WHAT'S NEW PIZZICATO ?

 

 

 

 

 

 

ピチカートファイヴについて書いてみます。

以前「点と線と円」で牧村憲一を中心に書いたとき重要人物として触れています。彼らについては大滝や達郎と同じように、ひとくちで語れないというか、いざとなるとすらすら書けないのです。対象が大きすぎてです。

レギュラーリーダーの皆さまや、これまで交流したナイアガラーの皆さまのほとんどが、このピチカートについてはどうも馴染みが薄いようです。(いったい「ルビイ」の後なに聴いていたんでしょう)。

今回は40代ナイアガラーのためのピチカート入門として読んでください。すらすら書けないので、思いついたことから順に書いていきますのでまとまりはないと思います。あしからず。

 

まず”世代”という観点で見てみましょう。

以前書いたように彼らは1985年の「はっぴいえんど再結成」のステージでデビューしました。大滝自身がCHILDRENと呼んだようにずいぶん下の世代という印象があります。

中心メンバーの小西康陽は(ほとんどピチカート=小西で語ってしまうのですが)1959年生まれ。26歳だったんですね。ほぼ同学年のアーティストとしては角松、EPOなどがすでに活躍していました。また同じく社会人入団選手として元春(56年生)がいますが24歳のデビューです。

大滝(48年生)から数えると、達郎(53年生)小西(59年生)わたし(64年生)黒沢健一(69年生)というほぼ5年差の世代クラスターに運命的なものを感じてしまいます。(笑)

残念ながら堂島孝平とキンモクセイのメンバーは76年生まれ。わたしがこの列に入るのは冗談で64~5年生れをあげると、野村義男と奥田民生がいました。

結論。「渋谷系」の割には年食っていたんです。要は達郎のすぐ下の世代なのです。”大滝-達郎”の系譜の線上に登場した。というのが結論かもしれません。

 

小西と”大滝-達郎”、双方に関係した人物を挙げていきます、と、その人たちが”大滝-達郎”へと同じように小西を高く評価した、と感じられます。

細野晴臣、長門芳郎、牧村憲一、朝妻一郎、吉田保、杉真理、伊集加代子。あとは大滝に関係した人物としてサエキけんぞう、河合マイケル、渡辺満里奈、市川美和子、CBSソニー、日本コロムビア・・・。

 

細野晴臣 ノンスタンダードレベールプロデューサーとしてテイチク時代の12inchEP 2枚に関与。ベースも弾いている。この人脈で「ALL TOGETHER NOW」ではっぴいえんどのバックコーラスを務める。また細野は91年コロムビア移籍後のアルバム『女性上位時代』にも参加している。84年細野が小西のデモテープを最初聴いた時、「僕よりも大滝や山下がやったほうがいいんじゃないの」と言ったらしい。

長門芳郎 ノンスタンダードのデビューからソニー時代を通じてスーパーバイザーやアソシエイトプロデューサーなどでクレジット。ピチカート結成前から親交があり、件のデモテープの橋渡しをしたのも彼であろう。小西の青学在学期間と長門のパイドパイパーハウス在籍期間がちょうど重なっている。

牧村憲一 ノンスタンダードのエクゼクティブプロデューサーとしてデビューをサポート。93年小山田圭吾を共同プロデューサーに迎えた『ボサノヴァ2001』にも当然関与した。

朝妻一郎 ソニー移籍時に長門を介して面会し後見人を快諾。87年以降フジテレビドラマ「キスより簡単」「おひまなら来てよね」「抱きしめたい」「学校へ行こう」の音楽を発注するなどのアシストもあった。95年『カップルズ・インストゥルメンタル集』のライナーに朝妻&長門の対談収録。

吉田保 ソニー時代のミックスを担当。一聴してわかる『ロンバケ』や『ライドオンタイム』と同じふくよかな音像がわたしをピチカートマニアに導き入れた。

杉真理 オムニバス『ウインターラウンジ』(86年)、『サマーラウンジ』(87年)で共演。90年「僕のピンナップガール」は小西・高浪が編曲・オーケストレイションを担当した。楠瀬誠志郎も参加した『ウインターラウンジ』は有力若手アーティストの”トライアングル”的見本市だった。

 

思えば最初に小西の名前を見たのは活字でした。音楽誌のレビュー、おそらく筒美京平かバカラックを評した文章だったと思います。以前書いたとおりレココレやサウンドレコーディングマガジンへの寄稿も印象的でした。ですから大滝や達郎と同じように、古き良き音楽の紹介者として小西を認知した、というのが正直なところです。

巧妙なのはこの記述の中でさりげなく自作ピチカートのレコードを紹介していたのです、何度もです。で、活字で見た「キスキスバンバン」や『カップルズ』を聴きたいと思うに至ったのが事実なのです。たとえば。

 

~本当にぼくがこのような文章を書いてよいものかと疑いたくなります。できるなら朝妻一郎氏か長門芳郎氏、あるいはあの幻の名番組「ゴーゴーナイアガラ」でこの素晴らしいグループをはじめてぼくの耳に届けて下さった大瀧詠一氏のように、ポップスの全てを知り尽くした大先輩による詳細な「スモールサークルオブフレンズ物語」を読ませていただく側にまわりたいほどですが~

~リーダーであった彼は~~このアルバムの制作当時は26~27歳でだったという計算で、今年(87年)にはじめて自分たちのグループ、ピチカートファイヴのアルバムを作ったぼくや、メンバーの高浪くんとほぼ同じ年齢だったことになります。~

これはレビュアーとしての出世作『ロジャーニコルズ&ザ・スモールサークル オブ フレンズ』のライナーです。

 

もちろん音楽の紹介者の古典的なかたちはDJですね。

DJの定義は90年代にずいぶん変容しましたが、手法や場所を変えながらも小西がピチカートの作品に最後まで貫いたのがDJ的なスタンスでした。曲のセレクトと”つなぎ”でリスナー/オーディエンスを、沸かせ、躍らせ、泣かす・・・そしてサンプリングという引用/編集。とくにコロムビア移籍後のアルバムはDJが曲をつなぐように構成されていました。30代の方なら大きくうなずかれると思います。

DJとして大滝や達郎がラジオから発信してきた功績はいわずもがなです。そして名曲のカバー、愛ある引用(オマージュ)・・・

 

DJ、編集者、そして小西の指揮者、監督というスタンスにも注目してみます。

ご存知でしたかピチカートはメインボーカルが3人いました、つまり戦略上2度交代させています。また末期はほとんどゲストがメインを務めていました。さらに大半の作品はメンバー以外のミュージシャンで録音される、ライブではメンバーは楽器を演奏しない、88~90年「グループ=バンド」という時代にこんなにバンドらしからぬグループの登場は異端でした。リーダーというよりも悪徳マネージャー=”黒幕”のいかがわしさを漂わせていましたね。

「ソロであるにもかかわらずグループのような名前のアーティスト」がのちにいろいろ出てきますが、その先駆者として最終的にピチカートが小西のソロプロジェクトだったのではないか、という結論に達します。

いえ、もっと深読みすれば、ナイアガラがシリアポールや村松邦男と駒沢裕城をフィーチャーして多羅尾を出した、というレーベルビルディングを再現したようにも思えます。(新作のボーカルがいきなり布谷文夫だったらびっくりしたでしょうね。)

 

最後のアルバムとなった『さえらジャポン』。

このアルバムでは松崎しげる、雪村いずみ、横山剣などのボーカリストやラッパーとコラボレイションしており、いつにもましてバラエティーな内容になっていました。が、実際のところ、野宮真貴すらその登場人物に成り下がってしまい、ピチカート”5”と名乗りながらメンバーがどんどん減っていって、そして誰もいなくなった・・・ような淋しさにおそわれたのはわたしだけでしょうか。

これ小西にとっての『レッツオンドアゲン』なのではないでしょうか。最初は気付きませんでしたが、また聴いてみてそう思いました。ディスカバージャパン的なテーマにしろ、最後のどんちゃん騒ぎ的な内容にしろ・・・。

ラストトラックがあの「愛餓を」です。2001年までサウンド オブ トーキョー、日本代表として海外でもやってきて、最後の最後が日本語の「ABCの歌」です(笑)。

海外のファンからみても原点回帰がわかったと思いますが、我々オールドピチカートマニアにとっても原点回帰。「さよならニッポンさよならアメリカ」のコーラスでデビューした彼らですから。

 

最後に「ニューミュージックマガジン」01年6月号の高橋健太郎のテキストより引用します。高橋はナイアガラにおける萩原健太のようなレビュアーのようです。

~ところで、変わり続けていく音楽家の代表といえば、それは細野晴臣だろう。日本の中だけでなく、世界を見回しても、細野ほど変わり続けていきながら、常に自分自身でもあり続ける音楽家を僕は見たことがない。そんな細野晴臣の加護のもと、ピチカートファイヴはレコードデビューしている。

一方、変わらない音楽家といえば、大滝詠一・・・では寡作すぎるから、ここではその大滝の加護のもと、レコードデビューした山下達郎にしよう。ひどく乱暴な図式化を許してもらえば、ある時から、ピチカートファイヴは細野晴臣的な変わり続ける音楽家の在り方よりも、山下達郎的な変わらない音楽家の在り方にシフトしたと言えるかもしれない。ワンコンセプトをひたすらヴァージョンアップさせていくようなやり方。ただし、山下のような音楽家と明らかに違っていたのは、山下の場合は指標とするスタンダードが不変であったのに対して、ピチカートファイヴ、というより小西の場合は、自身のとてつもなく幅広い音楽嗜好を一度対象化した、エディトリアル的音楽への立ち向かい方において、不変に到達したというところだろう。~

 

 

現在入手可能なピチカート10選

 

ピチカート・ファイヴ’85 

TECN-22731 \2200 ノンスタンダード時代のアンソロジー

ウインターラウンジ 

SRCL-5492/3 \3,360 ソニー移籍直後参加したクリスマスアルバム

カップルズ

MHCL-363 \2310 5年後の渋谷系を予期した記念碑的名盤

月面軟着陸

MHCL-366 \2310 ソニー期のリミックスベストで「指切り」収録

アンティーク96 

SRCL-3370 \3059 10周年に出たソニー期のアンソロジー

this year’s girl 

COCA-50371 \2625 『女性上位時代』の再発で細野のカバー「パーティー」収録

bossa nova 2001 

COCA-50373 \2625 『ボサノヴァ2001』の再発 渋谷系のサマー オブ ラブ

さ・え・ら ジャポン

COCP-50460 \3059 ピチカートの大団円 「愛餓を」収録

singles 

COCP-50630~1 \3675 コロムビア期のアンソロジー

きみになりたい。

RMCA-1013\2,940 女性シンガーに提供した小西作品集

 

 

 

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