細田哲晶の個人的5曲
 5位 「暑中お見舞い申し上げます」
 4位 「春一番」
キャンディーズ歌謡の真骨頂はこの2曲のようなプラトニックな歌詞とハイテンションなメロディーですね。なかなかのスピード感です。

 

 3位 「やさしい悪魔」
ピークがピンクレディーと重なったために必然的に比較され、解散を加速させてしまったような・・・セールスの記録を比較するとピンクレディーの異常事態がよくわかります。「微笑がえし」(83万枚)以前に40万以上のヒットがないのです。

 

 2位「あなたに夢中」
森田公一の作曲のデビュー曲でスーちゃんがリードをとっています。そのへんも”一からげ”的なガールグループの危うさでもあります。

 

 1位「ラッキーチャンスを逃さないで」
これはシングルではないと思いますがテレビ番組「プロポーズ大作戦」のテーマでした。 これも能天気な恋愛応援ソング。あ、彼女たちはチアガールだったんだ。
 
 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 細田哲晶の余談
「ミッドナイトトレイン」と「にがい涙」は同じ日同じスタジオで録音されたとされ、そこで筒美チームのディレクターCBSソニーの白川隆三と松本がはじめて出会ったそうです。
 
和製フィリーサウンドの
おすすめ1
桑名正博「哀愁トゥナイト」筒美作品でバックは高橋幸宏、後藤次利

 

おすすめ2
アンルイス「ALONE IN THE DARK」吉田美奈子の詞曲で編曲は達郎

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 宮川泰の仕事

 

「恋のバカンス」「ふりむかないで」「ウナセラディ東京」の作曲にとどまらず、その他のほとんどのシングル曲の編曲を担当しているようです。
「ルイジアナママ」「ダイアナ」「バケーション」「可愛いベビー」など翻訳ポップスが全盛の時代に、「スキヤキ」の中村八大とともに洋楽オリジナルに対抗しうる良質なポップスを書いていますね。「シビレ節」もね。

 

 

 

 

 

細田哲晶の余談
最初に買ったベストLPは82年冬だったんですが当時は買う前に試聴させてもらえたんですよね。「OH YEAH MAYBE BABY」のイントロは衝撃的でしたね。「UP TOWN」にしろパーカッションの使い方が異質で、これを聴いた友人は「民俗音楽か?」と言いました。

 

そういえば「THEN HE KISSED ME」こっちもこのLPで聴くとイントロのギターがクリアに聞こえるんですね。というか『BACK TO MONO』BOXのモノミックスが篭っていてCD聴いた時はアレって感じでした。LPのはステレオマスターだったんですね。

 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 

細田哲晶の余談
彼女たちもすでに30代後半、渡辺満里奈、城之内早苗が最近結婚して、残すは国生の幸せを祈るのみですね。
国生と言えばロンドンハーツの「格付けし合う女たち」の最長老として毒を吐いています。現在のおニャン子の配偶者を勝手に格付けしてみましょう。
勝ち組1位はまず高井麻巳子かな。2位は工藤静香、キムタクはまだ10年は安泰でしょう。3位は城之内かな(キー局のプロデューサーらしい)、次に河合その子、次が満里奈。そうそう中島美春のダンナはとんねるずマネージャーのボブらしいですよ。
おニャン子20周年企画へ

 

 

 

 

 

 

 

 

細田哲晶の余談
達郎の「ボンバー」がディスコで火が点いたのも78年。邦楽でディスコ発信というのはこれが最初ではないですか、その後もあまり聞かないですし。有線で火が点くのがふつうです。
アラベスクは81年アーティスト別年間セールスの6位です。もちろん日本の。記憶では80年だったような気がしていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

寺尾美育の余談
 
エリー・グリニッジ追悼でもあります。
09年「JGシリーズ」に頻出したテーマ
童謡、俗謡、小唄、お囃子、語りもの・・・素人が直感的に作ったメロディー、口をついて出てくるフレーズ
エリーと遠藤実
ドーナツ・ソングの織り込み童謡・・・
 
アメリカは人種・民族的な背景も大きいですけど、こういうカウンターの受け皿は原初的にあるんでしょうね。

 

 

女だらけの紅紅歌合戦

 

ロネッツ/キャンディーズ

 

ロネッツ(63~66)

ヴェロニカを中心に妹エステルと従姉妹ネドラの3人で1956年結成。ナイトクラブのダンサーだったところをドンカシューナーがスカウト、さらにフィルスペクターに見出され63年再デビュー。

代表曲は「BE MY BABY」(2位)、「BABY I LOVE YOU」(24位)、「DO I LOVE YOU」(34位)、「WALKIN' IN THE RAIN」(23位)

彼女らがスポットライトを浴びたのはスペクターのサウンドが時代の聴衆を捕らえたからであって、決して彼女たち自身の歌声や容姿がそうさせたのではなかった。たまたまWALL OF SOUNDの完成にタイミングよく歌い手が発見されただけである。ようするにまず企画ありき。これがガールグループの宿命である。

ただし現在、スペクターと言えばまちがいなくロネッツの「BE MY BABY」であり、ガールグループと言えばまちがいなくビーハイブの3人娘が舌足らずに甘ったるく歌う「BE MY BABY」なのだ。

また、「BE MY BABY」は女の子が歌う最初のR&Rであり、言い換えればロニーは史上初のFEMALE R&R シンガーと言えないだろうか。

ロニーは68年スペクターと結婚し74年離婚したが近年もロニースペクターの名で活動している。

 


 

キャンディーズ(73~78)

伊藤蘭、田中好子、藤村美樹により1972年結成、73年9月デビュー。77年解散宣言。78年4月解散。

代表曲は「年下の男の子」(9位)、「春一番」(3位)、「やさしい悪魔」(4位)、「暑中お見舞い申し上げます」(5位)、「微笑がえし」(1位)

いわゆる女性アイドルの中で最も印象深い3人組ではないだろうか。渡辺プロが天地真理、小柳ルミ子、アグネスチャンらのアイドル路線の複製とティーンマーケットの拡大を狙ってスクールメイツの中から抜擢したと言われる。(太田裕美を加えた4人組構想もあったようだ) 複製と拡大再生産は、ようするにガールグループの成立理由/企画意図の典型である。

バラエティー番組で見せたコミカルな一面やアドリブの「普通の女の子」的なせりふは、普通の男の子にとって最初の等身大アイドルとなった。

また解散カード「=引退」を最大の販促手法として切った最初のアーティストでもある。

 

 *1

 

スリーディグリーズ/スピード

 

スリーディグリーズ(64~)

67年フェイエット、シーラ、ヴァレリーにメンバーが固定。60年代中期から活動するがブレイクするのは73年フィラデルフィア・インターナショナルへ移籍してから。

ケニー・ギャンブル&レオン・ハフがプロデュースしたフィリーソウルの成功でソウルミュージックの中心がモータウンのデトロイトからフィラデルフィアに移った。彼らはイントゥルーダーズ、オージェイズらボーカルグループをM・F・S・Bという管・弦をふくむ大編成の専属セッションミュージシャンをバックに洗練された都会的なダンスミュージックをプロデュースしていった。

代表曲は「荒野のならず者」58位、「ソウルトレインのテーマ」1位、「天使のささやき」2位、「愛はメッセージ」85位。(ビルボード)

上記は日本でもヒットし、来日制作盤として松本/細野の「ミッドナイトトレイン」が50位、安井/筒美の「にがい涙」も15位を記録している。(オリコン)

スリーディグリーズはダンスミュージックのその後の女性ボーカルグループの先駆者として60年代から70年代を橋渡しした。

 


 

スピード(96~00)

島袋寛子、今井絵理子、上原多香子、新垣仁絵の4人組。95年12月、安室奈美恵、マックスの妹分として結成、96年8月デビュー、2000年3月解散。

「STEADY」(2位)、「WHITE LOVE」(1位)、「MY GURADUATION」(1位)、「ALL MY TRUE LOVE」(1位)のいずれも100万枚を突破、アルバム『RISE』、『MOMENT』をそれぞれ200万枚以上売り上げたのは女性アイドルグループでは初。

90年代に入り久しく歌謡アイドルの流れが途絶えていたがスピードとパフィーの登場がガールグループの新たな進化形を示した。90年代歌謡アイドルの代用品となったのはまずビーイング一派の女性版であるところのザード、中山美穂&ワンズ、相川七瀬。次に小室ファミリーの女性陣であるところの篠原涼子、華原朋美、安室奈美恵ではなかったか。スピードはさらにTRF以降に登場したボーカル&ダンスユニットの延長線上にもあり、このJ-POPのマーケットをローティーンを狙ってシフトダウンして生まれたまさに妹分なのである。

また彼らを輩出した沖縄アクターズスクール勢はさらに勢力を拡大し音楽界に空前の沖縄ブームをもたらした。

 

 *2

 

シレルズ/ピーナッツ 

 

シレルズ(58~)

ハイスクールの同級生シャーリー、アディ、ドリス、ビヴァリーの4人で結成。58年デビュー。

代表曲「DEDICATED TO THE ONE I LOVE」(3位)「WILL YOU STILL LOVE ME TOMORROW」(1位)「BABY IT'S YOU」(8位)「SOLDIER BOY」(1位)「FOOLISH LITTLE GIRL」(4位) 60~63の4年間に毎年トップ10ヒットを飛ばし、当時のガールグループとしては驚異的な成果を上げている。

実力のあるプロデューサーと新進のソングライターがポップソングを量産する”プロジェクトとしてのガールグループ”の先駆。それ以前はジャズでありポピュラーミュージックのコーラスグループ。もしくはリズムアンドブルースから派生したドゥーワップであり、ガールグループというカテゴリーはシレルズ以前にはない。

ジョンレノンがファンクラブの会員だったことは有名で、ミュージシャンから熱狂的に支持されたグループだった。ビートルズ、フォーシーズンズ、スプリング、ローラニーロ、山下達郎など、多くのレパートリーが後のロック系アーティストからカバーされている。

 


 

ピーナッツ(59~75)

伊東ユミとエミの双子デュオ。

代表曲は「情熱の花」「恋のバカンス」「ふりむかないで」「モスラの歌」など有名曲多数。しかしオリコンが67年スタートなので「恋のフーガ」(29位)以降の成績しか記録はない。

テレビ時代の申し子。日本の音楽バラエティー番組の元祖、「ザ・ヒットパレード」(59~)でスタートからレギュラーに。「シャボン玉ホリデー」(61~)はピーナッツを主役に企画されたという。

双子はアーティストとして成功の大きな条件である。まず声、姉妹のハーモニーが美しいことは納得できるし、ビジュアル面では、反復やシンメトリーは平面構成の基本でもある。銀幕のスターからブラウン管のアイドルへ。歌手でありながら視覚的にアピールしうるに充分な素材である。

それは後にリンリンランラン、リリーズの本物の双子からウインク、辻・加護のような擬似双生児まで、ツインデュオが続々と登場したことで証明できるだろう。

*3

 

 

クリスタルズ/少女隊

 

クリスタルズ(61~66)

ディーディー、ララ、メアリー、バーバラ、パットの5人組。フィルスペクターのフィレスレコードから61年再デビュー。

「HE'S A REBEL」(1位)、 「HE'S SURE THE BOY I LOVE」(11位)、「DA DOO RON RON」(3位)、「THEN HE KISSED ME」(6位)はいずれもWALL OF SOUNDの代表曲。

新進気鋭のソングライターとともに曲を練り上げ、レコーディングの現場を独裁、作品に関するすべての権利を手中に収める、というスペクターの妄想を実現させた最初のアーティスト。

フィレスでのリリースが成功しクリスタルズも一躍R&Rアイドルとして脚光を浴びたが、実際は「DA DOO~」以前の曲はまったく別のグループによってレコーディングされたもので、「クリスタルズ」の名は結果的に一連のプロジェクトの総称であったと言える。 コニーフランシスなどの「ソロシンガー」とも、ビートルズなどの「バンド」とも違う、「ガールグループの時代」を象徴するエピソードである。

 


 

少女隊(84~89)

安原麗子、藍田美豊、市川三恵子の3人でデビュー。85年市川に替わり引田智子が加入。代表曲は「素直になってダーリン」14位、「ByeByeガール」13位など。

80年代前半までのガールグループは多かれ少なかれキャンディーズかピンクレディーのフォロワーだったのに対し、このころから制作側のコンセプトはよりマニアックなものへと多様化していく。

固有のパーソナリティーよりも与えられたキャラクターが重視され、プロフィールにしばられず、いつもストーリーのなかの登場人物を演じた『プロジェクト少女隊』が記憶に残る。米ビルボード誌に広告を打つなどのデビュープロモーションに40億を投じたことも話題になったように、活動はレコードやテレビ出演よりもイメージビデオ、映画など映像作品にウェイトを置き、その洗練されたアートディレクションや衣装もこれまでのアイドルと一線を隔すものだった。

残念ながら当初のコンセプトはメンバーチェンジと期を同じくして終息し、キャリアの後半はアイドルとしては平凡なものだった。

*4

 

 

ハニーズ/うしろ指さされ組

 

ハニーズ(63~69)

マリアン、ダイアンのローベル姉妹と従姉妹のジンジャーとの3人組。ジンジャーのボーイフレンドのゲイリーアッシャーがブライアンウィルソンにグループを紹介、全米ヒットは逃したが4枚のシングルはすべてブライアンが実質的にプロデュースした。

有能なライター/アレンジャーが自分のサウンドスタイルを用いてガールシンガーやグループを手がける例は多々あるが、そのライター/アレンジャーが同時に人気アーティスト/ロックスターでもあるというケースも少なくない。

一定の成功を収めた彼らがプロデューサーとして多角経営を打ち出す時、その定番商品がガールグループだった。そして時にガールグループは”プロデューサー’S ペット”でもあった。

実際ブライアンとマリリンが後に結婚したように、プロデューサーとそのシンガーが職場結婚するケースは後を立たない。

 


 

うしろ指さされ組(85~87)

高井麻巳子、岩井由紀子の二人組。おニャン子クラブのソロプロジェクトから第2弾として、アニメ「ハイスクール奇面組」の主題歌「うしろ指さされ組」でデビュー。つまり結成からテレビ番組にタイアップした企画ものだった。

代表曲は「バナナの涙」「象さんのすきゃんてぃー」「渚の『・・・』」など1位獲得曲が5曲。

1年間で大増殖したおニャン子は清純派から異端児までラインナップしスタジオの箱庭にアイドル界の縮図を見せたが、そのなかでうしろ指はノベルティータイプ/コミック路線を一貫して担った。

デュオ結成から1年を待たず86年6月ソロデビューし、おニャン子で、うしろ指で、ソロで、と3足のわらじでメインを張り厚遇された高井は、案の定秋元康と結婚した。岩井は87年2月解散後に、ゆうゆとしてデビュー。

 6

 

 

 

アラベスク/ウインク

 

アラベスク(78~85)

メリー、カレン、ミシェーラの3人でデビュー。数回のメンバーチェンジを経て79年ミシェーラ、ジャスミン、サンドラにメンバーが定着した。                                 ハロー・ミスター・モンキー8位、フライディ・ナイト20位、恋にメリーゴーランド13位。(いずれもオリコン)

アラベスクの登場には二つの布石があった。一つはディスコの存在。もう一つはアバに始まる非英語圏のポップミュージックの出現である。

ヒット映画「サタデイナイトフィーバー」以降ポップスの発火点としてディスコが注目を浴びた。ラジオやレコードで個人で室内で楽しむだけの音楽から、踊れて集団で盛り上がれる曲が夜の街から発信された。そのなかで二人の女性ボーカルとハーモニーを強調したディスコサウンドでスウェーデンからやって来たダンシングクイーンがアバである。

彼らとミュンヘンサウンドとも呼ばれた西ドイツ製のポップスは、特に日本人好みのメロディーとアメリカやイギリス製のポップスにないエキゾチシズムで全世界を席巻した。複数の女性ボーカルをフロントにした男女混成グループが多い中、アラベスクは70年代から80年代を代表するガールグループとしてチャートに君臨した。

 


 

ウインク(88~95)

相田翔子、鈴木早智子のデュオ。                  「愛が止まらない」「涙をみせないで」「淋しい熱帯魚」「ONE NIGHT IN HEAVEN」「SEXY MUSIC」の全てが1位。

ポストおニャン子の時代に登場しティーンエイジャーのリアリズムから、フィクショナルな偶像として再び対極へ揺り戻し、プレおニャン子的なヒラヒラの揃いの衣装で無表情に「お人形」を演じきった。

ファンの心を捕らえたのは新しいサウンドであったかもしれない。80年代半ばを過ぎての洋楽のトレンドになったのはユーロビートと呼ばれたダンスミュージックだった。荻野目洋子、長山洋子、Babeとユーロビート路線がヒットし、この延長線上で徹底してカバーに挑んだのがウインクである。

90年「ザベストテン」などの人気歌番組が一斉に終了しテレビを舞台とした歌謡曲が終焉した。そして彼らがガールグループが百花繚乱を競った80年代の幕を引いた。

 

 

 

ディキシーカップス/わらべ

 

45

45年前、全米トップ1に躍り出たガールグループ。

 

ディキシーカップス(64~)

ニューオーリンズ出身のバーバラ・アン・ホーキンズとローザ・リ

ー・ホーキンズの姉妹に従姉妹のジョアン・マリー・ジョンソンの

3人組。

1964年レッド・バード・レーベルより、1stシングル「Chapel of Love」をリリース。これがR&Bチャートのトップに輝く。

 

モータウンやフィレスの成功をヒントにポップス黄金時代のライター&プロデュース・コンビ、レイバー&ストーラが、プロ中のプロの耳と手腕で満を持して展開した「レッド・バード」は、都会派ヤンキー系のシャングリラスと、ロリポップ・南部娘のディキシーカップスの2トップを擁した。

 

「Hanky Panky」「Da Doo Ron Ron」「Do Wah Diddy Diddy」など「わらべ唄」ポップスを得意とするメイン作家のエリー・グリニッジ&ジェフ・バリーは、牧歌的な「People Say」(12位)「Little Bell」(51位)などをつづけて提供。また、ネイティヴ・アメリカンの祭礼を歌ったニューオーリンズの民謡「Iko Iko」(20位)もカヴァーし大ヒットさせた。

 


 

四半世紀前の1984年。最大のヒット曲と言えば、

 

わらべ(82~85)

1982年ホーム・ドラマ形式のヴァラエティー『欽ちゃんのどこまでやるの!?』の擬似家族の姉妹役、萩本のぞみ、かなえ、たまえとして高部知子、 倉沢淳美、高橋真美の3人で結成。

萩本とともにコメディーを演じるかたわら、エンディング挿入歌「めだかの兄妹」(最高位3位)で、レコード・デビュー。

高部の不祥事スクープ、脱退のトラブルを乗り越えて、2ndシン

グル「もしも明日が…。」も連続ヒット。

「もしも明日が…。」(同1位)は、84年年間トップ1。唯一の100万枚ディスクで、以降ミリオンは88年の「ダイアモンド」「とんぼ」まで4年間なく、6週連続1位は年間最多首位であり、6週間以上のロングセラーはこの年代から以後4年、同様に出ていない。

松田聖子、薬師丸ひろ子や82年組など、女性アイドル歌手は80年代のピークを迎えていたが、清純派もアダルト路線も、笑顔と水着で男子中高生特有の需要に応えていたのに対し、わらべの商品ポジションは、欽ちゃんや中高生の親世代の共同幻想を裏切らない、はずだった。

その証左として上記2曲は、現代の「わらべ唄」として幼稚園児のお遊戯にも取り上げられた、芸能ビジネスの低年齢化と複製再生産・営利主義へのカウンター。

親子、師弟や故郷、友情や詩情などをその素朴な歌声に託し、大きな支持を得たのだ。

 

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細田哲晶の個人的5曲
 5位「風立ちぬ」ロニースペクター
92年逆カバーブームに乗って企画された珍品。

 

 4位「Take Me Home Tonight」 エディーマネー
曲の中盤からロニーが登場。サンプリング全盛の90年代を予見する名曲。

 

 3位「Don't Worry Baby」
ビーチボーイズのこの曲は「BE MY BABY」の続編としてブライアンがスペクターに捧げた曲。98年ついにロニーが歌ってブライアンが歓喜したという名曲。
 
 2位 「WALKING IN THE RAIN」
スペクター自身が成長してよりアダルトなマン&ウェイルの曲が採用されるようになり、ロネッツで表現できなくなった曲に起用されることになったシンガーはライチャスブラザースでした。

 

 1位「DO I LOVE YOU」
「恋なのかしら・・・」という10代特有の心の揺れをロニーのビブラートがせつなく奏でます。マイ most favorite イントロです。

  

 

 

 

 

 

細田哲晶の余談
その1
スピードのデータがなかったのでネット検索したり図書館へ行ったりで調べてみました。
売り上げ枚数については年代によって桁違いに差があり、歴代セールスランキングの上位はほとんどこの90年代中期の作品で占められます。1位獲得週数も80年前と後では全然意味が違っていますね。

 

その2
結局90年代のはじめにアイドルがロック系に行ってしまうんです。渡辺美里、プリプリ、リンドバーグは歌謡系のオーディション出身だったような。それをうけて左記の流れがあって。

 

その3
デビュー時hiroが小学生だったという点。沖縄といえばフィンガー5もいましたがガールグループがここからぐっと低年齢化していくことになります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ガールグループをカバーした
アーティスト
 
左に上げたヒット曲
「DEDICATED TO ~」は
達郎が『オンスト3』で
「WILL YOU STILL ~」は
フォーシーズンズが
「BABY IT'S YOU」はビートルズが
他にも
「I MET HIM ON A  SUNDAY」を
ローラニーロが
「MAMA SAID」を
ブライアンウィルソンがスプリングで取り上げています。

 

ビートルズはクッキーズ「CHAINS」、マーベレッツの「PLEASE Mr. POSTMAN」もカバーしています。
かたやビーチボーイズは「THERE'S NO OTHER」「THEN HE KISSED ME」のクリスタルズや「I'M SO YOUNG」「I CAN HEAR THE MUSIC」のロネッツがお好みで。  
 
ああミックジャガーはマーサ&バンデラスの「DANCING IN THE STREET」をデビットボウイとやっていましたね。こちらにも追記します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 細田哲晶の余談
デビューからメンバーチェンジまで熱心にフォローした個人的に思い入れが強いグループ。最初に買ったCDはたしか少女隊。86年のことです。

 

セイントフォー、スターボー、わらべ・・・いずれもメインストリームとは言えないが、同じく亜流だったおかわりシスターズのなかからおニャン子が登場したのはわずか1年後です。

 

12インチシングル「ESCAPE」はサンプリングされた3人の声がわずかに挿入されたインストナンバーながら少女隊の名で発表されたんです。
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 細田哲晶の余談
マリリンウィルソンの残した最も有名な作品はカーニー&ウェンディの姉妹、ウィルソンフィリップスですね。
ハニーズの歌声を一番簡単に聴こうとするならビーチボーイズの「BE TRUE TO YOUR SCHOOL」をおすすめします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

細田哲晶の余談
ウインクはデビュー曲「SUGAR BABY LOVE」に見られるようにファーストアルバムでは「NAVY BLUE」「BYE BYE BABY」「DANCE WITH ME」など70年代以前の英米ポップスをカバーしていたんですよね。その意味では「風立ちぬ」フォロワーの80年代的アイドル歌謡の”しっぽ”だったかもしれません。91年の『QUEEN OF LOVE』で「FUN FUN FUN」もやっています。
ウインク、合コンのカラオケで歌ってたよなあ。89年のことです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

寺尾美育の余談

 

その前の6週以上首位は83年6~7月「探偵物語」のようです。ここを境に連続1位獲得曲は少なくなり、80年代の前半後半がはっきり分かれてます。
大瀧さん曰く「桃太郎が何人もいる」1位を業界で順送りで分け合う時代、ヒット曲は以前よりもさらに使い捨て、賞味期限が短くなります。

 

「ハイスクール・ララバイ」は、舟木一夫。「わらべ」は森昌子でしょうか。欽ちゃんとしては、そんな「日本人の忘れもの」を信じたかったんだと思います。
まあ、わらべは破綻はしましたけど、細川たかしの「北酒場」の大衆性を見抜いて「欽どこ」から大ヒットさせてますね。