『UNFINISHED  SYMPHONY』

 

 

 

 

 


「熱き心に」20周年です。というよりその小林旭の芸能生活50周年で今年は盛り上がっていました。日活映画の代表作が復刻されると共に、歌手としての、とくに近年はポップシンガーとしての横顔にもスポットが当たりコンサートツアーも盛況だったようです。

「熱き心に」は20年後の今も代表曲として歌い続けられ、また自伝のタイトルになったり小林旭にとって特別な作品になっています。

 

 

ちょうど1年前「フィヨルドの少女」を研究しました。この章の最後に掲げた画像は「熱き心に」のジャケットのものです。

入江を見下ろす岬と後姿の男のイメージが「フィヨルド」のテーマと同じものを描いているからです。

 

今回の特集は『イーチタイム』の終わらない物語の後日談です。まず1年を経て新たに分かった事実の訂正から。

 

 

タモリのアルバムの件。                          わたしの記憶に残っていた『タモリ3』は、たしかに発売直前に発禁になり、新星堂のみで限定販売されたものですが、大瀧の関わったものとは別ものでした。

「サブマリン」と「リビエラ」。                        曲提供作品の裏面関係を推理していましたが、「イエローサブマリン音頭」の裏面を指摘していませんでした。これは「リビエラ」ですね。発売日が同じでレコード番号がSV-7269と7270でつづきです。

「A面」/「うなずき」

「リビエラ」/「サブマリン」

「熱き心に」/「実年」

というセット。

松本の85~87年。                             小説「微熱少年」が85年11月で、映画は86年に制作して公開が87年4月です。映画ではレベッカ、関口誠人、東南西北、CLAXONなどの劇中歌を書き下ろしています。細野、茂がインスト曲を提供したのに対し、大滝作品では「カレン」が使用されました。すなわちメンバーとの共作はありませんでした。

斉藤由貴の「情熱」ですが、小説を書き始めたことでこれまでにない新しい手法を試した、と回想しています。間奏をはさんで場面転換し、1コーラス目からの時間の経過を表現しました。これが11・15発売です。また芳本美代子「Auroraの少女」は翌86年9・10。

さらに後述する南佳孝。83年春に「曠野へ」、84年6月に『冒険王』を制作しています。整理します。        

83年春録音

「曠野へ」

南佳孝

83年9月録音

「フィヨルド」

大滝詠一

84年6月

『冒険王』

南佳孝

85年6月

再結成ライブ

 

85年5~8月執筆

小説「微熱少年」

 

85年11月

「情熱」

斉藤由貴

85年11月

「熱き心に」

小林旭

86年9月

「Auroraの少女」

芳本美代子

87年4月

映画「微熱少年」

 

 

「熱き心に」の発売日。「オールアバウト」や「オリコン」のデータにしたがって11・20としていましたが。旭サイド、阿久悠サイドのディスコグラフでは12・01とされています。

 

 

大瀧の作品としては『イーチタイム』のレコーディングから1年半ぐらい後のものです。「フィヨルド」とは発表時期こそ近いですが当時にしてはけっこうブランクがあります。

すでに”鼓舞しないとできない”時期に入り、かなり難産だったようです。04年のレココレのインタビューでは完成した夜の感動的なエピソードを披露していましたね。

松本隆との黄金コンビを解消し、作詞家はこれ以降その作品にふさわしい人選をしているように見えます。

「フィヨルド」で一区切り、「熱き心に」で新しいスタートを切ったはずでしたが。この後発表された作品は「実年」「ルビイ」「予感」「結末」「ポップスター」「マルセイユ」「恋する」の7曲のみ。

曲提供じたい創作機会としては受動的なものですね。自発的に作曲を始めることはなく、田村充義、宮永正隆、永山耕三など近い人脈からのオファーだけにしかたなく応じる、というスタンスです。

 

 

「熱き心に」のメロディーのヒントになったという「惜別の歌」(61)と「さすらい」(60)。

~北国の~からの部分が「惜別の歌」で、~ああ春には~の部分が「さすらい」から来ているようです。2パターン作って、どちらも捨てがたくドッキングさせた、という逸話も有名ですね。04年のインタビューでは「惜別の歌」のかわりに「北帰行」(61)の名前を出していますが・・・。

わたしの年代では、歌手小林旭のイメージといえば「昔の名前で出ています」の演歌調ですが、CMでよく聴いた「赤いトラクター」はフォークといえば言えないこともない曲調でしたね。

所有する『ゴールデン☆ベスト』(UICZ-6040)に収録されている曲群をみると”ド演歌調”が少ないのに気付きました。近年スポットを浴びたコミックソングと「北帰行」のようなフォーキーなもの。個人的にこのメロディーは「知床旅情」を思い浮かべてしまいます。なぜかワルツです。

「北帰行」の原曲は戦前の「旅順高校寮歌」であり、時を経て60年の前後、東京の歌声喫茶の若者たちの間でにすでに愛唱されていた曲だそうです。安保闘争で亡くなった学生を悼む時に歌われたとも言われています。

「惜別の歌」のほうは島崎藤村の詩に曲をつけたもので学徒出陣兵を送る歌として歌い継がれていたものですし、「さすらい」の原曲は第2次世界大戦中、南方の戦地で兵士の間で愛唱された「ギロハの浜辺」という曲だそうです。異国の空の下、孤独を癒すためみんなで歌ったのでしょうか。これぞ民衆の歌=フォークですね。

 

ユリイカ「はっぴいえんど特集」の内田樹教授による「大瀧詠一の系譜学」では『日本ポップス伝2』が引用されています。

遠藤実による千昌夫の大ヒット「星影のワルツ」(67)の前には舟木一夫の「学園広場」がある、その前に島倉千代子の「襟裳岬」が同じ路線で書かれている。岡本おさみ=吉田拓郎で書かれた森進一の大ヒット「襟裳岬」(74)は関係ないようで、じつは島倉千代子の「襟裳岬」が前提としてあったはず。千昌夫の大ヒット「北国の春」(77)はふたたび遠藤実による吉田拓郎への対抗意識から生まれたものである。という遠藤実が日本のフォークの源流にある、との説です。

70年代初期の小林旭には「ついて来るかい」などの遠藤実によるヒット曲が何曲かあります。旭もこの遠藤実の系譜に属するのでしょうか。

 

 

渡り鳥/流れ者のキャラクターからか、こういった放浪や旅愁をテーマにした曲が多いのが小林旭の特徴です。「熱き心に」はメロディーもさることながら阿久悠の歌詞も小林旭歌謡の王道を踏襲したものでした。

~北国の空の下~や~夢追い人ひとり~               といったテーマだけではなく、

~恋に生きたら楽しかろうが どうせ死ぬまでひとりぼっちさ~   「さすらい」

~君紅の唇も 君が緑の黒髪も またいつか見んこの分かれ~  「惜別の歌」

~さらば祖国 いとしき人よ~

「北帰行」

といった、離れた女性を想うテーマも受け継いでいるところにも注目したいです。

 

阿久悠は自著「愛すべき名歌たち-私的歌謡曲史」(99)で「北帰行」について語っています。

60年安保の翌年、このような叙情歌が嵐が吹き抜けた荒野に一人取り残されたかのような青年たちを慰めた。阿久悠は仕事帰りの山手線を上野で途中下車し、「北帰行」に歌われたような青年を疑似体験してみた。                                 広告代理店に勤めて3年目だったそうです。 

 

今年発表された阿久悠のアンソロジーBOX『人間万葉歌』の1枚目の1曲目も「熱き心に」で、彼にとっても自分のテーマソングとも呼べる重要曲なのかもしれません。

85年はちょうど小林旭の芸能生活30周年の記念盤的な位置づけもあったはず。大御所阿久悠も今をときめくヒットメイカーとの共作とCMタイアップに大いに意気込んだことでしょう。以前から色紙に書いていた思い入れのある言葉「熱き心」をタイトルに冠したほどです。

「愛すべき名歌たち-私的歌謡曲史」には、大瀧との初顔合わせを回想もしています。小林旭の初期のアンチャン節風のものが好きだとか・・・不思議な人だと思ったと。二人でなんとなくイメージを語り合って結局メロディーを先に作ることが決まったが、阿久は「ズンドコ節」とかが出てきたらどうしようとひそかに心配していたそうです。

85年いや、あえて昭和60年という年。世の中が等身大になってしまい、ドラマの世界でさえケタはずれのスケールとかとんでもなく大きな男が登場しなくなって、仮にそういう歌を作っても似合う個性の持ち主が少なくなってしまった。そこで可能な限り美文調をメロディーにあてはめ、日本離れした風景と、現実離れした浪漫を書いた。「愛すべき名歌たち-私的歌謡曲史」                        また                                     小林旭を男の最後の切り札のように思い、なんとなく男の影が薄くなった時代に大きいスケールの歌を書いた。「歌謡曲の時代-歌もよう人もよう」

 

 

「女を残して旅する男」。「消えた女を探す男」ではなく、女性の意思に関係なく主人公が離別して行く点が「シベリア」や「フィヨルド」とは違うところです。

「リビエラ」ですね。「リビエラ」の主人公は伊達男で華奢なイメージ。「熱き心に」の主人公はアウトローで無骨なイメージ。どこかに元”微熱少年”の面影が残ってしまうのが松本隆の世界かもしれません。

この当時松本の作品で「リビエラ」系といえば。森進一の「紐育物語」、「モロッコ」の3部作の他には南佳孝が思い出されます。

~悪いけれど 君の手紙は読んで暖炉に投げた~君の知ってる男は地上から姿を消した そんなふうに想ってくれ~

「曠野へ」

~君を愛してるわかるだろう もしも帰らなければ忘れてくれよ~  「冒険王」

「フィヨルド」のデモテープを渡した時、松本は「シベリアの続編」を書いて大瀧に返した、と以前わたしは書きました。

これがもし「リビエラ」の続編、さらに南佳孝の「曠野へ」や「冒険王」的な”はあどぼいるど”なものであったら。「フィヨルド」をステップボードとした「大瀧=松本」の次へのジャンプがあったかもしれませんね。

 

 

インスタントコーヒーのCMは印象的でした。ナレーションは最後の最後に入るだけで、映像よりも曲のよさで引き付けるタイプのものでした。記憶にわずかに残っているのは湖畔から鳥の群れが飛び立つ映像です。                                  これ「渡り鳥」。

最初期のバージョンには曲のクレジットもなかったので、しばらくあとからアキラ=大瀧と知って感激したものです。暇な大学生をしてもそのくらい情報量に乏しい85年でしたが。

 

さて、翌86年の賞レースでは大賞にノミネートされ、紅白への7年ぶりの再出場も果たしました。

”小林旭の歌は不況の時売れるんだ” 「昔の名前で」と同じく俺自身、多少へこんでいた時期から俺に勢いをつけさせてくれた歌だった「さすらい」

と本人は回想しています。

この年小林旭は46歳。大瀧は「幸せな結末」を歌ったのが48歳と、似たような年回りだった、と(55歳の時気付いた、と)語っています。

 

 

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