四半世紀前の今日は#1

 

 

7月28日は大瀧詠一氏の誕生日。じつは四半世紀前のこの日、1980年7・28に発表を予定されていたのが何を隠そう、かの『ロンバケ』でした。シングル6枚を永井博の絵本とセットで、というのが当初の計画でしたが結局発売は翌年の3・21に延期されました。この時期は多くの楽曲を制作しながらもあえて発表を見送り、水面下で復活を準備していた沈黙期。『ロンバケ』を研究するには重要なポイントに間違いありません。

ところで、コロムビアでナイアガラを休止したのち、この路線での復帰を当時のファンのいったい何人が予測したでしょうか。自信作『カレンダー』もベスト盤『デビュー』も商業的に失敗し、最後は『オンド』でした。活動休止は言ってみれば自己破産くらい深刻なものだったはずです。

延期も含めて何度もの試行錯誤があったのでしょう。不退転の決意もただならぬものだったでしょうし、エクゼクティブプロデューサで出資者である音楽出版関係からのサジェスチョンもあったのでしょう。

当時の音楽シーンを振り返ると、『ロンバケ』があの路線に落ちついた必然性が見えてくるような気がします。

 

 

オリコン関係の文献収集も一段落しまして、公表してませんでしたが、「81年の42冊セット」というものを落札してしまいました。ついでに82年の第1週号も。これで『ロンバケ』が登場した年のヒットチャートが把握できます。

『ロンバケ』自体のチャートアクションのみならず、その週のその他の曲の動きも見えて非常に興味深いです。特集やインタビューなど記事にも何度も登場していたんですね。

また、年間通して見ていると、70年代から80年代への音楽シーンの変化が見えてきます。

『ロンバケ』が世に出た背景。商品としての音楽ソフトのありかたについては以前少し考えてみました。今度は音楽そのもののトレンドの動きに迫ってみたいと思います。

 

『ロンバケ』登場前夜の1980年の音楽シーンを振り返ります。

ナイアガラ/ティンパン系の活躍には目を見張るものがあります。とくにアーティスト別売上額ランキングでYMOが1位、シャネルズが19位、達郎が23位です。彼らの世代がいよいよシーンの表舞台に躍り出た年です。

アーティスト別売上額ランキング

 

80年

81年

1

YMO

寺尾

山口百恵

松山千春

アリス

松田聖子

松山千春

横浜銀蝿

さだまさし

オフコース

長淵剛

アラベスク

ABBA

ノーランズ

中島みゆき

シャネルズ

久保田早紀

田原俊彦

10

オフコース

近藤真彦

11

八代亜紀

五輪真弓

12

松田聖子

中島みゆき

13

五木ひろし

YMO

14

もんた&ブラザーズ

さだまさし

15

甲斐バンド

大滝詠一

16

サザン

石原裕次郎

17

小林幸子

松任谷由実

18

八神純子

サザン

19

シャネルズ

山口百恵

20

クリスタルキング

シーナイーストン

 

 

 

奇しくも『ポップス普動説』で80年のヒットチャートが引用されていたように、この年のランキングの顔ぶれにはとても興味深いものがあります。

70年代後半からアルバムセールスにおいて勢力を拡大しつつあったニューミュージックが、シングルマーケットにおいても存在を大きくアピールした最初の年でした。アリス、さだ、千春、みゆき、オフコースらが歌謡界の本流として定着しつつあります。左翼/右翼が本流に引っ張られるかたちで模倣し追随するのがトレンドの法則です。

右翼はつまり、郷ひろみ「セクシーユー」、西城秀樹「眠れぬ夜」、高田みづえ「私はピアノ」。沢田研二「TOKIO」(以降後藤次利、伊藤銀次をアレンジャーに起用)。そして榊原郁恵「ロボット」。

古くは「襟裳岬」74、「シクラメンのかほり」75から、研ナオコの「あばよ」76「かもめはかもめ」78。百恵の77年「秋桜」78年「いい日旅立ち」79年「愛染橋」。桜田順子は78年「しあわせ芝居」を取り上げていますが、この年は状況がさらに激しく展開したことがわかると思います。

この舞台に本流から飛び出した新人が聖子、岩崎良美、河合奈保子ですね。ビジュアルこそ歌謡アイドルの既定路線を踏襲していましたが、79年の竹内まりや、杏里、桑江知子の路線に乗っていたのです。

そして最左翼として登場したのがYMO、シャネルズ、達郎です。

サウンド面のトレンドに目を移すと、50'S−60'Sサウンドのリバイバルがあります。「夢のカリフォルニア」「デイドリームビリーバー」がCMソングに起用され、JDサウザーの「ユーアーオンリーロンリー」もヒットしています。

この傾向を受けてか否か、日本では「ユーメイドリーム」、「ランナウェイ」、「不思議なピーチパイ」、「ドゥーユーリメンバーミー」、「酸っぱい経験」などがヒットし、この手のサウンドが支持されはじめました。

JDサウザーといえばアルバム『ユーアーオンリーロンリー』は『ライドオンタイム』、オフコースの『スリー&トゥー』と同じくらい売れています。同様に洋楽アルバムではボズスギャッグス、イーグルス、クリストファークロス、カーラボノフ、トト、エアサプライなどAORが健闘しています。

また81年大旋風を巻き起こすことになる寺尾がすでに「シャドーシティー」、「出航」を発表し、非演歌/非フォークの大人の歌謡曲をプレゼンテーションしています。

参考までに81年5月には映画「なんとなくクリスタル」のサウンドトラックが発売され19位まで上昇します。

まとめると、

@ニューミュージック(自作自演歌手)のがシーンの本流に、さらにナイアガラ/ティンパン系ミュージシャンが左に翼を拡げる。

A洋楽60’sがリバイバルでそのサウンドが市民権を得る。

Bファッションやライフスタイルの小道具としてのAORが台頭した。

これらが80年から81年の春までの音楽シーンと言えます。

 

『ロンバケ』のサウンドは大瀧のこれまで追求したサウンドの集大成でありながら、しっかりトレンドの大きな流れを捉えてもいたのです。このロングセラーアルバムは生まれるべくして生まれたのです。

 

 

80年夏の発売に向けて、いったいどのような収録曲がラインナップされていたんでしょうか。シングル6枚、しかも夏もの。

「天然色/カナリア」、「カレン/ウェンズデイ」、「FUN×4/Pap-pi」、「サマーブリーズ/ピンボール」の4枚と・・・「ハーフムーン/星空のプレリュード」と「愛は行方不明(仮)/哀愁の三宅島(仮)」か。

 

 

 

 

  

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Copyright© 2005.hoso. All rights reserved.