ハルメンズ〜パール兄弟のサエキけんぞうは「コロッケ5円の助」としてちょ
いと名の知れた「ゴーゴーナイアガラ」childrenでした。
当時交友があった野宮真貴、鈴木智文らとともに鈴木慶一、岡田徹の手を借りての
デビューでした。パール以前はポップス体験をいかにパンク〜ニューウェイブ通過後
の80年に打ち出すかに腐心したらしいですがパール兄弟では歌謡曲的であることを
テーマにしたそうです。
またピチカートはこの時期ポップス研究誌「リメンバー」の高護とファントムギフト
との関係で歌謡曲に急接近しています。
そのなかでこれまた「リメンバー」常連のサエキけんぞうとの共作も生まれていま
す。その研究成果はソリッドレコード『夢のアルバム』、細川ふみえなどのプロ
デュースにも結実しています。『夢のアルバム』にはその他ワールドスタンダードの
ボーカル大内美貴子や
元ハルメンズの上野耕路、また平井夏美が参加するなどまさに夢の共演が実現
しています。(『夢のアルバム』の本当の主役は平山みき、奥村チヨ、山本リンダら
往年のディーバと伊集加代子。ライナーは歌謡曲批評の大家『気分は歌謡曲』の
近田春夫とミニコミ『よいこの歌謡曲』の榊ひろと)
この企画の中心人物のひとり元ジューシーフルーツの沖山優司がからんで次に送り出
したのがネオGS『ミントサウンド・クリスマスアルバム』でした。このアルバムでは
小西がプロデュースすることになるファントムギフト、ヒッピーヒッピーシェイク
ス、
コレクターズやさらに無名のオリジナルラブ、ペイズリーブルーが参加していて
後の渋谷系の萌芽が見られます。
思い返せばノンスタンダードやムーンライダーズ周辺の「水族館レーベル」などはナイアガラと渋谷系をつなぐ点線であり、その後の「風街ミーティング」やトリビュート『HAPPY END PARADE』へのバイパスであったのでは、と思います。
ナイアガラでは70年代と違い『トライアングル2』以降は後輩アーティストとの活動がなくなります
がこのように「根を同じくする」細野、ムーンライダーズ、牧村、高らが代理として
ナイアガラ的世界を継承し、次世代への橋渡しをしたと言えます。
再び繰り返しますが、わたしは80年代半ばにナイアガラが休眠期間に入ってから90年代半ばまで渋谷系の作品を愛聴していました。そして世紀が改まり再度ナイアガラ再評価の時代が訪れたときにこのようないくつかの「点」と「点」が結ばれ一つの「線」になり、今また「円」を描くように最初の「点」につながって一つに結ばれた、ように感じています。
では、あらためて『THE HAPPY END』を聴いてみましょう。伝説の「sing a song children」を。
参考文献
『ザ ベスト オブ ノンスタンダード』 85 VA
『ダブルハピネス』 85 ワールドスタンダード
『Singin' Circuit』 85 SHI-SHONEN
『ルールーモナムール』 87 エブリシングプレイ
『A QUIET COUPLE』 95 ピチカートファイブ
『夢のアルバム』 88 VA
以上のライナーノーツ
書籍『オールアバウトナイアガラ』
書籍『モンドミュージック』『モンドミュージック2』リブロポート
書籍『前略小沢健二様』太田出版
雑誌「リメンバー」10号、12号SFC音楽出版
雑誌「テッチー」88年3月、9月、10月、12月号音楽の友社
雑誌「ミュージックステディー」83年3月号ステディ出版
雑誌「サウンドレコーディングマガジン」88年3月号リットミュージック
雑誌「スタジオボイス」2001年2月号
松本 晴張(まつもとはれはれ) 「点と線」「砂の器」などを残した日本推理小説界の巨人松本清張ではなく、謎のミュージシャン松本晴臣を師と仰ぐ変人。テーマ曲はパール兄弟の「ハレハレ」だという。
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