四半世紀前の今日は#13

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

四半世紀前の10・7 松田聖子のシングル「風立ちぬ」が発表されました。

「白いパラソル」につづく第7弾シングルは、すでにグリコポッキーのCMソングとして秋口から流れていたものです。

 

松本隆が聖子のプロジェクトに参加してはじめて制作に主導権を執ったのがこの「風立ちぬ」だと言えます。従来のライター陣以外から大瀧詠一を作曲に指名したのです。

 

 

『ロンバケ』において大瀧=松本コンビの作品は、「曲先」つまりメロディーが先にあって、あとから作詞家が詞をつける方式、で制作されていたと推測できます。

 

一例として、「カレン」と「スピーチ」が森雪之丞の詞をつけてすでに発表されていましたし、「ベルベット」は大瀧による「サマーブリーズ」という詞がすでにつけられてしました。

太田裕美のシングル「さらばシベリア鉄道」が世に出たリユニオン第1作と言えますが、「木綿のハンカチーフ」をかつて「詞先」で制作した太田にしても、今回は完成した詞曲を提供されたのが実際です。

 

 

こうした流れに反して、「風立ちぬ」は「詞先」つまり完成した詞にあとから作曲家がメロディーをつける、方式で制作された、されています。これは松本や大瀧の証言から推定できます。

松本側から大瀧へ、自分の詞に曲をつけさせた、数年ぶりの作品なのです。

 

 

「風立ちぬ」というタイトル。

文語体、それを前サビの歌い出しに持ってきたのは革新的でした。堀辰雄の小説「風立ちぬ」を連想させる文学的なイメージもアイドル歌謡の枠を超えていました。

 

小説から拝借したイメージは、秋、高原という舞台装置と、「未来」への強い意志でしょうか。

そして松本版「風立ちぬ」の主題とは、

 

 

夏から秋へ

わたしと「あなた」の間にふいにおこった風は

「さよならの風」

 

「さよならの風」は

「別れ」をふたりに招き

「別れ」はわたしの「新しい旅立ち」となります。

 

 

これまでの松本作品やはっぴいえんどの作品をあらためてふり返ってみると、「風立ちぬ」のタイトルへの採用はかなり意味深い選択と言えます。

 

「風」は『風街ろまん』にはじまる、はっぴいえんどのキーワードであり、長年松本の詞作にみられる重要なテーマです。「風」が詠(うた)ったのは時代の空気や人生の風景です。

 

そう考えると、松本が「風立ちぬ」をタイトルに冠した意図に、私的なもう一つの主題を読んでしまいます。

 

 

松本作品における「風」をあつめてみましょう。

 

 

 

 

さよならの風が

君の心に吹き荒れても

ただぼくは知らん顔続けるさ

 

「雨のウェンズデイ」

 

 

カナリアン・アイランド 

風も動かない

 

「カナリア諸島にて」

 

 

はにかみやが愛の唄を作り

風の部屋でカセットをまわした

 

「我が心のピンボール」

 

 

くもり硝子の向こうは風の街

 

「ルビーの指環」

 

 

暮れなずむ愛はさよなら

白い貝のブローチは似合わないわ 秋風

 

「白い貝のブローチ」

 

 

渚に白いパラソル

答えは風の中ね

 

「白いパラソル」

 

 

言いそびれて白抜きの言葉が

風に舞うよ

 

「スピーチ・バルーン」

 

 

 

以上はすべて80〜81年の作品から。

そして、作詞家初期の作品。

 

 

 

 

きみをさらってゆく風になりたいな

きみをさらってゆく風になりたいよ

 

「夏色のおもいで」73

 

 

若い季節のかわり目だから

誰も心の風邪をひくのね

 

「青春のしおり」75

 

 

では、はっぴいえんど時代のものをピックアップしてみます。

 

 

 

 

風をあつめて 風をあつめて

蒼空を翔けたいんです

 

「風をあつめて」71

 

 

おしゃれな風は花びらひらひら

陽炎の街 まるで花ばたけ

 

「花いちもんめ」71

 

 

ぼくはきっと風邪をひいてるんです

 

「空いろのくれよん」71

 

 

それはぼくじゃないよ

それはただの風さ

 

「それはぼくじゃないよ」72

 

 

水彩画の街に花杏が匂うと

風にぶらさがる海ほうずきのように

髪をほどくんだねくすくす笑いながら

 

「水彩画の街」72

 

 

水いろのひかりさしこむ窓に

きみはひとりぽつん

風に君の顔がにじんで

 

「外はいい天気」73

 

 

 

 

主人公の感情と、時代や場所を示す背景と、の間にある空間、そしてその空気の温度、湿度、速度、強度。それが、「風」の意味するところではないでしょうか。

 

そして、さらにさかのぼります。

 

 

 

雨あがりの街に

風がふいに立こる

 

「12月の雨の日」69

 

 

 

この曲は大瀧の曲に、松本がはじめて詞をつけた、コンビ第1作です。

正確にはボブ・ディランの「MY BACK PAGES」の詞に大瀧がつけたオリジナルのメロディーに、あとから松本が詞をつけたものです。

 

 

風がふいにおこる

の「おこる」が

「立こる」

と表記されていたことにわれわれは気付きます。

「風が立こる」

 

 

「風立ちぬ」

この1969年「立(おこ)った風」のことを、松本は再び書いたのです。

かつて「立(おこ)った風」が現在、完了したのかもしれません。

 

「立ちぬ」の「ぬ」は

ぬ 【助動詞・ナ変型】≪その行為がすでに実現したものであることを表わす≫の 「ぬ」です。

 

 

彼らがおこした、小さな「風」が、10年をへて大きな「風」になりました。

その「風」こそが、これまでの彼らの「戦い」であり、「渇望」であり、「挫折」であり、「出会いと別れ」であり・・・

彼らの「足取り」そのものだと思います。間違いなく彼らが、その「風」を立(おこ)したのです。

 

「風立ちぬ」とは、その歴史をふまえた「今日」のことを詠(うた)った曲なのではないでしょうか。

 

しかし、これは決していま完結したわけではありません。

彼らの「今日から」のことを高々に謳(うた)った曲なのです。

「別れ」は「旅立ち」であり

「終わり」は「はじまり」ですから。

 

 

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